◆第七話『大人気、なのっ』
翌朝。俺は教室で乾いた笑みを浮かべていた。
座学が始まるまでの間、女子たちが俺の席まで来て黄色い声をあげていたのだ。もちろん俺に対して興奮しているわけじゃない。目当てはナノだ。
「ナノちゃんって言うんだ。可愛い~っ」
「一目見たときからずっと気になってたんだよね~」
「うわ~、ぷにぷにしてる。すっごい気持ちいいんだけどっ」
「わたしもわたしも~っ。うわ、ほんとだ柔らか~い!」
女子たちにもみくちゃにされるナノ。だが、嫌がっているわけではないようだ。むしろ、きゃっきゃと子どものように笑っている。そんなナノのことをじっと見るだけの女子もいた。偶然にも俺の隣の席となったキスフィだ。
「もしかしてキスフィも抱きたいのか?」
「べつに」
ついっと目をそらされてしまった。
多くの女子がナノに夢中になる中、キスフィだけは無表情を貫いている。どうやら可愛いものには興味がないらしい。ほかの女子よりも大人びた雰囲気があるからか、そんな気がしていたというのが正直なところだ。
「昨日と打って変わって大人気だね」
後ろから声をかけてきたのは、初日から強力な存在感を放っているドン・シュタールだ。袋から塩漬けのイモを取り出してはもぐもぐと頬張っている。寮の朝食では足りなかったのか、さすがの食欲だ。
「よっ、ドン。俺も驚いてるところだ。昨日、魔導駒に勝ったことでようやく認めてもらえたのかもな」
「ま、女子たちが夢中になるのも頷けるけどね。美味しそうな見た目してるし」
「いや、絶対にお前とは違う理由だ」
いつかナノが食べられてしまうんじゃないかと心配だ。
「お、おい。アル、お前にお客様だ。廊下で待ってる」
同じ教室の男子生徒がなにか焦った様子で声をかけてきた。さらに彼は廊下のほうを横目に見ながら、ひそめた声で訊いてくる。
「あんな人とどこで知り合ったんだ?」
「あんな人?」
「……と、とにかく行きゃわかるっ」
名前を口にしようとして閉じたかと思えば、背中を押して送り出された。ナノはいまも女子たちに捕まっているため、1人で向かうことにした。
「やあ、きみがアル・クレインくんだね」
廊下に出るやいなや、声をかけられた。どこかで聞いたような声だなと思いながら出所に目を向けた、瞬間。思わず目を見開いてしまった。聞いていたとおり、〝とんでもない人〟だったのだ。
その人は俺と同じで男子の制服を着ているが、一目で女性とわかるほどの華やかさがあった。
怜悧な顔に、左肩から前に流されたひとつ結いの柔らかな銀髪。なにより女性の象徴と言うべき胸の膨らみがたしかに窺える。……というより窮屈そうだ。
俺は直立して、声を張り上げる。
「は、はい。そうですっ! アル・クレインです!」
「急に呼び出して悪かったね。初めまして、ボクはティリス・ルゼ・ウィスタール。ここの2年生だ」
「知ってます! 入学式のときに挨拶されてましたし、その……殿下は王女様ですし」
ウィスタールの名を持つとおり、この方は正真正銘の王女。本来なら言葉を介すことすらできない相手だ。なにか失礼があっては俺の召喚士人生が終わってしまうかもしれない。そんな恐怖感に襲われ、思わず恐縮しきってしまった。
そんな俺の態度を見てか、ティリス殿下がどこか寂しげな笑みを浮かべた。
「いまはきみと同じ生徒だ。殿下はできればやめてほしいかな」
「で、ではティリス……さまは」
「もう少し頑張ろう。あと、言葉遣いも」
「じゃ、じゃあ……ティリス、先輩で」
「やっぱりそこが限界か。うん、じゃあ、それでお願いしようかな」
にっこりと笑いながら頷くティリス先輩。
見た目の華やかさや醸しだされる空気感は間違いなく王家のそれだ。ただ、近づきにくかったり話しにくかったりといったことはなかった。気さくで、とてもいい人といった印象だ。おかげで俺もすぐに肩の力を抜くことができた。
と、ティリス先輩がなにやら教室の中をこっそり覗いたかと思うや、少しだけ困ったようにまなじりを下げていた。
「きみの召喚獣が面白いって噂を耳にして、ちょっと見にきたんだけど……どうやらいまは忙しいみたいだね」
「あ、すぐに呼びます」
「大丈夫だよ。実はほかにも用はあったし」
言うやいなや、ティリス王女がぐいと接近してきた。
「期待の新星クンに、だよ」
いつの間にか周囲には多くの生徒たちが集まっていた。間違いなくティリス先輩目当てだろう。そんな異様な空気の中でも、ティリス先輩は離れようともしない。それどころか俺の体に手を伸ばしてきた。
「魔力値だけかと思ったら、なかなかどうして。体のほうもしっかりしてるじゃないか。腕も、胸も、脚も……」
ティリス先輩がその細くて長い指で、俺の体をわさわさと触りはじめる。ついにはまるでしなだれかかるように俺の胸に掌を当てながら、「うん、いい体だ」と囁くようにこぼす。
とてつもなく、ぞくぞくした。ティリス先輩が持つ独特の空気に当てられたことも間違いなくある。けど、それ以上に周囲でティリス先輩のファンと思しき女子から向けられる目がとてつもなく鋭かったことも大きかった。
「い、一応、対塵獣戦も考えて自分も動けるようにはしてます。召喚獣がどれだけ強くても召喚士が死んだらそれで終わりですし」
「新入生の実戦はまだだったと思うけど、もう塵獣戦を見据えてるんだね」
「塵獣を倒すことは召喚士にとって当然のことですから」
俺にとってその意識は、グランドマスターを目指すと決めたときから根づいたものだった。だからか、ティリス先輩を前にしたいまでも緊張なくさらっと答えられた。
「そう、だね。当然のことだ」
ティリス先輩はどこか唖然としたような顔でそう答えたかと思うや、どこか満足気にくすりと笑みをこぼしていた。
「うん……アル。ボクはきみのことが気に入った。これからきみがどんな風に成長していくのか、楽しみに見させてもらうよ」
そう言い残して、ティリス先輩は離れていった。
気に入られるようなことをした覚えがなくて、俺はきょとんとしながらティリス先輩の背中を見送った。ひとまず気に入られたのは悪いことではないはずだ。そう思いながら教室に戻ると、ちょうどシリル先生が入ってきた。
「みなさん、おはようございま~す。授業を始めるので席についてくださいね~っ」
ナノに夢中だった女子たちが俺の席から離れていく。入れ替わりで俺が席に戻ると、ナノが「なのっ」と笑顔で出迎えてくれた。
「人気者ね」
キスフィが俺のほうを見ずにぼそりと言った。
「なっ。まあ、ナノは見た目が見た目だからな」
「あなたのことも言ってるんだけど。会いにきてたの、殿下でしょ」
「珍しい召喚獣を召喚した奴ってだけだ」
返ってきたのは「そう」と相変わらず簡素な言葉だった。ただ、話を振ってきたのは彼女のほうだ。そう考えると、少しは興味を持ってくれているのかもしれない。
俺はわずかに浮かれた気持ちで座学用の教科書を机の中から取り出そうとしたところ、なにか異質なものが入っていることに気づいた。不審に思いながら取り出してみると、一通の手紙が入っていた。
表には『アル・クレインへ』と可愛い文字で書かれている。シリル先生の話がすでに始まっている中、俺は好奇心に負けて中身も覗いてみた。内容は、放課後に指定の場所に来てほしいという旨のものだった。
俺は真顔で手紙を机の中に戻した。
深呼吸をして暴れようとする心を鎮めたのち、状況を整理する。
田舎者の俺でも知っている。
これはラブレターとかいう奴だ。