十八話 他の男を意識するのは気に食わない
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ついに迎えた合同軍事演習の当日。
セリスは自分が何かをするわけではないけれど、緊張で早く目が覚めた。
(……ついに今日……)
合同軍事演習のことを知ってから、今日までセリスはナーシャとミレッタにも協力を仰ぎ、団員たちのサポートに回った。
ナーシャもミレッタも第四騎士団が第二騎士団にだけは負けたくないと思っていることは知っているので、快く協力してくれたのだった。
そして今日、セリスたちは朝食の準備と洗濯が済み次第、演習場に向かって団員たちの頑張りをこの目で見るつもりだ。ジェドからも許可をもらっており、そのために出来る仕事は事前にしておいたので準備は万端だった。
「少し歩こうかしら……」
外はまだ薄暗い。けれどもう心臓が高鳴って寝られそうにもなく、セリスは着替えてから部屋を飛び出した。
食堂や談話室を通り抜けて外に出ると、敷地内をゆっくり歩く。
どこに行くわけでもなかったが、何だかじっとしていられなかった。
しかしそんなとき、訓練場から僅かに物音が聞こえるとセリスはふと足を止め、そして今度は明確に意思を持って歩き始める。
ちら、と覗くと鍛錬に励んでいるジェドの姿に、セリスは「あ……」と小さく声を上げた。
「セリス?」
「おはようございますジェドさん。……すみません、その、邪魔をしてしまいましたね」
本当に小さな声だったが、神経を研ぎ澄ませて鍛錬をしているジェドには聞こえたのだろうか。
振り向いた瞳はいつもの柔らかなものではなく、少しだけ滾るような鋭さを孕んでいる。
ジェドが早朝に鍛錬をしているということは団員から聞いていたので知っていたものの、実際目にしたのは初めてだった。
普段は指南役に回ったり指示を出したりしていて、今のように真剣な面持ちで剣を振るう姿を見たことがなかったセリスの心臓は、ドクンと音を立てた。
「早いな。眠れなかったか?」
「は、はい。何だか緊張してしまって」
「ははっ、それなら俺と話でもしよう。そろそろ終わるつもりだったから」
そう言ったジェドは近くに置いてあったタオルを手に取ると、乱雑に頭や顔を拭いていく。
身体もベトベトで気持ち悪いのか、お腹辺りを拭こうとするジェドの服が少し捲くり上がり、まるで彫刻のような腹筋にセリスは無意識に目を奪われた。
(なんて美しい腹筋……って、私は何を見てるの)
ふと我に返り、セリスはジェドの美しい肉体からぱっと目を離す。
それからジェドに座ろうと誘われたので、セリスは続くように腰を下ろした。
「もう後数時間もすれば、第二騎士団の奴らが来る。セリスは大丈夫か?」
「私ですか? 私より皆さんの方が緊張しているのでは」
「俺を含め団員たちはやれることはやったって感じだからな。結果は自ずとついてくるだろうさ。それよりもセリス──俺はお前が心配だ。元婚約者も、多分来るぞ」
「……そういえば、そうでしたね…………」
会いたいか会いたくないかで言えば、間違いなく会いたくはないのだが。
それでもセリスはここ数週間、団員のサポートに尽力していたからか、一度もギルバートのことを思い出したことはなかった。
会ったら気まずいだろうけれど、まあ、話すこともないでしょう、くらいな軽い気持ちである。
セリスの反応が薄いことでギルバートのことをほとんど意識していないことを察したジェドは「心配だ……」とポツリと呟くので、何がだろうとセリスは小首を傾げた。
「ギルバート様は私のこの冷たい瞳が嫌いだそうなので、別に会っても話しかけて来ないと思いますよ?」
「……待て。そんなことを言われたのか?」
「はい。婚約破棄のときに。母譲りの瞳なので多少ショックでしたが、まあ感じ方は人それぞれですしね」
平然と話しながらも僅かに眉尻を下げるセリスに、ジェドは怒りが込み上げてくる。
婚約破棄をするだけでは飽き足らずセリスを傷付けるような言葉を並べるとは、頭がおかしいんじゃないか。しかも推薦状に、セリスの悪口まで書いてあったのだ。
セリスは関わってこないだろうと高を括っているものの、ジェドは嫌な予感がした。
「セリス、やっぱりギルバートには気をつけろよ。話しかけてきても無視だ。近くに来ただけでも逃げろ」
「えっ。そうなると、ギルバート様がどこにいるか常に意識していないといけませんね」
「意識────」
ジェドは、セリスのアイスブルーの双眼とばちりと目が合う。
この瞳が、ギルバートを常に追いかけるのかと思うと。
「気に食わねぇな。お前があんな男を意識すんの」
「え──」
少し間を空けて座っていた二人だったが、ジェドが少し腰を浮かせて距離を詰める。
肩と肩がコツンと触れるような距離に近づくと、セリスのアイスブルーの瞳の奥がゆらりと揺れた。
同時にジェドの淡紫の瞳が、先程の鍛錬中とはまた違う熱を帯びていることに気付いたセリスが咄嗟に顔を引っ込めようとすると、ジェドはそれよりも早い動きでずいと顔を近付けたのだった。
「っ、ジェドさん──」
鼻と鼻の先がくっつきそうなほどの至近距離に、セリスは動けず、身体を硬直させると。
──コツン。
「……?」
額と額がコツン、と音を立てる。痛みはないが、いきなりのことにセリスが目を白黒させると、ジェドは勢いよく立ち上がった。
「……セリスの前髪に汗ついちまったかも。ごめんな」
「い、いえ」
「服着替えたいから自室に戻る。風邪引かないうちにセリスも室内に戻れよ」
「はい。分かりました……」
去っていくジェドの姿が見えなくなると、セリスは膝を抱えてそこに顔を押し当てる。
(何さっきの……キスされるのかと……いや、そんなはずはないのに私ったら……)
ジェドは初めから、比較的距離感が近い人だった。そもそもが優しい上に、ときおり妹扱いをされ、何度ドキドキしたことだろう。
けれど今までだったら、こんなに胸を締め付けられるような気持ちになることはなかった。あの距離感に驚くことはあっても、離れた瞬間安堵していたことだろう。それなのに。
──あんなに熱を帯びた瞳で見つめるなんて、反則だ。
(嫌じゃなかった……あのまま……って、もう! あれは偶然顔が近付いただけよ。うん、そう、よね)
セリスが自らの感情に困惑する中、足速に部屋に戻ったジェドは扉を閉めると、その場にずずず……としゃがみ込む。
片手でぐしゃぐしゃと髪の毛を乱すと、これ以上ないくらいに大きなため息を漏らした。
「何しようとしてんだ俺は……妹扱いしてる女にすることじゃねぇだろ…………」
切なげに呟いたジェドは、もう一度「ハァ……」と大きくため息を漏らしたのだった。
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