第三十四章 囚われの王女
「見えてきたぞ」
砂利道の斜面から平坦な道に差しかかって間もなく、ラングが荷台に向かって言った。
樽のフタをわずかに上げて外を見た浦辺は、見覚えのあるレンガの塀と金属製の門扉、そしてそれを挟むように立っている二人の門番の姿を捉えた。
浦辺とテオは樽の中でジッと固まり、物音を立てないようにした。
ラングが手を上げると、門番の一人がハツラツとした声で彼を迎えた。
サイズの大きい鎧を身にまとったふくよかな体型の門番Aは、親しい友人に出会ったかのような口調でラングを迎えた。
他愛のない会話をしてから闊達な笑い声を上げるところに、彼の人柄のよさが滲み出ていた。
一方のひょろりとした門番Bは、そんな二人の様子を一瞥するだけでオブジェのごとく身動き一つせず佇立していた。
が、駄弁り続ける二人を見兼ねたBは、ようやく体を動かすと幌馬車へと近付いた。
荷台に積んでいる荷物を聞かれたラングは、気を取り直すように咳払いをしてから酒樽だと言った。
でっぷりと太ったAがその身に合わず軽快な足取りで荷台に近寄ると、本当に酒かどうか確かめてほしいと言った。しかし、それは積載物の中身を検査するためというより、単に酒飲みたさから出たニュアンスに聞こえた。
Aの意図を察したラングはパンッと手を叩くと、浦辺とテオが隠れているのとは別の酒樽に手を伸ばして蓋を開けた。
ラングは樽を模した木製のコップを二つ取り出すと、それで中の酒をすくい上げ一つをAに、そしてもう一つをBに手渡した。
Aはバシネット(頭と首を覆う防具)の口を上げると、渡された酒をグイッと一息に飲み干した。
満足そうに息を吐くAに反し、Bはワインを嗜む前のようにニオイを嗅いでから上品な仕草で口に運んだ。
コップを返した後、Aは上機嫌で門を通っていいと言ったが、それをBが阻止した。
Bは、積んでいる酒樽をすべてチェックさせてほしいとラングに言った。
浦辺とテオはギョッとしたが、ラングは(若干引きつっていはいたが)作り笑いを浮かべて中身は全部一緒だと主張した。
しかし、Bは一歩も引かずに再度同じことを言った。
彼いわく、王都オスニエルでドラゴンが出現した経緯から、魔物の来襲を予期した警備を徹底しろと国王から命令を受けたため、手落ちなく調べる必要があるとのことだった。
顔馴染みなんだから大目に見ろとラングは不満げに言ったが、杓子定規のBは頑なに譲らなかった。
次第にラングとBは小さな言い争いを展開させ、それをAがあたふたとなだめるトラブルが起きた。その間も、浦辺とテオは不安で胸をドキドキさせながら体を丸めていた。
やがて、勢いを失ったラングは露骨にガックリと肩を落とすと、長い付き合いにも関わらず信じてもらえないことに深く絶望したと言い、元来た道を引き返そうとした。
幌馬車がグルッとUターンし浦辺とテオは本気かと慌てたが、彼ら以上に慌てたのはAだった。
命令に従順な一方、人一倍仲間想いのAに非難されBは辟易してしまった。
トドメと言わんばかりに、ラングが哀愁漂う顔で通してくれと頼んだ。
気味の悪いものでも見たかのように一歩引いたBは、深いため息を吐いて門の通過を許可した。
礼を言いながら門をくぐるラングの幌馬車を、Aが子どものように手を振って見送った。
無事に門をくぐれたラングは、ガラにもなく情に訴えた自分がこっぱずかしくなった。
Bが露骨に薄気味悪がった顔をしたのを思い出すたび、彼は自身の経歴に出来た一つの黒歴史を思い出すハメになるだろう。
門を越えた幌馬車は直進せず、カーブするとレンガの塀を沿うように進んだ。
塀に誘われるように車輪を転がす馬車は、城の裏手に辿り着いた。
裏手には開けっ広げになった扇状の門があり、それをくぐると二、三台の馬車が停まっていた。
馬車はいずれも豪華な装飾があっちこっちに施され、その美意識は人の肩ほどの背丈がある車輪でさえ手を抜けられていなかった。
いかにも上流階級の貴族が乗り回していそうな馬車と肩を並べては引け目を感じるのか、ラングは敬遠するように少し離れた場所に幌馬車を止めた。とはいえ、西部開拓時代を疾走していそうな幌馬車と豪華絢爛な装飾で飾り立てられた馬車がもたらすコントラストは、いくら距離を置いたところで隠し切れないほど激しかった。
車庫の奥を見たラングは顔をしかめた。
二人の騎士が、城内に通じる扉を挟むように立ち尽くしていたからだ。
彼らがそこを陣取っている限り、浦辺とテオを城内に忍び込ませるのはまず不可能だった。
自慢のガイゼル髭をもてあそびながら考えを巡らしたラングはハッと閃くと、積荷が窮屈に押し込まれた荷台に移動した。
「オレが荷台を蹴ったらすぐ飛び出すんだぞ」
と、隠れている浦辺とテオに言ってからラングは後ろから飛び降りた。
馬車から降りたラングは、荷台の酒樽を一つ抱えた。
丸太のように太い両腕の筋肉を一層盛って、「ヨッコラショ」と酒樽を持ち上げるラング。
高々と持ち上げた途端、ラングは手を滑らせたフリをして酒樽を放った。
大きな音とともに酒樽が割れ、中にたっぷり蓄えられていた酒が床一面にぶちまけられた。透明感のある赤色の水たまりが、みるみる真っ白な床に広がっていく。
「やっちまった…。悪いが、手を貸してくれないか?」
と、ラングは壊れた酒樽の破片を拾いながら騎士たちに言った。
すかさず、二人の騎士が手伝いに駆け出した。
「チクショー、ツイてないぜッ」
と、ラングはやや棒読みで言ってから荷台を蹴った。
それを合図に浦辺は樽から出たが、マズイことにテオが抜け出すのに苦戦していた。
異変に気付いたラングが、
「城に献上する一流の酒だ。土足で踏むような真似は控えてくれ」
と、とっさに思い付いた言葉で騎士たちを制した。
騎士たちが顔を見合わせて戸惑っているスキに、浦辺はテオを静かに引っ張り出した。
横目でそれを確かめたラングは、今度は早く手伝ってくれ、と騎士たちをせっついた。
騎士たちがやや不満そうな顔で破片を拾い始めたのを見計らって、浦辺とテオは扉目指して駆けた。
扉を開けようと浦辺が手を伸ばした瞬間、テオがいきなり彼の服をグイッと引っ張った。
浦辺が後退りしたと同時に、激しく開いた扉から数人の騎士たちが飛び出した。
車庫の物音を聞いた彼らは、何事かといった様子でラングたちのそばに押し寄せた。
まさに紙一重だった。
扉の直撃をギリギリ回避した浦辺は、テオに礼を言ってから車庫で騒いでいる彼らに気付かれないよう城の中へと足を踏み入れた。
先頭を行くテオが無人の部屋を探り当て、二人は一旦そこで落ち着いた。
〈はぁ…苦しかった。出してくれてありがとう、ウラベ〉
と言って、テオはやや乱れた翼を羽繕いした。
「こっちこそ助かったよ。ありがとう」
〈それで、どうやってさっき言ってたのを見付けるの?〉
「それが問題だな。裏帳簿というのは部外者に見られたらマズイ内容が記録されているわけだから、簡単に見付かるような場所にはまず隠さないんだ」
〈簡単って、たとえば?〉
「絵画の裏とか植木の中とか…。スタンダードな隠し場所と言えばそんなところかな。とにかく、誰も想像しないような意外な場所に隠すんだ」
〈そんな所に隠すなんて、ウラベの世界にいる悪人って随分と悪知恵が働くんだね〉
サラッというテオに浦辺は思わず吹いてしまった。
「ともかく、この城は大きい。色々と視点を変えて探す必要があるけど、どこをどう探せばいいのやら…」
〈アイリスなら知ってるかもしれないよ〉
「彼女が? …う~ん、それはどうだろう。アイリスが父親の悪事を知っているとは思えない。ましてや、裏帳簿の隠し場所なんて」
〈聞くだけ聞いてみようよ〉
言うなり部屋を飛び出したテオを、浦辺は慌てて追った。
テオは顔を前方に突き出すと、オスニエルで覚えたアイリスのニオイを辿りながら廊下を進んだ。
車庫でラングが起こした騒動に未だ気を取られているのか、幸運にもだだっ広い廊下には浦辺たち以外誰もいなかった。そんな中で、テオはひたすらアイリスのニオイを辿った。
アイリスが隠し場所を知っているという期待を浦辺はあまり抱いていなかったが、懸命にニオイを嗅ぐテオを見て一縷の望みにすがることにした。
やがて、テオは一つの扉の前で止まった。
〈ここからアイリスのニオイがする〉
浦辺は目をパチクリさせた。
「間違いないのか?」
〈うん、確かだよ。どうして?〉
「だって、ここは…」
浦辺は眉をひそめて目の前の扉を見つめた。
そこはアイリスの部屋へ通じる大きな二枚扉ではなく、浦辺にとってイヤな思い出しかない地下牢へ通じる扉だった。
浦辺はかすかにイヤな予感を抱きつつも、ゆっくりと扉を開けた。
水滴の落ちる音、鼻孔を突く錆の臭い、ひんやりとした冷たい隙間風が吹き込む石造りの壁と、苦い記憶がよみがえる廊下を浦辺は進んだ。
ようやくそこが地下牢と気付いたテオも、表情を強張らせながら浦辺の後に続いた。
地下牢の薄暗い廊下を進みながら、浦辺は牢屋を一つずつ確認した。
いずれも人が投獄されている様子はなかったが、突き当たりの牢屋(浦辺が囚われていたのと同じ牢屋)に差しかかったとき、浦辺は薄汚れたベッドの上でうずくまるように体を丸めているアイリスの姿を捉えて驚いた。
「アイリス!」
浦辺が叫ぶと、アイリスはビクッと体を震わせてから恐る恐る顔を上げた。
「…ウラベ? ウラベなの?!」
意外な来訪者に驚いたアイリスはベッドから立ち上がると、素足のまま浦辺たちのそばに近付いた。
浦辺は鉄格子を握ったまま唖然とした。
カラフルな色彩のドレスは薄汚れ、肩から胸まで伸びた艶やかな橙色の髪も乱れている姿は、本当に以前見たあのアイリスなのか…と疑ってしまうほどみすぼらしかった。なにより、国王の令嬢である彼女が地下牢に閉じ込められている時点で、浦辺は幻を見ているような錯覚に陥っていた。
「どうしてあなたがここに…?」
と、アイリスも幻覚を見ているような表情で浦辺を見つめた。
「わけがあって戻って来たんだよ。それより、どうしてキミがこんな所に?」
浦辺が聞くと、アイリスはその場で膝を突いた。
「…ウラベ。私は間もなく殺されるわ」
「殺されるって…。どうして?」
耳を疑った浦辺もその場で身を屈めた。
「ロディルがお父さまにそう提案したのよ。私を殺して魔物の仕業に見せかければ、オスニエルの人たちは必ず魔物を憎むようになる。そうすることで、国民全員に退魔の教えを信仰させるのが目的みたい」
「だけど、そんなこと国王が承諾するはずが…」
疑わしそうに言う浦辺に、アイリスは首を横に振った。
「お父さまはロディルを褒めちぎると、満足そうに彼の計画を受け入れていたわ。たまたま扉越しからその話を聞いた私は驚いて逃げようとしたけど、後ろにいたレインに魔法をかけられて気付いたらこの牢に閉じ込められていたの」
〈実の父親が子どもを犠牲にしようとしてるってこと?〉
と、テオが信じられないといった顔で聞いた。
「そうらしい。いくら目的を達成するためとはいえ、とても正気とは思えない」
ディアドロス国王がどういう了見でそんな提案を受け入れたのか?
それがどうにも理解出来ず、浦辺は眉をひそめた。
「…あなたの声、聞き覚えがあるわ」
と、アイリスがテオを見て言った。
〈そういえば、この姿で会うのは初めてだったね。オスニエルでリヴィアと一緒にいたボクだよ〉
「オスニエルでリヴィアと? …もしかして、あの男の子?」
テオはコクリと頷いた。
「あの騒動で魔物だとは分かったけれど、まさかグリフォンの子どもだったなんて…。それじゃあ、あなたが共存社会を築いたグリフォンと女性の子どもなのね」
〈それより、どういうこと? いくらタイマの教えを広めるのが目的だからって、実の娘を犠牲にするなんてまともとは思えないよ〉
と、テオは憤りを覚えて言った。
「私だって信じたくはないけど、確かにお父さまはロディルの提案に乗り気だったわ。話の途中で聞こえた“あれ”がスムーズに行くとかそんなことを言っていたから、多分それが関係していると思うの。私にはなんのことかサッパリだけど」
〈“あれ”って、もしかして…〉
意味を察したテオに浦辺も頷いた。
キョトンとするアイリスに、浦辺は酒場で知った武器の闇取引のことと、それに父親のディアドロス国王とロディルも関与している事実を伝えた。そして、確固たる証拠を掴んだわけではないが、エドガー牧師が国王たちに服従の呪いで操られ、挙句に殺された可能性があることもである。
「そんな…。お父さまがそんなことを…」
アイリスは両手で口を覆って身を震わせた。
職務の遂行に精を入れるあまり蔑ろにされる日々を当たり前のように送ってきたアイリスだったが、それでも父親の隠された裏の顔を知ったときのショックは相当なものだった。
その一方で、彼女はハッとした。
父親が頑なに書斎への出入りを咎めていたのは、書庫にある「魔法律議書」に目を通して牧師にかけられた呪いに気付かれるのを恐れていたからだとである。
ヒマ潰しのつもりで部屋に持って行こうとしたのを強引に阻止したのも、それを裏付けているからだとアイリスは確信した。
「ボクたちは牧師の死の真相を探るために、改心したラングさんの協力で城に侵入したんだ。そのとき、彼から国王とロディルが結託して武器の闇取引を行っていた証拠を見付けてほしいと頼まれた。その記録かなにかがあれば、おのずと牧師の死が自殺かどうかも分かると思うんだ」
〈アイリスならその証拠がどこにあるか知ってると思って、ボクたちは来たんだ。心当たりとかない?〉
と、テオが期待の眼差しでアイリスを見つめた。
しかし、アイリスは首を横に振った。
「ごめんなさい。私は力になれそうにないわ。今の話だって、全部初めて聞いたから証拠の隠し場所なんて、正直見当が付かないの。…ただね」
「ただ?」
「私が書斎へ行き来するたびに、お父さまに止められていたという話は以前したでしょう? それはきっと『魔法律議書』に目を通した私が、ウラベみたいに服従の呪いに気付くのを恐れたからだと思う。でも、冷静に考えるとそれだけにしてはちょっと神経質過ぎる気もするのよね。それで、もしかすると書斎に知られてはいけない秘密が隠されているんじゃないかと、今ふと思ったの」
「調べてみる価値はありそうだな」
と、浦辺が言うとテオも納得して頷いた。
〈待っててね、アイリス。これからボクたちで調べに行ってくるから。…大丈夫、必ず助け出してあげるから。約束するよ〉
と、テオは安心させるように笑みを向けた。
「ありがとう、テオ。教会のときといい、あなたは本当に優しい子だわ」
アイリスはテオのフサフサの頬に手を添え感謝した。
それから二人はアイリスから書斎の場所を聞くと、彼女に励ましの言葉を残してから地下牢を出た。
一人ポツンと残ったアイリスは、心の中で二人の無事を静かに祈った。




