第四十五章 花の王冠
非合法な武器の取引及び密輸という裏稼業に手を染めたディアドロス国王は、腹心の部下で結成された憲兵騎士団によって拘束された。
彼は最後の最後まで悪あがきをしたが、そんなかつての威厳を微塵も感じさせないほど落ちぶれてしまった国王を騎士たちはただただ軽蔑の眼差しで見つめた。
騎士団は国王を連れてカルトレイクの城へ赴き、そこで勾留後に二人の諸侯をまじえてこれまでの顛末を事細かく説明するという。
「その後は諸侯のお二人でご協議され、皇宮宛てに今度の一件が伝わると思います。ですので、ディアドロス国王の処罰は最終的に皇帝陛下が下されることでしょう」
「分かったわ。…ところで、城が完全に崩れてしまった今、あなたたちはこれからどうするの?」
と、アイリスは気に掛けた様子で騎士たちを見回した。
「先ほど我々で話し合ったのですが、これを機に憲兵騎士団を解散することにしました。その後のことはこれから検討するつもりです」
「なにも解散しなくても…」
と、憂慮するアイリスに騎士は笑みを浮かべて首を横に振った。
「いえ、これでいいのです。創設者のロディルが悪事の片棒を担いでいた以上、継続させるのは相応しい選択とは言えませんから。異議はないだろう、ロイス?」
「もちろんです」
と、ロイスは先輩の騎士に頷いた。
それから騎士たちは、浦辺に体を向けた。
「我々は異世界人がみな愚かな人種だという隊長の主観を信じていたが、それがとんでもない誤解だったと今になって気付いた。フェルナールの森ではそうとも知らず貴公とその仲間に危害を加えてしまい、本当に申し訳なかった」
騎士たちは片膝を突いてひざまずくと、浦辺に向かって頭を下げた。
騎士なりの謝意の表し方なのだろうが、仰々しさのあまり浦辺は当惑して顔を上げてほしいと言った。
「それから、共謀者のタカセを押し付ける形になってしまったのも重ねてお詫びしたい。さっきはあんなことを言ってあの男を脅してしまったが、こちらの法律で異世界人を裁いたという前例は一度もないから、適用される可能性は極めて低くてね」
「元々、ボクはあいつを連れ戻すつもりでしたから気にしないで下さい」
「それならばよかった。貴公は善良な異世界人だが、ヤツは底意地の悪い無法者だ。向こうの世界で定められた法律に則り、二度と悪事を働かないよう罰してもらいたい」
「分かりました。…でも、あの様子なら二度と悪さをしようとは思わないでしょう」
と言って、浦辺は群れのグリフォンたちに囲まれて縮こまっている高瀬を見た。
ディアドロス国王との言い争いでヒートアップした末に反抗する気力を失った高瀬は、グリフォンたちの鋭い眼差しに萎縮しながら目を泳がせていた。
その後、騎士たちは高瀬が乗っていた馬車に生気の抜けたディアドロス国王(と、ラングの店に転がっていたヴィクターとルーク)を乗せると、それぞれの馬にまたがって取り巻きながら諸侯たちが待つカルトレイクへ向けて出発した。
ロイスは、ふとアイリスが切なげな面持ちを浮かべているのに気付いた。
夕暮れに差しかかりつつある淡い空の下、人々が引き上げ物静かになった広場にてアイリスはゆっくりと踵を返すと、巨大な十字架を見上げた。
「心配しなくても、国王はちゃんと処罰されるさ。なにせ、禁じられた召喚術を使ったほかに武器の横流しや殺人と、犯した罪は計り知れないんだ。皇帝陛下は良識あるお方だから、いくら相手が一国を治める国王だろうと妥協せず誠実な判断を下してくれるよ」
と、安心させるように言うロイスにアイリスは頭を振った。
「私が心配しているのはそのことじゃないの。国家の中枢である王都でこんな大事件が起きてしまったのだから、皇帝陛下は将来的にこの国の存続が危ぶまれると見越すはずだわ。それによってしかるべき対応を取ったとき、グリンメル王国に暮らす人たちはこの国から立ち去らなければならなくなってしまう。私はそれを心配しているのよ」
「しかし、さっきも言ったように皇帝陛下は良識のあるお方だ。確かに色んな事件が重なりはしたけど、きっと事情をくみ取って下さるはずだよ」
〈残念だけど、そうとは言い切れないわ〉
と、リヴィアが遠慮がちに遮った。
〈共存社会の実現後、ディアドロス国王は対魔物の思想を唱える退魔のお教えにひどく傾倒していたでしょう? 最終的にそれはオスニエルの国民にも伝染し、グリンメル王国の三分の一は魔物に対して負の感情を抱くようになった。その異端的な宗教思想を過去の辛酸から創造したエドガー牧師は既に亡くなっているけれど、独創的な教えを国民が信仰していたという事実がある以上、皇帝は慎重を期すはずだわ〉
〈彼女の言う通りだ。皇族というのは国家体制を守るために教会の弾圧に乗り出すほど、政治的にも影響力のある宗教にはセンシティブになるものだ。だから、オスニエルが退魔の教え発祥の地という点も含めれば、王女の不安はもっともと言える〉
と、ルミウスもやるせない表情で言った。
「そんな…。それじゃあ、なんの手立ても講じられないまま王国が滅亡の危機に瀕するのを、ただ手をこまねいて待つしかないのか?」
思わず食ってかかるロイスに、リヴィアとルミウスはなにも言えず目を伏せた。
誰もが口を閉ざす沈鬱な空気がどんよりと漂い始めたとき、小さな足音を立てて三人の子どもたちが彼らのそばに駆け寄って来た。
「アイリスのおねえちゃん。これ、あげる」
と、先頭に立っていた年長らしい女の子が、おずおずとアイリスにある物を差し出した。
「まあ……。なんて可愛いの」
それは、数輪の花によってあしらわれた被り物だった。
アイリスが身を屈めて受け取ると甘い香りがした。
造花ではなく本物の花を使ってこしらえたようだが、形はお世辞にも整っているとは言いがたかった。
「さっき、みんながおねえちゃんをいじめてかなしそうなお顔をしてたから、元気になってほしくてわたしたちでいそいで作ったの。…でも、うまくできなくてこんなふうになっちゃった。怒らないで」
と、女の子がもじもじしながらうつむくと、後ろの二人も一緒に下を向いた。
「怒るなんてそんな…。私のためにこんな素敵なプレゼントを用意してくれて、とっても嬉しいわ。だけど、お姉ちゃんがもっと嬉しいのはあなたたちのその優しい気持ちよ。ありがとね」
アイリスは両手を広げて子どもたちを抱き締めた。形はどうあれ、彼女たちの思いやりにアイリスはとても感激していた。
子どもたちはアイリスを元気付ける言葉をかけてから、大通りへと駆けて行った。
彼女たちの後ろ姿を見届けた後、アイリスはフーッと大きく息を吐いてからプレゼントされた花の冠を見下ろした。
「あの子たちのような幼子のためにも、この王国はなんとしてでも守り切らなきゃね」
と、アイリスは自分に言い聞かせるようにつぶやいたとき、フローラーがそばに寄った。
「方法はただ一つ。ディアドロス国王陛下の失脚に伴い、お嬢さまがグリンメル王国の正統な女王として即位されるのです」
「私が…?」
突拍子もないフローラーの言葉にアイリスは驚いた。
「お嬢さまがこの国の次期統治者として君臨さえすれば、皇帝陛下もしかるべき対応を取る必要はなくなり、王国の存続は保証されます」
「でも、私には王妃の血が流れていないわ」
「王妃さまの血は流れていなくとも、ディアドロス国王陛下の血は確かに流れています」
「………」
暗澹とした表情を浮かべるアイリスを前にフローラーは小さく頭を下げた。
「申し訳ありません。お嬢さまにとって、それが耐えがたいことは重々承知しております。私も同じ気持ちですから…。しかし、この先直面するとされる王国存亡の危機を免れる方法は、それしかありません」
と、フローラーはいつになく力強く語調で言った。
彼女も自分と同じくらい王国の未来を案じているのだろう、という心強さを抱いたアイリスは内心で嬉しくなっていたが、表面上は戸惑いを隠せずにいた。
「あなたの言う通り、女王に即位する条件が私にはある。でも、たった一人でこの王国を治めていくなんて、私にはとても…」
「なにをおっしゃいますか。お嬢さまには、ともに王国を支えていくに相応しいお相手が既にいらっしゃるじゃありませんか」
「誰のこと? 私には許嫁すらいないのに…」
「決まっているじゃありませんか」
フローラーは微笑むと、すぐそばにいる一人の騎士に顔を向けた。
「…アッハハ。冗談が過ぎますよ、フローラー」
と、ロイスは苦笑を浮かべたが、フローラーは至極真面目な表情だった。
「いいこと、ロイス。女王に即位されたお嬢さまにとって、ともにグリンメル王国を支え繁栄に導く使命を担うことが出来る理想的な伴侶は、あなたをおいてほかにはいないと私は信じているわ」
「冷静になって下さい。覚えておいででしょうが、自分はあなたに連れられてこの国に来たいわばよそ者です。そもそも、自分は貧困層で占められた辺鄙な集落で、高貴な身分でもなければ王族の血筋も引いていないごく平凡な両親の元に生まれたんですよ」
と、ロイスが困惑しながら言った。
「だから、アイリスさまの伴侶となれるはずがないと言うのね?」
「…そうです」
しかし、フローラーは首を横に振って、
「そんなことはないのよ」
と、ロイスに微笑した。
怪訝な面持ちを浮かべるロイスの横で、アイリスは不思議そうに二人の顔を見比べていた。
「お嬢さま。私が初めてミリアのことを打ち明けたとき、王妃さまのことも一緒にお話しされたのを覚えていらっしゃいますか?」
「え? …ええ、覚えているわ。ディアドロス国王との政略結婚を果たすために城へ来たけれど、折り合いが悪くなって城の騎士と駆け落ちして逃げてしまったのよね」
そこまで言ったところでアイリスはハッとした。
「まさか…」
と、息を呑むアイリスにフローラーはコクリと頷いた。
彼女の話によるとこうだった。
グリンメル王国と辺境伯領をそれぞれ統治する二人の領主の思惑によって、ディアドロス国王と王妃は政略結婚という名のもとに夫婦となった。が、それによって夫の傍若無人な態度や人を見下すような性格を見極めるようになった王妃は、次第に不満を募らせるようになってしまった。
当の本人にその不満をぶつけようものなら、怒り狂って手を出されるか喚き散らされるに決まっていると、わずかな夫婦生活の間で見いだしていた王妃は、代わりに女中として働くフローラーに愚痴をこぼすようになった。
当初の王妃は、甘やかされて育った姫君らしく第三者のフローラーをまるでディアドロス本人に見立てているかのごとく、彼女に向かって容赦ない愚痴の数々を吐いていたという。
しかし、一方的な婚約を結ばれるという王妃の境遇に同情していたフローラーがそれを真摯に受け止めた結果、彼女は次第に愚痴だけではなく、他愛のない会話を切り出すほど打ち解けていったという。
接するうちに両者の間で深い信頼関係が築かれていき、いつしかフローラーは王妃のよき理解者であり相談相手となっていった。
しかし、夫婦生活の中でディアドロスの粗暴な人間性を見ていくうちに我慢の限界に達してしまった王妃は、ふとした弾みで一目惚れした王室警備兵の騎士とともに駆け落ちを決意。夫のディアドロスだけでなく、辺境伯の姫君という過去の自分をも捨てて城から逃げ出した。
その際、唯一慕っていたフローラーにも彼女は一言も言い残さなかった。
数年後、フローラーが殺されたミリアに代わってアイリスの世話と業務の両立に明け暮れていたとき、彼女宛てに一通の封書が届けられた。
送り主の名はまったく聞き覚えがなかったが、封書の中身を見て彼女はとても驚いた。
それは、騎士と駆け落ちした王妃が逃亡先の村でしたためた手紙だったのだ。
封書に書かれた内容を読んだフローラーは、彼女たちが暮らす遠い集落へ赴く準備を整えるため、アイリスの世話をほかの女中たちに任せてからディアドロス国王に休暇を申請した。当然、封書のことは伏せてである。
フローラーは街で手頃な馬車を御者を貸し切ると、王妃と騎士がともに暮らす集落へ向けて出発した。乗合馬車という公共的手段を使わなかったのは、目立たないように来てほしいと綴った王妃の希望に考慮したからだ。
丸二日かけて遠地の集落に辿り着いたフローラーは、懐かしい王妃との再会を果たした。
王妃は一言もなく城から逃げ出してしまったことを真っ先に詫びてから、夫として迎えた騎士との間に授かった子どもを彼女に紹介した。
それが、当時まだ幼かったロイスだったのだ。
ロイスは、信じられないと言った顔で彼女の話を聞いていた。
「その後のことは、あなたも覚えているでしょう?」
「…ええ、よく覚えていますよ」
ロイスの脳裏で、別れ際に抱き締めてくれた母親の美しい横顔がよぎった。
「王妃さまは逃亡先の集落で、騎士とご結婚されてあなたを出産したの。ところが、家族三人で平和な暮らしを送っていたあるときに祖国の辺境伯領でクーデターが起きて、王妃さまはいずれ自身の命も狙われると悟ったらしいわ。それで、息子の身を案じた彼女たちは巻き添えを受けないため、あなたを私に託したのよ」
「………」
「これで分かったでしょう、ロイス。辺境伯領はクーデターによって滅びてしまったけれど、あなたの体には辺境伯の姫君である王妃さまの血が確かに流れている。つまり、由緒正しい王家の血統を引いているあなたには、グリンメル王国の次期統治者となるアイリスさまと結ばれ、一緒に国を治めていける条件があるの。後は、あなたの意思次第よ」
と、フローラーはまっすぐとロイスの目を見て言った。
その場にいる全員の視線がロイスに絞られる中、彼は困惑顔で目を泳がせた。
中々答えを出せず黙り込むロイスにアイリスは向かい合うと、ジッと彼の目を見すえた。
「聞いて、ロイス。幼少期に初めて会ったとき、私はあなたをただの遊び相手としか見ていなかった。だけど、一緒に過ごす時間が長くなるうちに、いつしかあなたに対して友だちとは別の気持ちを抱くようになっていったわ。それでも私は、その感情を押し殺してきた。身分が違う上に、よその土地からやって来た男の子と将来的に結ばれるなんて、絶対に叶わないことだと諦めていたから。
…でも、それは違うとハッキリしたこの瞬間、私はこれまであなたに直接伝えたいと思っていた気持ちをようやく打ち明けることが出来るわ。…ロイス、私はあなたを愛している。だから、これからは遊び相手としてではなく、私の夫として一緒にグリンメル王国の繁栄に力を貸してほしい…」
花冠を持つ手に力を込めて、アイリスは絞り出すように言った。
幼い頃に、ロイスは彼女から同じ言葉をかけられたのを思い出した。当時はお互い無邪気でイタズラ好きな年頃だったため、ロイスはその言葉を真の意味合いとして捉えていなかったし、アイリス自身も信頼の証を示す意味で言ったに過ぎなかっただろう。
しかし、たった今彼女の口から発せられたそれには、ロイスに対するまごうことない情愛の念が確かに込められていた。
しばらくの沈黙が流れた後、ロイスはおもむろにアイリスが持っていた花の王冠に手を伸ばすと、それをそっと彼女の頭に乗せた。
ドキッとするアイリスにロイスは照れ臭そうな微笑を浮かべた。
「グリンメル王国の女王即位を示すささやかな戴冠の儀ってところかな。本物の王冠よりも、この可愛らしい冠の方がキミにはよく似合っていると思ってね。…アイリス。こんな自分でよければ、その…えっと…。…結婚してくれるかな?」
と、ロイスは最初こそ歯切れが悪かったが、最後はしっかりとアイリスの目を見て言った。
恐らく、心のどこかでロイスが期待とは裏腹の答えを言うかもしれない、という不安があったのだろう。だからこそ、彼の口からその言葉を聞いた瞬間、感極まったアイリスは目を潤わせながら勢いよく彼に抱き付いた。
そのとき、リヴィアの手の上で眠っていたテオが目を覚ました。
〈…あれ? 二人ともなにやってるの?〉
テオは眠そうな目をショボショボとさせながら二人を見た。
〈子どもは見ちゃダメ〉
と、リヴィアはもう片方の手で慌てて遮った。
寝起きとは思えないほど興味津々のテオをリヴィアが落ち着かせている間にアイリスはロイスの肩に、ロイスはアイリスの華奢な腰に両手を添えると、ゆっくりと顔を近付けた。
「オレも愛しているよ、アイリス」
「嬉しい…」
二人は、お互いの愛が本物であることを証明するかのように、深い口付けを交わした。




