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第二十一章 アイリスの涙

「一体どうなっているんだ?」

 俄然、廊下から聞こえたディアドロス国王の野太い声でアイリスは目を覚ました。

 ベッドから起き上がったアイリスは、扉まで移動しゆっくりと開いた。

 こっそりと廊下を窺うと、太った体を揺するように歩くディアドロスの姿が見えた。その後ろを憲兵騎士団隊長のロディルと、アイリスの幼馴染みであるロイスが恐縮そうな顔付きで歩いていた。さらに、魔導士のレインもフードで見えない顔を俯かせながら金魚のフンのように続いていた。

 ロディルが歩きながら身振り手振りでなにやら説明しているのが見えたが、歩くたびに音を立てる鎧によって声はかき消されてしまい、詳しい内容は聞こえなかった。

 やがて、奥の部屋の扉が閉まる音が聞こえた。

 アイリスは廊下の様子を窺ってから、ネグリジェ姿のまま部屋を出た。

 蠟燭の炎のみで灯された薄暗い広い廊下を、アイリスは裸足のまま小走りした。

 王座の間に続く扉の前まで来たアイリスは、フローラーとの約束を破る後ろめたさを抱きつつも扉に耳を当てた。

「――と、報告は以上になります」

 と、ロディルの声が最初に聞こえた。どうやら、丁度なにかしらの報告を終えたところらしい。

「なるほどな…。ひとまず、事情は分かった」

「申し訳ありません。私がいながら、陛下のご命令を全うすることが出来ませんでした」

「まあいい。…それにしても、まさかドラゴンに邪魔立てされるとは想定外だったな。いつの間にあの男は、そんな頼もしい協力者を飼い馴らしたんだろうか?」

「飼い馴らしたかどうかは定かではありませんが、我々を妨害したドラゴンは積み荷を背負っておりました。人間的な物言いで人語を扱っていたところも含め、私はヴァンハルト王国が所有する例の個体ではないかと思っています」

「ヴァンハルト王国…。それでは、お前たちの邪魔をしたのは人間によって育てられたドラゴンというわけか?」

「恐らく。先代の威厳と攻撃性を失い、格下の魔物相手に尻尾を巻いて逃げたと言われているドラゴンが、あろうことか我々に対して敵意をむき出したのです。

 事実、あのドラゴンは流暢に人間の言葉を操りながらウラベの処刑をやめるよう我々に迫りました。グリフォンどもにかけさせた拘束魔法で動きを封じるようレインに命じたのですが、さすがの彼もドラゴン相手には手も足も出なかったようです」

「そうなのか、レイン?」

 ディアドロスの問いに対する返答は聞こえなかったが、アイリスには申し訳なさそうに首を縦に振るレインの姿が想像出来た。

「ふむ…。育ての親が人であるがゆえに、危機的状況に追い込まれている人間を見捨てられないという保護欲が湧いたのかもしれないな。ところで、本筋からズレるが騎士団の一人を殺した理由はなんだ?」

「ヤツは異世界人のウラベ相手に苦戦を強いられていました。聖なる騎士団に属していながら、身の程知らずにも無様な姿をさらし我々の顔に泥を塗ったのです。その償いとして、処刑致しました」

 アイリスは胸の鼓動が高鳴るのを覚えたが、なんとかそれを抑えながら盗み聞きを継続させた。

「ロディルよ。騎士団を束ねる者として責任感を重んじるお前の気持ちは分かる。国王である私に従順な姿勢を貫く心構えも誇りに思っている。

 しかし、以後無闇な殺生だけは控えるのだ。お前が誰よりも流血を求める性格であるのは理解しているが、だからと言って醜態をさらした自身の部下にまで手をかけるのはよせ」

「ハッ、申し訳ありませんでした。…ところで陛下、里に逃げ込んだウラベはどうされますか?」

「うむ…。明確な抵抗の意思を示したのだから、やはり協力者として迎えるのは不可能だろう。異世界人であることを含め、れっきとした不満分子であるあの男はなんとしてでも抹殺すべきだ。

 しかし、里に身を潜めている限りグリフォンどもがそれを阻止するだろう。おまけに、ヴァンハルト王国の忌々しいドラゴンという厄介な後ろ盾もいる以上、容易に手出しは出来まい。

 しばらくは様子見だが、お前たちには今後もウラベ抹殺の作戦を練ってもらう。よいな?」

「ハッ」

「ロイス、分かったのか?」

「…あッ、はい」

 やや遅れて、ロイスの裏返った声が聞こえた。

 呆れたような深いため息をディアドロスは吐いてから「下げれ」と不機嫌そうに言った。

 アイリスは慌ててそばの柱に身を隠した。

 観音開きの二枚扉が開かれ、中からロディルとロイスとレインの三人が出て来た。

 ロディルは中に向かって一礼しゆっくりと扉を閉めた。

「陛下のご命令通り、これからウラベ討伐に関する作戦会議を練る。レイン、お前は騎士たちを招集して評議室に移動しろ」

 ロディルが言うと、レインは相変わらず素顔が見えないほどフードを深く被った顔を頷かせ、無言のままその場を離れて行った。

「お前はオレと来い」

 と、ロディルは残ったロイスを連れ廊下を歩き始めた。

 柱に隠れながら、アイリスは二人がどこへ行くかを見届けた。

 長い廊下を歩いていたロディルとロイスは、ほとんど使われていない倉庫の前で足を止めた。

 ロディルは扉を開けると、入れと首を振って命令した。

 アイリスはサッと扉に駆け寄ると、再び盗み聞きのスタイルに入った。

 最初に聞こえてきたのは、イラ立ちを宿したロディルの声だった。

「なんだ、さっきの気の抜けた態度は? ただでさえご立腹の陛下の機嫌を余計に損なわせるつもりだったのか?」

「いえ。そんなつもりでは…」

「それに、忘れていないだろうがお前にはウラベの首を斬り落とし、それを陛下に献上するという使命が与えられていたはずだ。だが、お前はあのとき迅速に処刑を行わなかったばかりか、ドラゴンの出現に驚いて腰を抜かしただろう?」

「申し訳ありません」

「謝って済むと思っているのか? お前がモタモタしなかったら、我々の任務は抜かりなく遂行され陛下も満足されていたはずなんだぞ。それなのに、なんてことをしてくれたんだ。え?」

「申し訳ありません…」

「それしか言えないのか? …まったく、使命もまともに果たせないばかりか、神聖な騎士団の顔に泥を塗ってくれるとはな。

 騎士団の中で一番最年少ゆえに隊長のオレが直々にノウハウを教えてやってきたというのに、その努力もまともに実った試しがない。知っているか? お前みたいな恩知らずのことを“獅子身中の虫”と言うんだ」

「………」

「一つ言っておく。フェルナールの森でウラベに苦戦し無様な姿をさらした部下のように、言い訳がましいヤツがオレは嫌いだ。だが、それ以上にオレが嫌いなのは肩書だけが立派な意気地のない腰抜けだ。

 それを知った上で、そんなにビクビク震えているのか? だとしたら、お前みたいな腑抜けはオレの騎士団に必要ない!」

 ロディルの怒号と一緒に鈍い音がし、続いてガシャンッと勢いよくなにかが倒れる音が部屋に響いた。

 反射的にノブに手を伸ばしたアイリスは中へ入った。

 特徴の赤髪と同じくらい顔を真っ赤にしたロディルと、その足元で頬を押さえながら倒れているロイスの姿を彼女は捉えた。

「ロディル! あなた、なにをやっているのッ」

 と、アイリスはロディルを睨んでからロイスを助け起こした。

 重量感のある鎧を装着しているため難儀はしたが、どうにか起き上がらせることが出来た。

「これはこれは、アイリスさま。もうお休みになられたはずでは?」

 と、ロディルは興奮していた表情を元に戻して言った。

「物音が聞こえたから気になって来てみたのよ。それより、どういうつもりなの? 自分の部下をいびるなんて」

「お言葉ですがアイリスさま、これは隊長として当然の措置です。ロイスは陛下からある使命を受けていながら、それを疎かにしたのです。忠誠を誓う者としてあるまじき怠慢です。よって、今一度陛下に従属する立場であることを自覚させるために私はヤキを入れた次第です」

「…なるほど、言いたいことは分かったわ。騎士団を組織する者として当然の措置と言えば、確かにその通りかもしれない。だけど、行き過ぎた指導だけは控えてちょうだい。あなたのその道徳性を度外視した指導法にほかの騎士たちもとても怯えているのよ。いいわね?」

 と、アイリスは毅然とした目でロディルに言った。

 ロディルは不服そうに眉を潜めつつも、一礼し承諾の意を示した。

「…それで、お父さまから受けた使命というのは?」

「申し訳ありませんが、それはお教え出来ません。アイリスさまのお耳には入れぬよう、陛下から念を押されているので」

「エドガー牧師は知っているの? …そういえば、彼の姿をまったく見かけないけれど」

「牧師は存じ上げております。彼は今、退魔の教えを世界的に布教させるためにどのような手段を講じるか、その方法を城の一室にこもって模索されている最中です。ですので、くれぐれもお邪魔をなさらないようお願い申し上げます。失礼します」

 ロディルはアイリスに敬礼すると、未だに顔を青ざめて震えているロイスに軽蔑の一瞥を向けてから部屋を出た。

 アイリスは閉まる扉にフンッと鼻を鳴らしてから、

「大丈夫?」

 と、殴られて赤くなったロイスの頬に手を添えようとした。

 しかし、ロイスはそれを拒んだ。

「申し訳ありませんが、今は一人にさせていただけませんか?」

「もう…。叱られたことをいつまでも引きずるのはよくないわ。ロディルは一番若手のあなたのために厳しくしてるみたいに言っていたけど、本当はただ虐げて楽しんでるだけなんだから。あんな男の言うことなんて、いちいち気にしちゃダメ」

「隊長が自分をそう見ているのは知っています。しかし、忠義に尽くす騎士でありながら陛下の命令を成就出来なかった自分があまりにも不甲斐ないもので…」

「本当にそう?」

「え?」

「さっきは知らないフリをしたけど、命令ってウラベの抹殺のことよね」

「…聞かれていたんですか」

「こっそり聞かせてもらったわ。また、フローラーに叱られてしまうけれど」

 と、アイリスは苦笑してからロイスの目の前へと移動した。

「ロディルはあんなことを言っていたけれど、私はそうは思わない。…ねえ、ロイス。これは自惚れと思われるかもしれないけど、あなたがウラベを殺せなかったのは私に遠慮したからじゃない? お父さまたちによって強引にこの世界に召喚されたウラベを、私は城から脱出させた。

 その経緯があったから、彼を手にかけることに躊躇(ためら)いが生まれたと私は思っているの。…というより、信じているわ。それはつまり、お父さまやロディルの命令に左右されず、自分の意思を主張する勇気があなたに備わっていることの証明じゃないかしら?」

 ロイスは沈黙を貫いたまま唇を噛み締めた。

 そんな彼の目をアイリスはジッと見すえた。

「もしも、私の想像が当たっていたらお願い。あの騎士団から身を引いてほしいの。隊長のロディルは前々から冷酷な男だと思っていたけれど、まさか部下まで平気で殺すなんて…。人の命をその辺りに転がる石ころのようにしか捉えていないあんな冷血漢に、いつまでも従うのはやめてほしいのよ。いずれ、殺された騎士と同じ残酷な末路を辿ってしまわないか心配で仕方がないわ。だって、私はあなたをーー」

「つまり、アイリスさまはこうおっしゃりたいわけですか? 私が騎士団に相応しい人材ではないと」

「そうじゃなくて、私はただ…」

 と、アイリスは言いかけてから口をつぐんでしまった。その顔が徐々に赤みを帯び始めたが、彼女から目を背けていたロイスはそれに気付かなかった。

 無言で部屋を出て行こうとするロイスを、アイリスは悲しげな声で呼び止めた。

 ノブに手をかけたまま、ロイスは大きく深呼吸した。

「生半可な自分を擁護していただいたことは感謝しています。しかし、騎士団に属する身となってから自分は、陛下と隊長の命令には忠実に従い満足していただける成果を挙げようと誓いました。その誓いを立てた以上、個人的な思惑で騎士団を抜け出すわけにはいきません。

 ウラベの抹殺を果たせなかったのは、あくまで私に意気地がなかったにほかならず、決してアイリスさまへの配慮からではありません。…ですので、どうか思い上がりはお控え下さいませ。失礼致します」

 アイリスに背を向けたままロイスは会釈すると、震える足で部屋を出て行った。

 閉まる扉を呆然と見つめてから、アイリスは微笑を浮かべた。

「立派よ、ロイス。騎士として確固とした忠誠心を胸にお父さまたちに仕えるあなたは、あきらかに昔よりも大きく成長したわ。そんなあなたを私はとても誇りに、そして嬉しく思っているわ。…でも、今のあなたはその呪縛に囚われて自分自身を見失いかけている。眷属である以前に一人の人間であることを見失う前に、私はどうしても騎士団から身を引いてほしかった。だって、()()()()()()()()()から…」

 口元を震わせるアイリスの瞳から、一滴の涙がこぼれ落ちた。

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― 新着の感想 ―
なんとなくそんな雰囲気はしてましたが、やっぱり単なる幼馴染みだけでなく恋心をアイリスはロイスに寄せていたんですね〜。憲兵騎士団に属する騎士としての呪縛に囚われてアイリスよりロディルたちに身を捧げるロイ…
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