第四十三章 青天の霹靂
大理石の舞台上で国民に熱弁を振るっていたディアドロス国王は、ふと広場に集う聴衆の様子がおかしいことに気付き眉を寄せた。
彼らは揃ってあんぐりと口を開けたまま、ディアドロス国王たちの背後を見上げていた。
ディアドロスと彼の周りで警護に就いていた憲兵騎士団の騎士たちが聴衆の視線を追うよう一斉に振り返り、そして瞠目した。
山頂にそびえていたオスニエルの城が、みるみる崩落していく光景を彼らは捉えた。
我が目を疑ったディアドロスは目をパチクリさせてから刮目したが、城は紛れもなく崩落の一途を辿っており、やがてもくもくと砂煙を上げながら完全に姿を消した。
シーンと静まり返る広場で、聴衆に混じっていた一人の男が空を指差し、
「なにか来るぞ」
と、大きな声で言った。
ポツンと空に浮かんでいた小さな点が徐々に広場に近付いて来たとき、誰よりも早くその正体に気付いた婦人が叫んだ。
「グリフォンだわ!」
聴衆たちの間でどよめきが起きる中、二人の人間を乗せたグリフォンはゆっくりと舞台に舞い降りた。
突然現れた魔物に彼らは最初恐怖に包まれた顔色で狼狽えたが、グリフォンの背から飛び降りた一人の男に手を添えられて降りた女性の姿を確かめた途端、今度は困惑の色を浮かべた。
「見て、アイリスさまよ!」
「…ホントだ、アイリスさまだ!」
「まさか。王女は魔物に殺されたとさっき陛下が言ってたじゃないか」
「瓜二つの別人か?」
「バカな。あのお美しいお顔は間違いなくアイリスさまだ」
「そばにいるグリフォンともう一人の黒髪の男は誰だ?」
「そもそも、どうしてアイリスさまが魔物と一緒に?」
と、聴衆は互いに混乱した顔を見合わせながらざわめいた。
それは、警護に当たっていた憲兵騎士団も同じだった。昨晩にアイリスが魔物の襲撃を受けて命を落としたと今朝の集会で聞かされていた彼らも、突如姿を現した王女に戸惑いを隠せずにいた。
「おい、貴様らッ。ボーッと突っ立っていないで、あの怪物を捕まえないか!」
と、ディアドロスがわめいた。
騎士たちはビクッとしたものの、どうすればよいか分からずただオロオロするばかりだった。
「終わりよ、お父さま。これ以上、彼らを欺くのは私が許さないわ」
アイリスは毅然と言い放った後、呆然と見守る聴衆たちを振り返った。
「今この広場に集う国民の方々は、死んだと聞かされていた私が現れてさぞ驚いていると思います。しかし、ハッキリと告げますが私は死んでなんていません。実際、殺されそうになったのは間違いありませんが、それは魔物ではなくそこにいるディアドロス国王にです」
騎士を含む聴衆の驚きに満ちた眼差しが、一斉にディアドロス国王に向けられた。
退魔の教えを真剣に聞き入っていたときとは異なる疑念の瞳に見つめられ、ディアドロスはゴクリと息を呑んだ。
「ディアドロス国王はあなた方国民全員を退魔の教えの信仰者にするため、私を殺しその罪を魔物になすり付けることで、憎しみを助長させようとしていたのです。ただし、それは人々を魔物の脅威から守るためではありません。国王は、諸所の国や組織を相手に秘密裏に武器の横流しを行っていました。人間と魔物による戦争が起これば武器の流通も快調を遂げ、国王の手元には巨額の見返りが流れ込みます。それを視野に入れて、彼は対魔物の世を取り戻そうと力を注いでいたのです」
「すべてデタラメだッ。貴様たち、いつまでボンヤリしているつもりだ? さっさとその連中をひっ捕らえないか!」
二度目の発破をかけられ、騎士たちは戸惑いつつもアイリスたちにゆっくりと迫った。
そのとき、馬にまたがったロイスが馬蹄の音を響かせながら颯爽と現れた。
舞台に上がってから、ロイスは馬を降りた。
「潔く観念されてはいかがですか、陛下?」
「観念だと…? 貴様、国王である私に向かってなんというーー」
「陛下。この場でハッキリと申し上げさせていただきますが、私はもうあなたに使役される騎士ではありません。武器の闇取引で私腹を肥やすために我々騎士団と国民をダマし、果ては実の娘である王女アイリスさまをロディルと結託し殺めようとしたあなたへの忠誠など、私はとうに捨てました」
いつになく堂々としたロイスを見て、ディアドロスは唇を噛み締めて退いた。
「待て、ロイス。それはつまり、隊長もグルだったということか?」
驚く騎士の一人にロイスは頷いた。
「彼の言う通りよ。ドラゴンの出現で王都が混乱の渦中に陥ったのを好機と捉えたロディルが、国民により一層憎しみを募らせるために魔物の仕業に装って私を殺そうと計画を立て、それを聞いた国王が満足そうに彼の提案を受け入れたのを私は偶然聞いたもの。でも、逃げる寸前でレインに掴まってしまい、温室で殺されそうになったところを彼らに助けられたわ」
「彼らとは、そこにいるグリフォンと黒い髪の若者のことですかな?」
と、立派な髭を蓄えた老紳士が尋ねた。
「その通りです。彼らのおかげで、私はこうして無事でいられるのです」
「…しかし、失礼ながら私には魔物がアイリスさまのお命を救ったなどとはとても信じられませぬ。それに、そこにいる得体の知れない若者もどこか胡散臭いですしな」
と、老紳士は訝しそうに浦辺たちを見た。
「そりゃあとんでもねぇ誤解だよ」
一際威勢のいい声が人だかりから聞こえ聴衆はドキッとした。
人々の間をかき分けながら近付いてくる大男を見て浦辺はハッとした。
「ラングさん…」
驚く浦辺に向かって愛想のいい笑みを向けながらラングは手を上げた。
舞台にあがったラングは浦辺の肩に腕を回すと、聴衆に向かって声を張り上げた。
「いいか、よ~く聞けよ。特にそこのジイさん。さっきあんたは、この男を胡散臭い黒髪だと言ってたが、確かにその通りだ。なんたってこいつは、この世界には存在しないニホンって国から来た異世界人なんだからな」
「異世界人だって?」
ラングと同じくらい体躯のいい男が言った。
「そうだ。オレはこいつと知り合ってまだ間もないが、決して悪いヤツじゃない。それだけは分かってほしい」
「異世界人ってことは、どっかの誰かが召喚魔法を使って呼び寄せたことになるが、そりゃ確か…」
と、男が顎に手をやりながら眉をひそめた。
「言わんとすることは分かってる。召喚魔法が禁断の魔法として認定されているのは、その分野に疎いオレですら知ってるからな。当然、国王だって知らないわけがない。だが、彼はそれを承知の上でこいつを無理やりこの世界に連れ込んだんだ」
話題の当人であるディアドロスは怒りに歪んだ顔でラングを睨んだが、そんな彼をラングは鼻にもかけないどころかむしろ得意げにフッと笑って見せた。
ラングの言葉を引き継ぐようにアイリスが前に出た。
「国王がエドガー牧師を介して彼…名はウラベミチオと言いますが、彼をこちらの世界に召喚させた理由は、彼が共存社会を築いたグリフォンと番の女性の知り合いだからです。国王は異世界から召喚した彼を利用し、行方の掴めなかった二人を見付け出そうとしていたのです」
「ひょっとして、そこにいるグリフォンがその…?」
と、背の高い青年が恐る恐る尋ねると、ルミウスは肯定を示すように小さく頷いた。
対魔物の教えを聞きにわざわざ足を運んだ自分たちにとって、目の前にいるグリフォンが都合の悪い相手だと気付いた彼らは、一斉に血の気が引いた顔で萎縮した。
露骨に怯える彼らを見たルミウスは、居たたまれなさを抱き身を低くして後退った。
そんな彼を安心させるようにアイリスはそっと頬を撫でた。
「太古より魔物が人間に害をなす獰猛な魔獣として恐れられ、歴史的にも甚大な被害を人々が被ったことが史実として伝えられていることは私も知っています。しかし、どうか怖がらずに聞いて下さい。ここにいるグリフォンはあなた方が思い描いている魔物とは違い、人並みに仲間を思いやったり人並みに家族を想い愛する情の深さを備えています。
…そう、魔物にも私たち人間のような純粋な心を持った者がいるのです。史実は史実、偽りはありません。しかし、ただ史実に基づくからと言って勝手な先入観だけで危険と決め付けていいものでしょうか? 私はそうは思いません。今一度、それをぜひ考えてもらいたいと私は……なにをするのッ」
不意に、どこからともなく放たれた投石がルミウスに直撃しアイリスが激高した。
投げたのは、身なりの整った恰幅のいい男だった。
「こしゃくな魔獣め。得意の魔法でアイリスさまの心を操って、我々をたぶらかつるもりだな。アイリスさま、正気にお戻り下さい!」
「早まったことはしないで、私は操られてなんてーー」
「まだ言うか、汚らわしい魔獣めッ。お前たちのような邪悪な存在のせいで、我々の偉大な導師であるエドガー牧師は自ら命を絶ってしまったのだ。それだけに飽き足らず、今度はアイリスさままでも毒牙にかけようとは許せん!」
完全に藪睨みした男は慎み深そうな風体に似合わない激情ぶりで、再びルミウス目がけて持っていた石を投げた。
ルミウスはグッと目を閉じて顔を背けた。
あわや直撃しそうになった寸前に、横から伸びた浦辺の手が石を掴み取ったことで事なきを得た。
「それはとんでもない誤解です。エドガー牧師は自ら命を絶ったのではなく、ディアドロス国王の策略で自害に装って殺されたんです」
浦辺が石を落とすと、男はゴクリと生唾を飲んでふくよかな顔に脂汗を滲ませた。
ディアドロス国王の悪事が次々とあかるみになったことで、聴衆たちは言葉を発することも出来ない心理状態に陥り、広場は水を打ったような静けさに包まれた。
その沈黙を破ったのは、ディアドロスの高笑いだった。
「実に想像力のたくましい連中だ。そのような作り話を揃いも揃って持ち出すとは、私を陥れるために途方もない心血を注いでいると見える。すべて取るに足らない妄言に過ぎないが、なにより可愛い一人娘を意図して殺す親がどこにいるというのだ?」
「平気な顔でよくそんなことが言えるものだわ」
と、アイリスはディアドロスを蔑視した。
「なぜだね?」
「それはもちろん、あなたにとって私は望んで生まれた子ではないからよ」
途端に、ディアドロスは満足そうにニヤリとして聴衆に体を向けた。
「王都に集う国民よ。今の発言こそ、我が愛しい娘が魔物に身も心も操られていることを示す決定的な証拠ではないだろうか? 私は幼い娘への未練を残して夭折した妃の遺志を受け継ぎ、王としての公務に追われながら子育てに精を入れてきたのだ。それを誰よりも理解しているはずの愛娘が、果たして今のような言葉を言うと思われるか?」
「私への愛情なんてこれっぽっちもなかったくせに、勝手なこと言わないで! 自分のしてきた悪事をあくまで認めない上に、そんなことを言うなんて許さないわ」
脳裏に焼き付いていたフローラーの死に顔を思い浮かべ、アイリスは感極まって叫んだ。
「では、娘を操る魔物よ。私が働いたというそれらの悪事が、紛れもない事実であるという証明は出来るのか聞こう。もしもそれを示す記録でもあるのなら、ぜひとも拝ませてもらいたいものだ」
「それは…」
と、アイリスは言ってからロイスと浦辺を振り返った。
二人が痛い所を突かれたように困惑顔を浮かべていたため、彼女は言葉を詰まらせてしまった。
「どうした? あるのなら早く見せたまえ」
エドガー牧師の殺害や闇取引の実情を示す手記が彼らの手に渡っていないことを知っているディアドロスは、国民の前で立証するのは不可能と楽観して口ごもるアイリスを前に得意顔を浮かべた。
いつの間にか、聴衆たちもディアドロスに合わせるようにアイリスたちを凝視していた。
「まさか、証拠の一つもないにも関わらず私にそんな嫌疑をかけているんじゃあるまいな? そんなことでは、国民は誰一人としてお前たちの話に耳を傾けないぞ。どうなんだ?」
と、ディアドロスは浦辺たちにも昂然と迫ったが、当然彼らも返答に窮していた。
「陛下のおっしゃる通りだ。みんな、ヤツらの策に惑わされるなよ!」
と、鍛冶師らしき大柄の男が仕事道具の金槌を掲げて周りに叫んだ。
「魔物め。アイリスさまの心を操ってオレたちをダマそうったって、そうはいかないぞ!」
「異世界人も魔物の手先に違いない!」
「陛下のいう証拠があるなら見せてみろ!」
「そうだ、そうだ。見せろー!」
ディアドロスに加勢する形で、広場に集う国民たちが声を大にして「見ーせーろ! 見ーせーろ!」と一斉に叫び始めた。
共存社会に理解を示していたはずのカルトレイクとイリーナの国民たちも揃って便乗し始めたため、それはもはや洗脳に近いありさまだった。
形勢はたちどころに悪く鳴り、アイリスたちは四面楚歌の状況に追い込まれてしまった。
四方八方から飛びかう野次に胸を締め付けられたアイリスは、青ざめた顔で両耳を塞いだ。
城から街へ訪れたときに和気藹々となって国民と接してきたアイリスの目には、普段とは百八十度回転した彼らの豹変ぶりがとても恐ろしく映って見えていた。
たまらず耳を塞いだままアイリスはしゃがみ込んだ。
近付いたロイスが安心させるように彼女を抱き締めた。
浦辺とラングもどうすることも出来ないまま、容赦なく飛びかう野次の嵐を受けた。
そのとき、不意に気配を感じたルミウスが背後を振り返った。
異変に気付いた浦辺も振り返りハッとした。
「…おい、またなにか来るぞ!」
と、最初にルミウスを発見した男が再び叫んだ。
機械的に同じ言葉を繰り返していた聴衆は静まり返ると、山頂からこちらにゆっくりと向かってくる飛行物体に釘付けになった。
その正体は、一人の女性を背に乗せたテオだった。
テオがゆっくりと浦辺たちのそばに着地すると、背に乗っていた初老の女性がそっと降りた。
「まさか…フローラー?」
声を震わせて立ち上がるアイリスに向かって、フローラーは憔悴した顔色で笑みを向けた。
胸の高鳴りとともに体が動いたアイリスは、涙を流しながらフローラーに抱き付いた。
そんな彼女の背中をフローラーは温もりに満ちた手で優しくさすった。
〈………〉
ルミウスは、翼をしならせながら小さくなる息子のテオを険しい顔で見下ろした。
怖い顔で一歩踏み出す父親を見てテオは体をすくめた。
〈無事でよかった。本当によかった…〉
高ぶる感情を抑えながら、ルミウスは静かに息子の生還を喜んだ。
〈…ごめんなさい、父さん〉
テオは半ベソをかきながら父親の温かな胸に頬を寄せた。
「こ、これは一体どういうことだ…。確かにお前は私に…」
と、ディアドロスは震える手でフローラーを指差した。
「やはり、そうでしたか」
浦辺の言葉にディアドロスは眉を寄せてから、ハッとして口を手で覆った。
「フローラーさんの喉に残っていた圧迫痕は、あきらかに素手で絞められて出来た扼殺の痕でした。それも、人並み以上に大きな手を持つ人間による」
と言って、浦辺はディアドロスの分厚い手を見た。
「お母さまだけでなく、フローラーまでもその手にかけたのね」
アイリスが愕然としながら言った。
「ち、違うッ。殺ったのはレインだ。ヤツがナイフで刺し殺したんだ!」
「刺し殺したのなら、わざわざ首を絞める必要などないでしょう?」
合理的ともいえる浦辺の指摘に反論の余地を失い、ディアドロスは悔しそうに口元を歪めた。
「彼のおっしゃる通りです。私は、国王陛下の手によって一度は死にました。しかし、そこにいるテオというグリフォンの子が与えてくれた不思議な力によって、生き返ることが出来ました。彼は、息を吹き返した私を連れ、崩れ落ちる城から助け出してくれたのです。本当にありがとう」
と、フローラーは危険を顧みず助けてくれたテオにお礼を言った。
「フローラーを助けるために引き返してくれたのね。…テオ、ありがとう」
身を屈めたアイリスは、テオのフサフサの頬にキスをし抱き締めた。
〈ボクはただ、やれることをやっただけだから…〉
顔を真っ赤にさせながらテオは照れ臭そうに言った。
「…失礼、アイリスさま。先ほど、『お母さまだけでなく』とおっしゃっていましたが、王妃さまはご病気でお亡くなりになられたのではないのですか?」
と、傍観していた騎士が遠慮がちに尋ねた。
アイリスは開きかけた口をつぐんでからフローラーを見た。
長年、妹の受けた屈辱を秘密にしてきたフローラーは最初は躊躇した様子で目を泳がせていたが、意を決するとアイリスに向かってコクリと頷いた。
「よく聞いて。私の母親は王妃ではないの。本当の母は、ミリアというフローラーの実の妹で、かつてオスニエルの城で女中を務めていた人なの」
「亡くなられたのは王妃さまではないのですか?」
と、別の騎士が身を乗り出して聞いた。
「ええ、違うわ。ディアドロス国王はとある辺境伯領の王女との政略結婚をしいられ、折り合いが悪くなった末に王妃は城の騎士と駆け落ちをして逃げてしまったらしいわ。王妃に逃げられた国王は、フローラーの妹を辱めて妊娠させた。そして、私が産まれた後に殺したのよ」
「すべて詭弁だッ。誰も耳を貸すんじゃない。今の話は全部、私を陥れるためのたわごとでしかーー」
〈往生際が悪いぞ、ディアドロスよ。いつまで彼らを欺くつもりだ?〉
ルミウスが眼光を鋭くさせてディアドロスを睨んだ。
得体の知れない緊張感が五臓六腑に染み渡り、ディアドロスは全身に鳥肌が立つのを覚えた。
アイリスたちはおろか、丸め込めたと思っていた聴衆からも疑惑と非難をないまぜた視線を一斉に注がれた彼は、まさに蛇に睨まれたカエルと呼ぶに相応しい立場に追い込まれてしまっていた。
青い顔で巨大な十字架の前までディアドロスが後退ったそのとき、広場を微弱な揺れが襲った。
その場にいる全員が狼狽える中、
〈離れるんだ!〉
と、ルミウスが浦辺たちに言った。
浦辺たちが舞台から飛び降りた直後、大きな音ととも大理石の床に穴が空いた。
地面を突き破って現れたその正体に、聴衆たちは悲鳴を上げて退いた。
〈レイン…!〉
現れたのは禍々しいオーラと殺気を放ちながら浮遊するしゃれこうべだったが、ルミウスは即座にそれが胴体の失ったレインだと確信した。
頭蓋骨のみとなったレインは、広場にいる人々を見下ろし顎をカタカタと鳴らした。
驚くアイリスたちの前にルミウスとテオが出て身構えた。
しかし、レインはくるりと彼らにそっぽを向けると、一人呆然と佇んでいるディアドロスを見すえた。
ギョッとするディアドロスを見つめながら、レインはカタカタカタカタ…とカスタネットのように歯と歯を鳴らしたかと思えば、最後には悔しさを滲ませるように歯を食い縛った。
不吉な予感を抱いて身を震わせるディアドロスに、レインは浮きながらゆっくりと近付いた。
「ま、待て、レイン。お前の標的は私ではなくて、向こうにいるグリフォンとその一味だぞ。…聞こえんのか? その気味の悪い顔で近付かずにさっさとあの連中を殺せッ。主の命令だぞ!」
〈ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛〉
うめくような低い咆哮をレインが上げた途端、突然渦を巻きながら発生した真っ赤な炎が彼を包んだ。
〈危ない、伏せるんだ!〉
叫ぶやいなや、ルミウスは大きな翼で浦辺たちを守るように覆った。
彼に従うように、騎士たちと聴衆はその場に伏せた。
一人残されて顔面蒼白になったディアドロスは、尋常じゃない熱と恐怖により肥えた顔から脂汗を滲ませていた。
俄然、レインが勢いよくディアドロスに向かって突っ込んだ。
〈ひぃ…!〉
ディアドロスが脂肪まみれの体を無様に倒して避けると、レインは巨大な十字架の足元に激突し自爆した。
轟音とともに凄まじい爆風が広場一体に広がった。
爆風が収まり、彼らはゆっくりと立ち上がった。
その顔から血の気が引いた。
爆発により根元が損壊した巨大な十字架が、グラグラと揺れていた。
しばらく揺れた後、オスニエル随一の高さを誇る巨大な十字架は破損部からパラパラと欠片をこぼしながら、広場に向かって傾き始めた。
「倒れるぞぉ!」
露天商の男の大声を引き金に、広場はパニックとなった。男、女、年寄り、親子連れも関係なく、集まっていた人々は徐々に倒れつつある十字架に押し潰されまいと我先にと逃げ惑った。
俄然、ルミウスが真上に向かって飛び上がった。
天高く伸びる十字架に沿うように飛んだルミウスは、十字がクロスされている部分に辿り着くと体を押し付け、倒壊を食い止めるためありったけの力を注いだ。
ルミウスは全身全霊を注いで十字架を支えたが、当然ながら彼一人だけでは力不足のため必死の踏ん張りも虚しくどんどん押し返されてしまう。対象物がとてつもない大きさを誇る建造物ゆえ、物体を浮かせる浮遊魔法も一人だけでは無力同然だったため、彼はその身だけで支えることしか出来なかった。
しかし、いずれは限界に達してしまう…。
ルミウスが焦ったとき、父親を手伝いに現れたテオも一緒に支え始めた。
〈テオ、よせッ。ここは父さんに任せて、お前は彼らを連れて逃げるんだ〉
〈イヤ…だ…。ボクだって…父さんの役に立ちたいんだ…〉
〈無茶だ。今のお前は、普段以上の魔力を使い果たしている。そんな体でそれ以上無理をしたら身が持たないぞ。早く戻れ!〉
しかし、テオは頑なに拒んだ。
ルミウスは焦った。まだ幼いテオが協力してくれたところで、所詮は焼け石に水だったからだ。
このままでは成果を得られないまま、テオの体力だけがイタズラに消耗してしまうのは目に見えていた。
恐らく、テオ自身もそれを承知していたが、いても立ってもいられなくなって助太刀に来たのだろう。
逃げ惑っていた聴衆はいつの間にか足を止め、固唾を呑んで大惨事を食い止めようとしている二頭のグリフォンを見守っていた。
(クッ…マズイぞ…)
限界を感じたルミウスが横を見ると、意識を朦朧とさせたテオが薄目のまま荒い息遣いを立てていた。翼の動きも次第に鈍くなってきている。
〈もういい、やめるんだ。このままではお前が…テオーーーッ!!〉
力を使い果たし落下していくテオを見て、ルミウスはこれ以上ないほどの声を張り上げた。




