十一話 とろっとろだあ
「えっ」
間抜けな声が漏れる。
地面を踏みしめる足裏の感覚が無くなったことと、手が届かなかった物干し竿が届く範囲にあること。
脇をジェドに支えられていることをセリスは理解すると、一瞬何の反応もできなかった。
セリスはジェドに、後ろから脇に手を挟まれて持ち上げられているのである。
(……え? ……ん?……ん!?)
セリスは数秒してからようやくことの重大さを理解すると、首をひねって後ろにいるジェドを視界に捉える。
一見無表情に見えるが実は何とも言えない表情をしているセリスに、ジェドは穏やかな表情を浮かべた。
「これならセリスが自分で仕事したことになるだろ? 名案だ」
「めっ、名案じゃありません……っ!! 重いですから離してください……!」
「軽い軽い。妹と変わんねぇくらい軽いから問題なしだ」
以前、ジェドは小さな妹がいると言っていた。自分で手当できるようなセリスの膝の怪我を甲斐甲斐しく手当しようとしていたところを見ると、おそらく妹のことはとても大事にしているのだろう。
しかしセリスはいくら小柄でもれっきとした十八歳だ。しかも伯爵家の出身だ。
父親にでさえ幼少期を過ぎたあたりからこんなふうに触れられたことがないセリスは、ジェドの好意をそのままに受け取ることなんて出来なかった。
「いくら妹さんがいるからって……こ、これはやりすぎです……!」
「レベッカはこれするとすげぇ喜ぶんだが」
「レベッカちゃんと言うんですね……ってそうじゃないです! ──が出そうになりますので、離してください……!」
「出る? 何がだ」
「そ、れは…………!」
セリスは少しだけ声を詰まらせてから、意を決して口に出す。
ほんの少しだけ眉尻を下げた切なげで、頬を真っ赤に染めた顔で。
「ドキドキして心臓が……飛び出ます。まだ死にたくありませんので、どうか離してください……っ」
「……!?」
ごく、と生唾を飲み込んだジェドの喉仏が上下に動く。
その瞬間セリスは優しく降ろされると、くるりと体ごとジェドに向き直って丁寧に頭を下げた。
いくら突然のことだったとはいえ、お礼ぐらいは伝えなければ気が済まなかったのである。
「ありがとうございます……って、ジェドさん? どうかしましたか」
「いや…………」
自身の目を右手で覆うようにしながら天を仰ぐジェドに、セリスはその心境を察した。
(なるほど……思っていたより私が重かったのね……けれど私を傷付けないように表情を隠してくれているんだわ。なんて優しいの……)
セリスは胸にじーんと込み上げてくるありがたさを感じながら、思いの外早く戻ってきたナーシャと再び洗濯物に向き合うのだった。
◆◆◆
朝食作りに洗濯、寄宿舎の共有スペースの清掃、昼食作りに団員たちの破れた騎士服の補修。
色々と教えてもらいながら暇なく仕事をやりきったセリスは夕食を済ませた。
片付けも終わって仕事も終了だと告げられたので、挨拶をして部屋に戻ろうとすると、そんなセリスを引き止めたのはナーシャだった。
「な、なあ、セリス! 疲れてるとこ悪いんだがちょっとだけ時間をくれないか!?」
「はい。もちろん大丈夫ですが……明日の連絡ですか?」
明日の朝食のメニューの相談や、今日の仕事のおさらいをするのだろうか。その割にはナーシャの顔は何だか必死に見えるけれど。
セリスはそんなことを思いながら、ナーシャに背中を押されて食堂の真ん中へと誘われると、すぐさま団員たちはセリスを囲むようにしてぴしっと姿勢を正した。
「え。これは一体」
「こういうのはきちんとしておかないとな!!」
「ナーシャ、どういう──」
「「セリスちゃん(さん)! 改めて第四騎士団へようこそ!! これからよろしくー!!」」
「!?」
訓練に街の治安維持を務める騎士たちは、どう考えたって疲れているはずだというのに。それにすぐにお開きになったとはいえ、昨日も歓迎してくれたというのに。
満面の笑みを向けられたセリスは、深々と左右前後に頭を下げて「ありがとうございます」と感謝を伝えた。
気の利いた言葉が出てこない自身を憎みながらも、セリスは精一杯感謝の気持を伝えると、ゆっくり顔を上げた。
「セリスちゃん! ちょっとだけ笑ってない!?」
「えっ、本当ですか?」
どうやら表情筋が少し動いたらしい。
一人の団員がそういったことで、セリスを囲んでいた面々はキッチンとは反対方向に集まると、セリスの顔をジィーっと凝視する。
残念なことにセリスの顔は意図せず一瞬で無表情に戻っていたが「その顔もまた良い!」と誰かが言うと同時に「待たせたね〜」と登場するのはミレッタだ。
「こういう日のために良いお酒を残しておいたの! 皆で飲みましょう〜」
「「ミレッタさん! 一生ついていきます!」」
「昨日みたいなことはすんなよ!? ……って待て待て待て待て! 副団長に酒を渡しに行くな!! 潰れるから!!」
ミレッタのもとにお酒を求めて群がる団員たちに、あーだこーだと痴話喧嘩をするナーシャとハーディン。そんな様子を少し離れたところから見ているジェドとウィリム。
セリスもなんだか楽しくなって、主役にも飲んでもらわないと! と回ってきたお酒を手に持つと、興味津々に覗き込む。
(飲んだことないけれど……一体どんな味が)
ウィリムのように一口で潰れる人がいることは学習済みなので、人生初のお酒は舌先にちらりと触れる程度に留めた。
「んっ、からい…………」
集団から少し離れたところでそうポツリと呟いたセリス。
どうやら誰にも聞こえた様子がないことに安堵すると、そんなセリスの手元に影が落ちる。
「お疲れセリス。もう酒は飲んだか?」
「ジェドさん、お疲れ様です。はい、少しだけ」
何だかジェドの顔を見ると洗濯物のときの光景を思い出してドキドキするが、セリスは一瞬でそんな邪念を吹き飛ばした。
あれはおそらくジェドの通常運転なのだから、気にしたってしょうがないのだ。
天然のたらし気質と妹扱いが重なるのは心臓に悪いけれど、自分が慣れれば良い話だもの、とセリスは冷静に分析したのである。
「酒は良く飲むのか?」
「今日が初めてです」
「ならもうやめとけ。初めてで飲む酒じゃねぇからな、これ。度数高いし結構辛いし」
「そうなんですか? 確かに少し……その、辛かったですが……折角のご好意ですので時間がかかろうとも飲みきってみせます」
どうやら辛いと感じたセリスの味覚は正しいらしい。ミレッタが持ってきたお酒は、普段お酒に飲み慣れた団員たちに合わせたものだったようだ。
ジェドに対して意気込んだものの、勢いよく飲んでいたらどうなっていただろうかとセリスは考える。
しかしそんなセリスの手の中にあるグラスは、まるで初めからそこにあったように、ジェドの手の中に収まっていた。
セリスのアイスブルーの瞳がパチパチと開いて閉じてを繰り返した。
「ジェドさん、それは私の……」
「セリスにはまだ早いからこれ以上はだーめ。もうちょい大人になってからな」
「何度も言いますが十八歳ですわ!」
「……俺が心配だから今回は折れてくれ」
「なっ」
そう言ってジェドはセリスが持っていたお酒をぐいと喉に流し込む。
空っぽになったグラスを渡され「おかわりはちゃんと断れよ」と言って去っていくジェドに、セリスはこくこくと何度も頷くことしか出来なかった。
さらっとお酒を飲んでくれる姿も、しれっと俺が心配だからと言いのけるところも、お酒を飲むよりもセリスの頬を赤く染めるには十分だった。
そんな二人のやり取りを実は見ていた団員の数名は、口を揃えて「とろっとろだあ」と呟いたという。
◆◆◆
二度目の歓迎会がお開きになった直後のこと。
素面と変わらない顔つきのジェドと、今日は素面のウィリムは団長室のソファに腰を下ろしていた。
先程までの穏やかな空気とは一転して、二人の顔つきは少しだけ真剣なものである。口を開いたのは、第四騎士団へ送られてきたセリスの推薦状を手に持つジェドだった。
「なぁウィリム。セリスはどう考えてもこの推薦状に書かれているような『身分や家柄で人を判断する』ような女の子に俺は思えない。お前はどうだ」
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