第二十四章 教会にて
リヴィアによってテオが連れられたのは、街の片隅にひっそりと建てられた大理石の教会だった。
街の端っこに建てられているため存在感が薄く感じられたが、実際の規模は従来の教会よりも大きく、鐘楼の尖塔は天を突き刺さんばかりに高く伸びている。
「ここがいい所?」
「そうよ。賑やかな通りから離れていて人の行き来も少ないから、静かにお祈りするには理想的な立地なの」
と、リヴィアは言った。
テオは教会の周囲を見回した。彼女の言葉を裏付けるかのように、付近を歩いている人の姿はまったく見当たらず、さっきまで当たり前のように聞こえていた雑踏も辛うじて聞こえてくるぐらいだった。
リヴィアは教会の扉を開くと、中を確認してから帽子を取った。
広々とした空間に横長のイスがずらりと均等に並べられ、その奥に煌びやかな装飾に施された祭壇が設けられていた。壇上には人の背丈よりもやや高い十字架が物々しい雰囲気を醸しながら立っていたが、広場にあった十字架のインパクトがあまりにも強かったせいか貧相に見えてしまう。
テオは天井を見上げた。丸い鮮やかなステンドグラスに差す太陽の光がカラフルな色彩の光を聖堂内に注ぎ、神々しい内部に一層幻想的な演出を与えている。
初めて訪れる教会の内部にテオが目を奪われているとき、
「あら、リヴィアさん。またいらっしゃったんですか?」
と、一人の修道女が驚いた顔で近付いて来た。
「数分ぶりね、アシュレイ。でも、今回は小さな付き添いも一緒なの」
と、リヴィアは隣にいたテオを見下ろした。
「まあ、可愛い子! 親類の子ですか?」
「まっさか~。テオ、こちらシスターのアシュレイよ」
「テオくんと言うのね。はじめまして」
と、アシュレイは身を屈めるとテオと同じ視線に合わせた。
テオはやや緊張しつつも自己紹介を果たした。
「それにしても驚きましたわ。先ほどまでお友だちとご一緒だったのに、突然こんな可愛い子を連れていらっしゃるから」
「そのことでちょっと話しておきたいんだけど…」
と、リヴィアはアシュレイに近付くと耳打ちを始めた。
アシュレイは何度か相槌を打ってからビックリした表情を浮かべたが、すぐに元の柔らかな笑みに戻るとテオに近付いた。
「リヴィアから聞いたわ。あなた、グリフォンの子どもなのね」
テオは思わず後退ったが、すかさず背後に回ったリヴィアが肩に手を乗せて安心させた。
「心配しなくていいのよ。彼女は街の人たちとは違って、魔物に対して差別的ではないから。だから、私の正体がドラゴンだと知ったときも彼女は快く受け入れてくれたの。でしょう?」
リヴィアの言葉にアシュレイはニコリとして頷いた。
半信半疑の面持ちを浮かべるテオに、アシュレイは横長のイスを勧めた。
テオが座ると、アシュレイとリヴィアも彼を挟むようにそれぞれ座った。
「…アシュレイは、本当に魔物のボクを受け入れてくれるの?」
と、テオは恐る恐る聞いた。
「ええ、もちろん。だって、今は魔物と人間が一緒に生活を営んで、仲良く平和に暮らしている世の中でしょう? その礎を築いたあなたもあなたのご両親も、私はお友だちとして分け隔てなく迎えるわ」
「どう? 私たち魔物に寄り添ってくれる人もいると知って、少しは気持ちが和らいだでしょう?」
リヴィアが言うと、テオは小さくだが頷いた。
「そうだね…。オスニエルの人たちはみんな、タイマの教えとかいうよく分からないもののせいで魔物を嫌っていると思っていたけど、アシュレイみたいな人もいるって分かってちょっと落ち着いたかな。…でも、タイマの教えって一体なんなの?」
と、テオは隣に座る彼女たちの顔を交互に見て聞いた。
魔物のリヴィアを気遣い、アシュレイが語り役を担った。
アシュレイから退魔の教えについて詳しく聞いた後、テオはため息を吐いて俯いた。
「この街の王さまとエドガー牧師って人は、父さんたちのしたことがよっぽど気に入らないんだね。そこまで魔物を嫌いにならなくてもいいのに、どうしてだろう…」
「仕方がないわ。グリンメル王国というこの国は、初代の国王が統治したときから既に魔物に対する風当たりが強かったもの。祖先の遺志を受け継ぐ形で歴代の国王も魔物を一貫して危険な生き物と認識し続けてきたわけだから、ディアドロス国王も当然同じ考えにいたるわ。…とは言っても、彼の場合少し度が過ぎている気もするけれど」
「牧師はどうしてさ?」
「当て推量だけど、対魔物の思想を国民に向けて大々的に提唱する大役を国王から受けて、天狗になったんじゃないかしらね。もしくは、ご機嫌取りのつもりで協力したかのどっちかと私は思うわ」
もたれながらフンッと鼻を鳴らすリヴィアを、アシュレイが遠慮がちに遮った。
「エドガー牧師にはそれ相応の理由があるんです。リヴィアさんたちにとって残念な話になりますけど、エドガー牧師には娘さんを魔物に殺されたという悲しい過去があるんです」
アシュレイの言葉を聞いた刹那、テオとリヴィアは同時にえッと顔を驚かせた。
「エドガー牧師が退魔の教えを広める活動を始められたのも、その出来事がきっかけなんです。父親として娘さんの無念を晴らす一方、彼女と同じ運命を辿る人が現れないために、エドガー牧師はグリンメル王国だけにとどまらず国外にも退魔の教えを広めようと懸命に働きかけていたんです」
「そんなことがあったなんて知らなかったわ…」
居たたまれなさに陥ったリヴィアは、先ほどの軽率な発言を恥じるように顔を俯かせた。
グリフォンのテオも同様に、居心地の悪さを抱いて縮こまった。
「仕方ありませんわ。エドガー牧師は私的な話を自分から言い触らすような方ではありませんでしたし、退魔の教えを広めるきっかけとなった娘さんの死も、私たち教会の者にしか打ち明けていませんでしたから」
と、アシュレイは微笑みながら落ち込む二人を慰めた。
「…それじゃあ、共存社会が実現したときエドガー牧師はとても悩んだんじゃないかしら?」
リヴィアの指摘に、アシュレイは神妙な面持ちで頷いた。
「おっしゃる通り、異種族同士が慈しみ手を取り合う社会が実現した際、エドガー牧師は個人的な事情でそれを引き裂いてよいものかと、とても悩んでいらっしゃいました。その葛藤にしばらくさいなまれていたみたいですが、国王陛下から直々に王都の広場を提唱の場として提供されてから、娘さんを失った直後と同じく国民たちに向かって積極的に退魔の教えを説くようになりました。
秩序に反するとはいえ、娘さんを失った悲しみに打ちひしがれ精神的に辛い思いをされた過去があるので、私はエドガー牧師の行いを咎めることはしませんでした。…でも、心のわだかまりをなにもかも払拭したかのような変わりようがあまりに顕著で、私は少し違和感を覚えました。まるで、以前のエドガー牧師とは別の人格が宿っているような…そんな感じがして今も心配しているんです」
と、アシュレイはやるせない表情で祭壇の十字架を見つめた。
そのとき、突然体を傾けたテオがリヴィアに寄りかかった。
「テオ、どうしたの?」
リヴィアが支えると、テオはハッとして首を振った。
「ごめん。急に頭がボーッとして…」
「ボンヤリするの? きっと、長い時間人間の姿になっているから、変身魔法の効果が限界に近付いてきたのね。そろそろ帰りましょう」
「まだここにいたい」
「そうやって意地を張るのはよしなさい。ルミウスたちもいい加減心配しているだろうし、街中で変身が解けたらそれこそ大変なことになるわ」
「もう大丈夫だって」
「四の五の言わないの。おいで」
リヴィアは帽子を被ると、不服そうなテオの手を無理やり取って立ち上がった。
「あッ、ちょっと待って」
立ち上がったアシュレイは祭壇の方へ駆け寄ると、一冊の分厚い書物を持って戻って来た。
「これは『魔法律議書』と言って、魔科学にまつわる法典のほかに現存する魔術の使用方法や効果などが詳細に記されているの。変身魔法についても書かれてあるから、もしも持続性を維持したいのならこの本を参考にするといいわ。私からのささやかなプレゼントよ」
と言って、アシュレイは律議書をテオに譲った。
「ありがとう、アシュレイ!」
テオは嬉しそうに律議書を抱えて礼を言った。
「もらっちゃっていいの?」
「はい。教会に元々一冊あったんですが、私がそれを知らずに購入してしまって…」
と、アシュレイは恥ずかしそうに舌を出して笑った。
アシュレイにお礼を言ってから、二人は教会の出入り口に向かった。
生まれて初めて人間からプレゼントされた物がよほど嬉しかったのか、テオは律議書を虎の子のように抱えていた。そんな彼を、リヴィアは横から微笑ましく見つめた。
ふと、横を向いたテオの足が止まった。
首を傾げたリヴィアが視線の先を追うと、横長のイスに庶民らしき質素な身なりの女性が物悲しそうな表情で座っていた。テオたち三人が話し込んでいるうちに、いつの間にか教会に入って来たらしい。
「リヴィア、ハンカチある?」
と、テオは唐突に聞いた。
「…ええ、あるわよ」
テオの意図を察したリヴィアは、ポケットに入れていたハンカチを取り出した。
ハンカチを受け取ったテオは律議書をリヴィアに託すと、イスに座っている女性に歩み寄った。
「これ、使って」
と、テオがハンカチをそっと差し出すと、女性は最初驚いた顔でテオとハンカチを交互に見てから「ありがとね」と言って受け取った。
「なにかあったの?」
と、テオは涙を拭う女性に尋ねた。
「ええ、ちょっとね…。でも、あなたの優しさでとても心が安らいだわ。ハンカチ、ありがとう」
と、女性は折り畳んだハンカチをテオに返した。
「ボクのハンカチじゃないんだ」
「え? …あ、奥にいるあの人のね。あなたのお姉さん?」
「ち、ちがうよ。あの人はーー」
「は~い。この子の姉のリヴィアで~す」
戸惑うテオの後ろからリヴィアはヌッと現れた。
「優しい弟さんをお持ちね」
「ええ、私の自慢の弟よ。ちょっと生意気な性格が玉にキズだけど、根は純粋で正直だからきっと姉の私に似たのね。そうじゃなかったら、今頃手の付けられないわんぱくな子にーー」
と、ムスッとしたテオの頭をワシャワシャと撫で回しながらリヴィアはペラペラと口を開いた。
女性はクスッと笑みを浮かべてから、
「名前はアイリス、よろしくね」
と、二人に名乗った。




