二十三話 やっぱり凄いよね、それ
◆◆◆
セリスがジェドの部屋を飛び出した頃、シュトラール邸にカラン、とベルの音が鳴り響く。
おそらくギルバートが帰ってきたのだろうと、アーチェスは慌ててエントランスに向かい、ギルバートを出迎えた。
因みに、使用人たちはギリギリの人数で仕事を回しているので、事前に連絡がない場合は出迎えをする余裕はないのである。
「ギルバート様……! お帰りなさい! 今日の合同軍事演習はいかがで──」
「────さい」
「えっ? 今何て」
「うるさいって言ってんだよ!!!」
──パシン!!
「………っ!?」
左の頬がヒリヒリと痛い。アーチェスはそっと自身の左頬に触れ、やはり痛いことを再確認するとギルバートを見る。
こちらを見下ろしながら「ふーふー」と荒い鼻息を立てて、手のひらが赤くなったギルバートの右手を、アーチェスは視界に捉えた。
(私、今、叩かれたの……?)
ギルバートと婚約し、シュトラール家で共に暮らすようになってからしばらくが経つ。
アーチェスは苦手なりにも母から仕事を学び、今後シュトラール伯爵家を支えるために尽力していた。
そんな中でもギルバートを愛するアーチェスは、彼が騎士団の仕事が終わって帰ってくるのを毎回健気に出迎えていた。
今日はセリスが働いている第四騎士団と合同軍事演習があるという話は事前に聞かされており、昨夜なんて明日が楽しみだなぁ、とギルバートは至極機嫌が良さそうだったので、たくさん話を聞かせてもらおうと思っていたのだ。
だというのに帰ってきた途端煩いと言われ、あまつさえ頬を叩かれたアーチェスの瞳からはポロ……と涙が溢れたのだった。
「もっ、申し訳ありま、せん……ギルバート様……」
婚約をしてからというもの、いくら鈍感なアーチェスでもギルバートの変化には気付いていた。
時たま冷たい目を向けられ、話をしても上の空の時があり、きつい言葉を投げかけられたときもあった。
婚約者として甘い時間を過ごすことよりも、今は機嫌を伺っていることのほうが多いかもしれない。
けれどこんなふうに叩かれたのは、流石に初めてだった。
アーチェスは肩をぷるぷると震わせたまま、頭を下げ続ける。
すると、ギルバートは数歩近付いてからアーチェスの両肩に手を置いた。
「済まなかったアーチェス。今日嫌なことがあったからつい。お前に気を許しているとはいえ、やり過ぎたよ。ごめんな」
「ギルバート様……!!」
アーチェスはギルバートにギュッと抱きつく。背中に回された腕に、アーチェスは頬を緩ませた。
(良かった……もう怒っていないみたい……)
「今日はかなり嫌なことがあってね。むしゃくしゃしていたんだ。それに俺は将来伯爵だろう? お前には分からないかもしれないが重圧が凄いんだ。帰ってきて早々話すのは疲れるんだよ」
「ご、ごめんなさいギルバート様……」
「分かってくれれば良いんだよ」
手を上げたことを「つい」の一言で済まし、あまつさえアーチェスにも非があるという言い分に、アーチェスは違和感を持ったものの言い返すことはない。
アーチェスにとってギルバートは、セリスを傷付けると分かっていても、思いを止められなかったくらいに恋い焦がれた相手なのだ。
そんなギルバートが、自分を選んでくれたのだから、多少のことは我慢すれば良い。
──セリスへの罪悪感と、ギルバートへの盲目的な愛により、アーチェスは正常な判断が徐々に出来なくなっていたのだが、アーチェス本人がそのことに気づくことはなかった。
◆◆◆
合同軍事演習から約二週間が経ち、季節は一気に秋本番となっていた。
仕事の合間に余裕ができることが多くなったセリスは、少し前から第四騎士団の専門医に習い、怪我の治療について学んでいた。知識として足りない部分は持ち前の記憶力を活かして本で補い、その成長は目覚ましかった。
医師からある程度までの怪我ならば任せても良いと、太鼓判を押されたのは先日のことである。
「セリスちゃ~ん! 手当してくれ〜」
「はい! お任せください」
まだ手慣れていない部分はあるが、セリスは一度見聞きしたものは一回で覚えて忘れないのでミスはなく、団員たちからも好評だった。
そんなある日のこと、セリスが仕事の合間に談話室で休憩をしているときだった。
ウィリムと団員たちが、談話室に入ってくるやいなや、何やら議論を交わしているのだ。
聞かないほうが良いかと思って席を立とうとすると、セリスの存在に気がついたマリクが声をかけたことにより、何故かセリスまでそこに参加することになったのだが。
「第四騎士団と第二騎士団の受け持つエリアの境界の森ですよね。今日の午後の巡回って」
「む、そうだ」
「あの場所ってたまに珍しい魔物出ませんでしたっけ……」
「むむ…………」
第四騎士団に入ってからジェドや団員たちに騎士団の受け持つエリアについて教えてもらったことにより、話の大筋を理解できたセリス。
以前に読んだ魔物の本の内容を思い出し、セリスは「あっ」と声を上げた。
「何かあった? セリスちゃん」
「いきなりすみません。確かお話に出てきた場所ってラフレシアが発生しやすかったはずですよね」
「!? なっ、何でそれをセリスちゃんが知ってるの?」
「以前魔物に関しての本を読み漁っているときに書いてありました。現在発見されている全ての魔物の能力、主な生息地、弱点や気をつけなければいけないことなど、全て頭に入っています」
「「!?」」
「ちょっとした特技なんです。覚えるの」
──やっぱりちょっとじゃなくない!?
その場にいた団員たちは全員内心でそう思った。
しかしあまりにもセリスがあっけらかんとしているので、まあ良いか……という流れになった。
以前セリスが団員たち全員の名前を一度で覚えたことがあったときと同じような状況である。
「因みにセリスちゃん、魔物の本読んだのってどうしてなのかな?」
女性が読んで面白いものではないだろう。そう思ったハーディンがセリスに問いかける。
「元婚約者の──この前の第二騎士団のギルバート様と婚約しているとき、私なりに彼のことを知るべきかと魔物の本を読み漁りました。……ってハーディンさんどうしました? 頭を抱えて……」
「そのこと、団長には言わないほうが良いと思うよ……」
「? ……はい。分かりました。胸に止めておきますね」
「うんうん」と頷くハーディン。セリスは意味を全く理解していないように見えるが、一応忠告はしたので良いだろう。
ハーディンがそう思ったのと同時に、ガタッ! と音を立てて立ち上がったのはマリクだ。
マリクは「名案がある!」と目をキラキラさせて言うと、一同の視線はマリクへ向けられる。そして。
「午後からの境界エリアの森の巡回、セリスさんにも同行してもらうのはどうでしょう!? 魔物の知識があるならもってこいでは!?」
「えっ」
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