過去の終わり
お母さまの気配はここから感じる。この真っ白のドアの向こうにお母さまが絶対にいる。やっとお母さまをここから助ける事ができると思うと、目元がじりじりしてきた。
おじさんが私の肩を軽く叩いて合図を送ってきたのでドアを開ける。
最初に入ってきた光景は手足を縛られ、口が布で塞がれた状態のお母さまだ。嬉しさとか喜びとかそんな感情が湧き上がる前に私はお母さまに駆け寄る。そして縄と布をお母さまから外してから、私はお母さまに抱きついた。
思いきり、もう一人は嫌だと言う感情を込めて抱きついた。
しかしお母さまは私を自分から離して、怒りとか悲しみとかそんな感情を入り混じった目で私を見つめてきた。
「なんで来たの!? あれほど言ったのに!」
「だ、だって……私はお母さまを……」
「早くここを離れなさい! じゃないと……あいつらが来てしまうわ!!」
「なら、お母さまも一緒に逃げるです」
お母さまが私の言葉に困った表情を浮かべる。どうしてか分からない私は、お母さまの言葉を待つ前に手を掴んで走り出す。
来た道を戻ればこんな所すぐに抜け出すことができる。そう、このまま何もなければ……。
「くっくくく。まさかサンプル自らがここに侵入してくるとは思いもよりませんでしたよ」
「!」
扉を塞ぐかのように現れた黒い物を掛けた人間の男。私は、お母さまとおじさんと一緒にこの部屋に閉じ込められたと言っても良い当然な状況になってしまった。
「だから早くここから逃げなさいと言ったのに……」
握っているお母さまの手が震えているのが伝わってくる。でもこの人間の男を倒せばここから逃げ出すことができるはずだ。
私の能力『重力操作』ならこの人間の男に対抗できるはずだ。
「くっくくく。できれば無傷で手に入れたいのですが、その眼見る限り説得は無駄のようですね」
「……」
チャンスは一回。この一回で成功しなかったなら、私は終わりだ。私自身、自分の能力をいつでも使えるわけでない。ムラがあって調子が良い時は良いが、悪い時はまったくダメだ。
とにかく僅かでも人間を止める事が出来れば私の勝ちだ。
「はっ!!」
「!」
成功だ。相手に重力がかかった感じが手に取るように分かる。これで人間は指一本すら動かせないはずだ。
今の内にお母さまの手を引っ張ってこの部屋から出る。
「!」
急に何かに引っ張れた。後ろを振り向くと、お母さまの左足を人間が掴んでいたのだ。
通常の二倍以上の重力がかかっているはずなのになんで動けるの!? もしも『妖精族』なら身体強化系の能力だと分かるんだけど、ここにいるのはただの人間のはずだ。
なのになんでこの状況で動けるの!?
「ええい。エイミーちゃんのお母さんから手を離せ」
おじさんがお母さまの左足を掴んでいる人間の男の手を足で踏みつける。だけど人間の男は全然手を放そうとしない。
どうしてお母さまはそんなに悲しい顔をするの? もう少しでここから出れるのに。
この人間の男さえ振りきれば、全部上手くいくのに、どうしてそんな顔をするの?
「……娘を宜しくお願いします」
「……」
「何言っているのお母さま!? まだ、まだ諦めるのには早いよ!!」
おじさんが私とお母さまの手を離して、私の手を握る。
人間の男の手は未だにお母さまの左足を掴んでいる。
「分かりました。娘さんは必ず安全な所まで連れて行きます。この命に代えても」
「ありがとうございます」
お母さまのそんな言葉を聞きたくない。私はもう一人は嫌だ。
寂しくて、心が冷えて、虚しさに包まれるなんてもう嫌だ。
お母さまと一緒が良い。
「離して! お母さまが助けられない!!」
「良いエイミー。ポーカーフェイスを忘れないようにしなさい。それがあなたを守ってくれるはずだから」
おじさんに引っ張られて、私とお母さまの距離がどんどんと離れて行く。
どうしてやっと会えたのに。会ってすぐに別れるなんて……なんで?
笑っていれば、良いことが起こるはずなのに……。神様は私のことが嫌いなの?
「エイミーちゃん。しっかりしろ! 多分、奴らは君のお母さんはまだそのまま監禁するだけだ。また今度救出すれば――――」
〆
「私はそれ以降の記憶はないのです。気がつくと私は一人きりでした。おじさんの姿はどこにもなかったので、今はどこにいるのか……生きているのかも分からないのです」
話を終えたエイミーの顔はひどく疲れ切っていた。膝に置かれている両手は力が籠っていて、爪で掻かれたのか、僅かながら赤くなっている。
どうやって言葉を切り出そうと考えるが思いつかない。今のエイミーに何を言っても傷つけてしまいそうで怖い。
「音也さんは私の希望です。こんな役立たずの私だけではお母さまやお父さまを助け出すなんて無理です。だから音也さんにも協力してほしいです。皆を助け出すのに」
「……」
ここで俺に任せろと言えればどんなにカッコいいだろうか。
でも俺にそんなことを言える度胸もないし、力もない。俺だってエイミーと上条に助けてもらってここにいる。
俺は一人じゃ、何にも出来ないなんて分かっている。
だから俺に任せろなんて言葉……到底出てくるわけない。
「ごめんエイミー。俺にはそんなこと言える資格なんてないんだ。俺なんかよりも上条に言った方が――――」
渇いた音が部屋に鳴り響いた。
その音はエイミーが俺を叩いた音だった。
エイミーは大粒の涙をポロポロと流しながら、俺を睨みつけていた。睨みつける目には明確な怒りが感じ取れた。
「出て行ってください!」
エイミーの力強い言葉が響く。それは俺に対しての拒絶だと分かった。
俺は言われるがままにエイミーの部屋から出て行った。
ドアを閉じる瞬間までエイミーを見つめていたが、エイミーが俺を見る事は無かった。どうやら嫌われてしまったみたいだな……。
はっははは。俺はどこまでかっこ悪い奴なんだ。かっこ悪すぎて反吐が出る。
「……はっははは」
自分の部屋に戻るにしては力が入らない。足も手もまるで自分の体ではないみたいだ。
こんなこと初めてだ。一体どうしたんだ俺の体は?
「どうしたのよ、そんな所で座り込んで」
「今野さん。あ、いや……何か力が入らないんです」
今野さんが呆れ気味で、俺に手を差し伸ばす。
差しのべられた手を掴んで何とか立ち上がることができた。
「まったく何があったかは知らないけど、いきなりこんな風になるもんかね」
「すいません」
俺は今野さんのおかげで何とか自分の部屋に戻ることができた。
今野さんは俺の部屋に布団もベッドもないことに驚いて、とりあえず俺を床の上に座らせた。
「ちょっと待ってなさい。今、布団を持ってくるから」
今野さんがそう言って、俺の部屋から出て行った。一人部屋に残った俺はボォート部屋の天井を見上げる。
エイミーは俺にすべて話してくれた。その上で俺に協力をしてほしいと言った。
俺としては協力したいが、協力するだけの力がない。だから力を持っている上条の方が良いと思って言ったんだが……。
エイミーのあんな目……初めて見た。怒りが込められた目で睨みつけられるなんて思いもよらなかった。
「ほら、持って来たわよ」
「ありがとうございます」
今野さんは布団を敷いてくれたので、俺はその上に座り込む。もう用がないはずなのに今野さんはまだ俺の部屋に立っている。
そして目を瞑って、黙りこんでいる。
「今野さん。どうかしたんですか?」
「……」
今野さんから返事は無く、ただただ黙りこんでいる。急にどうしたんだろうか?
「あんた」
「はい?」
「いえ、なんでもないわ」
そう言って今野さんは俺の部屋から出て行った。
布団の上で寝っ転ぶと色々と頭に浮かんで寝られない。
今日はどうやら眠れない一日になりそうだ……。