第十九章 絶体絶命
無抵抗となった浦辺たちを、騎士たちはロディルの所まで連行した。
「ルミウス!」
複数の騎士たちを前に立ち尽くしている夫を見、ただならぬ気配を感じたイザベラが叫んだ。
〈大丈夫だ。魔法で動きを封じられているだけだから心配いらない。それより、キミたちは平気か? …テオ、どうしたんだッ〉
と、ルミウスは足元をフラつかせている息子を見て狼狽した。
〈だ、大丈夫…。母さんを守ろうとして、ちょっと無茶しちゃっただけだから…〉
と、テオは心配させまいと無理に笑顔を見せて言った。
ルミウスは頭に血が上るのをどうにか抑えながらロディルを見た。
〈貴公たちの指示通り、おとなしくオスニエルの城へ行く。しかし、せめて妻と息子だけは見逃してやってくれ。お願いだ〉
〈生憎、そういうわけにはいかないのでね。陛下と牧師は、貴様とその家族を一緒に連れて来るよう我々に命じられた。陛下の命令は絶対ゆえに不備があってはならない。よって、お前たち三人揃って城へ連行する。…が、その前にもう一つの命令を実行しなくてはな〉
と、ロディルは言ってから浦辺を見た。
「思った通り、この里に身を隠していたな。オスニエルから逃げ延びてさぞ得意になっていただろうが、読み通りの場所に向かって知能の低さを露呈させるとはな。やはり、異世界人は愚かだというオレの見解は正しかったわけだ」
と、ロディルはわざと挑発的な言葉を並べたが、浦辺は意に介さず受け流した。
それからロディルは、騎士たちの一人を指差して来いと手招きした。
フェルナールの森で浦辺と熾烈な格闘を繰り広げ、騎士たちが乗ってきた四頭の馬を引き連れて戻ったブロンドの騎士が、緊張に満ちた面持ちでロディルのそばへと駆け寄った。
「なにか言うことがあるんじゃないのか?」
ロディルが言うと、騎士は目を泳がせた。
「それじゃあ、こっちから聞いてやる。その顔の傷はどうしたんだ?」
「えっと、その…」
「なんだ? さっさと言え」
「も、森で女とグリフォンの子どもを見付け連れ出そうとした際、突然あの異世界人が現れて盾突いてきて…」
「そんなことはおおよそ察せられる。その顔の傷はどうしたんだとオレは聞いているんだ。まさか、丸腰の相手一人に手間取ったわけじゃないだろうな?」
と、ロディルは詰問口調で言った。
「…申し訳ありません。ただの異世界人と見縊った結果、こんなことに…。本当に申し訳ありません!」
と、ブロンドの騎士はひどく恐縮した顔で何度も頭を下げた。
そんな相手を軽蔑の眼差しで見下ろしながら、ロディルは聞こえよがしに大きなため息を吐いた。
「武器を持っていながら丸腰の相手一人に翻弄されるとは、なんてザマだ。しかも、そいつは愚かで軟弱な異世界人。そんな男に手こずるとは、騎士としての自覚はあるのか?」
「し、しかし、隊長。お言葉ですがヤツは我々が思う以上に手強く、洗練された奇抜な身体術を駆使してきたのです。とても容易に太刀打ち出来る相手ではーー」
「言い訳するなッ!」
怒号を上げたロディルは馬に乗ったまま鞘から剣を抜くと、目にも止まらぬ速さで風を切るようにブンッと横に振った。
ブロンドの目がカッと見開き、首に一筋の赤い線が入った。
赤い線からドッと血が溢れ出た刹那、硬直した騎士の頭がブロンドの長髪をなびかせながら地面に落下した。
グロテスクな断面を露わにした首のない胴体が膝を突き、前のめりに倒れた。
カッと目を見開いた生首が、ロディルが乗る馬の足元をコロコロと転がった。
テオがたまらず声を上げて泣いた。そんな息子を母親のイザベラは抱き締めたが、彼女自身も目の前で起きた残虐な出来事に声を出せずに震えていた。
突然の隊長の凶行に、部下の騎士たちも当惑顔で狼狽えていた。
恐怖と困惑で支配された一同をよそに、ロディルは血で赤く染まった剣をうっとりと眺めた。
「やはり赤は美しい…。まさに死を象徴する美の輝きだ」
と、ロディルは憑かれたような目で見惚れた後、おもむろにその血を舌で舐めた。
人殺しの快楽に浸るロディルを見て浦辺は激しい嫌悪感を抱いた。
俄然、ロディルは口に含んだ血をペッと吐いた。
「しかし、オレがなにより拝みたいのはこんな役立たずの流す血ではない。ウラベ、貴様の血だ。お前の体に流れる薄汚れた異世界人の血を、オレはなによりも拝みたい。それこそが、オレにこの上ない快感をもたらしてくれるのだ」
〈ロディルよ。貴様は人間の皮を被った悪魔だ〉
と、ルミウスは吐き捨てた。
〈フンッ。汚らわしい魔物風情に悪魔と罵られる覚えはない〉
「いいえ、あなたは悪魔よ」
声のした方にロディルは顔を向けた。
怯える息子に手を添えながら毅然と立つイザベラの姿があった。
「ほぅ…。さすが、グリフォンに抱かれた女だけあって勇気があるようだな。おい、その女をこっちへ連れて来い」
と、イザベラのそばにいる騎士にロディルは命じた。
〈妻になにをする気だッ〉
ルミウスが声を上げながら動かぬ体を必死に動かそうともがいた。
長に続くように群れのグリフォンたちも自由を得ようともがいたが、その努力は徒労に終わった。
騎士がイザベラの腕を取ると、テオが体を震わせながらも母親を守ろうと口角を上げた。
しかし、イザベラになだめられたためテオは呆然と肩を落とした。
そんな息子に笑みを向けてから、イザベラは騎士に連れられロディルの所へと移動した。
ロディルのそばに来たとき、イザベラは彼によって惨殺された騎士の遺体を間近で見ることになり青ざめた。恐怖にかられる彼女に追い打ちをかけるように、血なまぐさい臭いが鼻孔を刺激する。
馬から降りたロディルは、イザベラの前に立つと金色に輝く彼女の長髪に手を添え、味わうように指先でなぞった。
「こうして近くで拝むと、中々の美人じゃないか。異世界にも、お前のような美貌を持つ女がいるとは知らなかった。あのグリフォンに犯され欲情したときなど、さぞ可憐だっただろう」
無遠慮に触れる相手に顔を背けてからイザベラは唇を噛み締めた。
「…教えてくれ。グリフォンにその身を捧げたとき、どんな感情に支配された? 絶頂に達したとき、恐ろしくはなかったか? どんな得体の知れない子が生まれるか、果たしてその先に幸せがあるか、不安ではなかったか? お前の愛した相手は人間ではなくてグリフォン。…そう、魔物、悪魔だ。その悪魔と契りを結んだことを、本心では後悔しているのではないのかとオレは思っているが、どうだ?」
途端に、イザベラはロディルの手を払い除けてからキッと睨んだ。
「私は誰よりも彼を愛しているし、彼も誰よりも私を愛してくれている。もちろん、私たちの元に生まれてきてくれたテオも…。私はルミウスとテオとの暮らしに幸せを見いだしているし、彼を夫として迎えたことに一度も後悔なんてしていないわ。
たとえ同じ人間の姿をしていなくても、私たちには家族としての揺るぎない絆が築かれているからよ。私の家族は悪魔なんかじゃない。それを分からないあなたこそ正真正銘の悪魔よ」
不安と恐怖が胸の中で渦巻く中、イザベラは相手の目を見すえながらハッキリと言い張った。
「…では、魔物とは別格の真の悪魔の味を教えてやろう」
不気味な笑みを浮かべたロディルは、イザベラの顎に手をやると強引に引き寄せて口元にキスをした。
イザベラは必死に抵抗したが、言うまでもなくロディルの力には敵わなかった。
〈イザベラ!〉
ルミウスが叫んだ。
父親の叫びで勇気を得たテオが、そばにいた騎士に体当たりを食らわせてからロディルに向かって猛然と駆け出した。
が、一人の騎士に飛びかかられて阻止されてしまった。
重量感のある鎧を装着した騎士に押さえ付けられたテオの口から苦しそうな声が漏れた。
〈よせ、息子に手を出すなッ!〉
ルミウスの叫びが里にこだました。
次に動いたのは浦辺だった。
彼は、横にいた騎士の一人を思い切り突き飛ばした。
異変に気付いたもう片割れの騎士に襟首を掴まれたが、浦辺はとっさに身を翻して騎士の腕を脇に挟むとグッと力を込めた。
体を斜めに傾かせた騎士の顔に向かって強烈なストレートパンチを繰り出す。
大きくのけ反った騎士はそのまま地面に倒れた。
拘束から逃れた浦辺はテオを助けるべく駆けたが、その行方を今度は別の騎士が阻んだ。
騎士は鞘から剣を抜いて構えたが、その手に向かって浦辺は右から左へ放物線を描くように右脚を振り上げた。足は騎士の手に直撃し、持っていた剣が手元から離れ地面に落下した。
そのまま浦辺は体を回転させると、鎧に覆われた騎士の腹に後ろ蹴りを食らわせた。
背中から地面に倒れた騎士を飛び越え、浦辺はテオを助けようと再び駆け出した。
が、背後から迫った騎士に後頭部を殴られ昏倒してしまった。
「浦辺さん!」
イザベラが叫んだ。
突っ伏して意識を朦朧とさせる浦辺を騎士が強引に立たせた。
〈…頼む。これ以上、家族や仲間に危害を加えないでくれ。お願いだ〉
と、ルミウスは懇願した。
ロディルは勝ち誇ったような笑みを浮かべイザベラを解放した。
イザベラは真っ先に地面に倒れているテオに駆け寄った。
怒りと恐怖で涙を流すテオを、イザベラはギュッと抱き締めた。
「…しかし、どいつもこいつも役に立たない連中ばかりだ。異世界人ごときに引けを取るとは、情けないにもほどがある。…まあいい、とにかくこんな所に長居は無用だ。さっさと用を済ませてこいつらを城へ連行するぞ。ロイス!」
ロディルの声でドキッとしたロイスは、またがっていた馬から飛び降りるとそつのない動きで隊長の元へ駆け付けた。
「陛下がお前に与えた使命は分かっているな?」
「…はい、ロディル隊長」
「では、抜かりなくやれ」
「ハッ」
「そいつをこっちへ連れて来い」
ロディルの命令で、騎士が取り押さえた浦辺を連れて歩き出した。
〈なにをする気だ?〉
と、ルミウスが動揺しながら聞いた。
「決まっている。異世界人の首をこの場で斬り落とすのだ」
〈なんだとッ。…まさか、国王のもう一つの命令と言うのは?〉
「察した通りだ、ルミウスよ。陛下と牧師は貴様たちを見付け出す手段として、この男を協力者に迎え入れようと考えられた。しかし、こいつは陛下たちへの協力を惜しみ反抗したばかりか脱走まで図った。もはや協力を仰ぐのは不可能と判断された陛下は、ウラベの首を持って帰って来いという命を我々に与えられた。陛下の命令に従い、私の部下であるロイスが今この場でこの男の首をはねる」
〈よせッ! おとなしく従う。だから、彼に手出しをするなッ〉
「私も素直に従うわ! だから、やめてちょうだいッ」
必死に叫ぶ二人をロディルは無視すると、不敵な笑みを浦辺に向けた。
「お前の命運も尽きたようだな、ウラベ。本音を言うと、異世界人の貴様を我ら騎士団の手で葬るのは忍びないが、これも陛下から承った使命ゆえ致し方ない。聖なる我ら騎士団の手であの世へ旅立てることをありがたく思うんだな」
「なんとでも言え」
ボンヤリする意識の中、浦辺はロディルの顔を見て吐き捨てた。
憤慨した騎士が浦辺をその場にひざまずかせた。
「…ロイス! なにをボサッとしている? 早くやれッ」
ロディルがわめくと、剣を握ったまま棒立ちしていたロイスはハッとし、慌てて剣を両手で構えた。
地面に膝を着いた浦辺の横に来たロイスは、ぎこちない動きで剣を掲げた。
次第に薄れる意識の中、浦辺は死への覚悟を決めた。日本でも度々殺されかけ死を悟った瞬間はあるが、異世界という地ゆえに妙な新鮮味を彼は感じた。
「やめてッ!」
イザベラの叫び声がした。
そして、それをかき消すほどの凄まじい咆哮。
ざわつく現場を覆う巨大な影。
その正体を捉える前に、浦辺は気を失った。




