第10話 燃える心と尻の穴 俺の熱き逆襲
なんてことが起こるはずもなく──
バチィーン!
俺はやり場のない怒りを、エンターキーにぶつける事しかできなかった。
キーボードが壊れるんじゃないかというレベルの打鍵音に、オフィスの空気が一瞬ザワつく。
「すいません……トイレ」
席を立つ俺を、ニヤニヤと眺める京右助。遠巻きに見ていた木場課長が、心配そうに声をかけてきた。
「八天君……大丈夫?」
「……大丈夫っす。」
聞こえるか聞こえないかのか細い声を発し、だれとも目が合ぬよう俯きながら俺はトイレへ直行した。
個室に滑り込んでガチャリと鍵をかけると、便器に座りうずくまる。
──俺は、知っていた。
異世界転生なんてのは、ただの現実逃避だ。
何も変えられなくて、変われない。
そんな自分を許してきたツケが、今まさに回ってきているだけなのだ。
無力感。閉塞感。怒り。諦め。負の感情が渦巻き、俺の中をぐるぐる巡る。
落ち着くまで深呼吸を繰り返す。
熱いものが、じんわりと目の奥に滲んだ。
──もういっそ、楽になってしまおうか。
俺はスマホを取り出し、検索バーにこう打ち込む。
【退職代行】
そのときだった。
キュルルルル……ドグゥン!
突然の腹部への衝撃。
まるで内臓のなかに最後の魔法陣が展開され、すべての儀式の段取りが完了したかのような感覚。
まさか……。
──昨夜こっそり行ったダイエット前の“食べ納めの儀”。……!
あの祭りの残滓が呪詛となって、俺を冥土へ引きずりこもうとしていた……。
「……来る……来るぞ……!!」
腹の奥に渦巻く“闇の力”が、俺の理性を破壊しはじめる。
消化器がギュルギュルと悲鳴を上げ、全身が硬直する。
制御不能となった力のうねりが、今にも地獄の門をこじ開けようとしていた。
もう……抑えきれないッ……!
古より封印されし禁忌がいま顕現する──
『雷霆神咆 -暗黒星解放-(ダークノヴァリリース)』
この世のものとは思えぬ轟音とともに、闇の奔流を便器に解き放つ。
その余波は凄まじく、術者である俺の肉体をも蝕んだ。
発射口には灼熱の痛みが走り、赤(血)と青が交錯。
だが体のダメージとは裏腹に、心はなぜかほんの少しだけ軽くなっていた。
──魔術の開放。それによってこれはサボりではなく、結果的には“心の浄化”になったのかもしれない。
トイレットペーパーを手に取っておしりの後始末をしながら、ふと思う。
(ああ、クソの垂れが…)
(くそったれ…)
(クソッタレ!!)
その言葉は、自分へのものであり、京右助へのものでもあり、会社に向けたものでもあった。
ふと脳裏をよぎるのは、エンチャントジム、みさきさんの笑顔。
そういえば今日はカウンセリングだった。
──見返してやる。
未だ心とケツに残る“熱”を感じながら、俺はヒップを引き締めモデルのように可憐な足取りでオフィスへと歩き出した。