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革命前夜の少女たち  作者: 朱
1/3

“正子ちゃん”と神田香織

Stand by柘植正規

 三月半ばの日曜日。ショッピングモールのイベントコートはいつも以上に大勢の観客と、通り掛かって思わず足を止め、立ち見を始める買い物客達でごった返していた。

 三階まで吹き抜けになった天井にまで反響する音楽と歌声。イベントコートの一角に設置された特設ステージで今、ショウが行われていた。

「まっさこちゃあああああん!」

 歌の合間に野太い複数の声が響き渡ると、その度会場にどっと笑いが起きる。歌は遂に佳境に入り、華やかな衣装に身を包んで各々色の違うマイクを持った六人の、“少女”達が最後の決めポーズにステージの中央に集まる。その中に異質な存在がいた。

 頭一つ分飛び抜けた、体のごつい“正子”はリーダー未薙みなぎの隣でマイクを、曲のタイミングを合わせて斜め上に突き出すとピタリと止まる。そうして決まった所でジャンッとギター音で曲が終わった。

 今日も無事にミニライブは成功したようだ。吹き抜け天井に反響する程の拍手を聞きながら、綺麗に剃り上げたツルツルの顎へと伝う汗をステージに幾つも落として、“正子”は達成感に包まれる。

(やった。ミッション完了!…俺は、俺は!)


「は?…………今、なんと?」

 去年の、九月に入ったばかりの事だった。

「だから。ね。突然長浜ちゃんが結婚退職する事になったでしょ?で、彼女が担当する筈だったやつをね…はい、こーれ」

 そう言った大橋課長の、丸い笑顔の前に突き出された一枚の書面には、

 “下記の者をご当地アイドル専属マネージャーに任ずる

 柘植正規”

 と書いてある。

「いや、いやいやいやいや。課長、待って下さい!私は、県庁からの出向でここに来てて、来年度末迄で……二年後には戻るんですよ。それなのに…マネージャーって、そんな。…お断り」

 柘植の言葉を最後まで言わせず、大橋課長は辞令書をぴらぴら振りながら反論する。

「でもねえ、こうやって正式にほらっ、辞令出ちゃってるしぃ。社長命令、だしぃ」

「無理です!他の、誰か別の方にお願いして下さい!」

 対して大橋課長は、うーんと困った顔をしてぐるりフロアを見回す。

「そう言うけどねえ、みんな、何かしら色々と仕事抱えちゃっててさあ…ほらぁ。上町かみまち君は来週から始まる超収穫祭の準備で超ぉ忙しいしぃ、万々(まま)ちゃんはハロウィン企画に入ってっちゃったしぃ。お菓子の手配、あれ大変なんだよねえ…今年は何でか色んなとこから、《うちの使って!》て来ててさあ。一つに絞るの、大変らしいんだよー。あとは…ああ。宝永ほうえい君はさ。ほら、毎年恒例で、音楽夜会と年末大宴(おおうたげ)を担当して貰ってるから。ね」

 振り返れば、課長の席から一番離れたデスクでこちらの遣り取りを見ていたらしい、ちょっとイケメンな中年男と目が合うと、彼は少し済まなさそうな顔をして軽く手を上げる。

「でぇ…今、比較的体が空いてそうなの、柘植君。君だけなんだよぉ……うん勿論、出向期間は厳守させてもらうよ。大丈夫。君の向こうの上司の、えっと…ああ、円行寺君!彼の許可も取ってあるって」

 円行寺真敦えんぎょうじさねあつはお調子者だが仕事はできるし上役への覚え頗るめでたく、柘植の同期の中で一番の出世頭だ。哀しい哉、県庁に於いて柘植が籍を置く地域活性課の課長補佐―直属の上司である。

(あいつ…)

「だ・か・ら。最初の一年だけでいいからさあ、どうかな?やってくんない?」

「そん、なあ…」

 結局押し切られた柘植は、「これも仕事のうちで任されたのだ、押し付けられたのではない」と無理矢理自分に言い聞かせて、仕方なく納得できない諸々を飲み込んだ。なのに―。


「もううう二度と、やらんからなっ!!」

 ステージを無事に終えて控室代わりに宛がわれたバックヤードの小部屋で、未だプリティな薄ピンクのミニドレスに身を包んだ正子ちゃんは、五人のメンバーに向かって人差し指を突き出し宣言する。

「またまたあ。そんな事言って、結構ノリノリだったくせにぃ」

 髪飾りを外しながら、速攻で未薙が切り返してくる。

「あっははははは!せや、そうやった」

 長身のるながステージ上の柘植を思い出したのか、片手にミネラルウォーターの入ったペットボトルを持ったまま腹を抱えて笑い出す。

「笑うなっ」

「柘植さん、私達着替えるんで…」

「くーっ!!今日も“正子ちゃんコール”が一番多かったよお!」

 すると小柄な最年少のれいが悔しそうに声を上げる。

「…ホント。マネージャーのくせに、あたしらより目立つってどう言うこと?」

 しかも、ダンスはキレッキレだしさ…デカイしさ。とぼやいた知依ちよりが切れ長の目を氷結点にまで凍らせて、グサグサ刺してくる。

「お前らな…」

「あ。確かに。香織ちゃんパートの振り付け、完っ璧だったわね。…流石は敏腕マネージャー」

 と未薙が手を叩いて、今度は持ち上げてくる。

「はっ。もしかして?……うちらの分、全部踊れるんとちゃう?」

 月が「こんなんとか」と言ってクルリと回って自分の決めポーズをする。

「あの」

 スゴいわ~格好エエなあ~と月が冗談めかして言ったのに対し、

「……当然だ。仕事だからな」

「おおーっ!」

 四人分の感嘆する声に、うっかり気分良くなってしまう“正子ちゃん”。ピンク生地に包まれた胸を稍、反らした。

「すごいすごーい!じゃあさ、今度ボクが熱出して、かおちゃんみたく寝込んだら、“正子ちゃん”が代わりに出てくれるんだね♪」

 すると零が無邪気に爆弾発言をして、柘植は瞬間我に返る。

 いかん。いかんいかん、コイツらに乗せられて堪るものかっ!

「柘植、さん…」

「馬鹿を言うな!アイドルが体調管理もきちんとできなくてどうする!プロとしての意識が足りないぞっ」

 まだデビューしてないから、プロじゃありませえん。

 口を尖らせながら、挙げ足を取って零は反論する。

 柘植が扮する“正子ちゃん”を除く、朝倉未薙、柴咲知依、神田こうだ香織、六泉寺ろくせんじ梅子、月・サン・中村、桜井零ら六人で構成される女性アイドルグループ『革命少女隊』は、来月正式にデビューを果たす。

 ご当地アイドルを当県にも!と企画が立ち上がって、かれこれ二年近く経つ。地域活性化と観光業発展を目的に県の行政が立案し、入札の結果民間のイベント会社SHOW-A(ショウ-エイ)企画が受注運営する事になった。当初メンバー集めは随分と手こずったそうだが、漸く頭数が揃った八ヶ月前唐突に辞令が下りて、県庁から出向してきた柘植正規が彼女達をサポートする専属マネージャーとして面倒な任を押し付けられたのだ。

 その後地元の食品会社朝一がスポンサーとなったお陰で、彼女達のデビューに向けての前宣伝は何とか順調に進んでいる。

 ところが。一昨日、事件が起きた。

 メンバーの一人、香織が高熱を出してダウンした。原因が、アルバイトのし過ぎによる過労。母親が電話の向こうで申し訳ありませんと、ずっと謝っていた。

 曲の終盤で六人が揃って決めポーズをする所がある。一人でも抜けると決まらないので、香織の抜けは大きい。悩んだ末に、柘植はイベントでの歌披露は中止しようと決めるが、残る五人の娘達は当然納得しない。

 《初めての御披露目なんだよ。いっぱい練習したのに。お客さんだってきっと、楽しみにしてくれてるし…格好だけでいいからさ、柘植さんが代役してよ》と言い出したのは、一体誰だったか。

 はっきりきっぱり断ったつもりだったのに、どうやって俺の体型に合う衣装を見つけてきたのか数時間後の本番では

 《…という訳で(クスッ)、香織ちゃんの代わりに助っ人の“彼女”が歌います。…えっと、名前はぁ……正子ちゃん、です!》

 未薙が楽しそうに、即席でアイドルに仕立てられた“少女姿”の柘植を紹介していた。脱げばやや筋肉質の両腕を剥き出しにした長身の女装姿は、姿見の鏡の前に立った俺でさえ

(気持ち悪い…)

 と思う程な無惨な仕上がりだったにも拘わらず、何故かお客さんにはウケてしまい会場は大いに盛り上がった。

 二度とやらないぞと決意するも香織の熱はすぐには下がらず、本日、二度目の代役出演となった。商業施設の特設ステージ前は前回の駅前広場とは比べ物にならない程の賑わいで、而も何人か“正子ちゃん”の存在を知っていた。

 どうやら、非公式ではあるが早速“正子ちゃんファンクラブ”なるものもできたらしい。“正子”と、でかく書いた団扇を両手に持って満面の笑顔で振るおじさん数人を思い出し、溜息が出た。

 …勘弁してくれ。

「あのっ!!」

「…ん?」

 呼び掛けられ振り返った柘植は、肩の辺りでストレートの髪を切り揃えた梅子の不機嫌そうな顔に、はて俺は何か不味いことをしたっけ言ったっけ?と考えていると、

「私、この後もしごとなんです。今月いっぱいで辞めるってのに、早く着替えないと遅刻するんですけどっ!さっさと出てってくれませんかっ」

 梅子も学習塾で事務のアルバイトをしている。彼女の場合、デビューするまでの当座の生活費を用立てる為の期間限定だそうだが、香織のようにバイトの掛け持ちはしていない。

 健康管理とスケジュール管理は、メンバーの中で一番しっかりしている。

 そんな彼女に眼鏡越しに凄まれて、はいスミマセンと小さく応えると薄ピンクの衣装姿のまま、すごすごと控え室を出ていく。

 結局、柘植は扉前の通路に突っ立ったまま、皆の着替えが終わるまで“正子ちゃん”を脱ぐことができなかった。


 ―柘植正規、二十代最後の春の出来事であった。


Stand by 神田こうだ香織

 築二十うん年経つ賃貸アパートの、2LKの一室。

 ううっ。気持ち悪ーい。あつーい。頭ガンガンするーっ

 体温計は、まだ三十八度台を示している。今頃は皆ステージの上で歌ってるんだろうな。今日のイベントだけはショッピングモールでやるから、何がなんでも行きたかったのにぃ~!

「ううう。…特製、ごっ、五色ごしき弁当ぅがあー…ゴホッゴホッ!」

 スポンサーの朝一さんはショッピングモールでのイベントには必ずブースを設置して、自社製品の出張販売を行うそうだ。そしてスタッフ達へのお昼には、社長直々に贔屓にしている高級料亭へ仕出し弁当を頼むらしい。

 勿論、あたしたち革命少女隊の分まで用意してくれると言っていた。一つ三千二百円の、特製五色弁当をっ!ポケットマネーでぽぅんと!

 さっすがは社長!太っ腹~♪と先々週から、それはそれは楽しみにしてたのに……。

 あれを逃すなんて、大損だっ!!

「い、行かねば…せめて、弁、当…だけで」

「あ、何起きてるの!全く…お母さんにも黙ってアルバイト勝手に増やしたりして無茶して。それで体壊して熱を出したからいけないんでしょ?さ、大人しく寝てなさい!」

 何とかベッドから這い出した香織を、ライトグレーのジャケットを羽織った母が部屋の扉を開けるや叱りつけてベッドに押し込める。

「…おかあさぁん」

 問答無用で被せられた掛けシーツの端から上目遣いで母親に訴えてみる。

「駄目。そんな目で見たって、許しません。もう、アルバイトの掛け持ちなんてさせないから」

「でもぉ…」

「ねえ香織。お母さんの事、頼ってくれたっていいのよ。まだバリバリ仕事できるんだから。お金沢山稼げるんだから、任せなさいっよ!」

 ポンと自らの胸を叩く母を見て、長い溜息を吐く。

「……お金がないって、貧乏って、やだねえ」

 視線を逸らして、香織はしみじみと言った。

 香織がまだ小さかった頃、突然妻子を前に土下座した父親が言った。

 《やっぱり家長になる自信、ありません!ごめんね二人とも…ぼくは、ぼくは!》

 出ていくよー!と叫ぶと、彼はサイン済みの離婚届を置いて家を飛び出した。

 “家族を養う責任”から逃げた父親はそのまま消息不明になってしまい、仕方なく母は離婚届を役所に提出した。それ以来ずっと母と二人きりで肩寄せ合って生きてきた。

 元々勉強はあまりできないし好きじゃないから、高校卒業後は地元の中小企業の事務職に就いたけど、突然の経済危機で煽りを受けた会社は倒産。失業手当を受けて、再就職先を探すもなかなか正社員の求人では採用に至らず、漸くアルバイト募集してた居酒屋で働き出した。

 ある日。

 お店に高校時代の友達クラスメイトが同僚数人と一緒にやって来た。

 彼女は可愛くてあざとくて何となく好きになれなかったが、何故か良く懐かれていた。正社員である事を強調してくる彼女から、「一緒にオーディン受けない?」と誘われた。

 以前から「アイドルになりたい」「あたし、アイドルに向いてると思うんだ」と宣ってた彼女は一人で受ける勇気がないと言って、その実、平凡な顔立ちの自分を当て馬にするつもりのようだった。

 アイドルに興味はなかったけど「売れたらお金持ち」と彼女の口車に乗せられ、オーディションには“付き添い”で応募したら。

 残念ながら友達は落ち、何故か香織の方が受かった。そして当然、安っぽい友情は即日泡となって消えた。

(良かった、良かった)

 然し、ふと気が付いた。

「アイドルになれても人気が出なければお金持ちにはなれない」と。

 母はああ言うけれど、非正規社員で働く母だって貰える給料は大したことない。お金のない生活は恐い。怖い。こわい。コワイ。

 急に膨れ上がった不安から、マネージャーの柘植にも内緒でアルバイトを増やした。そして無理を続けて……。

 《うん。過労による熱だね》と医者に診断された。

「五色弁当ぅ……あたしのぅ、ごし」

「しわいっ!!」

 玄関のチャイムが鳴る。

 さっきの怒鳴る声色こわいろは何処へ行った?

 はあーいと、高い声で母は応えて香織の部屋を出ていく。片や香織は未練がましく、しくしくとブルーのこぶた枕に突っ伏し泣いていた。

 少しして戻ってきた母は

「下の野崎さんが来てくれたから、お母さん仕事に行ってくるわね。野崎さんに迷惑掛けちゃ駄目よ…いい?熱が下がるまで、ちゃんと寝てなさい!」

 と、娘に厳命した。

 その後ろで見張り役を買って出てくれた野崎のおばさんが、にこにこしながら逞しく両腕を前で組んでみせた。


 翌日。無事に熱は下がり、あっという間に全快した香織は、早速連絡した柘植から電話越しにお腹一杯の説教を食わされた。

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