第三十七章 アイリス、出生の秘密(前)
目を覚ましたとき、アイリスはベッドの上で横になっていた。ジメジメとした地下牢のではなく、豪華な調度品と香水の香りが漂う彼女の部屋のベッドの上である。
体を起こすと、父親のディアドロスとロディルとレインの三人が、彼女に背を向けて話し合っていた。
「…とすると、ラングが騒ぎに乗じてウラベを潜り込ませたのは間違いないのだな?」
「その場にいた私の部下によると、酒樽を落とした後のラングはあきらかに不自然だったようです。なんの前触れなしに酒の供給に訪れたことも踏まえると、ヤツがウラベを忍び込ませるために一役買ったと考えるのが妥当でしょう」
「我々を裏切ったわけだな」
と、ディアドロスは渋面を作った。
「始末しますか?」
「…いや、今は放っておけばいい。酒場の改装資金を調達するために武器の密輸をした後ろめたさがある以上、我々の悪事を堂々と公表するバカな真似はしないだろう。だが、我々を裏切った報いは必ず受けてもらう。そのときは、ヤツとその家族を一緒に始末してしまえ」
「ハッ」
「ところで、騎士たちが不審を抱いている様子はないだろうな?」
と、ディアドロスは話題を変えた。
「ご心配なく。我々を疑う気配もないまま、先ほど広場の警護のため出向いて行きました。あの様子ですと、今朝の集会で王女が魔物の奇襲により命を落としたという陛下のお話をすっかり鵜呑みにしているようです」
「これまで、オスニエルの城に魔物が襲われるという事案は一度も発生していないから、不審に思われると心配したが取り越し苦労だったようで安心したよ」
「連中も騎士として陛下に忠誠を誓っている身ですから、疑おうという考えにいたらなかったのでしょう」
忠義に尽くすあまり、疑惑を抱かず唯々諾々と動いた部下たちをロディルは嘲笑った。
「昨夜、カルトレイクとイリーナの諸侯宛てに送った手紙の返答は届いたか?」
「ええ、しっかりと」
と、言ってからロディルは懐に仕舞っていた手紙をディアドロスに渡した。
「王女の死を知らされたあそこの国民はとても驚いて、本日広場で陛下が唱えられる退魔の教えを聞くための準備を整えていたとのことです。王女が魔物に襲われ殺されたという事件が起きたことにより、共存社会に理解を示していた諸侯も遠慮して口をつぐんだ模様です」
「当然だろう。これで、連中も自分たちが愚かな考え方をしていたと気付くさ」
ディアドロスは鼻で笑ってからクシャクシャにした手紙を投げ捨てた。
「今のところ、事は我々の希望通りに運んでいます」
「結構だ。お前とタカセも抜かりなくいけそうか?」
「もちろんです。これからあの男を連れてウィンヘルム公国へと赴き、ヴィルフォール公爵との商談に臨んできます。相手は軍事的国家の繁栄を目論むあのヴィルフォールですから、まず決裂する心配はないでしょう。仲買人のタカセが余計な真似をしなければ、ですが」
「そのタカセだが、あの男もこの件が済んだらもはや用済みだ。言いたいことは分かるだろう?」
「もちろん。喜んでいたします」
ロディルはサディスティックな目を光らせた。
「…よし。これからが正念場だぞ、ロディル。我々の思惑通り、退魔の教えに関心を寄せたカルトレイクとイリーナの国民が、これからこぞって王都の広場に押し寄せる。そして、彼らに対魔物の思想を提唱し一人残らず信仰心を抱かせるのだ。重要な局面ゆえすべてにおいて如才のないよう徹底しなければ」
「それがお父さまたちの狙いなのね」
背後から唐突に聞こえた声で、三人は同時に振り返った。
「カルトレイクとイリーナの国民たちも退魔の教えの信教者にして、グリンメル王国が対魔物の思想を重んじる完璧な国家に仕立て上げる。それが目的なのね」
「いかにも。お前も知っての通り、我がグリンメル王国は現在封建制度の元に成り立っている。国民一人一人の声に真摯に耳を傾ける民主化を念頭に入れた先代の国王、つまり私の父上の意向によって、それまで君主制における独裁政権下で行使されていた政治体制及び宗教思想の強制化は一切排除された。民主主義を重んじる封建国家へと変革したことで、カルトレイクとイリーナには国民たちの厚い支持によって選ばれた二人の諸侯が統治者の座に収まった。
忌々しいのは、彼らが共存社会の実現で魔物への理解を示したことだ。歴代の国王が統治していた遥か昔から、グリンメル王国は魔物を邪悪な存在と見なし毛嫌いしてきた。それを承知の上にも関わらず、連中は対照的な思想を支持し国民にも植え付けた。結果、諸侯の穏健な思想に賛同の意を示した彼らも、魔物を手厚くもてなす姿勢を示すようになってしまった。…しかし、それも間もなく覆るだろう」
「エドガー牧師の自害を利用するのね」
「それだけじゃない」
と、ロディルがすかさず割って入った。憲兵騎士団隊長として、人一倍国王と王女への礼儀を弁えているはずの彼の口から横柄な言葉が放たれたことで、アイリスは改めて自分の身に迫っている危機が紛れもない事実であると実感した。
「宗教家のエドガー牧師が自ら命を絶ったのはセンセーショナルな出来事だが、国民全員に関心を向けさせる材料としては充分とは言い切れない。そこで我々が編み出したのがディアドロス国王陛下のご令嬢、すなわちお前を魔物の仕業に見せかけ殺害することだ」
「………」
「グリンメル王国の実質的な統治者であるディアドロス国王陛下のご令嬢が魔物によって殺されたと知れば、カルトレイクとイリーナの国民は必ず王都の広場に押し寄せる。そんな彼らに向かって、娘を失った悲しみに暮れる陛下が退魔の教えを唱え魔物の恐ろしさを訴えたら、後は望み通りの展開となる」
「そんな都合よく事が運ぶはずないわ」
「それはどうかな? 国民は、エドガー牧師が自害した間接的な原因がドラゴンの王都襲来にあると考えている。その認識が相乗効果をもたらせば、カルトレイクとイリーナの国民もさすがに考えを改め、二度と魔物を擁護しようなどとは思わなくなるだろう」
「結局、彼の死もうまく利用するわけね」
と、アイリスは軽蔑の目でロディルを見た。
「人聞きの悪い言い方は感心しませんなぁ。彼は自らの死をもって、対魔物の世を取り戻すための大きなきっかけを作ってくれたんだ。今頃は、黄泉の国で我々に感謝しているさ」
と、ロディルはケロッとした顔で言った。
「グリンメル王国の国民全員が信教者となれば、退魔の教えは国教として正式に国の保護下に置かれる。そしてそれは、世界的規模を視野に入れた布教活動を進める上で重要な足掛かりとなるだろう」
と、最後はディアドロスによって締めくくられた。
流暢に口を動かす二人が、あきらかな高揚感を抱いていることにアイリスは気付いていた。それはきっと、理想と求めている対魔物の世を再び取り戻せるという絶対的な自信と、自分たちの行いがいずれ世界中に大きな影響力を及ぼすだろうという過信による表れだと彼女は思った。
「我が王国のみならず世界を魔族の牙から守ることが我々の目標…いや、使命と言ってもいい。それを遂行する上で、お前にはやむを得ない犠牲になってもらわねばならないわけだ。もちろん、協力してくれるだろう?」
と、ディアドロスは子を諭す父親のように言った。
一度も見せたことのない父親らしい表情をこの状況で見せた彼に対し、アイリスはショックを受けつつもしっかりと首を横に振った。
「そんなこと、承諾するはずないじゃない。殊勝なことを言ってるけど、結局お父さまが考えているのは人々を守るためじゃなくて懐を肥やすことでしょ?」
「なにを言うんだ?」
「私は聞いたのよ。お父さまがロディルと一緒になって、武器の横流しをしているって。…それに、エドガー牧師を自害に装って殺したことも」
「バカバカしい。誰がそんなデタラメを?」
「ウラベでしょう。ヤツが城に潜り込んだ際、彼女にそれを吹き込んだに決まっています」
と、ロディルが耳元で言うと、ディアドロスは冷めた目で娘を見すえた。
「そうか…。お前は父親の私よりも、異世界からきたあのよそ者の虚言を信じるというのだな。ならば、これ以上話すことはなにもない」
ディアドロスが顎をしゃくると、レインがつかつかとアイリスに近付いた。
アイリスが青ざめたとき、部屋の扉が開いてフローラーが飛び込んで来た。
「フローラー!」
思わず叫んだアイリスに駆け寄ったフローラーは、彼女を優しく抱き締めた。絶望的な状況下でのフローラーの抱擁に、アイリスはこれまでにないほどの安心感を抱いた。
「余計な邪魔者が現れてしまったな…。ここでなにをやっている? 今朝の集会の後、女中たちと一緒に帰ったはずだろう」
「申し訳ありません。お嬢さまが亡くなられたとはどうしても信じられず、私だけ城に残っておりました。…国王陛下。これ以上、お嬢さまを苦しめないで下さい。お願いします」
と、フローラーはアイリスを抱き寄せながら懇願した。
「一介の使用人ごときが私に指図するのか?」
「そんな言い方しないでッ。フローラーは病気で亡くなったお母さまに代わって、私を一生懸命育ててくれたのよ。そんな風に言うなんてあんまりだわ」
と、アイリスは父親に食ってかかった。
「私が任せたのは、あくまで女中としての節度を持った世話係だ。それなのに、その女はしゃしゃり出て自らお前の乳母役を願い出た。いくら妹のためとはいえ図々しいにもほどが……あッ」
しまった、とディアドロスは手で口を覆った。
「…妹のためって、どういうこと?」
ポカンとしたアイリスは、ディアドロスとフローラーを交互に見て尋ねた。
「国王陛下。アイリスさまに真実を打ち明けても構いませんでしょうか?」
と、小さく吐息してからフローラーがディアドロスに聞いた。
口を一文字に結んでいたディアドロスは、好きにしろとでも言うようにフンッと鼻を鳴らした。
フローラーは頭を下げると、アイリスから離れると両手を前に組んで彼女の前に立った。
「お嬢さまには黙っていましたが、私には歳の離れた妹が一人いました。名前はミリアといい、私たち姉妹はディアドロス国王陛下が即位されたときからお仕えさせていただいていました。私と彼女は仕事上の困り事があれば迷わず相談し合い、隠し事もせず正直に打ち明ける約束を交わしていました」
淡々と語るフローラーの話を、アイリスは身動き一つせず傾聴していた。
長年、女中兼世話係として身の回りの面倒を看てくれたフローラーが今回のように身の上話を語るのは、アイリスの記憶が正しければ初めてだった。その新鮮味もあり、自然と聞き入る姿勢になったのだ。
「…ある日のことです。庭園のお手入れのために外へ出た私は、庭の隅でうずくまって震えている妹を見付けました。声をかけると、彼女は激しく嗚咽して私にしがみついてきました。事情を聞いた私は愕然とし動揺しましたが、あのときの恐怖に歪んだ妹の顔は今でも鮮明に覚えています」
と、当時を思い出したのかフローラーは表情を強張らせながら言った。
「なにがあったの?」
恐る恐るアイリスは尋ねたが、フローラーに手で制され口をつぐんだ。
「それから十ヶ月が経ったある日、ミリアは城の一室で可愛らしい赤子を出産しました。出産から間もないにも関わらず、彼女は女中として再び業務に励みながら赤ん坊の世話に明け暮れました。業務と育児を両立する彼女を見兼ねた私が赤子の世話を申し出ると、彼女は笑顔でそれを断りました。私の手をわずらわせたくないのと、赤ん坊と一緒にいる時間を大切にしたいからだと彼女は言いました。
それは、図らずも授かってしまった命を守らなければならないという取り繕いではなく、産まれた赤ん坊に対する偽りのない愛情を示していたと私は信じています。妹は、お腹を痛めて授かった女の子に母親として深い愛を注ぎ続けていたと」
知らず知らずのうちにベッドから立ち上がったアイリスは、驚いた顔でフローラーの前に立った。
「さっき、お父さまは妹のためと言っていたけれど、ひょっとしてそのミリアというのが…」
彼女が言わんとすることを察したフローラーは頷き、
「そうです。お嬢さまの母親でございます」
と、言った。




