第十七章 対峙
ルミウスの咆哮で、群れのグリフォンたちが一斉に招集された。
集まったグリフォンたちは、深刻そうな顔を浮かべている長のルミウスを前にして、揃って緊張に満ちた面持ちを浮かべた。
〈長、今度はなにがありましたか?〉
と、一頭のグリフォンが尋ねた。
〈人間が我々の里に近付いている。それも複数だ〉
〈人間…。ひょっとして、以前里に訪れた騎士たちですか?〉
〈その可能性が高い。みなの者、気を抜くなよ〉
ルミウスの号令に合わせ、グリフォンたちは隊列を組んだ。
彼らが警戒態勢を整えてから間もなくして、馬にまたがった大勢の騎士たちが地鳴りのような音を立てて里に接近してきた。
物々しい雰囲気に包まれた騎士たちを先導するのは、赤い髪を照り付ける太陽でギラギラと輝かせる騎士だった。
浦辺から城の人間の特徴を聞いていたルミウスは、即座にその男が憲兵騎士団隊長のロディルであると悟った。
ロディルが手を上げると、馬にまたがった騎士団は一斉にその場で停止し、隊列を組んでいるグリフォンたちと向かい合った。
〈貴公は何者だ?〉
と、相手の正体を知りつつもルミウスは尋ねた。
「私は憲兵騎士団を束ねる隊長のロディルだ。グリンメル王国を統治する偉大なるディアドロス国王陛下の忠実なる家来であり、王国の秩序と軍事的事案の采配を司る者だ。我々は以前この里に訪れている。よって、再びこの地に足を運んだ理由は承知の上だろう?」
〈既に群れの者から話は伺っている。私が留守の間に、後ろに従えている騎士たちを率いて現れたそうだな〉
「ほぅ…。では、お前がルミウスか。人間の女とまぐわって愚かにも子をなした罪深きグリフォンの」
と、ロディルが蔑むような眼差しでルミウスを見た。
長を侮辱されて憤ったグリフォンたちが、前足を蹴って闘争心をむき出した。
相手側の騎士たちもグリフォンの動きに反応して剣に手を伸ばしたため、またたく間に一触即発の状況に陥ってしまった。
白い羽を逆立てて殺気立つグリフォンたちをルミウスは無言の圧力で落ち着かせてから、
〈ここへ来た目的はなんだ?〉
と、ロディルに向かって尋ねた。
「目的はお前だ、ルミウス」
〈私?〉
「陛下はオスニエルの城でお前との対談を望まれているのだ」
〈対談? なんのために?〉
「聞かずとも分かるだろう? 魔物と人間が共存する今の世を築き上げたのが、ほかならぬお前だからだ」
〈ディアドロス国王はそれが不服なのか?〉
「なにを分かり切ったことを…。歴代の国王が統治する時代から、グリンメル王国が魔物を忌み嫌っていることはあらかた承知しているはずだ。我々が里へ赴いたその日から、密かに我が王国の情報を探っていただろうからな」
〈確かめてみただけだ。それで?〉
ルミウスが先を促した。
「魔物とは元来、狡猾で凶暴な性格を秘めた恐るべき魔族の類いであって、決して異種族との共存など果たせない存在なのだ。ましてや、人間とともに生活を営むなど断じてあってはならないこと。歴史的にも魔物は、人間の脅威として古来よりその存在を恐れられている。しかし、お前は歴史の根源的な事実をねじ曲げてしまう愚行を働いた。あろうことか人間の、それも我々の世界とは別の世界の女性とその身をまじわり、そして子を儲けた。人間と魔物の血が流れる汚らわしい混血児をな」
最後の言葉を聞いた瞬間、ピクリと眉を動かしたルミウスは無意識に口角を上げた。が、興奮する群れを鎮めた自分が感情的になりかけたことにハッと気付くと、グッと歯を食い縛って自制した。
「魔物が身近な存在としてともに生活を営んでいる現状が、いずれ人間たちを滅亡に追いやる重大な火種になると陛下は懸念されている。将来的に訪れると思われている恐ろしい未来が実現しないため、陛下は王都の教会からエドガー・クロード牧師を我らの導師として迎え入れ、彼が作り出した対魔物の思想である退魔の教えという教義を広める活動に尽力されている。その活動を行うに際し、一度お前との対談を望まれているというわけだ」
〈対談とはどういうものだ?〉
「どういうものだ、とは?」
〈文字通り、対になって会談するという意味なのか?〉
「言うまでもないだろう」
〈しかし、それにしては貴公たちの物々しさが妙に気がかりだ。穏便な話し合いが設けられるのであれば、私は国王を説得する自信を持って対談に臨もう。だが、なにかよからぬ企みを秘めている疑いがある以上、私は貴公らの要望に応えるつもりはない〉
「随分と用心深いな。…もしや、誰かに我々のことは信用するなとでも忠告されたのか?」
と、難色を示すルミウスにロディルは目を細めた。
〈そうではない。貴公たちから漂う不穏なオーラを感知した私なりの措置だ〉
「では、私が保証しよう。決して、手荒な真似はしない。陛下はあくまで平和的な対談を望まれていて、無益な争いを発展させる気は微塵もないと申されている」
〈それを信ずる根拠は?〉
「ない。だが、お前は先ほど陛下を説得する自信を持って会談に臨むと言い張っただろう。もしも拒否すれば、陛下は二度とこの機会を設けようとはお考えにならなくなる。そうなれば、折角舞い込んだ説得のチャンスは失われてしまうことになるぞ。それでも構わないのなら好きにするがいい」
と、ロディルはルミウスの目を見すえながら言った。
ルミウスは胡散臭さを抱きつつも、心の奥底で国王に魔物への偏見を改めてもらいたいという気持ちが勝り、ロディルに頷いた。
「納得したようで安心したぞ。…では、ルミウスよ。決意したところでお前の妻子もこの場に呼んでもらいたい」
途端に、ルミウスは眉を寄せた。
〈私は国王に魔物への認識を改めてもらうための説得を試みるつもりだ。妻と息子が一緒に行く必要はないだろう〉
「いや、ある。彼女たちも共存社会を築いた関係者ゆえ、陛下は一緒にお連れするようにと申されている」
〈なぜだ? 妻は異世界の人間で、息子はこの世に生を授かってまだ五年ほどの歳月しか経っていない。どちらもこの世界の実情に関する知識が豊富でないゆえ、国王と謁見したところで会話に追いつけるはずがないだろう。とすれば、私だけで充分のはずだ〉
「ダメだ。全員揃って城に来てもらう」
〈理由を窺おう〉
「つべこべ言うな! そもそも、陛下への説得を試みると言ったのは貴様の言い分であって、陛下は貴様から説教を受けるために対談を求めているわけじゃない。そこを勘違いするな!」
と、ロディルは初めて感情を露わにした。
緊張感に満ちた睨み合いが続く中、ルミウスは興奮するロディルの顔をジッと見つめながら口を開いた。
〈悪いが、気が変わった。やはり、貴公たちにはなにか不吉な空気が漂っている。対談を表面的な理由としつつ、実際は我々を城に誘き寄せてから出し抜けに拘束する計画を練っているのではないのか?〉
興奮が冷めたロディルは図星を突かれたように動揺の色を一瞬顔に表したが、やがてそれは不敵な笑みに変化した。
「なるほど。やはりお前たちは、城から抜け出したウラベをこの里に匿っているな。ヤツから城でのことを耳にしたからこそ、そのように警戒しているのだろう?」
〈だとしたらどうする? 力ずくで彼を捕まえるため、我々に立ち向かうつもりなら悪いことは言わない。潔く引き上げるのが賢明だぞ。魔物と人間が平和に暮らす世である以上は気が進まないが、貴公らから明確な攻撃性を見いだした場合、我々は容赦なく対抗するぞ〉
ルミウスが身構えると、彼の背後で隊列を組んでいたグリフォンたちも一斉に身構え、抵抗の意思を示した。
しかし、ロディルは余裕綽々の表情で構えていた。
「確かに、我が手勢は武力行使が専門で魔術には無縁だ。魔力を自由自在に操るお前たちと張り合ったところで、勝敗はおのずとハッキリするだろう。しかし、そんなことはとうに見越している。だからこそ我々は、強力な助っ人を同伴して来たのだ」
と、ロディルが得意気に言った刹那、騎士たちに混ざって馬にまたがっていた修道僧が馬から降りた。
「紹介しよう。彼はディアドロス国王陛下の忠実なる側近であるレインだ。高度なスキルを要する魔導士でもある」
フードで顔を隠したレインは、ルミウスたちに向かって慇懃に頭を下げた。
魔術を駆使する魔導士の唐突な出現で、ルミウスたちの間で緊張感が増した。過去にグリフォンの里を別の国に襲われた際、大勢の魔導士たちが繰り出した攻撃魔法で里は破壊され、ルミウスたちも深刻な深手を負わされたからだ。
ルミウスたちから動揺の色が表れたのを確信したロディルは、四人の騎士に向かって一点を指差した。
その方角には、フェルナールの森があった。
隊長の合図に気付いた四人の騎士が、フェルナールの森へ向けて馬を走らせた。
それを阻止しようとルミウスが動いたと同時に、レインが両手を掲げた。
途端に、ルミウスは身動きが取れなくなってしまった。
彼だけでなく後ろにいたグリフォンたちも同様に、まるで金縛りに遭ったかのように動けなくなってしまった。
〈クッ…。拘束魔法か…〉
「その通り。通常は精々一体か二体が限度だが、このレインは魔導士の中でも人並み以上の魔力を発揮することが出来るのだ。貴様たちを一体残らず拘束することくらい、彼にとっては造作もないのさ」
と、ロディルは体の自由が利かずに戸惑っているグリフォンたちを見下すような眼差しで見た。
悔しさと困惑で歯噛みしながら、ルミウスは目だけを動かしてフェルナールの森へ向けて馬を走らせる騎士たちの後ろ姿を見た。
(すまない、ウラベ。イザベラとテオを…)
もはや、今の彼にとって頼れるのは異世界人の浦辺道夫ただ一人だった。