三十四話 王城に向かう
「もう行くの?」
「はい。仕事も残っていますし……今度お休みのときに、また帰ってきますね」
「お義姉様絶対ですよ……!」
エントランスで、ギュッと抱きついてくるアーチェスを、セリスは抱きしめ返した。
ギルバートの件で心に傷を負っただろうが、こればっかりは本人が乗り越えるしかない。
抱き締める腕を解いて、セリスはアーチェスの頬にぴと、と右手を滑らせる。
「アーチェス。お義母様のこと、この家のこと、頼むわね」
「はい……! 頑張ります……! 精一杯努めます!!」
アーチェスが満面の笑みを向けてくれるので、セリスも小さく微笑む。
(何だか、第四騎士団へ初めて行ったときの日のことを思い出すわね……)
アーチェスの幸せを願い、義母に別れを告げた日のことは記憶に新しい。
けれど決定的に違うのは、この場にジェドがいることだろうか。それともう一つ、義母との蟠りが解けたことも大きい。
「お義母様」
セリスはアーチェスよりも半歩後ろでこちらを見ている義母に声を掛ける。
眉間に皺はなく、穏やかな表情を向けてくれる義母の胸に控えめに飛び込んだ。
「こんなふうに触れ合うのは初めてですね。緊張します」
「そうね。……けれど嬉しいわ」
「はい。私もです。…………どうかお義母様、息災で」
(あれ……確か…………)
伯爵邸を出る日、同じセリフを言ったことをはっきりと覚えている。
あのときは義母は、ドアノブに手をかけたセリスに何かを言おうとした。当時は嫌われていると思っていたためにさほど気にすることでもないかと思っていたセリスだったが、今は違う。
セリスはこの疑問を、義母の腕の中で問うことにした。
「私が家を出るとき、お義母様は何か仰ろうとしていましたよね……? 覚えていますか」
「ええ。はっきりと」
「何と言おうとしたのですか……? お聞きしても?」
「言いたくないのなら……」と気を使うセリスに対して、義母は腕の力を強めながら、おもむろに口を開いた。
「何も母親らしいことは出来なかったけれど……貴方の幸せを願っているから……って、そう、言いたかったの」
「…………!!」
「やっと、やっと言えたわ……」
「おか、あ、さま…………」
もっと早く本音を口にしていれば良かった。こんなにも愛されていたことを、知りたかった。
そんな後悔がないわけではないけれど、それよりもセリスの胸の中には喜びが込み上げてくる。
セリスは腕を解くと、自分よりやや高い位置にある義母の顔をしっかりとその目に映す。
アイスブルーの瞳が、僅かに潤んでいることにその場にいた全員が気づいていたけれど、誰も口にすることはなかった。
「その言葉だけで十分です……!」
◆◆◆
セリスが家族と挨拶を済ませたあと、ジェドと二人で馬に乗る。
ジェドの前で座っているセリスは、不安定な馬の上で振り向くことができなかったので、前を向いたまま声をかけた。
「ジェドさん、色々とありがとうございました。ついて来てくださって本当に良かったです」
「俺は何もしてねぇよ。……とりあえず、良かったな、セリス」
「はい…………!」
ギルバートは拘束され、罰を受けるだろう。アーチェスとの婚約破棄はスムーズに手続きが進むだろうし、心の傷は時間が解決してくれるはずだ。
義母についても蟠りは解け、ようやくちゃんとした家族になれた。今度家に帰ったときにたくさん話をしよう。
セリスはそんなことを考えて幸せに浸りながらも、流石に疲れたのか、少しだけジェドに凭れ掛かる。
無意識だったので「すみません!」と焦ったようにセリスは前傾姿勢を取った。
「疲れてるよな。凭れてて良いぞ」
「いえ、流石にそれは申し訳ないと言いますか……」
「良いから凭れてな。騎士団に戻る前にちょっとセリスを連れていきたい場所がある。遠回りになるから、遠慮せずに凭れてくれ」
「連れていきたい場所ですか……?」
「ああ。ようやくあの件が片付きそうだからな」
(あの件……?)
はて何のことやら。
思い当たる節がなかったセリスだったが、わざわざ何処かに連れて行くのであれば、馬上でする話ではないのだろうと口を噤む。
そのままどこに行くのだろうと景色を見渡せば、三年前に同じ道を通ったことを思い出した。
あれは確か十五歳のとき。社交界デビューをするときに父と一緒に馬車の中から見た景色と同じなのである。
それならば目的地はまさか──とセリスが思案していると、いつの間にか目的地に着いていたらしい。
「セリス、ほらおいで」
「す、すみません……小さいばかりに……」
「はははっ。軽いからずっとこうしてても良いんだが」
馬から降りるときに両脇に手を入れられて降ろされたセリス。
恥ずかしくて頬が真っ赤になるものの、伯爵令嬢で小柄なセリスが一人で降りられるはずもなく、かと言ってこの降ろし方は、と文句を言える立場でもなく、されるがままだ。
とはいえ、ずっと宙ぶらりんでは困るので、じっと目で訴える。
地面に足がついてから改めてお礼を言えば、セリスは目の前に広がる高い建物を見上げた。
「ジェドさん……どうして王宮に」
「直ぐに分かる。とりあえず行こう」
「えっ、ちょっと待っ──」
連れていきたい場所がある、なんて軽いノリで来る場所ではない。
訪れることを事前に連絡してあるのか、誰に用事があるのか、一体何の用事なのか。聞きたいことは山ほどあったが、ジェドが王宮内をずんずんと進んでいくため、聞くタイミングを逃してしまったセリスは困惑した。
「あれは……第四騎士団の団長じゃないか」
「いつ見てもジェド様って綺麗なお顔よね……」
文官や使用人から、そんな声がちらほらと聞こえてくる。
第四騎士団とはいえ団長なので顔は割れているらしく、王宮内で不法侵入などと咎められることはなかった。
「よし、入るか」
「えっ、流石に、ここは……」
しかしいくらなんでも、王の間には無理だろう。
首が痛くなるほどの大きな扉を見上げ、腰に剣を下げた騎士たちが警備に当たる中、セリスは額に汗が浮かんだ。
王に謁見するには、いくら騎士団長のジェドとは言えど手順を踏まなければ叶わないだろうと思ったからだ。
──しかし。
「第四騎士団、団長のジェド・ジルベスター殿ですね。貴殿は手続き無しで通しても良いと許可を得ていますので、どうぞ」
「……ってわけだから、セリス入るぞ」
「は、はい…………!」
どういうわけか、ジェドは特別待遇を受けているらしい。
いくら騎士団長とはいえ子爵家の息子がどうして……と思うと同時に、セリスは改めて引っかかりを覚えた。
(そもそもジェドさん……前は第二騎士団にいたのよね……それで団長様を斬って異動に……。それって……いくらなんでも……)
ギルバートはおそらく、今後騎士と名乗ることは出来ないだろう。それくらいはセリスにも分かる。
しかしそれならば、公爵であるハベスに斬り付けたジェドの処罰は第四騎士団に異動するだけで済むはずが無いのだ。
(何か特別な事情が……? それとも情状酌量が認められた……? って、待って……そもそもジェドさんって……)
街に出かけたときの会話をふと思い出す。
『そういえばジェドさんって、ジルベスター子爵家のご令息なんですか?』
『ん? ──まあ、そうかな』
歯切れが悪かったその返答。そして、手続き無しで国王と謁見ができるという特別待遇。想定よりも軽い処罰。
歯切れが悪かったのは、セリスがそう感じただけ。特別待遇は騎士団長という立場が、セリスが思っているよりも国王、及び国にとって重要だから。軽処罰は、情状酌量が認められたから。
別にあり得る話なのが、どうにもセリスは違和感を拭えない。
ギギギ……と音を立てながら少しずつ開く重たい扉から、光が差す。
セリスはジェドの一步後ろで、扉が開き切るのを待った。
読了ありがとうございました。
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