三話 自分の目で見たものしか信じない
義母とアーチェスがシュトラール家にやってきたのは八年前、セリスが十歳のときだった。
セリスが五歳のときに母が病気で亡くなり、父が後妻を迎え入れたのである。
義母も早いうちに夫を病気で亡くしており、アーチェスというセリスと歳の近い娘がいるということで共通の話題が生まれ、二人は割とすぐに結婚したらしい。
『セリスに新しいお義母さんと義妹が出来るんだよ。楽しみだろう?』と嬉しそうに言っていた父の顔をセリスはよく覚えている。
セリスといえば実母が忘れられてしまうようで悲しかったが、新たな家族を迎え入れることを父が幸せそうにしているので、反対することはなかった。
しかし実際再婚してみると。
仕事で夫が屋敷を留守にするたびに、義母はセリスを睨みつけた。
別に暴言をはかれたり、手を出されるなんてことはなかったが、アーチェスに向ける目とセリスに向ける目が全く違うのである。眉間に皺を寄せてじっと見てくるのだ。
セリスは齢十歳にして、夫の連れ子より実の娘のほうがそりゃあ可愛いだろうと思っていたので、それほど気にしなかった。
まあ多少寂しい思いはしたし、アーチェスと同じように可愛がってくれたらそれに越したことはなかったけれど、セリスはもう十歳で勉強が忙しかったし、アーチェスが本当の妹のように接してくれたので、それほど悩ましいものではなかった。
しかしセリスが十七歳のとき、父が事故で急死してから生活はガラリと変わった。
セリスは急に使用人として生活するよう、義母に指示されたのである。
「お義母様、挨拶に参りました」
──コンコン、とノックをすると返事があったので部屋に入ったセリス。
義母は伯爵家の事業に関する資料とにらめっこしていたが、セリスに一瞥をくれると手を止めた。
「今から出ていくの?」
「はい。ですからご挨拶にと思ったのですが、お忙しそうですね」
父が亡くなってからシュトラール家の当主を引き継ぐことになった義母は日々仕事に追われていた。
貴族とはいえ伯爵家では金が湧いて出てくるほどの余裕はなかったので、文官をなかなか雇えなかったのだ。
優秀な文官一人を雇うのに、使用人を五人雇えるくらいの給金が必要なのである。
「ええ。見てのとおりよ」
「では手短に。アーチェスの婚約、誠におめでとうございます。今後ギルバート様を婿に迎えられ、より一層シュトラール家が繁栄することを心より祈っております」
「…………」
普段のお仕着せではなく、実母の形見である何着かあるうちの一枚のワンピースに袖を通したセリスは、最後は淑女としてカーテシーを見せる。
──カン。義母はゆっくりと筆をテーブルへと置く。昔からよく見せる眉間に皺を寄せてじっと食い入るような瞳が、セリスを射抜いた。
「あの第四騎士団に行くんでしょう? ──どんなところか、ちゃんと分かっているの」
まるで頭がおかしいと言いたげな顔だ。
こうなったのはギルバートが婚約破棄をしてアーチェスを新たな婚約者に据えたから。つまりそれを許した義母にも事の一端の原因はあるのだが。
セリスは表情を変えることなく、じいっと義母の目を見つめた。
「亡くなった母から『自分の目で見たものを信じなさい』と口酸っぱく言われましたので、実際に見てみないと何とも。案外気の良い人たちかもしれませんし」
「…………」
「これも何かの縁です。第四騎士団で自分なりに頑張るつもりです。……と、もうそろそろ行きますね。お義母様、どうか息災で」
「────セリス」
ドアノブに手をかけたとき、名前を呼ばれてセリスは振り向いた。
立ち上がった義母がこちらを見ている。相変わらず眉間の皺が無くなることはない。
「……? どうされました?」
「…………。いえ、何もないわ。もう行きなさい」
「はい。では、失礼いたします」
──バタン。
(お義母様、何を言おうとしたんだろう?)
扉が閉まると、セリスは頭の片隅で義母の最後の様子に思いを馳せた。まあいつものことか、と直ぐにその疑問はどこかへ飛んでいった。
◆◆◆
同時刻。
第四騎士団の寄宿舎内にある談話室では、セリスの話で持ちきりだった。
若い女性が来るということだけでテンションが上がっている団員たちに、副団長のウィリムは筋肉隆々の腕を、ドォン!! とテーブルに振り下ろす。
「お前ら油を売ってないで、さっさと朝の訓練を始めんかぁ!!」
「「ヒッ、ヒィ……!! イエッサー!!」」
ウィリムの怒号に一目散に散っていく団員たち。
その波に逆らうように現れたジェドはウィリムが怒ったのだろうと予想がついたのか、やれやれと苦笑を見せた。
ジェドはいち早く自主的に朝の訓練を済ませたので、額には汗をかいている。
それを首にかけたタオルで拭うと、ジェドは凹んだテーブルに一瞥をくれてから「やりすぎだ」と声をかけた。
「テーブル。もうそろそろ壊れるぞ」
「むっ!!」
「む、じゃねぇよ。壊れたらウィリムの給料から引くからな」
「むっ!! そ、それは……」
「だから、む、じゃねぇっての」
ウィリムの反応に「はははっ」とおかしそうに笑うジェド。
何に対して怒っていたのかを尋ねれば、今日の夜にでも到着する新しい仲間についてどんなふうに出迎えたら喜んでくれるか、という議論に花を咲かせており、そのせいで朝の訓練に遅れそうだったからだという。
「可愛い話じゃないか。で、お前は行かなくて良いのか。今日の指南役はウィリムの担当だろ」
「もちろんだ。すぐに行く」
「ああ、それと、その子が上級貴族の家の出ってことは一応伏せておけよ」
「分かっている。……して、ジェド、新しく入る彼女のことだが……第二騎士団の男が寄越した推薦状の内容が、あまり良くなくてな」
「ん?」
伯爵家の娘が急に第四騎士団で働くことになるなんて普通ならば有り得ない。平民でさえ第四騎士団で働くのは遠慮するくらいなのだ。
なにか事情があるのだろうとは思っていたジェドだったが、物事をはっきり言うウィリムにしては口籠っていることに驚いた。
「お前が言いづらそうにするとは。何だ? 犯罪歴でもあるのか?」
「いや、そのだな。身分や家柄で人を判断するような女性らしくてな」
つまり、それが本当ならば第四騎士団の面々が嫌な思いをするかもしれないと。第四騎士団は基本的に下級騎士の集まりで、平民の出も多いのである。
ジェドはシャツの胸元をパタパタ動かして暑さを凌ぐと、おもむろに口を開いた。
「まあ、今はなんとも」
「む?」
「それはその子じゃなくて第二騎士団の奴の話だろ。俺は自分が見たものしか信じない質でな。……で、その子の名前は?」
「セリス。セリス・シュトラールだ」
ウィリムはそう言うと、よし行くか! と気合を入れて訓練場へと足を運ぶ。
ジェドはその後ろ姿を横目にしながら「どんな子かな……」と柔らかな声で呟いた。
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