プロローグ「選ばれし者」
【勇者】とはなんだ?
文字通りの意味なら「勇気ある者」の事だ。
ヒーローや英雄といった言い方もあるだろうが、大体は強さと勇ましさを兼ね備えた正義漢全般のことを指すだろう。それが勇者だと俺は思う。
だがこの世界での【勇者】はそんな高潔なモノでも傑物なモノでもない。神に選ばれし者がそう呼ばれるだけだ。
神の加護と言う名の呪いをその身に受け、この世のどこかにいるという魔王を討伐しに行かなければならない者。
望んでもいない万能の異能を勝手に与えられ、神からの無理難題に苦労する者。
それが勇者だ。
──ああ、そうさ。俺はかつてその勇者だった。
始まりは唐突すぎて、何が何だか分からなかった。
周りには何もない。物質と呼べるものは何もない真っ白な空間。地面や空といったものすら存在せず、誰もおらず、時間という概念すら存在していたのかも分からない。そして俺自身の肉体というものもおそらくここにはなく、意識だけが存在していた。
そんな状況を飲み込めず混乱する俺に対してアイツは、まるで教室で出会った友人に対して接するように話しかけてきた。
「やあ、おはよう!選ばれし勇者よ!」
開口一番にあのクソッタレがそう言ったことは今でもよく覚えている。残念なことに姿形だけは靄がかかったかのように認識できなかった為、俺は今でもあいつの姿を知らない。
「む……待てよ?まだキミは選ばれただけで勇者そのものではない?ん〜〜……ま、なんでもいいよね!とにかくキミは勇者として選ばれた!存分に喜びたまえ!」
そうだ。最初から奴はこちらの事など御構い無しだった。勝手に悩んで勝手に納得して勝手に押し付けた挙句に自己完結して満足する。話を聞かないなど生易しい、奴は目の前の相手に話をさせないのだ。
「いやいやキミも幸運だね〜〜商店街の福引や宝くじの一等なんか比じゃない程の激レアな体験だよこれは?なんせ神であるボクの気まぐれに選ばれて異世界まで呼ばれたんだ。平凡な生活とはオサラバしてこれからは!剣と魔法で魔王を倒す旅に出るんだ!この世の男の子の、いや、全人類の夢だろう!?なぁ!?」
怒涛のマシンガントーク。聞いてもいないし聞こうとも思わない事をベラベラとうるさい奴だ。
しかし全人類の夢?知るかそんなもん。そんな夢は少なくとも俺は持ち合わせちゃいない。魔王を倒すなんざゲームの中だけでいいだろう。こちとら普通の学生だぞ?序盤の雑魚敵にやられてゲームオーバーが関の山だ。そんな重役は他の奴にやらせてくれ。
そんな俺の心境を見透かすように、奴は続けてこう言った。
「うーんうんうん……分かるよ〜魔王なんて倒せないって思ってる顔だね?だぁいじょうぶさぁ、キミには特別にボクの力を授けてあげよう!神様パワーだぞ!強いぞ!いやぁ〜気前いいなぁボク!神か!神だったわ!アハハハハ!!」
心底ぶん殴りてぇ。
顔が見えない筈なのに、爆笑している様が見えるのは気のせいではないと思いたい。
この時、既に俺は嫌な予感がしていた。こんな奴に選ばれる時点で、これから起きることはきっと碌でもないことばかりなのだろうと、確信にも似た何かを感じ取っていた。
「さぁて勇者に選ばれたキミはこれからスペシャル万能神様パゥワーを受け取って異世界へGO!なんだけど、一つだけお願いがあるんだよなぁコレが。んまーアレだ!神様パゥワーを授かる代償だと思ってくれたまえ!」
拒否権はないのだろうか?ないんだろうな。既に俺は達観の域に到達していた。
そもそも、さっきからずっと何も喋ることができない時点で、コイツは文字通り「話を聞く気がなかった」のだ。
こちらの質問は受け入れず、喋るだけ喋って終わり。しかも説明内容が不十分ときた。なんだよ神様パワーって。何ができるんだよ。
しかも代償ときた。いつ俺がそんな力を望んだというのか。望まぬ物を押し付けて「代わりにアレやっといてね」とか詐欺にもほどがあるだろう。
「いや別にそんな難しい事じゃないさ!さっき言ったとおりキミに頼むことは魔王退治!なーにボクの神様パワー、じゃなくて神様パゥワーをもってすればチョチョイのチョイだからね!跡形もなく消し飛ばしてくれて構わないぞ!」
このとき俺は確かにこう思った。最初に頼む事じゃねぇだろ、と。魔王討伐の旅とか比喩表現だと思っていたわ。
いくらお前の自慢する神様パワーとかいうアホみたいな力を使うことができても、初手で魔王退治とか馬鹿なのだろうか?いや馬鹿なんだろう。さっきから馬鹿みたいな事しか言ってねぇし。
人間と神じゃ、そもそも認識している難易度の違いがありすぎる。そうだ、そうに決まっている。ゴブリンやスライムを倒すのとわけが違うんだ。
「まあ最初は力の扱いが不安かもしれないから適当にその辺のドラゴンとかで肩慣らしすると良いよ!大丈夫ヘーキヘーキ!ちょっとグッてしてバーッとやってドガガガーンって感じで倒せるから!」
肩慣らしにドラゴン退治をさせようとするんじゃねぇ。やっぱりコイツ頭おかしいわ。そしてそんな奴の力を頼ることになるのが不安で仕方がない。
「ちなみに大抵の事は神様……ゴッドパァゥワーでなんとかなるからパーティメンバーとかいらないと思うぞ!けどまぁすんごい力使っていれば女の子なんて勝手に寄ってくるもんだから気に入った子を選ぶと良いさ!ハーレム作っても良いけど魔王退治だけはよろしく!倒してくれたらボク直々にお礼してもいいぞ☆」
他人の力を使って寄ってくる女とかロクな奴じゃないだろ。
しかもハーレムなんてものは幻想だ。そんなもの作ったら女同士で喧嘩しあって周りの空気が最悪になるに決まっている。
というかパーティメンバー不要って、ソロで魔王退治をさせるつもりだったのか?仮にもし神様パワーとかいう馬鹿げた力が、本当に魔王を討伐できる程のものだったとしても、俺が今から行くのは異世界だ。海外に行くのとはまるで違うんだぞ。異文化交流の難易度が桁違いだろ。せめて誰か一人くらい仲間を寄越せよ。
だがそんな俺の願いなどいざ知らず、奴は満足げな声色で締めにかかった。
「じゃこんな感じでいいかな!なんか他に言うべきことがあったかもしれないけど忘れたからいいや!忘れるってことはあんまり重要なことじゃないだろうし!」
最後の最後までこっちの不安を煽るような事しか言わねぇなコイツ、こちとら聞きたいことがわんさかあるんだぞ。
だが俺の怒りと疑問は奴に届く事はなかった。結局俺は最初から最後まで何も、文句の一つも言えなかったのだ。喋ることができないのだから。
「ではそろそろ異世界にレッツらゴーゥだ!重ね重ね言うけど魔王だけはぶっ殺しておいてね!シクヨロシクヨロ〜〜!」
こうしてふざけた別れの言葉を聞きながら、何かよく分からない力が俺の意識を遠のかせていく。ああ、次に目が覚めた時は自室のベッドの上であってほしい。そう願いながら、俺の意識はだんだんと薄れていき、微睡みの中へと落ちていった。
「あ!そういえばちゃんと祝ってなかったね!ボクってばうっかりうっかり!」
「おめでとう、スズキ・リョウマ!キミは神に選ばれし勇者となった!さあ張り切って魔王退治に出発だぁ!」
──こうして俺『鈴木龍馬』は勇者になった。
──なって、しまったのだ。