二十二話 あいつとキスはしたか?
第四騎士団の寄宿舎で働き始めてからそろそろ三ヶ月になるが、セリスはジェドの部屋に入ったことはなかった。というよりは、ナーシャとミレッタ以外の部屋に入ったことがなかった。
自分の部屋は自分で清掃することが決まりであり、ベッドシーツや他の大物を洗うときも団員自らが洗濯場まで持ってくる決まりなので、部屋に入る必要がないのである。
とはいえ、誰かが寝坊をしたから呼んできてほしいとか、用事があるから呼んできてほしいと頼まれることはしばしばあるので、部屋の内装については知っている。
セリスやナーシャたちとほとんど同じ大きさで、シンプルな作りだ。
もちろん個人的に装飾を加えることは可能だが、元の作りを大きく変えない程度にという制限付きだ。
──コンコン。
「セリスが、何でここに」
控えめなノックをすると、扉を開けてくれたジェドだったが、大きく目を見開いている。
そんなジェドの奥に見える部屋は、セリスの部屋の三倍以上広く、執務をするスペースと寝室がきっちりと分けられている。
とはいえ寝室の方は部屋の奥にある扉のその奥にあるので、直接目で見たわけではないのだけれど。
「突然すみません」
ジェドの頬に赤みは差していないのであまり飲んでいないのかと思ったものの、後方に見えるローテーブルには空になったボトルがいくつも並んでいる。
今までお酒で潰れたところを見たところがないとナーシャが言っていたように、ジェドは相当強いらしい。
「あの、お酒だけでは体に障りますからこれを」
「ああ。ありがとな」
「………? ジェドさん?」
セリスは両手を前に出してお皿を差し出すが、ジェドはお礼を口にするだけでなかなか受け取ってくれない。ハーディンが適当に盛り付けてくれたものだが、中々に見た目はきれいだし、これまで食事を作ってきた上でジェドが好き嫌いを見せたことはなかった。
セリスは、窺うような瞳をジェドにぶつけると、ジェドはゆっくりと口を開いた。
「せっかくだから一緒に食べよう」
「えっ。けれどジェドさんは一人で飲みたいのでは?」
「セリスなら良い」
「…………っ」
(何それ……何それ……っ)
流れるように甘い言葉を吐くのだから困ったものである。けれど嫌どころか、その言葉を嬉しいと感じてしまうのだから、なおさら困ったものだ。
セリスは少し迷いながらも、本能に従うように足を踏み入れる。
セリスの手からお皿を受け取ったジェドがそれを先にローテーブルへ置くと、扉を閉めようとするセリスに声を掛けた。
「セリス、扉は全開にしておいてくれ」
「……? は、はい」
指示通り入口の扉を開けたまま入るものの、セリスの顔は疑問を浮かべているのがジェドには分かった。どうやらこの意味が理解出来ていないらしい。
「俺の言ってる意味ちゃんと分かってるか?」
「と、言いますと」
「だから、いざというときの逃げ道は確保しとけって言ってんの」
「?」
「……その顔、まだピンときてねぇな。……まあ良いか」
呆れたように笑ったジェドは、先程まで座っていたソファに腰を下ろすと、とんとんと隣を叩いた。
対面のソファは空席だというのに、隣に座れと言っているらしい。
セリスは表情が崩れることはなかったが、緊張で両手足を同時に動かしながら歩いて隣に座ると、ジェドが「ははっ」と口を大きく開けて笑ったのだった。
「セリス、緊張してんのか」
「まさか隣に座るよう指示されるとは夢にも思わず、動揺しました……」
「……けど素直に座るあたり可愛いよな、セリスって」
「…………っ」
隣から手がずいっと伸びてくると、セリスの頭を乱雑に撫でる。
髪の毛が乱れるからとセリスがやんわり手を退けようとすると「どんな姿でもお前は可愛いよ」とさらっと天然たらしを発動され、セリスは脳内で『妹扱い』『通常運転』と繰り返し唱えるのだった。
ジェドは至極楽しそうな表情を浮かべながらも、セリスの頭から手を離してローテーブルの上の食事に視線を寄せる。
普段からお酒を飲むときは食事をほとんどとらないジェドだったが、セリスがせっかく持ってきてくれたので今日は話が違う。
何よりジェドはセリスが作ってくれる料理が本当に好きだった。ナーシャやミレッタの料理も美味しいが、正直セリスの料理のほうが好みなのである。
「この皿に乗ってるのでセリスが作ったのはどれだ?」
「私が作ったのは──」
セリスは指を差して料理の説明も付け加えていく。
ジェドはそれを聞きながらお酒を一口含むとセリスにフォークを手渡した。
「セリスも適当に食べな。無理はしなくて良いが」
「実は皆さんとお話ししていてあまり食べていないので、少し頂きますね」
そう言ってセリスが料理を口に運ぶのを横目に見つつ、ごくんと飲み込むのを確認すると同時に、ジェドは再び口を開いた。
「今日のあの男のことだが」
あの男とは間違いなくギルバートのことだろう。セリスは「はい」と相槌を打ちつつ、ジェドの言葉を待つ。
「あんな言われ方して……大丈夫か」
ジェドの声色に心配が含まれていることを察したセリスは、ほんの少しだけ薄っすらと目を細めてジェドを見つめ返した。
「問題ありません。皆さんが信じてくれましたので。それにジェドさん庇ってくださってありがとうございます。……むしろ私もお聞きしたいのですが、ジェドさん。ギルバート様がお帰りになる際に、何か言いました? 真っ青な顔をして出ていったので……」
「ん? 別に──さっさと失せろって言っただけだ」
「それはそれは──」
ギルバート様は相当怖かっただろうなぁ、とセリスはしみじみ思った。
ジェドの恐ろしい程整った顔でそんなことを言われたら、あまつさえ凄まれていたとしたら、よほど大声で怒鳴られるよりも怖いかもしれない。
セリスが乾いた苦笑を漏らすと、ジェドは視線を少し下に移した。
「出来ればあの男の行動を正式に問題にしたかったが、まあ無理だろうな。セリスの義妹の婚約者だから良かったといえば良かったのかもしれないが」
「アーチェスのことまで考えてくださったんですね……ありがとうございます」
「違う。義妹が悲しんだらセリスが悲しむだろ。俺はそれが嫌だっただけの話だ」
(今日は一段と……天然たらしのオンパレードね……)
しかしこれとて通常運転だ。動揺なんてするだけ無駄だ。期待なんてしようものなら最後、泥沼に入って足が抜け出せなくなる未来が見えている。
セリスは何度でも頭に叩き込む。これはジェドの天然たらし気質だから故、レベッカとだぶらせて妹扱いされているから大事にしてもらっているだけなのだと。
セリスは気持ちを落ち着かせようと料理をフォークで刺して、口に運ぼうとする。
しかし、セリスの自衛は、ジェドの言葉によっていとも簡単に壊されてしまうのだ。
「──俺の我が儘が許されるなら、あの男を斬り伏せてやりてぇところだが」
「そ、それはやり過ぎでは…………」
「そんなことあるか。セリスを意図的に傷付けたこともそうだが……あんな男が婚約者だったかと思うと腹立たしくてしょうがねぇな。俺だったら絶対、大事にするのに」
「…………っ」
そんなふうに言われたら、誰だって勘違いしてしまいそうになるだろう。
セリスは堪らなくなって隣りにいるジェドとは反対方向にそっと顔ごと逸らす。
ジェドはそんなセリスの気持ちを知ってか知らずか、追い打ちをかけるように言い放った。
「セリス、あの男とキスはしたか」
「!? しっ、してません……! 何でそんなこと聞くんですか……!」
「それならハグは」
「それもしてません……!!」
「手は? 繋いだのか」
「してませんってば! 私とギルバート様は──」
「それなら──」
ジェドの視線がセリスのフォークを持つ手に移る。フォークに刺さった料理は、先程セリスが自身で作ったと言っていた品だ。
ジェドはそんなフォークを持ったセリスの細い手首をギュッと握り締めると、少し力を入れて自身の方に引く。
いきなりのことに、つられるようにして顔ごとジェドの方向を向くことになったセリスは何事だろうかと目を見開くと、視界には自身が持つフォークに刺してある料理を、ジェドが食べているシーンだった。
つまり、半ば無理矢理、あーんする形になってしまったのだった。
セリスは一瞬ぴしゃりと固まる。
ジェドは素早く咀嚼を終えてから、そんなセリスに向かって口を開いた。
「こういうことも、してないか」
「〜〜っ、してませんったら!! 私とギルバート様は好き同士でも何でもなかったって言ってるじゃないですか!! ジェドさんの分からず屋!」
頬をこれでもかと真っ赤にしたセリスは、我慢ならずにそうやって早口で捲し立てると、手首を掴むジェドの手が緩んだのを見計らって勢いよく立ち上がり、ダダダッと出入り口に向かって走った。
そのままくるりと振り返り、座るジェドを見下ろすと、ガバっと頭を下げたのだった。
「今日は少し悪酔いしているようですので、失礼します! おやすみなさい!!」
「──ああ……おやすみ」
扉を開けてあったため、もたつくことなく部屋を出ていくセリス。どうやら逃げ道の確保は役に立ったらしい。
ジェドは「酔ってねぇよ」とポツリと呟いてから、続けざまにこう言うのだった。
「ったく……分からず屋って何だよ。ただの嫉妬だっての」
頭をガシガシと掻いてから、ジェドはゴクリとお酒を飲み干すと、乱雑にテーブルに置いた。
「──これはほんとに、あの件をさっさと終わらせねぇとな」
読了ありがとうございました。
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