◆第九話『本当はダメ、なのっ』
「てっきり女の子からの手紙かと」
「可愛い字で悪かったな……っ!」
こめかみに青筋を立てるザグリオ。
どうやら本人にも自覚はあったようだ。
「それで、俺を呼び出した理由はなんなんだ? まさか本当にラブレターってわけじゃないよな」
「なにを言っている? 俺は貴様に躾を施してやろうと思っていただけだ」
「は? 躾?」
初対面のときからずっと上から目線だったが、まさかここまで突き抜けているとは。怒りをとおりこして呆れてきた。そんな俺の気も知らず、ザグリオは鋭い眼光とともに敵意まみれの言葉をぶつけてくる。
「たかが魔導駒を倒しただけでいい気になっているようだが……あんなものは倒せて当たり前のものだ。俺は貴様を召喚士として認めるつもりはない」
「つまり俺が気に食わなくて文句を言いにきたってことか」
「文句? バカを言え。先ほど言ったとおり俺は躾をしにきただけだ」
言うやいなや、ザグリオが前に出した右手。その人差し指にはめられた指輪が光ったのを機に、それは現れた。
人型で高さはちょうど俺の2倍ほど。人間では到達できないほどに隆々とした筋肉を纏った緑の召喚獣――オークだ。オークは右手に持った棍棒を地面に叩きつけると、咆哮をあげた。
凶暴さをむき出しているからか、実際よりもずっと大きく感じた。脚が竦んで思わず尻をついてしまいそうになる。だが、やる気満々のナノを見て幾分か心が落ちついた。
「落ちつけ、ナノ」
そう諌めたのち、俺はザグリオを睨みつけた。
「勝手に召喚獣で戦ったらダメだって初日に注意されただろ」
「安心しろ。ここなら気づかれることはまずない」
「気づかれなきゃいいって話じゃないだろ。大体、お前も入学したばっかだろ。どこからそんな自信が湧いてくるんだよ」
「信頼できる筋からの情報だ」
こんな男に協力する奴の気が知れなかった。
「なんだ、怖気づいたのか?」
「安い挑発だな。行くぞ、ナノ」
渋るナノにそう言い聞かせて背を向けたときだった。俺のそばに棍棒が振り下ろされた。轟音を鳴らしたそれは地面を揺らし、めり込んでいる。当たっていたら間違いなく潰れていた威力だ。
「おい、これは冗談じゃ済ま――」
されない、と。そう抗議しようとするが、最後まで言い切る余裕がなかった。もう一度、振り上げられた棍棒が今度は俺とナノを潰す軌道で迫ってきたのだ。
俺はナノを抱えてとっさに身を投げた。どんっとまたも響く重い音。すぐさま起き上がって振り向けば、さっきまで立っていた場所が棍棒で抉られていた。
「言っただろう、これは躾だと。勝手に帰れると思うなよ」
応じてぬるりと俺たちに向きなおったオークが、今度は薙ぐよう棍棒を振ってきた。
学則違反にはなるが、いまは身の安全のためにも応戦するしかないようだ。俺はナノを抱えたまま、オークに背を向けて駆け出した。ぶんっと後ろで棍棒が通りすぎる中、俺は声を張り上げる。
「ナノ、分身で牽制だ!」
「なのっ」
ナノからぽんぽんと分身が出現。計10体が一斉にオークへと向かっていく。が、棍棒の薙ぎ払い1発で早々に消滅させられてしまった。ナノは本体だったときのことを想像しているのか、青ざめたように「な、なの……」と呻いている。
「一直線に向かったらまとめて対応されるだけだ! 散らばって囲むように仕掛けろ!」
「なのっ」
再び生み出された分身たちが指示どおりに散らばった。オークを囲む形であちこちからパンチを繰り出しはじめる。だが、相変わらずペチンと可愛い音を鳴らすだけで大した威力もないようだった。
オークもなにかしたのかと言わんばかりにけろっとしている。
「どうした!? 魔導駒にしたように押し潰しに来ないのか!? そんなひ弱な攻撃ではオークには傷一つつけられんぞ!」
いまも分身たちが生まれてはオークに攻撃を仕掛けているが、まるで効果がない。オークも脅威ではないと判断したか、俺たちのほうを直接狙いはじめた。
あちこちに生えた樹を壁にして凌ぐが、どれもオークの攻撃1発で倒れてしまう。おかげでずっと走らされている。対塵獣戦を想定して自分自身を鍛えていなかったら、もうとっくにやられているところだ。
ただ、このまま続けば、いつか体力が尽きて捕まってしまう。逃げるのは難しい。となれば倒すしかないが……。
オークは巨体なうえに怪力だ。魔導駒のように押し潰す作戦は難しい。おそらくザグリオもそれをわかっているからこそ挑発してきている。
どう切り抜けるか。考えている間にもオークの猛追は続いていた。いまもオークの棍棒によって1本の樹が倒されたところだ。
ただ、一瞬だけ俺を見失ったようで首を振っている。残念ながらすぐに見つかってしまったが、そのしぐさから俺はある作戦を思いついた。……そうだ。純粋な力で勝てないのなら、からめ手でいくしかない。
「ナノ、ひとまず攻撃は中断だ」
「なの……!」
「安心しろ。諦めたわけじゃない。いまから作戦を伝えるから、とにかくたくさん分身を出してくれ!」
動揺するナノに俺は素早く指示を出した。頷いたナノが100体近くの分身を出した。それぞれが駆け出し、オークを囲む形で配置につく。
「よし、行け!」
「「「なのっ!」」」
ナノたちが重なるように返事をすると、一斉にオークへ向かって駆け出した。
「まさか本当に押し潰すつもりじゃないだろうな!? だとしたらおめでたい頭だ!」
ザグリオの言うとおり100体程度では、おそらくオークを押さえ込むことは難しい。だが、目的は押し潰すことではない。
多くが取りつく前に倒されてしまったが、背後をとった10体が接近を果たした。そのまま10体はオークの背から這い登っていく。
わずらわしいとばかりに体を振られたり、手で掴まれたりと7体が脱落したが、残り3体がオークの頭部に辿りついた。
「いまだ!」
そう合図を出した、瞬間。分身たちが服のポケットから茶色いブツを取り出した。それはこの辺りの地面を覆い尽くした土だ。3体の分身たちは手にした土をそのままオークの目に押しつけた。俺が選んだ策は目潰しだ。
「グァアアアアアアッ!」
効果は抜群だったようだ。オークが棍棒を放りだしてまで両目を押さえ、呻きはじめた。そんな大口を開けたところに、余った土を放り込む最後の1体。オークが「ごぼぁ」と声にもならない声を出して苦しんでいた。
激しく暴れまわるオークの攻撃を受け、残った分身たちは消滅してしまった。だが、すでに俺が求めたもの以上の結果を残してくれた。
「よくやった、ナノ!」
「なのっ!」
歓喜する俺たちとは相反して、ザグリオは驚愕していた。だが、すぐにその顔は怒りで塗り変わり、俺たちを睨みつけてくる。
「貴様……目潰しとは卑怯だぞ!」
「無理やり仕掛けてきた奴に言われたくないな!」
俺だってこんな方法は取りたくない。
だが、やらなきゃやられる戦いなら話はべつだ。
オークはいまも苦しみもがいていた。もともと気性の荒い召喚獣とあってか、周囲にあたりちらすような形で暴れている。ただ、目が見えないとあってか、その範囲が召喚主であるザグリオに及んでいた。
「と、止まれ! ここには主の俺がいるんだぞ!」
必死に叫んでいるが、ザグリオの声は届いていないらしい。オークは止まらず暴れつづける。このままではザグリオの身が危うい。いやな奴だが、さすがに死なれるのは寝覚めが悪い。
「ザグリオ、さっさとそいつを戻したほうがいいんじゃないかっ!?」
「く、くそ! 貴様に言われなくても――!」
ザグリオがオークを戻そうとした、そのときだった。バキバキと幾本もの樹が倒れる音が近づいてきたかと思うや、黒い影が視界に飛びこんできた。そのまま影はオークを突き飛ばし、俺たちの近くで急停止。
空気がびりびりと震えるような雄叫びをあげた。
オークが放ったものとは比べ物にならない威圧感だ。
猪を思わせる四足。でっぷりと太った体に、上に反り返った2本の猛々しい角。なにより目につくのは、黒や赤、紫といった色が無数の斑点として彩られた独特な表皮。まさに〝塵〟といった表現がしっくりくる柄だ。
直に見るのは初めてだった。
ただ、ここまで凄まじい威圧感を持っているとは思いもしなかった。
間違いない。
いま、目の前にいるのは――。
「塵獣……!」