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カイネス殿下に押されて廊下に出ると人々の熱気が無くなり、騎士が見張りに立っているぐらいだ。
忙しく働いている侍女達は私たちをチラリと見ただけで素通りしていく。
「あの後変なことは無かったか?」
心配そうに聞いてくるカイネス殿下に私は首を振る。
「何もありませんでした。叔母様がお祓いに塩を掛けてくれたからかしら。取り憑いていたかもしれない霊は居なくなったんじゃないですか」
カイネス殿下の心配そうな様子をみて幽霊を信じているのだと噴き出しそうになる。
私自身そこまで信じていないが、私よりカイネス殿下の方が深刻に考えているようだ。
「塩なんて効くのか?もしあのサファイアの霊だったら厄介だ」
ブツブツと小さい声で言うカイネス殿下に私はとうとう噴き出した。
カイネス殿下がイメージと違い心配性で可愛らしい様子だからだ。
もっと冷たい雰囲気のように思っていたが、どうやら違うらしい。
「変な夢を見ただけで、あれから体を乗っ取られるような感覚は無いです」
気軽に言ったつもりがカイネス殿下は私の両肩を掴んで軽く揺すってくる。
「 なんですか」
「どんな夢だった」
「どんなって、大雨の中でカイネス殿下とそっくりな顔をした騎士にサファイアを口に突っ込まれて殺される夢を見ました。カイネス殿下の事をずっと考えていたからかしら」
告白まがいの事を言ってみたが彼は私の話の後半を聞いていないぐらい驚いている。
「俺と顔がそっくりだと?」
「そうです。騎士服着ていて……あぁ、でも髪の毛は長かったですね」
カイネスで殿下はますます驚いている様子だ。
私の両肩を掴む手に力入る。
「まさか、本当に霊が出てきたのか」
「まさか、たまたま研究室で聞いた話と重なっただけですよ」
なぜカイネス殿下はとても驚いているんだろうか。
幽霊と言っても本当に居るわけないじゃないと言おうとしてまた口が動かなくなる。
『そんなに驚いて。あなたやはり先祖様から何か聞いているのかしら?』
私の口が勝手に話出すと、カイネス殿下は目を見開いて驚いている。
「お前は誰だ」
驚きながらも静かに聞いてくるカイネス殿下に私の意志と関係なく操られて勝手に笑った。
『声もあの人と全く一緒ね。私の名前はアイリス』
私の口が勝手に話し、それを聞いたカイネス殿下は声が出ないほど驚いている。
目を見開いたまま動かないカイネス殿下にアイリスと名乗った私の中の幽霊らしき人物は上品に笑った。
『私を知っているのね。私はあなたの先祖に殺されたのよ、それだけ私が愛した男と顔が同じなんですもの。きっと子孫でしょう?私のことを聞いているのかしら?あなた達を恨んでいるってね』
カイネス殿下はゆっくりと首を振った。
「お前の名前は魔法騎士なら知っている。歴史の授業で習うからな」
『歴史の授業ですって。ウフフ、なんて言われているのかしら。国を救った美女?それとも人殺しの女と言われているのかしら』
カイネス殿下は答えず、じっと私を見つめている。
『まぁいいわ。貴方の顔を見ているの不愉快だからこの女から出て行ってあげる』
アイリスはそう言うと私の体が自由に動くようになった。
「わっ、ビックリした。今の何ですか、本当に幽霊?」
体が自由になったことを確かめながら言う私をカイネス殿下はじっと見つめてくる。
まだアイリスかもしれないと疑っているのだろう。
「シエラ?」
カイネス殿下に知らない女の名前で呼ばれて私はムッとしながら見上げた。
「シエラ?私はルクレアです。それに私が勝手に名乗った名前はアイリスって言っていましたよ」
カイネス殿下は引きつった顔で頷いた。
「そうだったな。アイリスと言っていたか。驚いて忘れてしまった」
「カイネス殿下がそんなことありますかね」
怪しい目で見つめるとカイネス殿下は軽く笑うと何故か私の顔を両手で包み込んできた。
「俺だってたまにはおかしなことを言う事もある」
カイネス殿下の大きな手が私の頬から熱が伝わってきてドキドキしてくる。
まるで恋人同士のようなカイネス殿下の行動におろおろしていると、彼は軽く笑って手を離した。
「夜になると廊下は寒いだろう。頬が少し冷たかった」
「そうですか?」
温めてくれたのだろうか。
妙なことが起こったのとカイネス殿下の不思議な行動で寒さを感じる余裕が無い。
むしろ熱いぐらいだ。
「俺は少し調べ物をする、何かあったら直ぐに知らせてくれ。あの女がまた誰かに取り憑いているかもしれない」
「はい。お疲れ様です」
カイネス殿下は美しい笑みを浮かべると速足で去って行った。
「はー、凄くカッコよかった。どうしようもしかして、私たち両想いだったりして」
カイネス殿下が私の頬を両手を使って温めてくれただけなのに、良い方向に勘違いしてしまう。
私を探して声を掛けてくれて、気にかけてくれる。
やっぱり運命ってあるのかもしれない。
幽霊の事なんてすっかり気にならなくなり 嬉しくなってスキップをしながら会場へ戻ろうとしてまた、体が動かなくなった。
私の意志に反してゆっくりと廊下の窓へと近づいて行く。
外は暗闇で、室内の明かりが窓に反射して私の顔も鏡のように映し出されている。
『この顔。あの憎い女にそっくり、アンタたちただの子孫じゃないわね。あの男シエラと呼んだ!』
窓に映っている私が醜く歪んで呟いた。
一体何を言っているのか理解できないが、体は自由に動かない。
またアイリスが私の体を使っているのだろう。
幽霊が本当に要るのだという妙な感動と、心の奥が幽霊とは違う恐怖が襲ってくる。
醜く歪んだ自分の顔をガラス越しに見て、憎しみを感じて恐怖を感じる。
『この女は私が殺してたはずよ。憎い、憎い!』
私が殺した?
信じられない言葉を聞いて心が冷えていく。
自分の意図と関係なく体が勝手に動いて言葉を発する。
アイリスという幽霊に取り憑かれているのだろう。
彼女は窓に移った私を睨みつけて手を振り上げた。
『お前!今度はもっと違う殺し方をしてやるから!』
低く唸るように言うと窓を思いっきり叩いた。