十六話 ギルバートはお馬鹿さん
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一方その頃、セリスたちの話題に上がるギルバートといえば、これからシュトラール邸で暮らすための準備として、一度実家に戻ってきていた。
ギルバートの家は代々上級騎士を輩出する騎士の名門だった。もちろん父と兄も例に漏れずだ。
ギルバートは父がいる書斎に入ると、軽く挨拶を済ませて父を見据えた。
「そうか。今日からだったな、シュトラール家で世話になるのは」
「ええ。もう結婚も秒読みですし、第二騎士団も近いですから」
各騎士団には寄宿舎があるものの、何も強制ではない。
現にウィリムは妻子がいるため、近くの自宅から通っていた。もちろん副団長なので仕事が忙しく、定期的に寄宿舎に泊まるのだが。
「セリス嬢との婚約破棄をしたいと言ったときは驚いたものだが、まさかアーチェス嬢がお前に惚れていたとは。一度姿を見たことがあるが、セリス嬢より素直そうで良いじゃないか」
「はい。しかも彼女は俺にべた惚れな上、養子縁組を済ませてあるらしいので、セリスに拘る必要はありません。アーチェスの方が可愛らしいですし」
(まあ、アーチェスの良いところは可愛さではなく馬鹿なところだが……)
あれはおよそ一月ほど前のこと。
ギルバートは婚約者のセリスに会うためにシュトラール邸を訪れたときのことだ。
セリスを待っている間に、話しかけてきたのはアーチェスだった。
セリスとの婚約が決まってから何度も顔を合わせたが、アーチェスの瞳が熱を帯びていることにギルバートは気付いていた。
しかしギルバートはそれを気付いていないふりをした。前伯爵と血の繋がりのないアーチェスに、価値はないと思っていたからだ。
しかし無下にも出来ず笑顔を貼り付けて対応していると、何かの話の流れでアーチェスが養子縁組をしているという事実を知った。養子縁組をしていれば、爵位を受け継ぐ権利も与えられるとか。
──それなら、アーチェスで良いじゃないか。
そう思ったギルバートの思惑が通じたのか、ちょうどその日にアーチェスは伝えたいだけだから、と愛の告白をしてきたのである。
ギルバートは絶好の機会だと思い「実は俺の運命の相手はアーチェスだと思っていたんだ」なんて歯の浮くようなセリフを述べて、アーチェスの気持ちを受け入れた。
アーチェスはセリスに対して罪悪感を持っていて、新たに婚約を結び直すことに初めは後ろ向きだったが、甘い言葉を吐いてキスの一つでもすれば簡単に思いどおりになった。
そこからセリスに婚約破棄を告げるということになったわけだが──。
「第二騎士団長が融通が利く人間で良かったなあ。賄賂を送れば、剣の腕も頭も悪いお前でも上級騎士の仲間入りだ。母さんが裕福な商家の出だったことに感謝するんだな」
(チッ……賄賂なんてしなくたって俺は上級騎士になれていたさ。いつもそうやって冷めた目で俺のことを馬鹿にしやがって)
しかしギルバートは、ぐっと言葉を飲み込み、口にすることはなかった。
「………感謝しています」
「まあ、しかしだ。シュトラール家との縁談も進められたし万々歳だな」
レスター家は騎士の名家ではあったが、貴族との繋がりが薄く、上級騎士の称号があってもいまいち箔が足りなかったことから、貴族との縁を渇望していた。
しかしギルバートの兄は母方の商家の繋がりで結婚することになり、弟のギルバートに貴族との繋がりを持たせるしか手段は残されていなかったのである。
とはいえ貴族というのは、家柄や階級を誰よりも重要視するので、そう簡単にはいかなかった。
そんなとき、ギルバートとの縁談を受けたのがシュトラール伯爵家だった。
本人たちを抜きにしたギルバートの父とセリスの義母の話し合いにより決まった縁談だったが、言わずもがな政略的なものであった。
というのも、シュトラール家ではセリスの父──シュトラール伯爵が亡くなったことにより家の存続が危機に陥り、危機を脱するためには喉から手が出るほどお金がほしかったのだ。
一方でレスター家は将来伯爵を継ぐ後継者と血縁になれることが狙いだった。
だから当時、前伯爵の血を継ぐセリスに縁談を持ちかけたのである。
しかしここで、一つ認識の違いが起こる。
ギルバートの父は、このことを本人に告げていなかったのである。いくら頭の出来が悪いギルバートでも、この婚約の意味くらいは理解できるだろうと思っていたからだ。
しかし想像を遥かに超えて、ギルバートは愚かだった。
「将来はお前たちの子が伯爵を──」
(上級騎士以上を狙うならば爵位は必須だ……! 俺は上級騎士では終わらないぞ……! 伯爵にもなれば副団長……いや、騎士団長だって夢じゃない! 出来損ないだって馬鹿にする父上のことも見返してやる! アーチェスと結婚さえすれば──俺は伯爵なんだ)
「────おい、聞いているのかギルバート」
「は、はい。もちろんですよ」
と、都合よく返事はしたものの、実際ギルバートは全く話を聞いていなかった。
しかし父親がくどく言わなかったのは、結婚してもギルバートは爵位は継げず、子が爵位を継ぐことを知らないはずがないと思ったからだった。
父は「ハァ……」とため息をつくと、腕を組んでギルバートを冷ややかな目で見つめる。
少し椅子にもたれ掛かったからか、椅子がギィ……と音を立てた。
「ギルバート、うまくやれよ。婚約破棄をされるなんてことにはならんようにな」
「当たり前ではないですか。うまくやりますよ」
ギルバートはニヤリと口角を上げる。全ては自分の思い通りにことが進んでいると、疑いもしなかったから。
◆◆◆
セリスが第四騎士団の寄宿舎で働き始めてから二ヶ月が経った頃。季節は秋を迎えていた。
「過ごしやすくなってきたわね」
寄宿舎の裏手で汚れた騎士服を洗いながら、セリスは心地よい風に一瞬目を細める。
「そうですねセリスお嬢様」
「ちょっとミレッタ、話し方と名前……」
「今は二人きりだから良いではありませんか。私からすればお嬢様はずっとお嬢様なのですわ」
「もう。ミレッタったら」
ふふ、と笑い声を漏らしたセリスは、手元を動かしながら、洗濯物が入っている籠を見た。
「ねえ、ミレッタ。何だか最近多くない……?」
訓練に魔物の討伐、街の見回りなど、毎日汗をかく団員たち。
各々騎士服のスペアはあるらしいが、一日に何度も着替えることもあるため洗濯は毎日おこなっている。
その日にもよるが、普段ならば籠三つ分が山盛りになるくらいだろうか。
しかし三日くらい前から明らかに洗濯物が増えたのである。過ごしやすい季節になったというのに、服は汗でべったりで、必ずどこか破れているのだ。
セリスの疑問に、ミレッタは「言ってませんでしたね」と言いながら手を止める。
「実は近々、合同軍事演習があるのです」
「合同軍事演習? 他の騎士団と模擬戦でもするの?」
「そうです。けれど年に一度の国王陛下が主催する御前試合とは大きく違って、訓練の延長のようなものですね。確か、三週間後でしたかねぇ」
負けず嫌いな団員たちのことだ。だから団員たちはいつもより訓練に励んでいたのか。
洗濯物の多さも騎士服が破れていることも納得し、セリスはうんうんと頷く。
「場所はどこで?」
「ここ第四騎士団の演習場だそうですよ。それと、第一騎士団は当日、王都で収穫祭が開催されるらしくてその警備のため欠席。第三騎士団は管轄内で魔物が街に降りてきたらしく、警備を強化するために欠席だそうです」
「──と、言うことは」
「第二騎士団と第四騎士団の一騎打ちですね!!」
奇しくもギルバートが所属する第二騎士団だけが来るという現実に、セリスはミレッタにバレないように小さくため息をついた。
読了ありがとうございました。
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