第十五章 保護者
「実は、一つ気になっていることがあるんです」
早朝、雲一つない青空の下で浦辺は隣にいるルミウスに言った。
〈気になることとは?〉
地面に体を伏せていたルミウスが首を傾げて浦辺を見た。
「エドガー牧師のことです。昨夜も触れましたが、彼は魔物に愛娘を殺された過去があります。それが原因で牧師は魔物を憎むようになったと、ディアドロス国王のご令嬢アイリスは教えてくれました。それを聞いたとき、ボクは真っ先にある疑問を抱きました。召喚術でわざわざ呼び出したボクを協力者として抱き込もうとした牧師は、どうしてその話を持ち出さなかったんだろうかと」
〈つまり、こういうことか。愛娘の不慮の死を持ち出せばキミを仲間に引き込みやすくなるはずなのに、なぜか牧師はそうしなかった。それが不思議というわけだな?〉
「そうです。悪い言い方になりますが、身内の不幸をネタにすれば相手への同情心を得られやすくなると思うんです。初対面で退魔の教えについて語っていたときのエドガー牧師は、なにがなんでも理想と求めている対魔物の世を取り戻そうと強く意気込んでいるのが見受けられました。となると、愛娘の死を伝えて同情を得ようと考えてもおかしくないんじゃないかと、ボクは思ったんです」
〈不躾な質問ですまないが、キミには生涯をともにすると誓い合った伴侶はいるのか?〉
「いません」
と、浦辺は即答した。
ルミウスは意外そうな顔をしてから納得したように頷いた。
〈イザベラと契りを結ぶ以前の私なら、恐らく今のキミと同じ疑問に突き当たっただろう。しかし、妻と子を持つ父親となった今ならその理由が分かる気がする。いくら熱心な宗教家とはいえ、牧師も子を持つ一人の父親だったわけだから、愛する娘の不幸を利用して説得を試みることに抵抗があったんだろう〉
「本当にそうでしょうか…」
と、浦辺は思案顔で目の前に広がる里の自然を眺めた。
〈腑に落ちないか? ならば、キミも早く伴侶と呼べるパートナーを見付けるといい。きっと、私の言う気持ちが分かるだろう。幸い、この世界の女性は膂力のある男であれば大抵虜になる。不撓不屈の精神と力強さを備えたウラベなら、苦労することなく相応しい相手が見付かるはずだ。私が保証しよう〉
「そう言ってもらえると嬉しいですが、ボクは今の生活に生き甲斐を見いだしているので、しばらくは独り身を続けていきたいですね。それに、結婚するならせめて同じ日本人を希望します」
〈ほぅ…。同族間の繋がりを尊重する気質だったか。いかにもキミらしい答えだが、それだと例のドラゴンのメスがむくれてしまうな〉
「ドラゴンのメス? …リヴィアのことですか?」
〈そうだ。あのリヴィアというメスのドラゴン、私の目に狂いがなければキミに興味津々のようだ。昨日、里に舞い降りた後のキミとのやり取りを見て、私は直感的にそう悟ったよ〉
「それはきっと、ボクがこの世界の人間じゃないからでしょう。彼女は異世界について色々と知りたがっていましたから、ボクから詳しく聞こうと思っていただけですよ」
〈果たしてそれだけだろうか? 私の勝手な見解だが、異世界への関心とは別に彼女はキミ自身に特別な想いを寄せているように見えたぞ。私はそれがいずれ、まごうことのない好意に発展するのではないかと思っている〉
「そんなまさか」
〈…うむ。では、私がじかに彼女に会って確かめてやろう〉
「なにするんですか?」
〈彼女の口から直接、キミへの想いを聞いてみるのが手っ取り早いと思ってね。朗報を楽しみにしていてくれ〉
「ちょ、ちょっと! 余計なことしないで下さい」
と、おもむろに体を起こそうとしたルミウスを浦辺は慌てて止めた。
〈…ウラベ。ドラゴンが吐く業火のごとく顔が赤いぞ〉
「………」
〈案ずるな。友人を少しからかってみただけだ〉
「勘弁して下さいよ」
今にも湯気が立ち込めそうなほど顔を赤くしてそっぽを向く浦辺を見て、ルミウスはフッとクールな笑みを浮かべた。
そのとき、イザベラとテオが二人の元に駆け寄って来た。
「あなたからもなんとか言ってやって」
と、イザベラは開口一番に当惑した口調で言った。
〈なにをだ?〉
「テオがフェルナールの森へ行きたいと言い出したのよ」
〈フェルナールの森だと? なんでまた〉
と、ルミウスは眉を寄せてテオを見つめた。
〈森に咲いている木の実を採りにだよ。そろそろ食べ頃だと思って。ねぇ、いいでしょ?〉
と、テオは目をキラキラと輝かせながら父親を見上げた。
〈テオ、忘れたのか? フェルナールの森には魔物を凶暴化させてしまう胞子をまくキノコが生えているから、不用意に近付くのは危険だと前に話しただろう〉
〈もちろん、忘れてなんかいないよ。でも、木の実を採りに行きたいんだ〉
〈ダメだ。落ち着きのないお前が無闇に近付いて胞子を吸ってしまうのもだが、それを吸った魔物が突然現れたらどうなると思う? 今のお前では、手も足も出せないまま立ちどころに襲われてしまうぞ〉
〈キノコには絶対近付かないし、なにかあったらすぐ逃げるよ。だからさ、お願い〉
と、テオは一向に折れる気配を見せなかった。
ルミウスは困り顔を浮かべて妻であるイザベラに助け舟を求めたが、
「私もしつこくダメだって言ったんだけど、テオったらどうしても行きたいって聞かないのよ。だから、あなたからも言ってやってほしいと思ったんだけど…」
と、彼女もお手上げといった様子で肩を落とした。
二人が困り顔で首をひねっている間も、テオは一刻も早く行きたい衝動を抑えられずそわそわしていた。
「…あの。もしよければ、ボクが付き添いましょうか?」
と、浦辺が手を上げた。
〈ウラベも一緒に行くの? やった!〉
と、テオが嬉しそうにピョンピョンと跳ねた。
〈こら、テオ。勝手に決めるんじゃない〉
「そうよ。浦辺さんの身になにかあったらどうするの?」
〈でも、ウラベはいいって言ってくれたよ〉
〈ダメだ。さっきも言ったが、森で胞子を嗅いだ魔物に出くわしたらどうする。お前はもちろんだが、いくら強いウラベでも相手が魔物では分が悪過ぎる。第一、彼は手違いでこの世界に来てしまったんだ。今頃、向こうの世界で彼の知り合いが行方を捜しているだろう。だから、今日中にも彼を元の世界へーー〉
ハッとなにかを思い出したルミウスは口をつぐんだ。
イザベラは夫の異変に違和感を抱いたが、当人である浦辺はルミウスがなにを察したのかを理解していた。
黙り込む父親を見て、テオは勢いを取り戻した。
〈ちゃんとウラベの言うことを聞いておとなしくするから。キノコにも近付かないし、危ないと思ったらすぐに逃げる。約束するから、ウラベと一緒に行っていいでしょ?〉
〈しかしだな…〉
と、ルミウスは言葉を濁らせながらチラッと浦辺を見た。
任せて下さい、と言うように浦辺は頷いた。
ルミウスはうなりながらしばらく迷ったが、やがて諦めたように鼻から弱々しく息を吐いた。
〈いいだろう、行ってきなさい〉
〈ホント?! やったぁ!〉
〈彼の迷惑にならないようにするんだぞ〉
〈分かってるって。行こ、ウラベ!〉
〈ちょっと待ちなさい。その前に…〉
と、ルミウスは二人の前でおもむろに前足を掲げた。
爪先から現れた二つの光の玉が、それぞれまぶしいほどの輝きを放ちながら膨張し、浦辺とテオを包み込んだ。
光は二人を包んだ後、パッと飛散した。
一瞬のことでなにが起きたか分からず浦辺は目をパチクリさせた。
〈結界魔法だ。テオを甘やかさないため使わないようにしていたが、ウラベが保護者役を担うのなら致し方ない。その結界は属性魔法を含むあらゆる攻撃魔法を無効化する上、肉体への直接的な物理攻撃も防いでくれる。それなら、万が一危険が迫っても安心だろう。ただし、時間経過で効力は次第に失われていく仕組みだから、それだけは忘れないように気を付けてくれ〉
「ありがとうございます」
〈それからキノコから発せられる胞子だが、魔物には有害でも人間は吸っても精々咳込む程度で済むから安心してくれ。それと、最後に一つ…〉
ルミウスは浦辺の耳元に大きなクチバシを近付かせると、なにやら小さく耳打ちをした。
浦辺は相槌を打ちながらルミウスの言葉を念頭に置いた。
「浦辺さん、くれぐれもテオをよろしくお願いします」
と、手のかかる子どもを預ける母親のようにイザベラは律儀に頭を下げた。
嬉しそうにはしゃぐテオに服を引っ張られながら、浦辺はフェルナールの森へと向かった。
「ルミウス。さっきはどうして急に黙り込んじゃったの?」
浦辺たちの後ろ姿を見届けながらイザベラが聞いた。
〈途中でふと気付いたことがあってね〉
「どんなこと?」
〈ウラベは、ディアドロス国王の側近である魔導士が行った召喚術によって、向こうの世界からこっちの世界に連れて来られた。召喚術とは、物体を別の場所に移動させる転移魔法とは異なり、召喚する側とされる側が同じ世界にいる限りはその効果を発揮しないんだ。その条件を満たしていたからこそ、彼はオスニエルの城に召喚されてしまったんだ〉
「つまり、もしも今浦辺さんを向こうの世界に戻してしまったら、国王はもう一度彼を城に召喚するかもしれない。それを心配したのね」
〈そういうことだ。私が密かに彼に与えた守護魔法も結局は打ち破られてしまったから、もうあてには出来ない。彼を捜している知り合いには申し訳ないが、今はここにとどまっているのが無難だろう〉
「今言っていた転移魔法を使われたら?」
〈その心配はいらない。召喚魔法は生物と無生物の両方を召喚出来るのに対し、転移魔法は無生物しか転移出来ない仕組みだ。その明確な違いがある以上、城の魔導士が転移魔法を使ってウラベを城に呼び戻すなんてことは不可能なんだ〉
「魔法にも色々あるのね」
〈そうだよ、イザベラ。我々みたいな魔術と隣り合わせに生きている者にとっては知って当たり前の知識だが、キミやウラベのような魔術とは無縁の世界から来た人間にとっては、常識の範疇から外れた未知なる事象なのだ。だからこそ、この世界では勝手が違うウラベを私たちが守ってやらなければ〉
「浦辺さんがこの世界にいる間は、あなたが彼の保護者ということね」
〈そんなところだ〉
「それともう一つ、さっき彼になにを囁いていたの?」
〈あれはテオのことだ〉
「テオのこと?」
〈テオは、私たちが築いた共存社会に則って人間と魔物が仲睦まじく暮らしていると信じている。もしも退魔の教えという対魔物の思想を唱えているグリンメル王国の存在を知ってしまったら、純粋無垢なあの子は間違いなく心に傷を負うだろう。だから、あの国のことや退魔の教えについてはあの子の前で話さないでほしいと頼んだんだ〉
「優しいのね」
〈父親として当然の配慮だよ〉
と、ルミウスがフッと笑みをこぼしたときだった。
里の周囲を偵察していた一頭のグリフォンが、彼らの前に慌ただしく舞い降りた。
〈報告します。複数の騎士がこの里に接近しています〉
〈方角は?〉
〈北東です〉
〈北東…。まさか?〉
〈はい。以前、長が留守の間に現れたグリンメル王国の騎士たちが、再びこちらに迫っていると思われます〉
途端に、ルミウスは表情を険しくさせた。