オレの幼馴染のデレはわかりづらくて困る
5月の連休の終わりが近づいた日、どっさり出された宿題の山がいまだに残っていた。
助けを求めてスマホを手に取りメッセージを送る。
クラスの友人たちに聞いてみたがどいつもこいつも手をつけていないという。当たり前だろう、休日の間一緒に遊びまわっていたのだから。
『宿題が終わらない、助けて』
最後の送り先は幼馴染。真面目な彼女のことだからとっくに片付けているだろう。
もしも、返事がなかったら諦めよう。手をつけようとはしたが、仕方がなかったのだ。
『じゃあ、うちに来て』
どうやらなんとかなりそうだ。
軽い足取りですぐ隣の家に向かう。勝手に上がってくれと言われていたので、玄関をくぐり階段を上っていく。
部屋に入ると幼馴染がいた。本を読んでいたらしく、手に持っていた文庫本から顔を上げた。
「よう」
「うん」
お互いに二文字づつのやりとり。そのまま当たり前のように丸写しさせてくれるように頼んだ。
「だめ」
なんとかなりませんでした。
優等生である彼女にとって宿題を丸写しという行為は許されるものではないらしい。
「休み明けにテストもあるから、ちゃんと勉強しとかないと。この前のテストも赤点ぎりぎりだったでしょ?」
入学した頃は入学試験の前に勉強した貯金があった。受験勉強からの解放感に浸り続けた結果、成績は下降し続けていた。
このままいくと、来年からは幼馴染のことを先輩って呼ぶことになりそうだった。
「手伝う。卓郎はやればできる子」
オレの幼馴染である天沢泉にはいくつか通り名がある。例えば、彼女は高校生徒会で庶務についている。庶務とは雑用全般のことである。生徒会は高校中のあらゆる場所から様々な面倒ごとが集中する場所で、その仕事の種類も膨大かつ雑多である。しかし、そんな生徒会で山のような仕事を顔色ひとつ変えず片付けているらしい。
以前に、彼女が風邪で休んだとき残りの生徒会メンバーが代わりを務めた。しかし、ダメだった。彼女がいない間は部活動が停滞し、購買部が混迷し、生徒会役員たちは右往左往していた。彼女はまだかとひっきりなしに問い合わせがきて、流れでオレも手伝うことになった。
結局、復帰した泉によって二時間のうちに問題は解決された。一年生である彼女にここまで左右されるなんてこの高校は大丈夫かと不安になった。
昔から天沢泉という人間はできる子だった。
彼女がいなかったらオレはできない子のままだっただろう。
そこからは黙々とペンを動かしていく作業を続けた。泉は文庫本の文字を目で追いつつ、オレが間違っているところを指摘してきた。
夕方になるころには、あれだけたくさんあった宿題の山は低くなっていった。
「ん~~、もうちょいだな」
長時間座り続けた体をほぐすために大きく伸びをする。背中を伸ばした高い視点から、机を挟んで座る幼馴染をちらりと見た。
文庫本のページに目を落とすその横顔は見慣れたものだった。時折、前髪をかきあげるのはこいつの癖だというのを知るぐらいには同じ時間を過ごしてきた。
しかし、幼馴染について理解できていることは少ない。あまり表情を動かすことがないため、いまだに何を考えているかと思い悩むことがある。
そんなことを考えながら幼馴染の顔を見ていると、視線が合った。
「なに?」
黒目がちな瞳がじっとこちらを向けられる。
色素の薄い肌に整った顔立ちをしている。普段からほとんど表情を動かさないので、子供のころのあだ名は『人形』や『ターミネーター』であった。
「いや、ちょっと聞きたいことがあってさ」
見ていたことを誤魔化すように、数学のわからない部分を聞いてみた。スラスラと解法を説明していく口調によどみはない。
ふと、思い出す。こいつの学力ならもっと上の高校にいけたはずだ。だが、オレと同じ高校を進学先に選んだ。
「ついでに聞くけどさ、今の高校選んだのってなんでだ?」
「一番近いから。卓郎も同じ理由でしょ?」
「まあ、そうだけど」
幼稚園、小学校、中学校とずっと一緒だった。小さい頃はいつも一緒だったけれど、大きくなるにつれてそれぞれ別の友達もできた。幼馴染なんてそのうち離れていくものと思っていた。
「おまえ、オレのこと好きすぎだろ」
それは冗談の延長で口にした言葉だった。
赤面しながらムキになって否定してくるなんてかわいい反応は期待していない。いつもどおりの素っ気ない反応が返ってくると思ったが、その返事は予想外であった。
「うん、好きだけど」
「え…………?」
唐突な言葉に脳がフリーズする。
「それと、そこの問題だけど」
なんでもない口調でいうとそのまま話を続けようとしたところで、ハッと我に返る。
「ちょっと、待て! 今なんていった?」
「え、わかりにくかった? じゃあ、もう一回説明するね。多項式の解き方は公式に当てはめて―――」
「じゃなくて、その先の!」
「ああ、うん、卓郎のことが好きってやつ?」
表情を変えないまま言い切った。
まったく照れた様子もなく当たり前のように口にしている。やっぱり、こいつのことがよくわからなかった。
好きといっても色んな種類がある。
友達として好きとかなのか? それとも男として好きということなのか?
いままでそんな雰囲気なんてなかった。
いや、だけど、もしもあれがあいつなりの告白なのだったとしたら、返事をしないといけない。
そんなことを考えていたら一晩たち、朝起きても昨日で頭がいっぱいで授業中もまったく耳に入らなかった。
「おーい、卓郎君や。みんないっちゃったよ」
不意に聞こえた声に顔を上げると、そこには同じクラスの女子、黛が見下ろしていた。
よく見ると、教室にはオレとこいつの二人しか残っていなかった。そういえば、次の授業は化学室だったことを思い出す。
「あ、ああ、悪い。考え事をしてて」
「ふーん、授業中もずっと同じ格好でうなってたよね。そんな深刻なことなの?」
彼女とはクラス分けで中学の知り合いがみんな違うクラスになって、やばいなぁと思っていたら話しかけられた。
『やぁ! キミはなんていう名前なんだい?』
そんな感じで隣同士の席で、なんとなく話す間柄となった。
「いや、大したことじゃないよ」
「えー、気になるなぁ~」
教科書とノートを持って席を立つと、黛がポニーテールが左右に揺らしながらついてきた。
「じゃあ、ちょっと聞いてくれるか?」
『友達から聞いた話なんだけどさ』という前置きをしてから、昨日のできごとを彼女に話してみることにした。
「好きの種類ね。どんな状況で言われたのかによるんじゃないかな。そこんとこ詳しく」
「うーん、説明するのが難しいな。そういえば、今日って先生から指されるのって誰だっけ?」
「たしか、吉田君だったかな」
「ふーん、や行まできたか。ところで、おまえのことが好きなんだ」
あのときと同じくなんでもないように、会話の中に『好き』という言葉を差し込んだ。
「は? え、いまなんて?」
黛は細く整えた眉毛をはねさせて表情を変える。見る見るうちに頬が鮮やかな赤に染まっていく。わあすごい、耳まで真っ赤だ。
「こんな感じだった。どうだ?」
「……えっと、びっくりだよ」
「だよな!」
「ちなみにいまのって本気じゃ……いやなんでもない……」
表情を隠すようにうつむき気味にこちらを見る彼女に『やっぱりそうなるよな』と共感を持った。
しかし、こうなると泉のあれはただの告白ではなく、ただの親愛表現のひとつだったのではないかと思えてきた。
「もう一度いうけど、さっきのは友達から聞いた話だからな」
「ああ、はいはい、友達の話ね。おっけーおっけー」
軽い口調でうなずく黛の声を聞きながら、やっぱり相談してよかったと思った。気軽に話せる女友達というのは重要である。
あやうく、勘違いして告白の返事をするところだった。
「前から思ってたけど、幼馴染の女子がいるとかマンガの世界みたいだよね」
そういって「いいなー」ときらきらした目を向けてくる。これがマンガの世界だというなら作者に文句を言いたい。
オレの幼馴染のデレはわかりづらくて困る。