三十七話 今度は、触れ合えたね
「外で話さないか?」
「はい、分かりました」
湯浴みを終えて自室でゆっくりしていたセリスは、ジェドに誘われて寄宿舎の外に出た。
思っていたよりも寒かったので、くしゅん! と一度くしゃみをすれば、さらっと自身の上着を肩に掛けてくれるジェドに申し訳無さと有り難さを口にしつつ、歩いて行く。
何となくジェドに続いて歩き、辿り着いた先は訓練場だった。
合同軍事演習当日の早朝、ジェドの美しい腹筋を見た場所である。
「セリス、ほら座りな」
「あ、はい」
腹筋のことをぼんやりと思い出していたセリスは、ジェドに促されて隣に腰を下ろす。
スッキリとした冷たい空気だが、ジェドが掛けてくれた上着のお陰で寒さはない。
見上げればはっきりと見える美しい月や星に、セリスは「綺麗……」とポツリと呟いた。
「本当だな。……すげぇ綺麗だ」
「はい。本当に……って、どこ見てるんですか!」
「ん? セリスのこと綺麗だなって思ったから言っただけだ。だめだったか?」
「だ、ダメです……!」
「顔赤くなってる。可愛い奴」
風がひゅるりと吹いたのと同時に、ジェドの右手がセリスの左耳の辺りに触れる。
乱れた横髪を耳にかけてくれただけなのに、セリスは僅かに触れた指先に体がぴくんと跳ねた。
「ほんと、可愛いな、セリス」
「ご勘弁を…………」
ジェドはさらっと言うが、セリスは免疫がないのでもう倒れる寸前である。好きだと自覚したら尚更だった。
しかし今は、その想いに浸っている場合じゃないのである。
セリスにはジェドに聞かなければならないことがあったのだった。
「あの、第二騎士団長様はおそらく罪に問われるのですよね」
「そうだな。今の地位ではいられないだろう」
「ということは、ジェドさんを含め、第四騎士団の皆が噂とは違うってことが、明らかになるってことでしょうか?」
セリスは伯爵令嬢だが、ハベスが断罪された場合にどのように国の動きが変わるかなんて大きな問題は分からなかった。
ジェドがお役御免になったということは、きっと良い方向に向かうのだろうというくらいの解釈だ。
けれどセリスは別にそれで良かった。国単位の大きなことは、セリスが口を出すことではない。
セリスが気になるのは、第四騎士団の悪評が消えるのか、団員たちが後ろ指を指されることがなくなるのか、そのことだけだったのだ。
「大丈夫。そのことは事前に陛下に伝えてあるからな。時間はかかるかもしれないが、俺たち第四騎士団は間違ったことはしていないって国中に知れ渡ることになるさ。あの人はその辺り抜かりないから心配しなくていい」
「良かった……良かったです……」
「相変わらず良い子だな……ほんと」
ジェドの右手が、次はセリスの頬に触れる。
手の甲で優しく触れられ、指先の暖かさにセリスは体がピクリと反応しそうになるのを必死に堪えた。
「ほっぺた、冷てぇな。寒いか?」
「いえ。ジェドさんの上着のお陰で暖かいです」
「そうか、そりゃあ……良かった。──けど俺はちょっと寒い」
「えっ」
──ひゅるり。外に出てから一番強い風がそのとき吹いた。
寒いならば上着を返そうと思っていたセリスだったが、強い風に一瞬目を閉じた瞬間、ジェドの腕に包まれていた。
セリスの上擦った声が、ジェドの胸辺りで篭って消えていく。
「セリスを抱きしめてたら暖かい」
「ままま、待ってください……ジェドさんの身体ポカポカじゃないですか」
「寒い寒い。セリスを抱きしめてねぇと寒い」
(絶対に嘘だわ……っ、私より暖かいじゃない……)
けれど嫌ではないセリスは、拒絶の言葉を口にすることはない。
ジェドに包まれるのは、抵抗をするのさえ忘れるほど心地良かったのだ。
「──なあ、セリス」
抱きしめられたまま、ジェドの声がセリスの耳に響く。
セリスはか細い声で「はい」とだけ言うと、ジェドの言葉を待った。
「実は俺、気付いてたんだ。セリスが『絶対記憶能力』の持ち主だって」
「……! そうだったのですね」
「何でセリスが自覚がないのかも、お前の義母親の説明で合点がいった。……でだ、ここからが本題なんだが──伝えたいことがある」
頬にピタリとくっついていたジェドの胸が少し離れる。
腕が解かれ、二人は向かい合った。
「お前が好きだ……セリス。一生傍に居てほしい」
「っ、ジェドさん…………わた、し……」
──返事をしなければ。私も同じだと伝えなければ。
セリスはそう思うものの、嬉しさと緊張から上手く言葉が出てこないでいると、ジェドがほんの少しだけ眉尻を下げたまま口を開いた。
「『絶対記憶能力』があるからとかそんなのは全く関係ないんだ。俺はセリスが──」
「まっ、待ってください……! その、私はそのことを疑ってなんていません……! ジェドさんを見ていれば分かります……! 私はただその、嬉しくて……同じ気持ちだって伝えるの、緊張して──っ、あ……」
「…………。はははっ、セリスはやっぱり、変なところ抜けてんな」
ジェドはそう言って、セリスの両頬を大きな手で包み込み、覗き込むようにして食い入るように見つめる。
セリスは緊張からか瞳が潤んでおり、ジェドは「可愛い」と堪らず連呼してしまう。
「……っ、見ないで、ください」
「無理だ。こんな可愛い顔見ないなんて拷問だろ」
「ごっ!? ……っ、言い過ぎでは……」
「言い過ぎじゃねぇよ。まあ強いて言うなら、セリスの口からちゃんと好きって聞きたいとは思ってるが」
「〜〜っ」
相手の好意には好意で返す。それはセリスのモットーである。
ジェドがきちんと気持ちを伝えたのだから、セリスだってきちんと伝えたいと思うが、如何せん恥ずかし過ぎる。
『人間離れしたご尊顔』が至近距離にあるのも、頬を大きな手で包まれているのも、それを助長させるのだ。
セリスとしては一度離れて冷静になりたいが、それが叶わないのは本能的に分かってしまったので、セリスは覚悟を決めるしかなかった。
覚悟を込めたアイスブルーの瞳が、ジェドの淡紫色の瞳を捉える。
「──好きです。ジェドさん」
「……ああ、俺も。嬉しいな、セリスに好きって言われんの」
「私もその、とても嬉しいです。緊張しますけど、ちゃんと伝えられて、良かった」
薄っすらと細められた瞳、ほんのりと色付いた頬に、少しだけ弧を描いた整った唇。
普段あまり表情に出ないセリスの柔らかな笑みをジェドは愛しそうに見つめる。
──ああ、俺の愛した人はなんて美しいのだろう。
「セリスのアイスブルーの瞳は、透き通ってて、セリスの優しい性格が滲み出てて……本当に綺麗だ」
その言葉を最後に、ジェドの手はセリスの頬から後頭部へ回される。
少しずつ近くなるジェドに、セリスは無意識にそっと目を閉じた。
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