第十章 協力者
城の大きな門を開き、周囲を確認してから浦辺は外に出た。
広大な庭に設置された豪華な噴水を中心に、白一色に塗りたくられたレンガの花壇がシンメトリーに並んでいた。
一切の手抜きが見受けられないほど整備が行き届いている庭の奥に目を凝らすと、鉄格子に組まれた金属製の門扉が捉えられた。
庭を突っ切り平和そうに水を流している噴水を横切った浦辺は、一直線に門へと駆けた。
鉄格子の門に手を触れたがビクともしない。
(カギが掛かってる)
と、浦辺は当たり前と思いつつも口元を歪めた。
浦辺は落ち着いて左右を見渡した。金属製の門扉を挟むようにレンガの塀が遠くまで続いていた。
当然ながら、塀は容易に乗り越えられるような高さではない。足場を使えば乗り越えられないこともないが、土台になりそうな手頃な足場も見当たらなかったし、のんびり探している暇もないので塀を飛び越える手段は諦めることにした。
浦辺は門扉から外を恐る恐る確かめた。
アイリスの言っていた通り、門番らしい見張りがいないことを確認した浦辺は、門扉のわずかな隙間に手と足を差し込んでロッククライミングの要領でよじ登った。
門を飛び越えてから浦辺は走ったが、途中で慌てて足を止めた。
彼の目が、眼下に広がる大きな街を捉えた。
(あれが王都オスニエルか)
中世時代のヨーロッパを彷彿とさせる異国情緒溢れる街並みが、浦辺が立っている山の頂から隈なく一望出来た。
街を見渡した浦辺の視線が一点に釘付けとなった。
それは、王都オスニエルの広場に堂々と佇む巨大な十字架だった。
(あれがアイリスの言っていた十字架だな)
確かに巨大だった。街中に点在する建造物を遥かに凌ぐ高さを誇るその十字架は、まさに王都オスニエルを象徴する神秘的な存在感を示すかのごとく、厳かな佇まいでそびえていた。
遠目からでもその迫力はひしひしと伝わり、アイリスの言葉通りまさに圧巻の一言に尽きた。
燦々と照り付く太陽の下、浦辺は手で庇を作って目を凝らした。
十字架の前で無数の点がうごめいていた。
十字架のある広場で、エドガー牧師の唱えている退魔の教えに耳を傾けているオスニエルの国民たちが密集しているのだ。
十字架の前にいる豆粒ほどの小さな人間がディアドロス国王とエドガー牧師、そして彼らを警護するロディルたち憲兵騎士団であるだろうことも浦辺はすぐに察した。
浦辺は、十字架に絞っていた視線を再び王都全体に移した。
広場から一直線に進んだ先に大きな門があるが、対魔物の思想を信仰する国ならではの防衛措置なのだろう、その門を挟むようにそびえる巨大な壁が、王都を守るように大きな円を描いて立っている。
(あの門が王都を出る唯一の出口ってことか)
一望しただけでは街の具体的な構造は把握出来ないが、門へ行くには広場から一直線に続いている大通りを通る必要があるとだけは確信出来た。
現在、オスニエルの住民は牧師が唱えている退魔の教えを真剣に聞いているだろう。その間は、恐らく王都の住民全員が広場に集合していると思われるので、誰にも見付かれずに大通りを渡れるかもしれない。
しかし、のんびりはしていられなかった。
オスニエルの城は、見たところ山の頂上に建っている。つまり、山頂から麓まで下りるまでにはそれなりの時間を有する。
その間に提唱が終わってしまったら、解散した国民たちに見付かってしまうリスクは充分考えられた。
悠長にしている暇はないと焦った浦辺は、とにかくオスニエルの街へ行くために砂利道の斜面を早足で下り始めた。
山頂から足場の悪い斜面を下り終えると、木々が生い茂る小さな森に突き当たった。どうやら、その森が麓らしい。
その森を抜けると、ようやくオスニエルの街が見えてきた。
間近で見ると、やはり西洋の趣に溢れた建物が並ぶイメージ通りのヨーロピアンな街並みだった。随所に見慣れない紋章が描かれた旗がユラユラとなびいていたが、きっと国章だろうと浦辺は思った。
浦辺は建物の陰に隠れながら、大通りの様子を窺った。
人っ子一人見当たらない静寂に包まれているところを見ると、国民のほとんどはまだ広場に集まって提唱に耳を傾けているようだ。宿屋や食料店を示す分かりやすい絵柄が描かれた看板が、閑古鳥のようにカタカタと音を立てながら揺れているのが、大通りの寂しさをより際立たせていた。
俄然、ワーッとどこからともなく人々の叫び声のような歓声とともに、拍手の嵐が浦辺の耳に飛び込んできた。
歓声は十字架のある広場から聞こえた。恐らく、演説で熱が入った牧師の勢いに押されるように、国民たちの興奮も坩堝と化したのだろう。
浦辺は広場のある方角を気にしつつ、建物に沿って走った。
が、後方に気を取られていたために目の前に迫る扉に気付かず、したたかにぶつかってしまった。
よろめきながら後退りする浦辺を、扉から出て来た男が訝しそうな目で見つめた。
「なんだ、お前は?」
と、いかにも冒険者風の身なりをした筋骨隆々の男が言った。
その男の陰から、ひょろりとした猫背の男がひょっこりと顔を出し、同じく不審そうな目で浦辺を見つめた。
「すみません、よそ見をしていたもので…。失礼しました」
と、浦辺は会釈をしてその場を離れようとしたが、
「おーっと。ちょいと待ちなよ、兄さん」
と、薄い生地の衣類を身にまとった屈強な男が、やたら主張の強い腕の筋肉を一層盛りながら浦辺の行く手を塞いだ。
「お前さんがいきなり扉に激突したおかげで、どうやら頬を擦りむいちまったみたいなんだ。傷を付けてくれた以上、『すまん』だけじゃあ見逃せないね。なあ、そうだろう?」
「ええ、ええ、そうでさぁ。アンちゃんよ、頭のたくましい顔に傷を付けた代償は大きいぜぇ?」
と、いかにも腰巾着の下っ端にしか見えない猫背の男が、ニッヒヒと不潔な笑みを浮かべながらねちっこい言葉遣いで言った。
(抜かった…)
浦辺は、トラブルを招いた自身の不注意を呪いたくなった。ただでさえ急いでいるときに降りかかった災難だけでも心底嘆きたかったが、それ以上に下劣な笑みを浮かべる二人が毛嫌いする人間と同種と悟って、浦辺はますますげんなりした。
「どうすれば許していただけますか?」
と、浦辺が困惑顔で聞いた。
筋肉質の男はもったいぶったように顎に手をやってうなってから、
「そうだなぁ。治療費として五〇〇シリルいただこうか」
と、卑しい顔で分厚い手を浦辺の前に突き出した。
相手の言った「シリル」がこの世界の通貨単位だというのは分かったが、果たして五〇〇シリルが安いのか高いのかまでは判断が付かなかった。そもそも、浦辺はこの世界の硬貨を持ち合わせていなかったので払えるはずなどなかった。
それ以前に、浦辺は男の頬を見すえて目を細めた。
傷と呼べる傷などどこにも見当たらなかった。
あきらかな言いがかりだったが、それを指摘しては面倒なことになり兼ねないため浦辺は下手に出ることにした。
「すみません。ちょっと今、持ち合わせがないもので…」
「金がねぇだと? だったら、今すぐ取りに行ってこいよ」
「そうしたのは山々ですが、生憎この街の住民じゃないもので…」
ますますシワを寄せた男はただでさえ厳つい顔をより険しくさせたが、なにかを閃いたようにフッと不敵に笑うと手の骨を鳴らした。
「そういうことなら仕方がねぇ。金の代わりに、傷を付けた分のお返しをさせてもらうとするかな」
と、言うやいなや男は浦辺に向かって握り拳を突き出した。
浦辺がサッと避けると男は二発目を繰り出したが、浦辺は自慢のフットワークを駆使してそれも難なく回避した。
イラ立った男が今度は丸太のように太い足で蹴ってきたが、巨体ゆえに動作は鈍感でとても形が整っているとは言えず、三発目も浦辺は身を翻して避けた。
浦辺はステップを踏みながら猫背の男の前に移動した。
鶏冠にきた男が怒声を上げてパンチを繰り出した。
しかし、浦辺に避けられたことで渾身の打撃は彼の背後にいた猫背の男の顔にクリティカル・ヒットした。
標的を誤って狼狽える男の背後に回り込んだ浦辺は、相手の膝窩に軽い蹴りを入れた。
片足の膝を折ってそのまま前のめりになった男は、殴り飛ばされて悶えている猫背の男の上に覆い被さるように倒れた。
「むぐッ」
猫背の男が間の抜けた声を上げた。
押し潰した相棒をほったらかしにして立ち上がった男は、真っ赤な顔でフンッと鼻息を吐きながら浦辺を睨んだ。
「ネズミみたいにちょこまかと…。もう容赦しねぇ!」
ジリジリと迫る男に浦辺が身構えたそのときだった。
「もうよせ」
初めて聞く声がその場を制した。
男たちが出て来た扉の奥から、もう一人別の男が現れた。茶髪の刈り上げとガイゼル髭を生やした紳士的な面持ちの男だが、両腕の筋肉は浦辺を襲った男と五分五分と言っても差し支えないほど発達していた。
「邪魔しないでくれ、ラング。こいつに礼儀ってもんを教えてやらにゃオレの気が済まねぇ」
「礼儀が必要なのはお前さんの方だよ。見ず知らずの男にいきなり因縁をつけて金銭をせびるなんて、恥ずかしいとは思わないのか?」
「オレに説教するのか?」
「今だけはな。イヤならさっさと行きな」
と、ラングと呼ばれた男が険しい表情でキッパリと言った。
男は不満そうな顔でラングを見、そして浦辺を見た。
「今日はこのくらいにしといてやるが、いつか必ず礼はしてやるからな。覚えておけよ」
と、お決まりの捨てゼリフを残してから男はフンッとまた鼻息を鳴らした。
ドスドスと足音を鳴らしながら退散する親分の後ろを、起き上がった猫背の男がおぼつかない足取りで追いかけた。
「とんだ災難だったな、兄さん」
と、ラングがさっきまでと打って変わり穏やかな表情で言った。
「ありがとうございます。おかげで助かりました」
「いいってことよ。…それにしてもお前さん、粗暴なヴィクターを相手に背を向けて逃げ出さないとは、随分と威勢がいいじゃねぇか。それに、冒険者のようなタフさがまったくないのに、あんな大男を相棒共々ねじ伏せるとはたいしたもんだ」
「たまたま運がよかっただけです」
「オレはこの店をやってるラングってもんだ。よろしくな」
「はじめまして、浦辺と申します。…酒場を経営されてるんですね」
と、店の中を見て浦辺が言った。不規則に配置されたテーブルとそれを囲うイスの数々、木製のカウンターの奥の壁には酒樽と思われる大きな木樽が横向きに置かれていた。
客の姿は見えないが、店内の様子を窺う限り酒場であるのは間違いなさそうだった。
「オレにとって大切な生活の糧さ。さっきのヴィクターみたいなガラの悪いヤツもちょくちょく来るが、大半は気のいい冒険者や荒くれ者ばかりさ。今じゃそいつらの溜まり場になっているが、こう見えて昔は武器屋だったんだぜ」
「武器屋というと、武器を売られていたんですか?」
「おうよ。しかも、武器のほかに防具や魔術を生み出す魔道具も豊富に取り揃えていたから、遠方から冒険者や傭兵たちが覗きに来る程度には知られた名店だったんだぜ」
と、ラングは誇らしげに胸を張った。
「それがどうして酒場になったんですか?」
「客層に恵まれて経営は順調だったんだが、共存社会の実現で素材欲しさの討伐が違法となってから自然と武器の売れ行きが芳しくなくなっちまってな。精々、護身用に買いに来るぐらいにしかならなくなったんだ。たいした売り上げにもならず経営難に陥って悩んだ末、一念発起して酒場に改装したってわけさ」
「なるほど」
と、浦辺は急いでいるのも忘れてラングの話に聞き入っていた。
「…ところで、あんた随分と妙な恰好をしてるじゃねぇか。聞き慣れない名前といいそのナリといい、少なくともこの国の人間じゃないと思うが、どっかよそから来たのか?」
と、ラングは浦辺の体を上から下までなぞるように見た。
彼を召喚した城の人間は事情を知っているため追究しなかったが、なにも知らないラングに指摘されたことで浦辺はようやく自分の身なりがこの地の人間にとって異質に映っていると気付いた。
「よそと言えばよそですね」
「へぇ、どこだい?」
「日本です。ご存知ないと思いますが」
「ああ、聞いたこともねぇ。オスニエルには退魔の教えを聞きに来たのかい?」
「いえ、そういうわけじゃないんです。ちょっと込み入った事情があって、王都から外へ出たいんです」
と、浦辺は正直に言った。
「だったら、この通りを進んだ先にある大門を通ればすぐに外へ出られるぜ。けどよ、兄さん。あんた、ギルドカードは持ってるのかい?」
「…なんですか、それ?」
浦辺が聞くと、ラングは驚いた顔で目をパチクリさせた。
「身分証明書のギルドカードを知らねぇのはいささか妙だが、それを持ってないとなると、正式な手続きを踏んでオスニエルに入ったわけじゃないらしいな」
「そのギルドカードというのがないとマズイんですか?」
「当然よ。オスニエルに限らず、どの国の街も必ず門番に身分証明書であるギルドカードの提示が求められる。提示と引き換えに手渡される許可証を持っていれば、その街には自由に行き来出来るんだ。万が一、ギルドカードを持っていなかったら税金を納めて許可証を購入する仕組みだが、持ち合わせがないと言っていた手前そうでもないらしい。どうやって入ったかは知らんが、その妙ちくりんなナリをしている以上、必ず捕まってあれこれ探られるだろうから無事に門の外を出られるかどうか怪しいぜ」
「参ったな…」
浦辺は困り顔で頬をかいた。
「まあ、そう気落ちしなさんな。どうやら、本当に込み入った事情があるみたいだから、外に出たいならオレが手を貸してやるよ」
「えッ」
「こっちへ来な」
と、ラングは浦辺の肩に腕を回すと、店の奥へと彼を誘った。
浦辺が連れられたのはカウンターの後ろだった。
カウンターの裏に回ったラングは身を屈めると、床に開いた一つの小さな穴に人差し指を差し込んだ。
すると、床の板が一枚持ち上がり、地下へ通じる穴が出現した。
「オレが作った秘密の抜け道だ。この通路を進んで行けば、門を通らなくてもオスニエルの街から外へ出られる」
「本当ですか?」
「ウソなんか吐かねぇよ。この通路を抜けると、グリンメル王国領土のミデェール広原っていう原っぱに出るから、そこからどうするかはあんた次第だ。この国は対魔物にうるさいから、広原に魔物が蔓延っている心配もない。そこは安心していいが、もしも国境の山を越えるつもりなら警備隊には気を付けろよ。そいつらもきっと、その妙なナリを見咎めるに違いねぇからな」
「ご親切にありがとうございます。…でも、どうして見ず知らずのボクを助けてくれるんですか?」
「あ? 困ってるヤツがいたら助けるのは当然だろう。もしもまたなにか困りごとがあったら、いつでもオレの所へ来な。いつでも手を貸してやるからよ。じゃあ、達者でな」
と、ラングは言ってから励ますように浦辺の背をバシッと叩いた。




