第二十八章 「魔法律議書」
「確かにボクはエドガー牧師によってこの世界に召喚され、城の地下牢に軟禁されました。協力を拒んだ結果、処刑されかけたわけですからボクにとって脅威だったのは間違いありません。…それでも、ちょっと複雑な気持ちですね」
翌朝、リヴィアがヴァンハルト王国に帰った後にエドガー牧師の自害をルミウスから聞かされた浦辺は、釈然としない面持ちで言った。
〈共存社会の撲滅を視野に入れた退魔の教えを大々的に広めようとした牧師は、当事者である私たちにとっても大変な脅威だった。脅威が去るのは本来ならば喜ばしいことなのだが、私もウラベと同じく複雑な思いだ〉
と、ルミウスもやるせない様子でため息を吐いた。
彼らが揃ってそう思う理由は、言うまでもなく牧師の辛い過去が関係していた。
愛娘を魔物に殺された牧師は、憎しみを糧に立ち上げた退魔の教えを広めることで子どもの供養を図ると同時に、娘と同じ犠牲者が現れない目的も兼ねて積極的に布教活動に専念していた。
単に魔物を危険視する安直な思想ではなく、同情の余地があるれっきとしたきっかけが秘められている分、浦辺とルミウスは牧師の死に素直に胸を撫で下ろす気分になれなかった。
「牧師が亡くなった今も、国王は退魔の教えを広めるつもりでいるのかしら?」
と、イザベラが疑問を口にした。
〈対魔物の世を取り戻す上で頼れる牧師を失った痛手は大きいだろうが、あの国王のことだから途中で投げ出すことはしないだろう。今後の動向は読めないが、なにかしらの策を練って布教を続けていくと私は思っている〉
「話し合いで収められないかしら?」
〈難しいだろう。国王の信念は揺るぎないものだし、騎士団を束ねるロディルという男の存在も厄介な壁となっている。検討はしてみるつもりだが、正直見込みは薄いと思っている〉
と、ルミウスは思慮深く言った。
〈なに難しい顔してるの?〉
思案顔を浮かべる父親にテオが駆け寄って来た。
〈昨日、リヴィアに試練の話をしただろう? 今が、その試練に直面している最中というわけだ〉
〈だったら、ボクも手伝うよ〉
〈頼もしいが、こればかりはお前の手に負える案件ではない〉
〈でも、父さんたちの役に立ちたいんだ〉
と、テオは父親の顔を見上げて言った。
〈いいかい、テオ。穏便な手段で解決の見通しが取れる内容であればお前の力も借りたいところが、こればかりはそうもいかないんだ。なにせ、今回のことで何度もお前を危険な目に遭わせてしまっているからな。父親としてともに立ち向かいたい気持ちは私にもある。だが、父親だからこそ危険と分かっている事柄に、息子のお前を巻き込ませたくないんだ。分かってくれるね?〉
と、ルミウスは優しく諭した。
「私も同じ気持ちよ、テオ。その優しさと勇敢さは母親としてとても誇りに思っているけれど、あなたが危険にさらされるのだけは耐えられないわ。だから、父さんの言うことを聞いてね。あなたの気持ちはしっかりと受け止めておくから」
と、身を屈めたイザベラはテオの頬にそっと触れた。
不満そうな表情を浮かべたテオだったが、母親の瞳をジッと見つめると諦めたように渋々頷いた。
そのとき、一頭のグリフォンが小走りで駆け寄って来た。
〈確認が終わりました〉
〈どうだった?〉
〈昨晩の満月から放たれた光と我々の魔力は問題なく調和していましたから、無事成功したものと思われます〉
〈よし、分かった。…ということだ、ウラベ。これでようやく、キミを元の世界に戻すことが出来る〉
「ありがとうございます」
と言って、浦辺は安堵の息を漏らした。無理やり異世界に召喚されてから散々な目に遭っていた彼は、待ち焦がれていた現実世界への帰還が目の前に迫ったことで、ようやく胸中に蔓延っていた不安が取り除けたような気がした。
グリフォンたちがぞろぞろと別れの言葉を浦辺にかけているとき、不意にテオが勢いよくその場から離れた。
〈テオのヤツ、ウラベが帰るから拗ねてしまったらしい〉
と、ルミウスが息子の後を目で追いながら言った。
「あの子は浦辺さんにとても懐いていたから仕方がないわ。…それに、私もテオの気持ちは分かる気がする」
と、イザベラはそんなに遠くない過去に空港で浦辺と別れたときの自分を懐古した。わずかな時間とはいえ、一緒に過ごした浦辺との別れを惜しむテオと当時の自分を照らし合わせたイザベラは、息子の気持ちが少なからず理解出来る気がした。
その後、ルミウスはグリフォンの里にある泉へと浦辺を案内した。
スコットランドの原野にある森のオアシスとまったく同じ泉がそこにあり、ルミウスいわくそれが現実世界のオアシスに繋がっているという。
浦辺がルミウスたちと別れの言葉を交わしているとき、テオが一冊の本をくわえて戻って来た。
テオは、それを浦辺に差し出した。
〈『魔法律議書』じゃないか。これがどうかしたのか?〉
と、浦辺が手渡された律議書を見てルミウスは首を傾げた。
〈ウラベに渡そうと思って持ってきたんだ〉
「ボクに? でも、教会のシスターからもらった大切な本だって昨日言ってなかった?」
〈うん。だから、貸すだけ〉
〈…そういうことか。要するに、テオはウラベがまたこの里に来てくれる理由付けをしたというわけだ。律議書を返しに、この里へ再び来させるためのね〉
テオの意図を察したルミウスはフッと笑みを浮かべた。
「なるほど。昨日、ボクが曖昧な返事をしたからまた会えるかどうか不安になったんだね?」
〈うん。ウラベとはまた会いたいから…〉
「心配しなくても、またここに遊びに来るよ。今回は色々とあってゆっくり出来なかったけど、今度来たときは一杯遊んであげるし、向こうの世界のことをたくさん教えてあげるよ」
〈リヴィアも一緒だよ?〉
「もちろん。彼女も一緒だ」
浦辺はポンッとテオの頭に手を乗せた。
それから浦辺は、何気なしに律議書のページをめくってみた。
象形文字に似た奇妙な文字の羅列がズラリと並んでいた。
当然、浦辺にはまったく読めなかったがどんな内容が書かれているのかはおおよそ察しは付いていた。
ルミウスいわく「魔法律議書」には、この世界に存在するあらゆる魔術に関する具体的な情報が事細かく記されているという。
それゆえ役割は様々で、魔導士を目指す者は習得に必要とされる基礎と方法を磨くための指南書として、学者たち教養がある者は魔法絡みの規定や禁止事項を記録した法規集、つまり法律書の類いとして利用しているという。
魔法や呪術にまつわる内容が記された魔導書との類似が度々指摘されているが、「魔法律議書」は後者のような法律的記述が詳細に記載されている点で差別化されている。
以上の話を聞いていたため、浦辺には書かれている内容が大体把握出来たのだ。
特徴的なのは、随所に描かれた挿絵だった。
土、火、水、風という四大元素を元とした攻撃魔法を発動している瞬間のほか、禁断とされている召喚魔法から治癒魔法、複製魔法、転移魔法、変身魔法、浮遊魔法、支援魔法などの多種多様な属性魔法を執行している様子を描いた具体図が、巧みな絵となって分かりやすく描かれているのだ。しかも、カラフルな色彩で分かりやすく着色されているので、より鮮明さを際立たせていた。
奇妙な象形文字の解読が不可能な浦辺は、自然と臨場感のある挿絵に見入った。
ページをめくりながらボンヤリと絵を眺めていた浦辺だったが、ある個所を食い入るように見つめると途端に瞠目し、隣にいるルミウスに迫った。
「ここに書かれている文字を訳してくれませんか?」
と、浦辺はあるページを示しながら頼んだ。
突然のことにルミウスは驚いたが、ページを覗き込むと文章の翻訳を始めた。
〈『禁断の魔術 その③:服従の呪い
・この魔術を駆使する者は、特定の人間ないしは魔族の類の精神を支配下に置き、言動はおろか心をも思惑通りに操ることが出来る。
・呪いを受けた瞬間から対象者の記憶は抹消され、代わりに執行者の記憶が反映される。また、支配下に置かれた者は以降の記憶を失ってしまい、呪いが解けた後も自身が操られていたという自覚は一切持たない。
・支配魔法に耐性のある固有スキルを保有する者、もしくは上位ランクが位置付けられた魔族には効果が現れないが、それらの条件に該当しない個体には必ず効力を発揮する。
・魔物が跋扈する危険地帯へのおとりのほか、身代わり殺人や代理強盗など看過出来ない目的で度々悪用された経緯を踏まえ、魔科学を主体とする行政機関は正式に習得及び使用を禁ずる法令を打ち立てた。これを犯した者は、人命軽視の意があるものと捉え極刑に処される。』〉
これですべてだ、と最後にルミウスは言った。
「服従の呪い…。これを受けた人は自分の意思を完全に失って、呪いをかけた相手の思い通りに身も心も操られるわけですね?」
と、浦辺が確認した。
〈そうだ。それによっておとり役に選ばれた者が犠牲となったり、身代わりとなった者が冤罪でありながら投獄されたりする悪質な事例が多発したことで、服従の呪いは一切の使用が禁じられるようになった〉
「ここに描かれてある絵はどういう意味ですか?」
と、浦辺は説明欄のすぐかたわらに描かれた挿絵を指差した。
それは、虹彩が深紅色に塗りたくられた禍々しい瞳だった。
〈それは呪いを受けた者に現れるサインだよ。服従の呪いを受け執行者の人格を乗り移られた者は、外観的な変化としてそのような奇抜な色合いの目になるんだ〉
「ルビーのように真っ赤にですか?」
〈私には充血しているようにしか見えないがね〉
と、ルミウスは苦笑した。
「浦辺さん。その服従の呪いがどうかされたんですか?」
と、そばで聞いていたイザベラが尋ねた。
「この挿絵と同じ目をしている人をボクは見ているんです」
〈本当か? …しかし、ここにも書いてある通り服従の呪いは規定により使用が禁じられている。密かに使う不心得者もいるだろうが、人前に堂々とさらすような真似をするとは思えない。見間違いではないのか?〉
と、懐疑するルミウスに浦辺は首を横に振った。
「あのときの相手の目は、まるで赤い宝石を直接埋め込んだと思えるほど真っ赤な輝きを放っていました。異質なオーラを漂わせる目に見つめられボクは全身が緊張しましたが、その分強烈な記憶として今でもハッキリと脳裏に焼き付いています。まさに、この挿絵と同じ目をしていたんです」
〈その相手とは?〉
「エドガー牧師です」




