テレポート事件
「ああっ、いいっ、いっ、いいっ! いいわハルヒコさん! ああっ!」
「いい、だろ? う、く、はぁ、う」
ハルヒコ。性別男。年齢三十二歳。職業会社員。独身。
だが結婚間近。相手は自身が勤める会社の社長の一人娘である。
その名は白浜さくら。
「ああ! いい! いいわ! あはっ!
ほら、想像して! 私のほうがいいって言って!」
ナツミ。性別女。そう、彼女の名はナツミ。
今、二人はハルヒコの部屋にて情事の真っ只中。そう、紛うことなき浮気である。
時刻は夜、七時四十分過ぎ。
夕食もとらずに始まったこの不義は今まさに絶頂の瞬間を迎えようとしていた。
軋むベッド。女の足が絡まり、伸び、また絡まり
女に覆いかぶさるように動く男の息は荒く、短く
顔は共に紅潮し、青筋が立ちそしてついに……。
迎えた絶頂。
込み上げる幸福。
体を纏う浮遊感。
そして……落下した。
テーブルの中央にあった花は押しつぶされ
それぞれの前に置かれていたケーキの皿は驚いたようにぴょんと飛び上がり
コーヒーが零れ、カーペットの上にピアノの鍵盤を手でなぞるようにテーブルから滴り落ちた。
口を開け、呆然とする白浜家一同。
そう、ここは白浜家の食卓。
毎晩のことながら一家団欒。
デザートのショートケーキに手をつけようというところであった。
「ぎぃぃぃいやあああああああ!」
遅ればせながら出た悲鳴。それはナツミからであった。
背で潰し、割れた花瓶が肌を切った痛みか水の冷たさに驚いたのだろう。
叫ぶと同時に虫のようにバタバタと動いた。
ハルヒコはそれに驚き、飛び上がった拍子にバランスを崩し
テーブルから落ちそうになったところを堪え、大開脚。
白浜さくらの母の眼前に未だ熱冷めやらぬ赤々とした陰茎をさらけ出した。
白浜母はひゃあああぁぁぁぁ……と、空気の抜けるような悲鳴を上げながら
ヘナヘナと椅子から崩れ落ちた。
「ハ、ハルヒコさん……?」
白浜さくらはこれ以上ないほど、目を丸くし
婚約者の未だ想像しかしたことがない裸を見つめる。
そして、白浜父はポカンと開けていた口を閉じ、ワナワナと震え始めた。
そうとも、娘の一言がなくても気づきはした。
そこにいるのは紛れもなく優秀な部下であり、娘の婚約者であり息子となるはずだった男。
それが自分の妻に肛門まで見せつけているのだから怒りに震えないはずがない。
「バカ! バカアホ! えっと、あ、クビィ!
クビィクビ! 婚約解消! け、警察だ警察!」
手当たり次第、ハルヒコにダメージを与えそうな言葉を脳内で探し
思いつくままに投げる白浜父。
「あ、あ、あの、しゃちょ、おと、あ、あ、あのクビあ、あ、あ」
ハルヒコはその中でクビという言葉に反応
血の気が頭から、体から、そそり立つ陰茎からも引いた。
だが、そのお陰でいくらか冷静になることができた。
これ、お、俺は……テレポートしたのか?
そんなこと有り得ない……なんて言えるはずがない。
この現状、そうとしか言いようがないのだ。
あの女、ナツミの奴が女としての対抗心か何なのか
さくらさんのことを想像しながらヤレと言い、俺はそうした。
そうだ。さくらさんを、白浜家を想像……それゆえに起きたというのか?
引き寄せられた? 絶頂時に放出されたエネルギーで……なんて
今、原因を考えたところでそれが何になるというんだ?
説明しても無駄。会社はクビ。婚約解消。警察。終わりだ何もかも。俺の人生。詰み。
……果たして本当にそうか?
「アホ! 死ね! 恥知らず! 出て行け! あ、なんだ! 何の真似だ!」
白浜父から罵声を浴びせられていたハルヒコは
テーブルの上、正座の状態から立ち上がり胸を張った。
まるで試合前の格闘家のような堂々とした立ち姿。
陰茎も少し元気を取り戻し前を向いた。
そしてその足元で悶えるナツミ、白浜父、白浜母、白浜さくらと順に目をやると
息を吸い、言った。
「全員よく聞け! 私はたった今、オーガズムと背徳感のその果てに
超能力に目覚めたのだ! いいか! そのうるさい口を閉じないと
今からお前の脳にその尻の穴に入りそうなイヤらしいほど小さいフォークを
テレポートしてやってもいいんだぞ!」
場が静まり返った。無論、これはハルヒコのハッタリであった。
時空の歪みか何かは知らぬがテレポーテーションしたのは事実だが
偶発的なものであり、自分が超能力者とはハルヒコ自身、思っていない。
もう一度できるとも細かい操作ができるとも思えない。
しかし、実際にテレポートの瞬間を目撃している以上
何を馬鹿なとは白浜家一同、口にできなかった。
そう、ハルヒコたちがテレポートしてくるその僅か前。
一瞬電球がちらついた気がして全員、上を向いたのだ。
ゆえに二人が何もない空間から現れるその瞬間を見ていた。
天井が破けているということもない。紛れもなく本物。
テレポート、超能力者だとその本人に言われればそうとしか思うほかない。
「さあさあさあ! 警察なんて呼んでみろ!
そうだ、そこのスプーンを肛門の奥の奥にテレポートさせてやるぞ! ほらほらほらほらぁ!」
中指を折り曲げ、卑猥な動きをするハルヒコ。
そしてそれを咎めることもできず、ただただ硬直する一同。
ハルヒコはその様子から、上手くいったと確信を持った。
そしてその間に次の手を思案する。
……さて、駄目で元々。社長への造反劇だったが上手くいった。
この場の主導権は俺にある。……しかし、この先はどうする?
まず服を要求したいところだが……いいや、裸の方がすごみがあるだろう。
この特異な状況。彼らは身の危険を感じ心の底から怯えている。
であるならば野性的、本能のままの姿であればあるほど優位に立つ気がする。
最善手はもう一言二言、脅しの言葉を吐いたのち、自分の部屋へテレポートすることだ。
しかし実際、またテレポートできるのだろうか?
方法は? どうやって? もう一度、ナツミとセックスする?
勃つか? ああ、勃つさ。というか勃っている。さすが俺だ。
ナツミはどう……なんだ? こいつ、指でケーキを食ってやがる。
意地汚い奴だ。腹をすかしていたのか?
そう言えばおっぱじめる前、先にご飯しましょうよとか言ってたな。
まったく、何も今、食わなくてもいいだろうに。
さっさと……いや、この場で試すわけにはいかないか。
もし失敗し、あのテレポートが偶然だとバレればそれまでだ。
さっきの脅しが無意味、いや逆効果。ボコボコにされるだろう。
しかし、大見得切った手前、服を貰い玄関から帰るわけにもいかない。
どうすれば……よし、ひとまずナツミと一緒に彼らから見えない場所へ移動し
それで試し……ん? あ。
「あ、なに、なにするのよ!」
「いいからよこしな! このババア!」
ハルヒコは困惑した。ナツミがズルズルとテーブルの上を這ったかと思えば
座り込んでいる白浜母に手を伸ばし、首にしていたネックレスを毟り取ったのである。
「やめなさい、返して!」
「文句でもあるのかよババア! てめーの閉経したクソ穴に
この花瓶の破片を送り込んでやろうか!」
まるで数多あるボニーとクライド系の映画のようだとハルヒコは思った。
カップルによる強盗。その旅路の果てにある破滅さえも酔いしれて。
そう、酔っているのか? 酒、いや、ヤル前に飲んだのはワイン一杯程度のはず。
ああ、そうか。正気を失っているのだ。
「そ、そもそもあなた誰ですか!」
そう声を上げたのは白浜さくら。
ワナワナと震えつつも、向けられた敵意を本能的に感じ取ったのかもしれない。
「おめーの婚約者の女だよ! 見りゃわかるだろ!」
「な、え……。ううう、嘘よ!」
「馬鹿か! この姿見りゃわかんだろうが!
まあ、箱入り娘じゃセックスをどうやるのかもわからないか!
『抱かせてくれない』『古臭い考え』って彼も言ってたよ!
同感だね! あんたも親父もババアも全部全部古臭い古臭い古い古い臭い臭い!」
「な、なによぉぉぉ!」
と、二人の女が髪の掴み合いの喧嘩を始めた。
ナツミの豹変っぷりは自分が先程啖呵を切ったせいだろうか
それとも割れた花瓶の破片で背中を切り
その痛みが闘争本能を呼び起こしたのだろうか、とハルヒコは思案したが
そうゆっくりと考えている暇はない。
白浜父が「やめたまえ!」と二人に仲裁に入る。
その顔にはいくらか平静が戻ってきているようだ。
家長として父として、娘のピンチに心を奮い立たせたのか
それとも自分よりも取り乱した人間を目の当たりにし、冷静になったのか。
どちらにせよ、それを見たハルヒコは焦った。
まずい、今はまだ恐らく彼らも確信までには至っていないだろうが勘づかれている。
本当に自由自在にテレポートできるのだろうか。
できるのなら何かして見せるのではないだろうか。
しないということはできない。できないということは……と。
「うううぅぅぅぅ……」
ハルヒコは自分の髪を掴み体をくねらせた。
どうしてこんな目に。こうしている間にも社長の奴は
ああ、ほらチラチラと俺を見ている。疑っているんだ。今に核心に近づくぞ。
どうする。ナツミの馬鹿を呼び寄せ、試してみるか?
あの取っ組み合いをどうやめさせる?
何だこの笑い声……夫人か? 気が触れたのか。
俺の方を見て笑っている。ああ、歌まで歌い出したぞ。
ぞーうさん、ぞーうさん、おーはながながいのねー。
ははははは。こっちの頭までおかしくなりそうだ。むしろそれが正解か。楽か。
そうさんぞうさん、象……ああ、そうか、そうだ。
と、閃いたハルヒコの行動を目の当たりにした白浜さくらがまず動きを止めた。
次いでナツミ。そして白浜父。白浜母はよりケタケタと笑い声を上げた。
ハルヒコは一心不乱に自分の陰茎をしごいていた。
帰りたい。あの部屋に。元の場所に。ベッドの中に……。
その一心で火花が散りそうな勢いでしごきつづける。
それを見てポカンとする三人。ナツミの顔に次第に怒りの相が浮き上がる。
「おまえぇ! 一人で逃げる気か!」
ハルヒコの意図に気づいたナツミが手を伸ばす。
「わ、わたしだってできるんだから!」
白浜さくらも負けじと手を伸ばす。
「またんか! この!」
「ぞおぉぉぉぉぉぉぉさあぁぁぁぁあん!」
五人の手が重なる。
そして……白浜家の食卓は数分前の、それ以上の静けさを取り戻した。
場所は変わり、ハルヒコの部屋。
静かだったベッドは数分前の、いやそれ以上にまた軋み始めた。
誰かが身じろぎするその度にギシギシと。
「ぞうばかばかさんあははははわたしのだわたしのくびくびくびごめんなさはははは……」
重なり、喘ぐような声は狂気と悲痛に満ちていた。