第9話 拳で掴んだ尊厳、訪れた奇跡の瞬間?
翌朝──。
「おはようございます……」
さすがに二日連続の遅刻は避けたいと思い、少し早めに出社した。
だが、俺がオフィスに入った瞬間、わずかに空気が張り詰めたように感じた。
何人かの視線が、ちらりと俺に向けられる。
――“王の裁きを受けし者”として、俺はすっかり“観察対象”になっているらしい。
やれやれ。これだから小市民は。by小市民代表。
誰が怒られただの、出世しただのってのは、いつの時代もみんなの大好物らしい。……まあ昨日は、俺がそのネタだったわけだが。
机に座り、PCの電源を入れた瞬間、背中に気配を感じる。
──肩を、叩かれた。
「よぉ、八天。昨日は……災難だったな?」
やはり来たか……。
声の主は、上田京右助。俺の同期だ。
口を開けば粗さがしや他人の悪口ばかり、社内ゴシップギルドの下っ端工作員──それが、上田京右助という男である。
元々そんなに得意なタイプではなかったが出世とは無縁の同期同士、わずかながら仲間意識みないなものもあった。
だが最近「係長補佐」という微妙な肩書を手に入れてからというもの、ヤツはまるで新種の生物――“マウンティングゴリラ”にでもなったかのように、急激に俺に対して威圧的な態度を取るようになった。
「運も悪かったけど、元は俺が悪いし仕方ないよ」
モニターから目を離さず、そっけなく答える。
……が、それが奴の逆鱗に触れたらしい。
「自己管理は、社会人の基本だぜ? だからお前は……駄目なんだよ」
顔を俺のすぐそばまで寄せ、机に手を置いてくる京右助。
パーソナルスペース? それはもはや侵略済み。
宣戦布告の一歩手前だ。
(……いや、お前にだけは言われたくない)
五十歩百歩と言われればそれまでだが、体型に関しては正直お互い様だ。
言い返したい気持ちは山々だが昨日の出来事と、社内ヒエラルキーという分厚い盾がそれを阻んだ。
胸の奥で煮えたぎる“憤怒のマグマ”を抑え込みながら、俺はただ無言でキーボードを叩き続ける。
黙ってやりすごそうとした俺の態度が、逆に奴の“マウント魂“に火をつけてしまったらしい。
京右助はさらに追い打ちをかけてきた。
「お前みたいなのが一人いると、みんな安心すんだよ。“俺はまだマシだな”ってさ。勝手に辞めたりすんなよな?貴重なピースなんだからさ」
拳が震えた。
(もう我慢ならん──)
反射的に立ち上がる。
椅子がガタンと音を立て、社内の空気が引き締まった。
グイッ!
力任せに奴のワイシャツの襟を掴む。
──そして。
渾身の右フック一閃。
俺の拳は、美しい放物線を描きながら京右助のあごを撃ち抜いた。
鈍い音と共に、奴の顔がぐにゃっと歪み、そのまま後ろのデスクへ衝突。
「……ッッシャアアアア!!」
思わずガッツポーズ。
オフィスの社員たちから、拍手が巻き起こる。
「八天さん、見直しました!」
「あいつ、いつかやってやろう思ってたんです!」
満開の桜のような祝福の声。
──そしてなぜか現れる、みさき。
「すごいです……かっこよかった……!」
潤んだ瞳で見つめてくる。
同僚たちの歓声やどよめき渦巻く喧噪の中、俺は彼女の肩を抱き、倒れた京右助に向かって決め台詞を放つ。
「これが……ダイバーシティとコンプライアンスを超えた、俺の限界突破だ──」