第六章 退魔の教え
長い廊下を歩かされた浦辺は、巨大な二枚扉の前まで連れられた。
ロディルが見たことのない動物の頭部を象ったドアノッカーを掴んでノックすると、女中らしき女性が中からゆっくりと片方の扉を開いた。
ロディルに続いて浦辺とロイスも中へ入った。
さっきまで歩いていた廊下の装飾に負けず劣らない豪華絢爛な室内で、でっぷりと太った男が金の刺繍をあしらった長いマントを床にこすらせながらどっかりと王座に腰かけていた。
そして、彼を挟むように司祭服を身にまとう立派な口髭を生やしたスキンヘッドの男と、修道僧のような黒い布地のローブに身を包み、深々と被ったフードで顔を隠した不気味な男が立っていた。
「陛下。例の異世界人を連れて参りました」
と、ロディルは言ってからロイスと一緒にひざまずいた。
「うむ、ご苦労だった。お前たちは下がっていろ」
陛下と呼ばれた肥満の男が太い声で言うと、二人の騎士はともに「ハッ」と声を上げてから立ち上がり、そつのない動きで部屋から出て行った。
「さて…。貴公の名はウラベミチオで間違いはないだろうか?」
と、太った男は取り残された浦辺を見つめながら聞いた。
浦辺が頷くと、男は感心したように口角を上げた。
「やはりな、想像した通りだ。見ず知らずの世界に突然召喚されたにも関わらず、まったく狼狽えないどころか平静さを保っている。ロディルたちから事の経緯はお聞きか?」
「いいえ」
「では、説明しよう。その前に、私はこの城の当主でグリンメル王国を統治するディアドロス国王だ。我々は貴公との会談を設けたく、無礼を承知ながら配下の魔導士レインに命じ、こちらの世界に一方的にではあるが召喚させてもらったのだ。その際、とある力の影響で少々手間取ってしまい半ば強引に行ったため、妙な不快感に見舞われたと思われる。その点は深くお詫びしよう」
と、ディアドロスは王座にふんぞり返ったまま二重顎の顔だけを下げた。
(体調不良の原因はそれだったのか)
現実世界で体験した体調の異変は今の話で納得出来たものの、浦辺にはまだ腑に落ちない点がいくつもあった。
「失礼ですが、いくつかお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「言ってみたまえ」
「どうしてボク…いえ、なぜ自分の名前をご存知なんですか?」
「それは、あらかじめ貴公のことを調べていたからだ。今回だけに限らず、異世界から召喚した者の情報を事前に調べ上げるのは当然の準備なのだよ」
「では、先ほどおっしゃっていた『想像した通り』と『とある力』とはどういう意味ですか?」
「それは私が話そう。陛下、よろしいですかな?」
と、黙って聞いていた司祭服の男がいきなり口を開いた。
ディアドロス国王がどうぞというように手を差し出すと、司祭服の男は恐縮そうに一礼してから浦辺に体を向けた。
相手の顔を見た途端、浦辺の背筋に冷たいものが走った。
この男がロディルたちの言っていたエドガー・クロード牧師であるのは、十中八九間違いないだろう。口髭を生やしたスキンヘッドという特徴的な風貌は中々の貫禄だが、司祭服を身にまとっている姿が様になっている点から見て、彼がエドガー牧師本人であることはあきらかである。
その意外性とは別に、浦辺が緊張した理由は相手の目だった。
地獄の底から這い出た悪魔を彷彿とさせるほど真っ赤な輝きを放つ二つの眼球は、絶えず目を合わせていたらそのうち生気を吸い取られてしまいそうな錯覚を覚えるほどの禍々しさを放っていた。
義眼の代わりに宝石のルビーをそのまま埋め込んだと思えるような瞳に見つめられ、浦辺は全身に鳥肌が立つのを覚えた。
「紹介が遅れてしまったが、彼は王都オスニエルの教会にて“退魔の教え”いう教義を説いているエドガー・クロード牧師だ。貴公をこの世界へ召喚する手筈を整えたのは私だが、その提案を掲げたのはこのエドガー牧師なのだ」
「どうして自分を? それに、今おっしゃったタイマの教えというのは一体どういうものですか?」
浦辺が尋ねると、エドガー牧師が嘲笑するような笑みを浮かべた。
「貴公の世界では魔族が存在しないゆえ、私の教えがどういうものか釈然としないのも仕方がないだろう」
「魔族?」
「我々人間の平穏な暮らしを脅かす邪悪な存在のことだ。人間は軟弱な肉体のまま生を授かるが、一方の魔物は誕生を迎えたその瞬間から既に武器となる鋭い爪や牙のほかに、強力な魔力を有している。つまり、二つの種族が肉体的な相違を決定付けられて生まれるという摂理に従うのならば、人間と魔物が共存共栄の関係を築くなどあってはならないことを示しているのだ。かつては、その思想の元に人間と魔物は常に対立していたが、今では屈託のない人間で溢れている。そんな彼らに魔物の本当の恐ろしさを教え説き、対魔物の思想が根強かった過去の社会を取り戻すべく私は布教活動に精を入れている」
「魔物を退ける、それで“退魔の教え”ですか?」
「その通り。私は昔からこの国で魔物の恐ろしさを唱え続けてきたが、数年前に起きたある出来事をきっかけに国民の半数以上が退魔の教えに耳を傾けなくなったばかりか、魔物に対して認識を改め始めるようになってしまった。そのきっかけというのが、人間とグリフォンのまぐわいによって子が生まれたことだ」
最後の言葉を聞いた瞬間、浦辺はようやく自分がこの場に呼ばれた理由を察したと同時に、この話題がよからぬ方向へ進行するかもしれないという予感を抱き警戒を強めた。
そんな浦辺の考えを見通したのか、エドガー牧師は一瞬不敵な笑みを浮かべてから空咳をした。
「話を元に戻して、先ほどの貴公の質問に答えるとしよう。陛下がおっしゃった『想像した通り』という言葉の真意だが、それは我々がある情報を得ていることを示している。その情報とは、貴公が共存社会の実現に貢献した女性とグリフォン、そして彼らの間に生まれた汚れた混血児と面識があることだ。どのような経緯で貴公が彼らと出会ったかは、この際問題ではない。肝心なのは、魔物の存在しない世界で暮らす貴公がグリフォンと遭遇したことで、現実味を帯びない事象を事実と受け止められる柔軟性を身に付けたことだ。それゆえ、突然の異世界召喚にも関わらず貴公は平常心を保っていたのだろう。陛下はそれを見通して先ほどの言葉を述べられたのだ」
「………」
「二つ目の『とある力』について説明しよう。先ほど陛下がおっしゃったように、貴公は魔導士のレイン…今、陛下の隣にいる修道僧の男だが、彼の召喚魔法によって我々の世界に連れて来られた。召喚術を使えばどんな人間も強制的に我々の元に連れて来られるが、貴公に関しては思いのほか時間を費やしてしまった。というのも、貴公の肉体に彼の魔法を妨害する守護魔法がかけられていたからだ。しかし、魔法が存在しない世界の住人である貴公がそのような力を持っているとは考えられない。とすると、条理に適う説はただ一つ。信頼を得た魔物、つまりグリフォンから授かった守護魔法によって、レインは貴公の召喚に手こずってしまった。それが『とある力』の正体だ。なにか質問はあるか?」
「ありません」
「それならばよい。…さて、ウラベミチオよ。私たちは向こうの世界での貴公のことを既に調べ上げている。貴公には優れた洞察力、推理力、想像力、戦闘力、そして純然たる正義感が備わっている。ついさっき、貴公が心の中で私に対する警戒心を増したのも、恐らくその正義感によるものだろう」
「………」
「今一度、お前の正義感に問いたい。私は、今でも魔物は人間にとって危険な存在であると確信している。しかし、共存社会が実現した近年より、その魔物が無遠慮に人間たちの生活に土足で上がり込んでいる。王都オスニエルの国民を除く世界中の人間が、自らの命を脅かす存在を間近にしていながら喜々として彼らと生活を送っている。果たして、この現状を看過していいものか? 答えはもちろん、否だ。このままではいずれ、魔物が人間に対して反旗を翻し出し抜く時代が到来するだろう。それを未然に防ぐ目的を持って、私と陛下は退魔の教えを再び唱え布教させようと努めている。なんとしてでも我々人間を魔族の手から守るためにも、対魔物の思想は再び広めなければならない。貴公にとって、私たちの行いは間違っていると思われるか?」
と、エドガー牧師が宝石のように輝く目をより一層輝かせながら浦辺に問いかけた。
「ボクはこの世界の人間ではありません。この世界の現在のあり方についてはなにも存じ上げませんから、あなたが唱えている退魔の教えを肯定したり否定したり出来る立場ではないと思っています」
と、浦辺は思ったことを素直に言った。
浦辺の曖昧な返事が気に入らなかったのか、エドガー牧師はムッとした顔で小さく吐息した。
「同意も不同意もせず…ということか。身の程を弁えた謙虚な返答だが、私は一刻も早く今のバカげた秩序を改革させるべきだと思っている。そのためには、どうしてもきっかけを作ったグリフォンと番いである異世界の女性、そして異種族同士の交配で生まれた彼らの子を見付け出し、ここへ連れて来なければならない。以前、陛下がロディル率いる憲兵騎士団をグリフォンの住処である里まで派遣させたが、問題の彼らは見付けられなかった。しかし、貴公なら彼らの居場所を存じ上げているはずだ。ウラベよ。貴公には是非、我々の協力者となって彼らを見付け出し、この城へ連れて来てもらいたいのだ」
「もしも連れて来た場合、彼らをどうするおつもりですか?」
「どうするつもりだ、とはどういう意味だ?」
「お尋ねした通りの意味です。協力をお求めになるのなら、それを詳しく教えて下さい」
「…ウラベよ。我々が貴公に望んでいるのは、彼らを発見しここへ連れて来ることだけだ。その目的を果たしさえすれば、貴公を無事ニホンと呼ばれる向こうの国へ戻してやれるのだ。しかし、余計な詮索をするのであれば面倒事を抱えることになるぞ。それだけはハッキリと言わせてもらおう」
「では、こちらからもハッキリと言わせていただきます。もしも彼らになにかしらの手をかけるつもりでいるのなら、ボクはたとえ知っていても教えるつもりはありません」
「手をかけるだと? …フフ、なにを物騒なことを。私たちは今の貴公と同じように、彼らとも穏やかに会談をまじえるつもりだよ」
「とてもそうは思えませんね」
浦辺の言葉で、エドガー牧師の眉がピクッと動いた。
今、浦辺の頭はエドガー牧師への不信感で満ちていた。
現在、この世界はイザベラとルミウス(そして息子のテオ)の活躍によって、人間と魔物が支え合いながらともに暮らしているという。
しかし、その現状をエドガー牧師は心地好く思っていない。これまでの発言を聞く限り、その思想に揺るぎない執念を燃やしていることは間違いないだろう。
つまり、彼にとって対魔物の思想を覆すきっかけを作ったイザベラたちの存在は、この上なく目障りなのだ。
さらに、エドガー牧師は魔物を危険な生物と認識している。
イザベラから聞いたことがあるが、グリフォンとはドラゴンと対等に渡り合えるほどの実力を誇る唯一の神獣とのことだった。
ドラゴンとは、魔物の中でも頂点に立つ存在と謳われている。そんな畏怖の対象に唯一対抗出来るグリフォン相手に、筋金入りの魔物嫌いであるエドガー牧師が、穏便な会談を望んでいるとは浦辺にはどうしても思えなかったのだ。
浦辺とエドガー牧師が険しい表情で見つめ合う中、不穏な空気を悟ったディアドロスが太った体を揺すりながらようやく王座から立ち上がった。
「ウラベよ。言うまでもないと思うが、私もエドガー牧師が唱えている退魔の教えを深く信仰している。あの稀有な出来事以来、一部の国民は魔物に対し色眼鏡で見てきたことを認めるようになった。連中の本質を知っていれば容易に心変わりするはずなどないのだが、今を生きる者のほとんどは魔物と熾烈な戦争を繰り広げてきた祖先ほど、ヤツらの本当の恐ろしさを理解していない。そこを付け込まれてしまったら最後、人間はなす術もなくあッという間に殲滅されてしまうだろう。魔物が人間を支配下に置く時代が訪れるのを未然に防ぐためにも、是非我々に協力してもらいたいのだ」
「申し訳ありませんが、協力は出来ません」
浦辺はキッパリと言った。
「なぜだ? 罪のない人間が魔物の餌食になる恐ろしい未来が訪れても、貴公は一向に構わないと言うのか?」
「そうではありませんが、協力は致し兼ねます」
「しかしーー」
「陛下、お待ちを」
エドガー牧師はいきなり話を遮ると、ディアドロスの耳元に口を寄せてなにやら耳打ちを始めた。
相槌を打ちながら耳を傾けていたディアドロスは、聞き終えると苦虫を噛み潰したような面持ちを浮かべて浦辺を見た。
「ウラベミチオよ。これまでの貴公の様子を窺った結果、我々の信条を理解していただくのは容易ではないという結論が出た。よって、エドガー牧師の申し出に沿い、心変わりにいたるまで貴公を城の地下牢に軟禁する。強制的にこちらの世界に召喚した立場ゆえに心苦しい選択ではあるが、これも人々が安心して暮らせる世を取り戻すためだ。許してもらいたい。ロディル!」
ディアドロスが野太い声を響かせると、静かに控えていた女中が慌てて扉を開けた。
部屋の外にいたロディルとロイスが入って来た。
「ウラベを再び地下牢へと連れて行くのだ」
「ハッ」
二人は同時に敬礼すると、無抵抗の浦辺を両側から挟んだ。
「ウラベミチオよ。しばらくの間、己がいかに誤った判断を下してしまったかを地下牢で身をもって後悔するがよい。もしも考えが改まるようであれば、いつでもそこにいるロディル隊長に声をかけるがいい」
と、エドガー牧師は言ってから切り捨てるように手を振った。
それを合図に、ロディルとロイスは浦辺を連れて王座の間から出て行った。