◆第十七話『天使の光、なのっ』
崩れ落ちるレインさんをロティスがその小さな体で抱きかかえる。俺やシリル先生も急いでそばに駆け寄った。
「申し訳、ございません……ロティス、様……」
レインさんがロティスの膝に寄りかかりながら、弱々しい声を絞り出した。意識を保っているのがやっとなのか、いまにも目を閉じてしまいそうな様子だ。
「いまはそんなこと、どうだっていい!」
「わたしは……自分の、ためにロティス様を、うらぎ、り……悲し、ませて……しまい、ました……っ」
「もう良いって言ってるじゃないかっ! だから、喋らないでよっ」
ロティスが悲痛な声をあげる中、シリル先生がそばに膝をついた。容態をたしかめるようにそっとレインさんの服をめくる。その先に待っていた傷口を見て、シリル先生が苦々しい表情を浮かべる。
「かなりひどいですね。内臓のほうまで傷ついています……これは……」
言葉はそこで終わった。
だが、シリル先生の表情から察するのは容易だった。
「アル兄様、レインが……レインが……っ」
助けを求めるように見上げてくるロティス。
だが、俺はなんの言葉も返せなかった。兄面をしていたくせに、肝心なときになにもできない。自分が情けなくて仕方なかった。
「とにかくいまは彼女を医務室まで運びましょう。ヒナ、こっちに来てくれる?」
シリル先生が自身の召喚獣を呼びつける中、ナノが俺の足をつついてきた。
「なのなの。な~の~っ」
ナノがレインさんに向かって、両手を掲げながら間抜けな声をあげはじめた。
こんなときにいったいなにをしているのか、と。初めは困惑してしまったが、すぐに俺ははっとなった。いまのしぐさは、ナノが天使形態で治癒魔法をかけるときのものだったのだ。
「……そうか! 人間の俺たちにも効いてたし、もしかしたら……っ!」
「レインを助けられるのですか!?」
ロティスから期待の眼差しを向けられたが、俺は険しい顔のまま応じる。
「わからない。でも試してみる価値はある。先生、ゴルドの奴を押さえるのお願いできますか?」
「え、ええ……ヒナ、お願いできる?」
騎士の分身たちと入れ替わりで、ヒナがゴルドの上に乗った。どうやらヒナは騎士の分身たちよりも重かったらしい。どすっと鈍い音とともに、「ごふぁっ」と呻き声が聞こえてきた。
「ナノ、俺のありったけの魔力を使ってくれて構わない! 天使形態をできるだけ生成してくれ!」
「なのっ!」
生成できたのは38体。戦闘で魔力を使った分、さすがに最大数とはいかなかった。だが、それでも充分な数だ。
「頼む、ナノ!」
「「な~の~っ」」
ロティスが祈るように事態を見守る中、天使たちが一斉に両手を挙げた。そこから現れた緑色の温かな光がレインさんを包み込みはじめる。まるでそよ風に撫でられているかのような、そんな心地よい空間が辺りに形成される。
いくらナノの治癒魔法が凄くても、あれだけの深手だ。さすがに治癒するのは難しいかもしれない。そんな不安が脳裏をよぎるも、視界に映る光景はすべての不安を払拭させてくれた。見えていた傷口がみるみるうちに塞がったのだ。
「き、傷が塞がっていく……」
「信じられないわ……こんなことが起こるなんて……」
目の前の出来事をありのまま受け入れるロティスとは対照的に、シリル先生は驚愕したまま首を振っていた。俺もシリル先生と同じ気持ちだ。ただ、いまはレインさんが救われたことを喜ぶ気持ちが勝っていた。
シリル先生がレインさんの口元で息をたしかめたのち、安堵したように頷く。
「呼吸も穏やかですね。中のほうはまだわかりませんが……この様子ならおそらくは大丈夫だと思います。いずれにせよ、医務室には連れていったほうがいいでしょう」
ひとまず無事なことがわかったからか、ロティスが心底嬉しそうに顔を綻ばせていた。レインを優しく抱きしめたのち、俺に向かってぱあっと明るい笑みを向けてくる。
「ありがとうございます、アル兄様……!」
「礼ならナノに言ってあげてくれ」
「はい、ありがとうございます、ナノさん!」
「「なのっ」」
ナノもきっとレインさんを救えて嬉しいのだろう。分身の天使たちと揃って満面の笑みで応じていた。
「アルッ!」
ふいにキスフィの声が聞こえてきた。
いったいどこからと思ったが、吹き荒れた風と差した影のおかげですぐにわかった。見上げた先、キスフィがニヴルに乗った状態で空を翔けていた。そのままニヴルは上空を1度旋回したのち、訓練場に着地する。
「キスフィ? 試合はどうしたんだ?」
「もう終わったわ」
「結果は……勝ったみたいだな」
「ええ」
当然とばかりに淡々としていた。キスフィが1回戦で負けるはずはないとは思っていたが、想像以上に圧勝だったようだ。
「それよりどうしてここに?」
「アルがロティス殿下を捜しにいったきり戻らないって聞いたから。それにティリス先輩の様子がおかしくて攻撃せずにずっと逃げてるの。だから、なにかあったんじゃないかって」
「ロティスを人質にされてたんだ。だから──」
「どうりで。じゃあ早く行って無事を報せましょう。ニヴルに乗っていけばすぐにつくわ」
そばで拘束されたゴルドや、辺りの凄惨な状況からキスフィはすべてを察したようだ。後ろに乗れとばかりに、掌でとんとんとニヴルの背を叩いている。
ティリス先輩にロティスの無事を報せることがなにより先決だ。ただ、倒れたままのレインさんを心配してか、ロティスがこの場を離れることを躊躇っている。
「彼女のことはわたしが責任を持って安全なところへお連れします」
「シリル先生、どうかレインのことを……お願いします」
「はい、任せされました」
そう応じるシリル先生は、さっきまでの凛々しい顔とは打って変わって、まるで子どもをあやすような優しい顔だった。
シリル先生なら上手くこの場を収めてくれるだろう。ただ、ゴルドもいる中でレインさんを医務室まで運ぶのはさすがに手が足りない。
「先生、俺が残ってあいつを……ゴルドを押さえます」
「いえ、クレインくんもついていってあげてください。それにもうすぐシグナスも来るはずですから」
「シグナス先生が?」
「ええ。バシューくんが大会に関係のない場所に向かっているという話を聞いた時点でなんだかいやな気がして。近くにいたドンくんに声をかけて、シグナス先生を呼んでくるようお願いしてあるの」
どうしてシリル先生が駆けつけてくれたのかと思ったが、そういう経緯だったらしい。ドンに関しては……決起会を台無しにしてしまって申し訳ないが、ナイスな役回りだ。
いずれにせよ、この場をシリル先生に預けても問題ないことがわかった。ならばもう、ここに留まる理由はない。俺は立ち上がるなり、ロティスに手を差し伸べる。
「行こう、ロティス」
「はい、アル兄様っ!」




