第十八章 一騎打ち
イザベラとテオは、足を止めることなく森の奥に向かって走り続けた。テオは浦辺が気がかりなのか、走りながら何度も後ろを振り返ったが、そのたびにイザベラは振り返らないよう注意した。
(浦辺さんならきっと大丈夫)
そう信じていたからだ。
「危ない!」
突然、テオがイザベラに飛びかかった。
テオと一緒に倒れたイザベラは、目の前の木に鋭利な剣が横殴りに食い込む瞬間を見た。
木陰から現れた一人の騎士が、食い込んだ剣を抜いた。
態勢を整えたテオはイザベラの前に出ると、体を低くして騎士に威嚇した。
「子どもと見縊っていたが、中々の反射神経だ。だが、所詮は未成熟の個体。我々の敵ではないな」
と、騎士はブロンドの長い髪をなびかせながらニヤリとした。
〈母さんに手を出すな!〉
と、テオは騎士に飛びかかった。
それと同時に、騎士は剣を俊敏な速さで振った。
ルミウスが張った結界魔法の効果で、テオは剣の刃を肉体に受けずに済んだが、光の粒子が飛び散ったと同時に攻撃の反動を受け吹き飛ばされてしまった。
テオは、近くに生えていた木にしたたかに体を打ち付けた。
「テオッ!」
イザベラは叫びながらテオに駆け寄った。
〈だ、大丈夫…だよ〉
と、テオは言ったがその体はブルブルと震えていた。
「手間取らせるな。我々は陛下と牧師から、お前たちを連れて来いという命を受けている。おとなしくオスニエルの城まで来てもらうぞ」
と、騎士が近付きながら言った。
「誰が行くもんですか…!」
イザベラは相手を睨んだ。
「強情な女め。ならば、力ずくで連れて行くまでだ」
と、騎士はイザベラに手を伸ばそうとした。
そのとき、茂みから飛来したなにかが騎士の胸に激しい一撃を食らわせた。
鎧に受けた打撃でたたらを踏んだ騎士は、忌々しそうに突然現れた存在を睨み付けた。
「やっぱり並大抵の硬さじゃないな」
飛び蹴りを食らわせた浦辺は足をさすりながら言った。
「貴様が城から脱走したウラベだな。やはり、この里に逃げ込んでいたか。丁度いい。女とグリフォンを連れ出すついでに、貴様をあの世に葬ってやる」
「どうやら、ボクの抹殺命令が出たみたいだな」
「さよう。陛下たちは、もはや貴様の協力は期待出来ぬという結論を下された。覚悟するんだな」
と、騎士は持っている剣を前に突き出して構えた。
浦辺も構えながら、相手の特徴を観察した。
あらゆる攻撃を受け付けない頑丈な鎧を身にまとい、足にも防具を装着している。
一見、防御面は徹底的に完備されているように見えるが、唯一顔のみは無防備な状態だった。
しかし、ここで新たな壁が立ちはだかる。
見たところ、相手の身長は目測でおよそ一九〇弱はあると思われる。
一方の浦辺は、一七五弱である。
いくら柔軟な体をしている浦辺でも、自身より大きな身長をしている相手の顔に打撃を食らわせるのは容易ではなかった。
(そこをどうするか?)
と、浦辺が考えたとき、突然騎士が野太い声を上げて猛進した。
ひとまず考えるのをやめた浦辺も突っ込んだ。
騎士が真上に振り上げた剣を振り下ろす前に、距離を詰めた浦辺は体を回転させながらジャンプすると、鎧に守られた相手の腹に向かって後ろ蹴りを繰り出した。
足への負担は相当なものだったが、それを承知で力を込めたのが功を奏し、騎士は剣を振り上げたまま後退った。
そのまま、浦辺は騎士の腹に向かって横蹴りを連続で繰り出した。
重量感のある鎧を装着した相手を地面に倒せば起き上がるのに時間を有するため、そのスキを見てイザベラたちを逃がそうと考えていた浦辺は、相手が倒れるまで蹴りを繰り返した。
矢継ぎ早に繰り出される蹴りで後退していた騎士だったが、不意に足に力を込めて踏ん張ると、迫る浦辺に向かって剣を振り下ろした。
浦辺は反射的に両腕をクロスさせてかばった。
剣は結界魔法の見えない壁によって防がれ、耳障りな金属音を立てた。
チッと騎士は舌打ちをした。
「忌々しいグリフォンめ、こいつにも結界を…。しかし、いつまでも効果があるとは限らない」
と、騎士は気を取り直して再び剣を構えた。
結界魔法のおかげで命拾いした浦辺はルミウスに感謝してから、油断は禁物だと自分に言い聞かせた。騎士が言ったように、時間経過で結界の効力が切れてしまったら、それこそもろに鋭利な刃が肉に食い込んでしまうからだ。
互いに身構え、血走った目で睨み合う二人。
騎士が浦辺の首に目がけて剣を横に振った。
俊敏な動きで浦辺が身を屈めると、その動きを読んでいたかのように右にスライドした剣を、今度は足元目がけて左にスライドした。
シュッと風を切る音が切れ味のよさを物語る。
なんとかジャンプしてそれを回避した浦辺だったが、着地した途端に足元をフラつかせてしまった。軽快なフットワークが自慢の浦辺だったが、先ほどの連続蹴りによって蓄積した片足の負担が思いのほか大きかったらしい。
どうにか浦辺はバランスを保った。が、そんな彼に向かって騎士は体を斜めにするとタックルをかました。
結界のおかげで鋼鉄の打撃からは免れたものの、テオのときと同じように衝撃で吹き飛ばされた浦辺は、背中を勢いよく木に打ち付け地面に倒れ込んでしまった。
「浦辺さん!」
イザベラが叫喚した。
両手を地面に突いて体を起こした浦辺は、地面に座り込んだ状態で木にもたれた。
「フンッ。威勢があるわりには歯応えのないヤツだ」
と、騎士は剣を肩に乗せながら浦辺に近寄った。
すぐ目の前に迫ったとき、浦辺はとっさに右足を突き出して、防具に覆われた騎士の脚に打撃を与えた。
突然の攻撃を受けた騎士が前屈みになって頭を下げた瞬間、身を起こした浦辺は相手の両肩に手を乗せ、勢いのある膝蹴りを額にお見舞いした。
騎士がのけ反ると、浦辺は騎士の腹に背中を押し付けた状態で剣を握っている腕を脇に挟んだ。
自身の腕よりも太い腕を脇に挟みながら浦辺は必死に力を込めた。しかし、それに抗うように騎士の腕の筋肉が盛り上がる。
俄然、騎士が持て余していた方の手を使って浦辺の首を絞めた。
息苦しさが襲う中で騎士の憤怒に満ちた鼻息が背後から聞こえたが、浦辺は構わず脇に力を込め続けた。
互いに歯を食い縛りながら膠着状態が続いたが、埒が明かないと思ったのか騎士は首から手を離すと今度は浦辺の横腹を殴った。
浦辺は脇の力を緩めてしまったが、とっさに踵で相手の脚を蹴り付けた。
その拍子で再び前のめりになった騎士の顔に向かって、浦辺は肘打ちを繰り出した。
鼻の折れる音が聞こえたと同時に、飛び散った鼻血が浦辺の肩に降り注いだ。
悶絶する騎士の手首を浦辺が力一杯ひねると、相手はたまらず剣を手放した。
地面に落ちる寸前で浦辺は剣を思い切り蹴飛ばした。
クルクルと回転しながら剣は木陰の中へと吹き飛んだ。
騎士が浦辺の髪を掴んで、勢いよく前方へ放り出した。
浦辺はたたらを踏んだがグルッと体を前に回転させて受身を取った。
すぐさま態勢を整え、騎士と睨み合う。
「武器は失ったが見縊るなよ。お前ごとき、素手で充分だ」
鼻からドクドクと流れる血を忌々しそうに拭ってから騎士は言った。乱れたブロンドの隙間から覗く両目は、怒りで大きく見開かれていた。
(やはり、狙うなら顔だな)
と、浦辺は構えたまま相手をジッと見つめた。
防具で守られた脚への攻撃は怯ませる効果をもたらしても、ダメージを与えるのは難しかった。確実に相手の体力を奪うには、やはり無防備な顔を狙うしかないのだ。
しかし、一〇センチ以上の身長差というハンディキャップが相変わらず大きな壁として立ちはだかっている。しかも、単調な打撃技では簡単に怯まないタフネスさを誇っているのも厄介だった。
今のように接近戦で地道に攻撃を与え続けても、いずれは力強い反撃を食らってしまうのは目に見えている。
となると、求められるのは頭部への強力な一撃だ。
(アレを試してみるか)
浦辺は、昔知り合いから借りて観た格闘映画のワンシーンで披露されたある技を思い出した。
実践したことがないため自信はないのだが、現段階で相手の唯一の弱点である顔に、それも強力な一撃を繰り出せる技はそれしか思い浮かばなかった。
一か八かの賭けだった。
騎士と向かい合いながら、浦辺は周囲に視線を走らせた。
すぐそばに、大きな切り株があった。
(これを使おう)
浦辺は構えながらゆっくりと切り株のそばへと移動した。
それに合わせ、騎士も身を低くしながら移動した。
浦辺と騎士は、切り株を挟むように対峙した。
浦辺は切り株までの距離を測ってから、少し身を引いた。とっておきの技を繰り出すに当たって、必要不可欠な助走を付けるための距離を確保するためだ。
それを怯えと捉えたのか、騎士は口角を上げると後先を考えない獰猛な獣のごとく怒声を上げて駆け出した。
成功するだろうか、という一抹の不安を浦辺は払い除けながら精神を集中させた。
騎士が一定の距離に近付いた瞬間、浦辺はステップを踏みながら助走を付けた。
切り株に両足を乗せたとき、騎士はすぐ目の前に迫っていた。
浦辺は目を見開くと、切り株に乗せた両足を弾ませてジャンプをし、そのまま体を前に回転させた。
助走により勢いよく跳躍した浦辺は、胴体を軸にして体を斜め前に回転させると、そのまま一直線に伸ばした両足の踵で騎士の顔に強烈な蹴りを繰り出した。
胴回り回転蹴りである。
「ぐはッ!」
考えもしない荒技を顔面にもろに受けた騎士は、蹴られた衝撃で勢いよく背中から地面に倒れた。
技を成功させた浦辺も相手のそばで背中から地面に倒れた。
顔を押さえながら悶える騎士の横で、咳込みながら浦辺は立ち上がった。予想通り、屈強な相手への打撃技としてはベストなチョイスだったな、と浦辺は思ってから無事に成功したことにホッとした。
「今のうちにーー」
と、イザベラたちの方を向いた浦辺の表情が強張った。
キノコの胞子に包まれて怯んでいた三人の騎士が、いつの間にかイザベラとテオを囲いながら剣の切っ先を向けていたからだ。
「それ以上抵抗すれば、どうなるか分かっているな? おとなしく我々に従えば危害は加えない。だが、逆らい続けるなら…」
騎士が刃先を近付けると、イザベラはテオを守るかのようにグッと抱き締めた。母親に守られているテオは、苦しそうにヒュー…ヒュー…と息を鳴らしながらも、悔しそうに身を震わせていた。
浦辺は気力を失ったように肩を落とした。
 




