十話 ふわっとなんてそうあるはずがない
ミレッタが朝食の後片付けをする間、セリスとナーシャが次にするのは洗濯だ。
雲一つない快晴だったので、服だけではなくシーツやら細かいものまで全て洗ってしまおうという話になったのだが。
「一応聞くけど、セリスって洗濯もできるんだよな?」
「はい。家事の一通りは出来ます。ただ男性のものは扱ったことがなくて……その、下着も洗うのでしょうか?」
「流石にそれはない! 基本洗濯はあたしたちの仕事だけど、そればっかりはあいつら自分でするってさ」
流石に恋人でも嫁でも母でもない異性に下着を洗わせるのは気が引けるらしく、その辺りはきちっと線引しているんだとか。
仕事と割り切ればできるだろうと思っていたセリスだったが、ホッと安堵する。
団員たちには各々自室があり、もちろんセリスたちが勝手に入ることは許されていないので、朝食のときにベッドシーツを取ってくるようにとナーシャが指示をしたのが約三十分前だ。
寄宿舎の裏手で洗濯は行うらしいのだが、朝食の後に団員自らが持ってきてくれるらしい。
寄宿舎には二十人程度が暮らしているので洗濯物を運ぶだけでも大変だろう、と考えていたセリスにはありがたい話だった。
「ここに洗濯物を入れてもらうんだ」
「なるほど。分かりました!」
寄宿舎の裏手につくと、大きな網目状の籠を指差して教えてくれるナーシャ。
この籠に指定した時間内に入れてくれたものを洗い、干すらしい。
物干し竿が十本以上並んでおり、風の通りを考えてか高さもまちまちだ。
セリスはナーシャの話を聞きつつキョロキョロと辺りを見渡していると、一斉に団員たちがやってきたのだった。
「「洗濯よろしくお願いします!!」」
「おー! いい心掛けだな!」
「皆さんありがとうございます」
運んできてくれた団員たちにお礼を言いつつ、籠が満タンになっていくのを見つめていくセリス。
これは時間がかかりそうだから頑張らないと、と意気込んでいると、一人の団員がおもむろに服を脱ぎだしたのに目を見開いた。
「悪い! 今着てたのも洗ってくれ! これ一昨日から着てたやつだったわ」
「おい不潔だぞー! さっさと籠入れろよな!」
(えっ、ナーシャは平気なの……!?)
上半身に何も纏わない団員の姿に、全く狼狽えないナーシャは、おそらくこういう光景に慣れているのだろう。
再三だがセリスは男性との関わりが殆どなかったので、上半身だけとはいえ裸体なんて見たことがなかった。
咄嗟に顔を両手で覆う。セリスには刺激が強すぎたのである。
そんなセリスの反応に気が付いたのは、第四騎士団で一番女好きのハーディンだった。
「セリスちゃんは純粋なんだね……。照れているのかい?」
「すみません。不慣れなもので……仕事はちゃんとしますので……今はその……刺激が強くて顔が上げられませんが」
「聞いたかナーシャ!! これだよ!! 女の子って言ったらこれ──ブホォ!!!」
「黙れハーディン!!! あたしだって初めはこうだったわ!!」
(ナーシャも照れていたのね……? ってことは、やっぱり慣れが一番大事なのね……ふむ)
ナーシャとハーディンが言い合い(ナーシャは殴っているが)の声を聞きながら、セリスは一人うんうんと頷いていた。
他の団員たちがセリスに、これが女の子だぁ……というような目を、ナーシャとハーディンには生温かい目を向けていたことは言うまでもない。
洗濯物を全て洗い終わったセリスたちは、次は大量にある濡れた服やシーツを干すべく立ち上がる。
しかしそんなとき、一人の若い団員がこちらに向かって走ってきては、ナーシャの前で立ち止まった。
「街から食材が届いたからミレッタさんが手伝ってほしいって! 僕は直ぐに仕事に戻るから頼むね! ちゃんと伝えたからね!」
「あっ、ああ! ありがとなー!」
すぐさま踵を返して走っていく若い団員にナーシャは手をひらひらと振ると、セリスの方に体を向けてからパン! と顔の前で手を合わせた。
「すまんセリス! 干すの任せて良いか? あたしも終わったら手伝いに来るから!」
「もちろんです。お任せください」
「恩に着る! それじゃあっ!」
寄宿舎で提供する食事の食材は、定期的に街から馬車で運ばれてくる。第四騎士団から一番近い街は『ソボルプ』と言って、基本的にはそこから新鮮な野菜や果物、肉や魚に小麦なんかが送られてくるわけだ。
悪評高い第四騎士団とはいえ、国の管轄する機関なので、食材の確保には困らなかった。
買い出しにいかなくても良いのは大変ありがたいのだが、人数はもちろんのこと、騎士たちは大食いが多いので積み荷を降ろすのに女性一人では到底無理だった。
ミレッタはそこそこ力持ちだったが、いつもナーシャか団員たちに手伝ってもらってやっとの量だったのだ。
セリスはナーシャからこのことは聞いていたので、そりゃあ自分ではなくナーシャが選ばれるだろうと思った。
ナーシャが一般的な女性とは比べ物にならないくらいの怪力ということはさておき、セリスはそれ程体力も力もなかったからである。
厳密に言うと使用人として働く一般女性程度の体力と力は持ち合わせているが、第四騎士団の中だと断トツで非力だった。
ダダダッとナーシャが全力疾走で入っていく姿に、脚も速いのね……とセリスは感動しながら、低い位置にある竿に洗濯物を干していく。
セリスはあまり身長が高くないので、低い位置にある竿には難なく干せても、それより高くなると爪先立ちに必死になった。
「セリス、一人か?」
爪先立ちのまま、ふんっ、と息を吐きながら物干し竿に手を伸ばしたときだった。
後ろから声が聞こえたのでセリスは爪先立ちのまま、くるりと振り返ると、バランスを崩して身体が前のめりになる。
しかし手には洗濯物を持っているためどうすることも出来ず、ギュッと目を瞑る。──そのときだった。
「ったく、結構おっちょこちょいだよな、セリスって」
「すみませんすみませんすみません……」
話しかけてきた人物──ジェドの胸に飛び込む形となったセリスは、慌てて上を向いた。
至近距離だと首が痛くなるくらい高い位置になるジェドの顔は、少し意地悪そうに笑っている。
セリスは慌てて離れると、手に持っている騎士の服を握る手にギュッと力がこもった。
「怪我はねぇか?」
「おかげさまで……ありがとうございます……何だかジェドさんにはお恥ずかしいところばかりを見せてしまっています」
「引き戸って勘違いするのも腰が抜けるのも転びそうになるのも、よくあることだろ。ははっ」
「今笑いましたね?」
セリスに指摘されて再び笑いを吹き出すジェド。
形の良い口が大きく開いている姿は少し幼く見える。
「……で、セリスは一人か?」
「ナーシャは食材が来たとのことで、その手伝いに」
「ああ、だから。小さいセリスが頑張っていたと」
「小さいは……そうですが……もう何をしても伸びませんし……私だって本当はもう少し伸びるはずだったのです」
「はははっ」
今日のジェドは少し意地悪だ。本気で馬鹿にしているわけではないのは分かるが、セリスの反応を見て楽しんでいるフシがある。
セリスは表情にほとんど出ないので、反応が面白いわけがないのだが。
しかしほんの少しだけ不満が表情に表れたセリスに、ジェドは柔らかく微笑んで、低い位置にある頭にそっと手を置いた。
「笑って悪かった。何も馬鹿にしてるんじゃねぇよ。意外とおっちょこちょいなところも、小さいの気にしてるのも可愛いなと思ってな」
「……なっ」
「……表情には出づらいかもしれねぇが、そうやって、すぐ顔が赤くなるのも可愛いな」
「……っ」
もう我慢の限界だというように、セリスは勢いよくジェドに背中を向けた。自身の顔がどうなっているかなんて分からなかったが、確かに顔は熱い。
妹扱いして言っているのだろうが、いくらなんでも可愛いと言いすぎである。
セリスはまったくも〜なんて軽く受け流す技術を持ち合わせていなかったので、失礼だとは思いながらも仕事を進めようとすると、ジェドはいつの間にか真後ろに詰めてきていたのだった。
「これ全部干すのか?」
「!? ……は、はい! そうですが!」
「セリスじゃ高い竿には届かねぇだろ。手伝う」
「えっ」
ジェドが洗濯物が入った籠に手を伸ばそうとするので、セリスは慌てて「お待ち下さい!」とやや大きな声で制した。
「お仕事初日から手伝わせるなんて……それも団長のジェドさんに手伝ってもらうなんてだめです! ……どうにか頑張ります」
「けどセリスじゃ届かねぇだろ? ナーシャなら届くだろうが、ここに来るまでしばらく時間がかかると思うぞ」
「うっ…………」
第四騎士団の家事雑用として働かさせてもらっているセリスにとって、最重要事項とは滞りなく仕事を進めることである。
セリスは低い竿に洗濯物を、ジェドが高い竿に洗濯物を干すのを手伝ってくれるのならば、それは確かに叶うのだが──。
(けれどジェドさんの手を煩わせるのも……)
一人でぐるぐると頭を回転させているのだろう。無表情のまま固まるセリスに、ジェドはニッと笑う。
そうして次の瞬間、セリスは突然の浮遊感に既視感を覚えたのだった。
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