第四十四章 終止符
夢か現実のどちらに意識があるのか判断が付かない中、テオは深い後悔の念にさいなまれていた。
彼は、必要以上に早く大人への階段を駆け上がろうと常に焦っていた。それは、いつまでも子ども扱いされていることに対する不満とは別に、純粋に群れの長を務める父親の名に恥じない一人前のグリフォンにならなければ、という使命感によって生じた圧迫が彼の気を揉ませたのも要因と言える。
虚栄心を張ったりカッコつけたりしたかったわけではなく、立派なグリフォンとなって父親だけでなく母親の誇りとしてありたい。それがテオの望みだった。
しかし、その望みを叶えることにがむしゃらになった結果、逆に二人には心配ばかりかけさせてしまった。
あるときは慣れない変身魔法を使ってたった一人で人間の街に足を踏み入れ、またあるときは言い付けに背いて浦辺の助っ人に出向き、そして十字架の倒壊を防ぐ父親を手伝うためにたいした力が残っていないのを知っていながら、無謀にも手伝いに駆け付けた。
いずれも危険を伴うと知りつつも、心配する両親を尻目にテオは己の考えだけで行動を起こしてきた。
その結果、気力を使い果たした彼は意識を朦朧とさせながら地面に向かって落下している。
威勢よく両親の主張に異論を唱え、独り善がりな行動を起こしたときはなにも考えられなかった。しかし、おぼろげな意識の中をさまよっている今になって、テオはようやく子どもの身を案じる両親の気持ちがハッキリとくみ取れたような気がした。
父さんと母さんにちゃんと謝りたい…。
その想いを胸に、テオは感覚を失いつつある翼を羽ばたかせようと踏ん張った。
が、消耗し切ってしまった体が思い通りに動いてくれることはなかった。
…ドサッ。
テオはしたたかに体を打ち付けた。
しかし、不思議と痛みは感じられなかった。それどころか、ゴツゴツとした硬さの中に安心感を与えてくれる優しい温もりがあった。
〈まったく…。本当に世話の焼ける子ね〉
聞き覚えのある声にピクリとしたテオは、辛うじて動かすことが出来た瞼をゆっくりと開いた。
美しい瑠璃色の鱗を太陽の光で輝かせながら、倒壊寸前の十字架を大きな前足で支えているドラゴンの姿がそこにあった。
〈リヴィア?! どうしてキミがここに…?〉
と、ルミウスが驚いた。その拍子にうっかり気が緩んでしまい、十字架がさっきよりも傾いた。
リヴィアが歯を食い縛って前足に力を込めた。
〈そんなことより、今はこれをなんとかするのが先よ。みんな、急いで手を貸して!〉
〈ウルォォォォォォォォォッ〉
リヴィアの声に反応するように、王都一帯に響き渡るほどの雄叫びが聞こえた。
ルミウスが振り返ると、里で待機していたはずの群れのグリフォンたちが、大群となってオスニエルの上空に押し寄せた。
〈長、頑張って下さい。我々もただちに助太刀致します〉
と、サブリーダーのグリフォンがルミウスを励ましてから群れに号令をかけた。
二つのチームに割り振られたグリフォンたちは、一方がルミウスとリヴィア同様に物理的手段で十字架を支え、もう一方が浮遊魔法でバランスを整え垂直を維持するための役割を担った。
ドラゴンのリヴィアも、片手にテオを乗せたまま大きな翼を一層強く羽ばたかせ、グリフォンたちとともに十字架を支えた。
ルミウスと群れのグリフォン、そしてドラゴンのリヴィアが一丸となって結集させた力によって、荘厳たる十字架は徐々に元の態勢へと戻ろうとしていた。
分離した損壊部が密着し安定したところで、十字架を支えていた数頭のグリフォンが根元部分まで舞い下り復元魔法を施した。
途端に、爆風で吹き飛んだ破片がまるでパズルのように組み込まれ、亀裂部分がまぶしいほどに光り輝くとそこは傷一つない元通りの状態に戻った。
十字架が元の状態に戻った瞬間、固唾を呑んで見守っていた人々たちから歓声が上がった。突然現れたグリフォンの群れとドラゴンに恐れおののく者は誰一人おらず、広場は危機を免れ歓喜する彼らによって興奮の坩堝と化していた。
大惨事を防いだルミウスたちは、彼らを刺激しないようゆっくりと地上に降り立った。
同時に、ブロンドの髪をなびかせながらイザベラがルミウスに駆け寄った。
〈キミも来ていたのか〉
「当たり前でしょう、心配していたんだから…。それより、ひどいケガだわ」
と、イザベラは体のあちこちに傷を残す夫を見てオロオロした。
〈このくらいなんともない。私よりもテオが…〉
〈安心して〉
と、リヴィアは微笑んで彼らの前に前足を差し出した。
彼女の大きな手の上で、テオはスヤスヤと寝息を立てて眠っていた。
〈かなりの魔力を消費して疲れ果てたのね。ぐっすりしているから、今は静かに眠らせてあげましょう〉
と、リヴィアは母性的な眼差しでテオを見下ろした。
「この子が無茶をしたのは私の責任だわ。あなたとウラベさんを助けに行きたいと愚図ったテオを行かせてしまった私の…。ごめんなさい、あなた」
謝るイザベラにルミウスを首を横に振った。
〈この子は精一杯の力を振り絞って、父親の私やウラベたちのために尽力してくれたんだ。だから、咎めるつもりなんてないさ。だろう、ウラベ?〉
「そうですね。テオのおかげで、魔法で死にかけていたボクは命を救われましたしね」
「それに、フローラーもね。この子が来てくれなかったら、私たちは絶望の淵をさまよって死んでいたかもしれない。だから、とても感謝しているわ」
と、アイリスは眠っているテオの頬にそって手を触れた。
〈…さてと。これで一件落着ね〉
と、締めくくろうとするリヴィアをアイリスが遮った。
「まだやることが残っているわ」
アイリスは、無様に尻もちをついているディアドロス国王を振り返った。
その場にいる全員の視線を一斉に受けギョッとしたディアドロスは、騎士たちに自身を守るよう震える声で命じた。
しかし、レインに皆殺しの命令を下したことで国王への不信感が決定的となった彼らは、それを無視するとアイリスに先ほどの話の続きを伺いたいと求めた。
アイリスは応じると、国王が秘密にしていた内容すべてを彼らに洗いざらい説明した。
騎士たちは、牧師の死が国王の策略と公言した浦辺にも話を伺うなど、徹底的に真相を追究する姿勢を示した。もはや、彼らもロイス同様にディアドロスへの忠誠をかなぐり捨てていた。
話を聞き終えた騎士たちは、一様に硬い表情を浮かべた。
「…では、我々はこれまでずっと、アイリスさまが病死した王妃さまからお生まれになった王女と誤解していたんですね」
「その通りよ。国王はミリアという女中を強引に犯し、私を身ごもらせたの。体裁にこだわった彼は、それを取り繕うために私を病死した王妃が産み落とした娘ということにして、あなたたちだけでなく私までも長い間ずっとダマしていたの」
「そして、本当の母親であるミリアさんを陛下は殺した…。しかし、なぜ?」
騎士の問いにアイリスは分からないと首を振った。
その説明を担ったのは、ミリアの実姉であるフローラーだった。
「召使いたちが全員辞めた後、私たちは陛下のご命令通りお嬢さまを王妃のご令嬢として育ててきました。しかし、お嬢さまの部屋で陛下がおっしゃっていたように、ミリアは実の母としてお嬢さまを育てられないことをとても心苦しく思っていました。ミルクも母乳ではなく手作りのものを与え、あやすときは名前ではなく『王女さま』と呼ばなければならない。母親としてではなく、あくまで世話係として面倒を看ることに限界を感じた彼女は、赤子のお嬢さまを連れて城を出る決心をしたと私に言いました」
「お母さまが城を…?」
「はい。しかし、逃亡が発覚し連れ戻された場合、陛下はきっと罰を与えられる。私はそれを心配して引き留めたのですが、彼女の決心は固く揺るぎないものでした。それほど、ミリアは実の母としてお嬢さまを育てることをなによりも望んでいたのです。…しかし、ある晩お嬢さまの泣き声を聞いた私が駆け付けると、大階段の前でミリアが倒れていたのです。そして、踊り場には陛下とロディルの姿がありました」
「二人によって突き落とされたんですね」
と、ロイスが沈鬱な表情で言った。
「私は急いで彼女の具合を確かめましたが、既に息を引き取っていました。その胸元で小さなお嬢さまが泣いており、私はミリアが階段を落ちる寸前で、お嬢さまを守るためにかばったのだと悟りました。お嬢さまの無事を知ってホッとしたのでしょう。ミリアは眠るように微笑んで亡くなっていました…」
そのときの情景を思い出したのか、フローラーは最後に小さく嗚咽した。
赤子だったアイリスには、当然当時の記憶などない。しかし、フローラーの話を聞く過程でそのときの様子を思い浮かべた彼女も、頬に一滴の涙をしたたらせていた。
「これまでの話をあらかたまとめると、陛下はアイリスさまの実の母である女中のミリアさんを階段から突き落とし殺害。さらに、裏稼業の闇取引をはかどらせるために服従の呪いをかけたエドガー牧師を利用し、国民全員に対魔物の思想を植え付けようと扇動させ、最終的に自害とみせかけ殺害した。ということですね?」
と、騎士はアイリスたちの話を整理した。
「それと、ウィンヘルム公国領主ヴィルフォール公爵との取引を計画していたこともな」
ヌッと横からラングが補足した。
「軍国主義を掲げるあの過激な貴族相手に取引だって? だとすると、意図的な武力衝突を視野に入れていたことになるが、なんであんたがそんなことを知ってる?」
と、騎士は訝しげな顔でラングを見た。
ラングは、自身も当事者であることを素直に打ち明けると、闇取引に着手するきっかけになった経緯について説明した。無論、酒場の改装資金を確保するために横流しした事実も包み隠さずにである。
「なるほど…。詳しい話は後々聞くとして、戦争の誘発という大罪となると確固たる証拠が求められるが、裏付けは取れているのか?」
と、騎士は神妙な面持ちで聞いた。
「証拠はないが、おたくらの隊長がタカセって仲買人と一緒になって、ウィンヘルム王国へ商談に向かう手筈を整えていた。どっちかを締め上げれば白状するだろうよ」
「ロディルは死んだから、残るはそのタカセだけだ。ただ、オレたちが地下牢に閉じ込められている間に馬車に乗って出発してしまったから、追いかけて捕まえないと」
「…それって、あの馬車のことか?」
と、別の騎士が一点を指差した。
彼らが振り向くと、やたら豪華な装飾がやかましいほど強調された一台の馬車が、大通りを進みながら広場に向かってゆっくりと近付いていた。
そのすぐ隣を、一頭のグリフォンが監視するように続いていた。
馬車は、まるでモーセの十戒の割れた海のように道を空ける人々の間を進むと、舞台の前で停止した。
〈ご苦労さま。絶妙なタイミングだわ〉
と、リヴィアがニコリとして言った。
〈途中、何度も逃げられそうになって手間取ったけどね〉
と、目付け役を担ったグリフォンは苦笑を浮かべてから、手綱を握っている御者に扉を開けるよう命じた。
御者が慌てながら扉を開けると、不貞腐れたようにポケットに手を突っ込んだ高瀬が渋面を作りながら降りて来た。
「どういうことなんだ?」
と、浦辺がリヴィアに尋ねた。
〈ここへ向かう途中で見かけた馬車から、またあの異世界人からする独特のニオイを嗅いだの。それで、てっきりあなたかと思って馬車を止めさせたら、このいけ好かない男が乗っていたってわけ。人違いと知って無視しようかと思ったけど、なにか企んでいそうな気がしたから彼に監視役を任せてオスニエルまで連れて来るようにお願いしたってわけ〉
「心外だ。オレはなにも悪いことなんかーー」
〈黙りなさい。そっちの言い分なんて聞いてないわ〉
牙を剥くリヴィアに高瀬はブルッと身震いし口をつぐんだ。
「今しがた、お前が隊長とともにウィンヘルム公国領主のヴィルフォール公爵の元へ、武器の取引にまつわる商談をしに出向いたと聞いたばかりだが、それは事実か?」
と、騎士が高瀬に詰問した。
「どこの誰に会いに行くことになってたかなんて知らねぇよ。オレはただ、仲買人として無理やり連れて行かれただけなんだから」
と、高瀬は動ずることなく面倒臭そうに言った。
「あらかじめ断っておくが、素直に吐いた方が身のためだぞ? なにせ、戦争が起きる可能性があったわけだからな。それを承知でシラを切るのなら、お前もA級戦犯として罪に問われることになるだろう。そうなったら、たとえ異世界人だろうとこの世界でキッチリと処罰を受けてもらうぞ」
「冗談じゃないッ。それじゃあ、日本にいるのと変わらないじゃねぇか」
「そうとは言えないぞ」
と、浦辺が遮った。
「強盗致傷と殺人未遂なんて、今ここで追及されている罪に比べれば程度の低い犯罪だ。この世界の法律はまったく知らないけど、少なくとも戦争を誘発して大量殺戮を引き起こしかけたわけだから、日本よりも厳しい処罰が待っているかもしれない」
〈奴隷として死ぬまで隷属されるのが大半だけど、私の予想としては公開処刑と称して大衆の前で死ぬまで拷問を受けるでしょうね。見せしめとして苦痛に喘ぐ姿をさらした方が新たな犯罪を防ぐのに効果的だから、きっとそうなるはずだわ。もしそうなったら、私は高みの見物といかせてもらおうかしら〉
と、リヴィアが他人事のように言った。
高瀬の顔からスーッと血の気が引いた。
「吐くのか吐かないのか、ハッキリしろ!」
ただでさえいかつい顔の騎士が一層顔を険しくさせてトドメの言葉を発した。
ドキッと身震いした高瀬は、大きな吐息とともに諦めたようにうな垂れた。
「認めるよ。ロディルと一緒にそのナントカって公爵の所へ行けと国王に命令されたんだ。指示通りしなきゃ殺されそうな雰囲気だったから、オレは渋々ヤツらに従ったんだ」
「ウソを言うなッ。金欲しさに自分から売り込んだくせに。殺さないでおいてやった恩も忘れて、平気で裏切るとはなんて男だ!」
と、ディアドロスが憤慨した。
「うっせぇよ、ブタ野郎! 強引にこんなおっかない世界に連れて来たくせに、エラソーなこと言うなッ」
「な…なんだとッ?!」
今にも湯気が立ち込めそうなほど顔を真っ赤にさせながら、ディアドロスが高瀬に詰め寄った。
高瀬も髪の毛を逆立て負けじとメンチを切った。
互いの感情的になった二人は、人目をはばかることなく醜い言い争いを発展させた。
見兼ねた騎士たちが二人を引き離そうと間に入ったが、それでもなお両者はワーワーと子どものような喚き合いを続けた。
〈見苦しいことこの上ないわね〉
喚き合う二人を見てリヴィアは吐き捨てた。
〈悪党同士の結束など所詮はこんなものさ。後のことは騎士たちに任せるとして、キミに一つ聞きたいことがあったんだ〉
〈あら、なにかしら?〉
〈キミは、私とウラベがオスニエルへ向かったことを知らなかったはずだ。それなのに、群れを率いて私たちを助けに現れた。それにいたった経緯が気になっていたんだ〉
〈あ~、それはね…〉
リヴィアはフフンッと鼻を鳴らしてから浦辺を見下ろした。
〈里に戻ったら服を返してあげなきゃね〉
「服? …ああ、そういうことか」
なるほど、と浦辺は苦笑した。
〈私がウラベのために現地の服をこしらえたとき、元の世界に戻るまで彼の服を預かったでしょう? それをうっかり返しそびれたのを思い出して慌てて飛んで行ったときに、群れの彼らから事情を聞いたのよ。私は直感的に不吉な予感がして、あなたたちを助けに行こうと思い立ったってわけ〉
〈我々は里を離れていいものかどうか不安でしたが、長たちの身になにかあっていたら…という不安が突然込み上げて、先導する彼女に同行したというわけです〉
と、サブリーダーのグリフォンが言うと群れの彼らも一斉に頷いた。
〈みんな、ありがとう。リヴィアも、本当に感謝している〉
深々と頭を下げるルミウスにリヴィアは微笑みを向けた。
〈私からもお礼を言わせてほしいわ〉
〈なぜキミが?〉
〈群れの一頭が教えてくれたの。あなたが私を気遣って、牧師の自害をあえて伝えなかったって。オスニエルでのことで思い悩んでいたあのときの私なら、それを聞いてもっと心に深い傷を負っていたかもしれない。だから、あなたの心遣いを知ったときとても嬉しかった。…それに、落ち込んでいた私を励ましてくれたおかげで、こうしてあなたの言っていた試練に一緒に立ち向かい、乗り越えることが出来たわ。だから、こちらこそありがとう〉
と言って、リヴィアはニッと笑みを浮かべた。




