第五話 問題
「転校前の最後の普通科での一日、いってらっしゃい!」
「……いってきます」
東京都内某所。一軒家の一晩は俺と母親の二人だけしか居なかった。
それは変な意味ではなく、父親が俺が生まれてすぐに魔法を使ったテロに巻き込まれて死亡していたということを昨日の夜に母から聞かされた。
「……この世界の俺の親父ってどんな奴だったんだろ」
玄関で靴を履きながら、小さく呟く。
少なくとも俺が元いたはずの世界では、父親は存在していた。
他人に誇れるものでもない、普通のサラリーマン。しかし親父は生きていた。
「まっ、気にしても仕方が無いか」
学生服に袖を通し、何故か教科書一つ入っていない空っぽの鞄を肩に担いで、俺は学校までの道を歩いて行く。伸びきった髪の毛は異世界でのしきたりを踏襲するかのように根元で髪を結び、ポニーテールならぬドラゴンテールとして、向こうでも竜の弟子として整えていた髪型に変えた。
母親からは何その髪型? とツッコミを入れられたが、これは前世からやってきた髪型だし、師匠を忘れない為にも止めるつもりはない。
「……って、それはいいけど学校ってどっちなんだ?」
恐らく色々と変わっているから学校も変わっているのかもしれない。そもそも元の家野場所ですら俺の知っている場所じゃなかったし。
「あっ、そっか記憶喪失しているんだったね! ごめんごめん!」
くっ、これが五十路の実母のテヘペロだったらイラッとくるだけだが、ここでは無駄に若い分それが似合ってなんとも言えなくなる。
「それじゃあお母さんが仕事場に行くついでに乗せていくから、玄関先でちょっと待っててねー」
「あぁ、はい……」
俺としては全くの他人なのだから、いくら母親だからといっても他人行儀になってしまう。
それが向こうとしては記憶喪失として捉えられているから俺にとっては都合が良いんだが、本当にこの身体は瀧谷薫の身体であっているのか……?
「昨日表札を確認したけど、確かに瀧谷だったし……」
母親が玄関奥に姿を消している間に、俺は辺りを見回す。道路では普通に車が行き交っているが、空はどうなっているのか。やっぱり魔法があるというだけあって空を飛ぶ人影の一つや二つでも見当たらないか。
「……見当たらないな」
異世界だと普通に生身で飛んだり、あるいは箒なり何なりを媒体として操縦したりということで空を飛んでいたが、この日本では空を飛んではいけないのか?
「もしかしたら航空法みたいなのがあったりして……」
「何をぼーっと空を見てるの? ほら、行くわよ」
肩をポン、と叩かれた俺は言われるがままに車の助手席に乗り込み、そして隣で運転する母親の横顔を見つめる。
「……ん? どうしたの? なんか付いてたの?」
「いや、何でも無いけど……」
それにしても学校に近づくにつれて、顔つきが厳しいものへと変わっていっているのは気のせいだろうか。何か心配しているかのような、あるいは悩み事でもあるかのような。
それは次に出てくる母親からの言葉からも、僅かに見え隠れしていた。
「……もし途中で具合が悪くなったりとか、帰りたくなったら保健室に行きなさい。そしたらすぐに学校に行くから」
「それってどういう意味?」
「……まあ、何もないなら心配いらないんだけど……」
その心配の仕方を、俺はうっすらと覚えている。どうにかしたいけど、当人同士の問題だから中々口を出せないという問題。
なるほど、やはりこの身体はある意味では瀧谷薫の身体といって間違いない。
「…………」
「……? どうしたの? やっぱり今日は帰ろっか?」
「いや、別に大丈夫」
そうと分かれば話は早い。
こっちは竜の魔法がついている。以前の俺とは同一人物じゃない。
「何とかなるよ。多分」
ひとまずこの瀧谷薫の借りを、勝手ながら返させて貰いますか。