十四話 『絶対記憶能力』とは
「あの、ジェドさん、何か、怒って、ますか……?」
あれからしばらく無言で歩き続けたジェドは、小走りで息が上がるセリスにそう問われ、はたと足を止めて振り向いた。
「俺が怒ってる?」
「勘違い、なら、すみま……せん……」
そこでようやく、息が上がって顔が赤くなっているセリスの様子に、歩くのが速かったことに気が付いたジェド。
紳士としてあり得ない行動に頭を抱えたくなるものの、反省はひとまず後にして近くのベンチにセリスを誘うと、ズボンのポケットからハンカチを出してそこに敷いた。
「疲れたよな。悪い、座ってくれ」
「……でも…………ありがとう、ございます」
ジェドの瞳から心配の色が伺える。この好意には感謝して甘えるほうが良いかもしれないと、セリスは腰を下ろした。
ジェドはそんなセリスの前で「ハァ……」と言いながらしゃがみ込む。
「ジェドさんもお疲れですよね! すみません気が利かなくて……お隣にどうぞ座ってください」
「自分に驚いてるだけで疲れちゃいないよ。大丈夫だ」
はっきりそう告げられてしまえば、無理強いすることでもないか、とセリスは口を噤んだ。
一方でジェドはしゃがみ込んだまま自分の行動を振り返っていた。
あれは昨日、とある団員から明日セリスが街に出かけるのだという話を聞いたときだ。
偶然ジェドも休暇の予定だったので一人なら誘おうかと思っていたのだが、既に先約があるらしい。どうせ同じ場所に行くのなら、行きと帰りは同じ馬車に乗ろうと団員と約束をしたらしいのだ。
ジェドはセリスに対して好感を持っている自覚もあるので、団員とはいえ男と二人でなんて警戒心が足りないのではと思ったのが昨日の夜。そして早朝、団員が別件が出来てしまいセリスに謝らなければと言っていたのを聞いたジェドは、すぐさま行動に移した。
騎士団長という立場上、新しく馬車を手配するのは造作もなかった。
そんな偶然と、迅速な手配から始まった二人の休日だったが──。
ジェドは整った容姿をしているので、街に出れば女性に声を掛けられるなんて日常茶飯事だった。しかしそれは一人のとき、または団員といるとき、それか妹のレベッカといるときだ。
しかし今日は違う。男でも妹でもなく、セリスなのだ。セリスは小柄ではあるが決して子供に見えるような童顔ではないし、手まで繋いでいる。
というのに声を掛けてきた女性は明らかにセリスを牽制するように妹扱いし、あまつさえセリスがそれに同意したものだからジェドは無意識に腹を立てたのだった。
ジェド自身も妹扱いすることはあるし、確かに妹のように感じることもあるというのに。何故かジェドは、それを周りに言われるのは不快で仕方がなかった。
ジェドはゆっくりと立ち上がると、セリスの頭にぽんっと手を置く。その瞳はまだ普段の穏やかなものではなく、セリスは冷や汗をかいた。
「──セリス」
「すみませんジェドさん……私が何か失礼を……もしや手汗がベトベトで不快な思いを……」
「してねぇから」
どうやらまだ怒っていると勘違いさせてしまったらしい。
誤解を解きたいジェドはセリスの頭に乗せた手を優しく動かす。説明をすればより良いのだろうが、自身でも完全に理解できていないために、ジェドは口にするのは控えておいた。
「よし、そろそろ行くか」
いつの間にやら普段通りになったジェドがそう言ったのは、ちょうどセリスの呼吸が整ったときだった。
セリスはゆっくり立ち上がるとハンカチを受け取ろうと手を出すジェドを頑なに拒んだ。
「服の上からとはいえ、座ったものをそのまま返せません! 一回……いえ、二回、三回は丁寧に洗濯してから返しますのでご安心ください。お望みとあれば追加で何回でも洗濯いたしますので」
「……それなら一回で良いから」
本当に洗濯は不要なのだが。真面目なセリスは気がすまないだろうと折れたジェドに、セリスはありがとうございましたと深く頭を下げた。
そろそろ小腹が空いて来たので昼食をとろうという話になったので、セリスはソボルプの街並みを見ながらゆっくりと歩いていた。
隣りにいるジェドからは「迷子になったら、大変だから手を繋ごう」と言われたが、今の通りはそれ程人が居ないので大丈夫だと断りを入れたのだった。
手を繋ぐと、先程のジェドの『大切な子だ』という台詞が頭から離れなくなる気がしたからである。
セリスは何か話題を、と思考を働かせる。
「そういえばジェドさんって、ジルベスター子爵家のご令息なんですか?」
「ん? ──まあ、そうかな」
(何だか歯切れが悪い……?)
少し気になったものの、まあ良いかとセリスが指摘することはなく。
「妹さん──レベッカちゃんは何歳なんですか? というか私ジェドさんの年齢も知りません」
「言ってなかったか? 俺は二十三。レベッカは今年で十歳になった。そろそろ兄離れされると思うと寂しいな」
「ふふ、ジェドさんって本当にレベッカちゃんのこと好きなんですね」
「まあ、家族だか──いや、次はセリスの話にしよう。何か好きなものはあるか?」
家を追い出されたセリスに言うのは配慮に欠けるかと、ジェドは咄嗟に話を切り替える。
セリスは不思議には思ったものの、それほど深く考えることなくうーん……と悩むと、何か思い付いたように口を開いた。
「強いて言うなら本とお花でしょうか」
「良いな。それなら飯食ったあとに行くか」
「はい! ナーシャに品揃えの多い書店を教えてもらって、場所は地図を見て覚えているので案内はお任せください」
「……! あの短時間でか?」
「はい。書店をというより、あの地図の内容は全て覚えています。昔から記憶力が良くて」
──それは、明らかに特技の範疇を超えている。
以前、セリスが食堂で団員たちの名前を一度で完璧に覚えていたことがあった。あのときからジェドは、セリスの記憶力はずば抜けているのではないかと思っていた。
けれどそれは間違っていた。ずば抜けているという言葉でさえ霞むほど、セリスの能力は常軌を逸しているのだ。
おそらくセリスは一度見たものや聞いたものを瞬時に記憶し、そして忘れることがない──『絶対記憶能力』の持ち主なのだろう。
ジェドは数秒返答せずに黙っていると、セリスに「あの」と声を掛けられてハッと意識を現実に戻した。
「どうかしましたか?」
「いや、悪い。何でもねぇよ。……とりあえず飯だ! 飯食おう」
「それなら、あのお店に入りたいんですが、良いですか? ナーシャがとっても美味しいって教えてくれて」
「ああ、もちろん」
快く提案を受け入れたジェドだったが、正直今はそれどころではなかった。
セリスが『絶対記憶能力』を持っていることは確かだというのに、セリスがその自覚がないことが不思議でしょうがなかったのである。
『絶対記憶能力』という能力は、貴族の間ではかなり知れ渡っているものだ。セリスは伯爵家の人間なので、少なくとも伯爵の爵位を持つ父親は聞いたことがあっただろう。
ミレッタから父親が亡くなったのは一年ほどだということを聞いていたジェドは、どうも腑に落ちなかった。
意図的にセリスに伝えなかったのか。──だとしたら何故なのか。
店に入るとセリスが「楽しみですね」と明るい声色で話すので、悩むのは今じゃなくても良いだろうとジェドは疑問を頭の片隅に追いやった。
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