六泉寺梅子と柴咲知依
Stand by 六泉寺梅子
廊下を挟んだリビングからは、今夜も二人の怒鳴り声が漏れ聞こえてくる。
子供用ベッドに潜り込んでシーツを頭から被ってみても、真っ暗な子供部屋にまで届く。
《いつもいつも仕事を言い訳にして》
《しょうがないだろ。俺は家族を養わなきゃならないんだ、家の事ぐらい主婦のお前が何とかしろよ》
《はあ?!全部私に押し付けるつもり?!》
《あの子は貴方の子供なのよ!》
《お前は母親だろ?世話するのは当たり前じゃないか》
父よ
母よ
私は、そんなに
邪魔ですか?
○月×日
今日よりルームシェアでの生活が始まるにあたり、記録用に日記を書いておこうと思う。
メンバーと顔合わせあり。最年少は高校生。一番年上が二十三歳。スポンサーである朝一の御令嬢だそうだ。
「じゃあ、一番年下のボクからね!桜井零!東京出身、ピチピチの十六歳!萩原寿々子ちゃんに憧れてて、ゆくゆくは女優になるんだ」
ショートカットが良く似合う、小柄な子。
「あ、月と書いてルナと読みます。中村月です。東京、から来ました…私は、夢がアイドルになる、です。宜しくお願いします」
茶色の少し緩くウェーブがかかった長い髪と青い瞳。ハーフ、かしら?十八だと言われて、大人びた雰囲気に驚いた。
となると、次は私だ。
「六泉寺梅子です。先日二十歳を迎えました。宜しく」
「あ~次は、あたし…かな?神田香織、二十一歳。ホントは友達の付き添いで受けて、でもあたしが受かりました。頑張ってアイドルやって、いっぱいお金稼…ファンを増やしたいです!あ。地元出身です」
癖が強いのは髪型だけ、じゃないかも知れない。
「…柴咲知依と言います。二十二歳です。あたしも、地元で。以上」
ショートボブで気の強そうな第一印象。それにしても、私より二コ上でその程度の挨拶な訳?
「最後は私ね。朝倉未薙。年は、二十三歳。因みに“朝一”の代表取締役を継父が務めてます。今回私がメンバーに加わったのは、そういう大人の事情からなんだけど……そんなの関係なく、みんなと仲良くなりたいです♪よろしくね」
ストレートの長い髪がサラサラ音を立てて揺れた。綺麗な人。
○月×日
今日はレッスン所でステップの練習。上手くいかない。中村と柴咲は難なくマスターしたようだ。神田と朝倉さんは少し手こずってはいたが、一番下手くそは私と桜井零。レッスン終了まで頑張ったが物に出来なかった。
《うう…っ、もう一回!》
桜井零は、想像以上に根性あった。終了後もインストラクターに泣きついて、許される時間ギリギリまで練習していた。
○月✕日
アルバイトを始める。学習塾の事務補助。データ入力と電話対応、来客取り次ぎ。保護者の勢いに押される。
正式にデビューするまでの生活費は、自力で何とかしたかった。SHOWーAさんが出すと言ってくれたが、甘えてしまっては家を出た意味がない。母にまた何と言われる事か。
然し、簡単な事務の手伝いだと思っていたが、受験生の情熱を特に親達の熱意を侮っていた。
初日でもう、バテそうだ。
(ましろ君~癒しチャージ!)
○月✕日
桜井と中村がホームシックに掛かる。朝倉さんが《寂しくなったら、我慢しなくていいから家族に電話してみたら》とアドバイス。
私は、ホームシックになんてならない。
今でも思い出すのは、扉の向こうで両親がいがみ合う声。小学校在学中に父は家に戻らなくなり、卒業する前に母から夫婦別居になると言われた。二人を恋しがる気持ちが抜け落ちたのは、多分この時だ。
あの家を出たかった。
理由は、何でも良かった。
偶々“革命少女隊”のメンバーに決まって家を出れた私は、寧ろ清々している。
だから。ホームシックになんぞなるものか。
○月✕日
ダンスの全体のバランスが取れない。柴咲と中村のタイミングが合わないとマネージャーが指摘する。然し柴咲が反発、その場の雰囲気が悪くなる。
彼女のマネージャーに対する態度が気に入らない。
いちいちムカつく。
○月✕日
やってしまった。柴咲と取っ組み合いの喧嘩をした。
これで私の居場所が、なくなる……。やっと母達から離れられたのに。何やってるんだろう、私…。
《ちょっと柴咲さん!いい加減マネージャーにいちいち突っ掛かるの、止めてくれない?》
《はっ?…別に、突っ掛かってなんか、ないし》
あの反発的な言動を、一体どう見れば“突っ掛かってない”になるのだろうか。
ツンデレ?それが何?バッカじゃないの。
柴咲知依が、誰を好きになろうがどうなろうが正直興味ない。ないけど、何故だか彼女の反抗的というか素直でない言動に、一層腹が立った。
遂に我慢の限界を超えた私は余計な一言を漏らしてしまった。
《…くだらない》
《は?……今、なんて言った?!》
まさか声に出していたとは思わなかった。一度口から出た言葉は撤回できない。知依のブチキレる寸前の形相に、私も感情をぶつけてしまった。
下らないのは、私の方だ。
○月×日
お泊まり女子会で朝倉邸へ。みんなで遅くまで飲み食いする。お菓子を。
酔っ払って、知依と泣きながらお互いに謝りまくったのは覚えている。その後はいつの間にか寝てしまっていた。先月二十歳の誕生日を迎えてビールぐらいなら少しは飲んだけど、流石に“あれ”は飲み過ぎた。途中から記憶がない。
幸いにも二日酔いは回避できたようだが。
お陰で皆と揃って朝食を頂いた。未薙さんは毎日こんなにしっかり朝御飯を食べるんだと驚いた。一晩で私達は変わった。月ちゃんが関西弁で話し出し、香織ちゃんは本性を現した。知依は機嫌良くなり、更にお互いに名字ではなく名前で呼ぶようになっていた。私は“梅ちゃん”だそうだ。
まあ…いいか。
賑やかに朝食を終えてから少し庭を散策して、お泊まり女子会は漸くお開きとなった。
未薙さんは門前まで私達を見送りに来てくれた。
また、レッスン所で!
一人暮らしの知依と実家住まいの香織ちゃんが駅方面へ私と零と月の寮組はバス停へと各々別れて歩き出した。
やっぱり、恋なんてよくわからない。
“好きな人”ならば、“ましろ”くんが“レージュ”様が“餓斬吟史郎”殿がいる。でも
人を好きになるのは、多分そういう事じゃない。判ってる。本当は解っているのだ。私は知依に苛ついているのではないと。
彼女の恋心を目の当たりにして、私は誰も好きになろうとしない自分に何より腹が立っているのだ。
一夜でメンバー内の雰囲気が柔らかく温かくなったのを感じながら、益々仲良くなった零と月の後ろを歩いていった。
○月×日
今日、レッスンの後で知依に誘われ、彼女お薦めの店へ食事に行く。
そう言えば、最近よく知依が私を飲みに誘うのだが。
………何故だろう?
(『革命少女隊公式ブログ』より抜粋)
「梅ちゃぁん、これさ、あ…」
日記と銘打っておきながら、あまりの箇条書き程度の私が書いていたブログに目を通していた香織ちゃんは、パソコン画面を指差しながら私の方を振り返って言った。
「ないわぁ~」
私はただただ苦笑いするしかなかった。
Stand by 柴咲知依
お泊まり女子会を終えて、一人暮らしをしているマンションに戻ったあたしは今、ソファの上で両手に持ったスマホを睨み付けていた。
画面には“彼”の名前と、携帯番号が表示されている。後はこの発信ボタンをタップするだけ……ど…。
《知依ちゃん、善は急げっ!ね、帰ったらすぐ柘植ちゃんに連絡するの》
別れ際、先輩に言われた言葉を思い出す。
連絡して…そうして………。
「まずは…今まで失礼な態度を取ってしま、ってごめんなさい!…で」
《ちゃんと、自分の気持ちを伝えるのよ》
顔が火照る。ボンッと音が聞こえたような気がするが多分、きっと気のせいだ。
「ずっと、前から…えと…あの」
両手が震え出した。ガチガチ五月蝿いのは、あたしの上の奥歯と下の奥歯がぶつかり合ってるからだ。
「あんたの、事……す、…す……好き」
ピーーンポーーン。
スマホを両手に握りしめたままソファから転げ落ち、そのまま床に突っ伏す。
(誰よ?!この絶妙なタイミングでインターホン鳴らしてくれる、超絶コントな奴はっ?!)
再び鳴る音に、沸き上がった怒りを原動力にして立ち上がると、モニターのスイッチを押す。
「はいっ!?」
稍怒気を込めて発した言葉に対して、モニター画面に映った丸顔の若い男性は不思議そうに声を掛けて来る。
『ちいちゃん、どした?寝起きかな~?…お兄ちゃんだよー、おーい』
にこにこと笑いながら手を振る兄に、知依は一気に脱力した。
《ちいちゃん、やったよ。書類審査でちいちゃんが通ったよ!流石は自慢の我が妹!世界一可愛いもんね~うんうん。…いやあ~SHOW-A企画も見る目があるなあ♪》
《お兄ちゃん…なんであたしがアイドルにならなくちゃいけないの?》
――それは知依にアイドルになってもらって、俺の会社を宣伝して欲しいからだよ
二ヶ月前の事だった。就職活動真っ只中の妹に内緒で、年の離れた兄は巷でちょっと話題になり出した“ご当地アイドル”の、一次選考結果を伝える手紙を差し出した。
勿論、アイドルなぞに興味はないので大いに拒否したが、兄に泣きつかれ拝まれ土下座までされた。最初のうちは静観していた母親も遂には兄に味方して知依は首肯するしかなくなった。
周囲に流されて、何となく始めた“ご当地アイドル”だったが、ある日マネージャーを紹介される。
《えー。初めまして、柘植正規と言います。今日から皆さんのマネージャーを務める事になりました。宜しくお願いします》
笑顔が爽やかな青年だった。
(わかってるわよ!二割…三割増しで記憶が美化されてるわよ)
こうして兄の強引な軌道修正と僅かな邪な感情も相まって、知依はアイドルをちょっと本気で目指す事になってしまった。
「なに朝から突然…なんか用?」
ドアロックを解錠して、部屋に兄を入れる。にこにこ顔のままリビングに向かう兄は知依を見ずに応えた。
「うん…昨日、未薙ちゃんちでお泊まり会したんでしょ?どうだったかなあって思って…」
「なんで知ってるの?」
そんな話、兄には一言も言ってない。
「ああー。未薙ちゃんからね、話聞いて。……ね、仲間の子と喧嘩したんだって?」
「えっ!」
「昔っからちいちゃん、喧嘩強かったからさあ。もしや相手の子に怪我させちゃったんじゃないか?!って心配してさぁ~。…なんで教えてくれなかったの?お兄ちゃん、ガッカリだよ」
先輩ぃ!うちのお兄ちゃんに話しちゃ駄目ですって!!大体この人が首突っ込むと纏まる話も絶対、纏まらないからっ!!
「ちゃんと、仲直り出来た?…きっと、未薙ちゃんの計らいでお泊まり、したんでしょ?」
心の中の叫び声は表に出さないよう平静を装いつつ、当然のように長ソファで寛ぎながら問い掛けてくる兄を見下ろした。
「まあ…仲良くはなれたと思う…多分」
応えて昨夜の梅子とのやり取りを思い出す。お互い酔っ払って素面ではなかったにせよ、何とか梅子に《ごめんなさい》は言えた。
すると《梅子も、ごめんな…らはいぃ》と、つっかえながらも謝った後泣かれて、つい、もらい泣きして最後は抱きあったのだから、相手が運良く覚えていたのならきっと仲直り出来たのだと思う。それにしても、自分の事を「梅子」て言ってる彼女、なんか可愛かった。ふふふ。
「そっかあ…それはうん。良かった良かった」
うんうんと頷いている兄に対して、知依は妹の直感で違うな、と思った。
「……ねえ、お兄ちゃん。ホントはそれ訊きに来たんじゃないでしょ?」
「えっ!…あ。んー…ええとぉ…」
妹の質問に明らかな動揺を見せる兄。知依は見逃さず、静かに目を細める。
じーーーーーーーーーーー。
「んん…ち…ちいちゃん…目力が」
凄い、の言葉を飲み込んで観念すると、あっさり白状した。
「あの、さ。あー…そのお泊まりしてた間さ、朝倉社長に…会えたりした……かなあ…って」
「なんで?」
「なんでって…それは……」
じーーーーーーーーーーー。
再びの目力に堪えきれず視線を横へ逸らす。知依は短く息を吐き
「会ってない。残念だけど」と答えた。
だが、嘘だ。
今朝は朝倉のおじさまも同席して、メンバーのみんなと一緒に食卓を囲んだのだ。それはそれは賑やかな朝御飯タイムだった。
「えええー…そっ、かー。会えなかったかぁ…」
知依の発言を全く疑わず、がっくりと肩を落とす兄を見て心の端っこ辺りが僅かに痛んだが、気にせず続ける。
「それが何?」
「実はね。朝一さん、今度自社ブランドの加工工場を新しく建設する計画があってさ、その予定地を探してるって言うんで、お兄ちゃんもオススメの物件を紹介したんだ。プレゼン頑張っちゃったよ~!…でぇ、結果どうかな~て気になっちゃって」
「はあ?…お兄ちゃんの仕事の話を、あたしに言うわけないじゃん」
あたしはお兄ちゃんの会社の従業員じゃないんだから。
「ああ…そうだね…確かに」
そっかあ。声のトーンを一気に下げた兄はソファの端に置いてあったクッションを引き寄せると、ぎゅっと抱き締める。もう三十を超えたオジサンなのに、兄がやると凄く可愛い。キツイ印象ばかり持たれるあたしには羨ましい限りだ。
(ずるいなー)
そんなの見せられたら、益々罪悪感が増してくるじゃない!
深く息を吐いて、知依はキッチンに向かう。
地元の大学へ進学を機に実家を出て一人暮らしを始めた知依だったが、今住んでいるこの部屋は小さな不動産屋を営む兄が手配してくれた。比較的大学への通学がしやすい最寄り駅から十分圏内のオートロック完備で南向きの三階以上の、でも最上階ではない1LDKの賃貸物件。可愛い妹の為にと張り切った兄は、勝手にこれらの条件を上げては見合った物件を探し出し、あっという間に引っ越していた。
何か飲む?と声を掛ければ、兄は即答でオレンジジュースをリクエストしてきたが、知依も速攻で却下した。
「オレンジジュースはないわ。あるのは…」
言いつつ冷蔵庫を開ける。ドアポケットには缶ビール数本と一リットルサイズの緑茶のペットボトル、それらに挟まれた無糖の缶コーヒーへ、つい目が行く。
《お、柴咲も珈琲はブラック派か?俺と好みが同じだな》
ふっと浮かぶマネージャーの顔。あの笑顔を思い出しただけで顔が火照ってしまう。
好きです。
一目惚れです。
でも………。
これからアイドルになろうとしてるのに、恋愛なんてしてて良いんだろうか?まあ…地元で活躍するだけ、だろうしプロのアイドルって訳じゃないけど、でも………。
そこで兄が側にいる事を思い出した知依は、首を横に振ると慌てて気持ちを切り替える。挙動不審な自分に気付かれないよう、ペットボトルに手を伸ばした瞬間。
「そう言えば、ちいちゃん!…最近好きな男性が出来たんだって?」
ガコンッ
持ち上げようとして手が滑り、緑茶のペットボトルは元の場所に落ちる。
「な…ナ、ななななななな何で…?!」
「うん。えっと、未薙ちゃんから聞いてさ…もう!お兄ちゃんビックリだよお~。……ね、どんな人?見てみたいなあ。お兄ちゃんに会わせて!あ、母さんも会いたいよね…じゃあ、今度ちいちゃんの休」
「そんな人、いないっ!!!」
まずいまずいまずい。お兄ちゃんが絡んできたら、告ってもまたフラれる!!
過去の苦い思い出が幾つもフラッシュバックした。
先輩!なんでお兄ちゃんに言っちゃったんですかぁーーーーーー!!
この日の出来事があったせいで、愛の告白は暫くしないでおこうと堅く誓う柴咲知依であった。
お客様との待ち合わせ時間が迫ってきたので、妹の想い人についてそれ以上触れられず部屋を出た兄は、軽自動車の運転席でシートベルトを締めながら思い出していた。
キッチンへ向かった妹が、こちらに背中を向けた隙に素早くテーブルに置きっぱなしのスマホを手に取り、あっさりロックを解除。迷う事なく写真アプリを立ち上げて、ざっと目を通す。革命少女隊のメンバーと一緒に映った画像が多かったが、その中に明らかに“こっそり撮った”と思われる画像を数枚発見。全て同じ男性の横顔や遠くからの後ろ姿。ピントがズレてどれも顔がぼやけてしまっている。
(間違いなく、ちいちゃんの新しい恋のお相手だね…。ホントに相変わらず恋愛には引っ込み思案なんだから。
相手はどんな人か気になって訊いちゃったけど、まさか妹のスマホを勝手に見たとは言えないからなあ~。咄嗟に未薙ちゃんの名前出しちゃったけど……ま、いっか)
さあて。お仕事お仕事!
自分のせいで、残念な事に愛妹の片思いが延長タイムに突入した事を知らない兄であった。