第7話 減給危機 俺が見つけた最後の希望
退勤時間。
全て出し尽くした勇者のように心も体も燃え尽きた俺は、魂だけを引きずりオフィスの出口を目指していた。
そのとき――
「八天くん、少し来てくれる?」
静かだが芯のある声に、俺は反射的に背筋を伸ばす。
振り返れば柔らかな雰囲気を纏いつつも、凛とした美しさを称えた女性がそこに立っていた。
鋭い眼差しの奥に、微かな陰りを感じる。
木場燈子、営業課課長。
30代後半、シングルマザー。
片目を隠すアシンメトリーなショートヘアと、ピシッと着こなしたスーツが印象的。
前時代的なこの会社唯一の女性管理職と、社内でも一目置かれる存在だ。
「ここではアレだから。場所を移そうか」
「……はい」
その言葉に、俺は覚悟を決めた。
きっと、昼の社長のご神託――もとい、公開処刑の件に違いない。
人気のない会議室に入り、彼女は扉を閉めると、一瞬だけ目線を外す。
その仕草が彼女の優しさと厳しさ、その両方を備えた生来の雰囲気と溶け合い、どこか絵になるようだ。
「……本題に入るわね」
淡々とした口調だが、声にほんの僅かな苦味がにじんでいた。
「八天くんの勤務態度と成績。これ以上改善が見られない場合、“減給措置を検討するように”って、上からメールが来た」
……やはり、そう来たか。
「……でも、今期の目標は達成ラインに乗ってるはずなんです」
ギリギリで生きる凡人の、“か細いレジスト”。
こんな俺でも凡人なりの努力はしてるつもりだった。
「それがね……」
彼女の声が少しだけトーンダウンする。
「さっき、社長直々に“八天の目標を2倍に引き上げろ”って通達が来たの」
「は?」
「正直、私も“ハァ?”ってなったわよ。でも……」
彼女はふっと目を伏せ、
なぜか“片手で舌を出して自分の頭をぽかり”と軽く叩くような仕草を見せる。
「社長、怖かったのよ。……ごめん、許可出しちゃった」
――テヘペロで済むかああああ!!!
脳内で叫びながらも、なぜか怒れない。
苦笑いでこちらを見る片目の奥に、“中間管理職としての葛藤”が透けて見えたからだ。
「……すまないと思ってるわ」
数秒の沈黙。
だがその一言には、確かな本音がこもっていた。
「この会社はワンマンよ。理不尽は理不尽のまま押し通される。
挽回は、簡単じゃないわ」
過去、社長に目をつけられて“姿を消した”同僚たちの幻影が脳裏をよぎる。
背中に刺すような寒気が走り、思わず身を硬くした。
「でも、一つだけ――提案がある」
「……なんですか。ここから入れる保険でもあるんですか?」
「ふふっ、それはないけど――」
彼女は急に、真面目な顔で言った。
「みんながビックリするくらい、痩せてみなさい」
「は?」
「社長の最近の関心は“自己管理”。売上倍増が厳しくても、外見で“変化”を示せば、まだ可能性はあるかもしれない」
一見、ギャグのような提案。
だがそれは、俺に残された最後の希望の光なのかもしれない。
「……わかりました。やってみます」
このまま自堕落に年を重ねても、未来に待つのは絶望だけ。
それなら――いま、変わるしかない。
減給回避、そして人生逆転の望みをかけて。
俺は、自らの意思で再び《エンチャントジム》の扉をくぐることにした。