十五話 半分こで二倍美味しい
昼食をとり、セリスが行きたいと言っていた本屋に訪れた二人。今度の休日に読もうと一冊本を購入したセリスは、先に見終わったのか、書店の外で待ってくれているジェドに声を掛ける。
「すみませんジェドさん、お待たせしました」
「全然。セリス相手なら待ってる時間も楽しかったしな」
「……っ、お気遣い痛み入ります……」
書店外の壁に腕を組んでもたれ掛かっているだけでも様になるというのに、そこに甘い言葉と柔らかな笑みが追加されれば、セリスは定型文のような言葉しか出てこなくなる。
しかしジェドの発言を聞いていたのはセリスだけではなかった。
「ジェドさん……何だか凄く視線を感じるのですが」
「…………そうだな」
ジェドが書店の前で一人で待っていたのは十分足らずだった。
しかしそんな短時間でも、一人になったジェドに声を掛けようと寄って来る女性は跡を絶たなかった。ジェドが人を待っているからと断っても、一度引くと見せかけて少し離れた位置からジェドの動向を伺う数多の女性たち。
書店から出てきたセリスに甘い言葉を吐くジェドを見聞きし、絶望の表情を浮かべたのは言うまでもない。
「ジェドさん、お腹に空きはありますか?」
書店の次に服やソボルプの工芸品を見て回った後、そう尋ねたのはセリスだった。
言われてみれば昼食からしばらく時間が経っていて小腹が空いて来た頃だったので、ジェドは「ある」と即答すると、セリスはそれなら、と指を指した。
その先にあるのは、ナーシャに絶対に食べてほしいと念押しされた『フワレ』だ。
ジェドは知らなかったのか、興味津々な瞳で見つめている。セリスも然り。
二人は足早にフワレを売っている露店の前に行くと、覗き込み、漂ってくる甘い香りに食欲がそそられた。
「甘いものは平気ですか?」
「むしろすげぇ好きだ」
「私もなんです。種類が沢山ありますね……どれにしましょうか」
楕円形のスポンジのような生地に沢山のクリームが入っているフワレは、見ただけでふわふわで美味しそうだ。
挟んであるクリームの種類は数多く「ラズベリー美味しそう……けどここはプレーンかしら……」とぶつぶつ言いながら悩んでいるセリス。
なかなか決まらず、ジェドに対してすみませんと頭を下げると、ジェドはセリスの顔を覗き込んだ。
「その二つで悩んでるのか?」
「はい。……直ぐに決めま──」
「おじさん、ラズベリーとプレーン一つずつ」
「ジェドさん!?」
私一人でそんなに食べられませんよ! と言いたげなセリスの顔だ。ほぼいつもどおりの無表情だというのに、なぜだかジェドには伝わるらしい。
「俺もこの二つで悩んでたからちょうど良かった。シェアして食べような」
「っ、ありがとう、ございます」
偶然好みが完全に一致するなんてことは、早々あるはずがなかった。
おそらく、ジェドはこういうことをレベッカにも当たり前のようにしてあげているのだろう。
「あの、お代は私が払いますので!」
「いや俺が──」
「往復の馬車代と昼食代まで出していただいているのに、これまで出されては私の立場がなく。おじさん、こちらお代です」
「あ、あいよ!」
店の前で長々と言い合いは迷惑になるので、実力行使したセリス。
ジェドは少し申し訳無さそうにしながらも「ありがとな」とセリスの行動を受け入れた。
こういうところもまたモテるのだろう、とセリスは思いながら、受け取ったフワレを持って二人で近くベンチへと腰を下ろすと、セリスはフワレを綺麗に割ってジェドへ手渡した。
そしてそのまま二人は「いただきます」と言ってから、パクリと一口。
「うわあ、ふわふわで美味しいです」
「本当に美味いな、これ。ナーシャに感謝しねぇと」
「はい。アーチェスにも食べさせてあげたいです」
「アーチェス?」
「失礼しました。アーチェスは私の義妹です。あの子も甘いものに目がなくて」
──アーチェス。セリスの義妹であり、婚約者を奪った女。
アーチェスについて詳細は知らないが、全く良い印象を持っていなかったジェドは、あっけらかんと義妹の名前を出すセリスに納得出来なかった。
自身の婚約者を奪われ、あまつさえ家を追い出される原因になった人間に、幸せを分け与えたいだなんて発想に普通はならないだろう。
「……セリス。実はこの前ミレッタから聞いたんだが」
「ああ、婚約破棄とか諸々のことですか? どこかのタイミングで話さなければと思っていたので手間が省けました」
もぐもぐ。ゴクン。
全く動揺を見せることなく話すセリスに、ジェドの方が僅かに動揺を見せる。
「平気なのか?」
「はい。アーチェスとは血の繋がりはないですが、昔から仲が良くて。だからアーチェスがあの方と婚約できて幸せになれるのなら私も嬉しいです。もとから私とあの方の婚約は政略的なもので愛はありませんでしたし、アーチェスは謝罪もしてくれましたし。まあ、あの方には少し思うところが無いわけではありませんが、アーチェスを幸せにしてくれるのであれば目を瞑れる程度ですね」
もぐもぐ。ゴクン。
もう少しで無くなってしまうフワレに「あら」と声を漏らしたセリスは、ほんの少しだけ目を細めながら、ジェドを見つめる。
「義母に関しては、父が亡くなってから必死にシュトラール家を存続させようと尽力してくれました。けれど父が亡くなったとき、家の存続に不安視した使用人たちが一斉に辞めたのです。だから私に使用人の仕事をさせたのでしょうね。致し方ありません。アーチェスは不器用なので、あまり戦力にはなりませんでしたし……」
「つまり全く恨んでいないと」
「そうですね。結果的に家事ができることで、私は第四騎士団で働かせてもらっていますし。アーチェスはあの方と婚約できて、義母はあの方が婿に入ったら少しは仕事が楽に──って、それはあまりないかもしれませんね。騎士団に勤めていて忙しいらしいので」
「は? 騎士団?」
突然セリスの元婚約者が騎士団だと明かされたジェドは、驚きで手から落ちそうになるフワレを間一髪で掴むと、必死に頭を回転させる。
第四騎士団の団員ではないことは間違いないとして、それならば一体誰が──そう考えたとき。
ジェドはとある騎士から送られてきた推薦状のことを思い出した。
「まさかセリスの元婚約者って──第二騎士団のギルバート・レスターか?」
「……! 正解です。良く分かりましたね……流石です」
もぐもぐ。ゴクン。
食べ終わったセリスは、丁寧に包みを折りたたむ。
ジェドはギルバートがセリスの元婚約者であり、そして推薦状にセリスのでたらめな悪評を綴った人物であることを理解すると、ふつふつと湧いてくる怒りを抑えるのに必死になった。
「ただ、婚約破棄の申し出のときに、ギルバート様が変なことを言っていたことだけが気掛かりでして」
「…………変なこと?」
「なんでもアーチェスと結婚したら次の伯爵は自分だと」
「────は?」
ジェドの素っ頓狂な声が、辺りに響く。
ここベルハレム王国では、女性が爵位を受け継ぐことも、その婿が爵位を受け継ぐことも出来なかった。それは如何なる理由があってもだ。
事実セリスの義母は当主は務めているものの、伯爵の爵位を継いだわけではなかった。
つまりセリスの父の場合は、娘しかいない時点で伯爵の爵位はセリスの父の身内の男子に受け継がれるわけだが、そこが問題だった。
セリスの父は周りに男の身内がいなかったのである。元々男子が少ない家だったこともあったが、流行り病や戦死を遂げてついには一人もいなくなってしまったのだ。
その場合に限っては、ここベルハレムでは二つの特例が認められる。
一つはセリスの子供が男子だった場合は、その子に爵位が与えられるということ。
もう一つは、血の繋がらない娘──アーチェスに対して事前に養子縁組という手続きを取っておけば、アーチェスの子が男子だった場合でも爵位が与えられるということ。
セリスはこのことをジェドに説明すると、続けざまに口を開く。
「因みにアーチェスは養子縁組の手続きが済んでいます。父が生きているとき、偶然その話をしているのを聞いてしまったことがあって。爵位を継ぐには男子が必要ですし」
「つまり義妹の男子なら伯爵を与えられるが、ギルバートには不可能。なのにギルバートは伯爵になれると思っていると。こういうことか?」
「そのとおりです。アーチェスも養子縁組のことは知っていると思いますが、その辺りを理解しているかどうか……少なくともギルバート様は理解していないようですし。まあ、お義母様はその辺りはお詳しいと思うので、私は口出しはしなかったのですが。まあ、愛のある二人にはそんなことは些細な問題でしょう」
そういったセリスだったが、ふと婚約破棄を告げられたときのことを思い出す。
相思相愛のように見えたが、ギルバートはアーチェスに冷ややかな目を向けることがあった。
(まあ、恋愛にはそういうこともあるのよね、きっと)
恋どころか男性とほとんど関わりを持っていなかったセリスが分かるはずもなく、セリスは「フワレ美味しかったですね」と少しだけ頬を緩めた。
読了ありがとうございました。
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