この二年の話、生活と創作の愚痴
二年ほど私生活でしんどいことが多かったので、愚痴を吐き出しがてら、整理したいと思う。
読む人にとって、なにかプラスになるものがあるわけではないことは、ご了承いただきたい。
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私は田舎の実家に住んでいる。
コンビニはあるが、車がないと買い物や移動に困る程度の田舎である。
そして、私は作家だ。
拾い上げで書籍化して、直後にレーベルが消え(マジで消えた――こっちから連絡しなければ、おそらく向こうから連絡されることはなかったであろう消え方で)、もう二十代も後半だからと名義を本名に変えて再出発し、なんとかネット小説大賞で引っかかり、さあがんばるぞといったところで、家族にトラブルが起きた。
トラブルの詳細は記せないけれど、結論から言うと、田舎にある実家と祖父母宅をあわせて車を運転できる人間が私だけになった。
母は車生活の人間だったが、二年間、車が運転できなくなった。(てんかんではなく、また別の要因によるものだ。)
理由はともかく、母の用事、仕事、友達付き合い、その全てに私の運転が必要になった。
これはもう、実家暮らしの男としては仕方がないことだ。車を出すこと自体に異論はなかった。異論はなくとも文句はあったが。
だが、集中力の問題なのか、なんなのか。
車の運転と、創作活動を行う、それぞれの脳みその領域が、どうやら重なっているようなのだ。
どちらかをすると、どちらかができない。
それぞれにクールタイムが必要で、思うように創作に注力できない状況が続いた。
それでも、まだなんとかなっていた。
スケジュール通りとはいかないまでも、創作は出来ていた。
でも、一年ほど経ったあたりで、祖父の認知症が悪化した。
家族の名前を混同し、知らない人に現金を送り、自分の年齢も勘違いするようになった。
とうぜん、その対応は、実家住まいの母と私に降りかかる。祖母は認知症ではないが、生来の癇癪持ちで、こういった作業や対応を、絶対に自分からはやらない人だったから。
朝、車で四十分ほどかかる場所に住む祖父母宅へ行き、祖父を車に乗せて病院へ行き、薬局へ行き、「せっかく車で来たから」と祖父母の用事を済ませ、また四十分かけて帰宅すれば、もう夕方だった。
最初のうちは、週に三日か四日はそんな調子だった。
一、二か月程度で通院のペースは落ちついたが、祖父が不規則な言動をするたびに、私が車を出す生活は続いた。
いつスクランブルがかかるのかわからない中でやる創作は、集中力が保てず、非常に苦しかった。
いつどこで車を運転するかわからないと、いつどこでどれだけのクールタイムを設けられるのかもわからない。すべては祖父の乱数行動次第だった。
兼業作家はもっと時間がない中で執筆しているぞ、甘ったれるな、楽をするなと言われると、返す言葉もない。その通りだ。
でも、愚痴と弱音を許してほしい。あなたのそれは仕事だ。お金になる時間の使い方だ。
翻って、私はただ家族のために、無償で車を運転する存在だった。
目減りしていく貯金から実家に生活費を入れ、家族のために車を出し、もそもそとなんとか小銭をやりくりするだけの生命体になっていた。
高校生の頃からやっていたポケモンカードを売り払って、住民税を支払ったりもした。
お金を減らしながら、残り僅かな二十代の時間も減らしている状況は、辛かった。
リソースが、裂けたホースを踏んだときみたいに、どばどば流れ出して行って、止められなかった。
名義を本名に変えたのは、三十歳までにどれだけ書けるか、どれだけ出せるかを今後の人生の指標にしたかったからだ。
ヤマモトユウスケが専業でやっていけるか、兼業の道を模索すべきか、無職のうちに(私は新卒で入った会社を辞めてから、無職のあいだに書籍化打診が来たタイプの専業作家で、要するに単なる無職だ。)、そして二十代のうちに、試したかったからだ。
だけど、その思いは出鼻をくじかれ、書く時間よりハンドルを握る時間の方が長くなった。
焦りと、ぶつける相手のいないいらつきが、蓄積されていった。
車の運転中に小説のことを考えればいい、と思う人もいるかもしれない。
でも、車を運転するときに考えていいことは、安全に車を運転することだけだ。
少なくとも、私はそう思う。あと私はそんなに器用じゃない。
もっと上手に生きれたら、そうしている。誰もがそうだと思うけれど。
いろいろなトラブルもあった。
いきなり「来月旅行に行くから着いてきて祖父の世話をしろ」と予定を破壊されたり、三日ほど時間を用意できたから「さあ書くぞ」と意気込んだとたんに襲来した祖父に請われて仕方なく車に乗せて昼飯を食べに行ったら一時停止を無視した高齢女性に横から車で突っ込まれて(怪我人がいなくてよかった。怪我人がいなかったこと以外は、なにもよくなかったけど。)予定を破壊されたりした。
なにか大きな意志が私に「小説なんか書くな」と言っているみたいだった。
実際、そんなことはないんだけど。大きな意志は私程度、歯牙にもかけていないだろうし。
運の悪いことが、メンタルの弱っているときに、重なっただけだ。
昨年の十二月から今年の一月あたりまでがいちばんきつかった。
「寒い日に近所の山のてっぺんで寝っ転がって目を閉じたら楽になれるのかなぁ」とか考えていた。
自ら命を絶つ人の気持ちが、ほんの少しだけわかった。
死にたいんじゃない。逃げたいんだ。逃げ場がそこにしかないから、そこに行くだけで。
結局、私は呻きながら二年間の運転手生活を終えた。死ななかった。
ただ、創作からは手を放していた。無理だった。
パソコンに向かっても、「どうせ途中で用事を言いつけられて辞めさせられる」「どうせ誰かに邪魔される」とびくついて、手が動かなくなっていた。
去年、一昨年の四月は、電撃大賞に新作を書きおろして送っていたのだが、今年は既存作を手直ししたものしか送れなかった。
カクヨムコンも途中で先述のメンタル崩壊が来て、手をキーボードから放してしまった。
毎月のコミカライズのゲラチェック等の仕事をいただいてなかったら、創作者としての存在の最後のひと掴みも、風に散らされてしまっていたかもしれない。
コミカライズがあってよかった。ほんの数グラムかもしれないけれど、創作者の矜持みたいなものが残ったから。
結局、私にもっと体力や精神力があれば、簡単な話だったんだろうなぁ。
何時間も他人のために、一円にもならない車の運転をして、母の愚痴を聞いたり祖父の不規則行動を阻止したり祖母の支離滅裂な会話の相手をした上で、メンタルを一切やられないまま小説を書けていれば、なにも問題なかったのだ。
私に強さがあればよかった。強くないから、悪い。それだけの話。
でも、ないものはないしなぁ。
そこにないなら、ないんだよなぁ。強さは中古屋にはない。新品でも売ってない。
自分の中にしか存在しえないものは、自分の中にないなら、どこにも存在しないのだ。
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五月は新しく一本書けたし、公募にも応募できた。
書き上げたときは、今までで一番上手に書けた自信があったけれど、いま振り返ると「文章量が十分でない」とか「一般文芸系なのにライトに寄せすぎた感がある」とか、いろいろ出てくる。
おそるおそる原稿を読むと、やっぱりおもしろくはあるけれど……、ツッコミどころや直したいところが、たくさん出てくる。
八割くらいの出来だったかもしれない。
おもしろい部分もあれば、足りていない部分もまた、間違いなく存在していて。
この、足りない二割こそが私の伸びしろなのだ……、と自分に言い聞かせて、やっていくしかないのだろうな。
散ってしまった欠片を、一粒一粒拾い集めて、また山にしていくしかない。
だから、積み上げようのない愚痴は、今日のこの備忘録で終わりにしよう。終わりにしたい。終わりにさせてくれ。頼むぞ、明日の自分。
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今日もパソコンに向かう。