◆第五話『危ない実験、なのっ』
俺たちはシグナス先生の執務机に向かう形で座った。ちなみに来客用のソファなんてものはなく、研究室のそこかしこに置かれた椅子を運んできた格好だ。
「先ほどティリスさんが挙げた通り、今回の件に燦逅露は深く関わっています。というより暴れた生徒が服用していました。彼の部屋からも現物が見つかっています」
そんな驚きの事実からシグナス先生の話は始まった。続けて話は紡がれようとしたが、すぐに遮られた。キスフィが「あの」と声をあげたのだ。
「それより燦逅露というものについて知りたいのですが」
「あ、あたしもっ! さっきからずっと気になってて……」
ユニカが挙手したのち、申し訳なさそうに言った。俺もつい最近まで知らなかったことだし、無理もない。シグナス先生は面倒くさがることなく、燦逅露について説明しはじめる。
「とても危険な薬物とでも言いましょうか。服用するとその人が幸せだった頃の幻覚を見られるそうです。ただ、その代償として中毒症状に陥ると知られています」
その説明を聞いた途端、キスフィとユニカが痛まし気な顔を見せた。言葉だけでは漠然としたことしか想像できない。だが、出てきた単語から〝とても危険な薬物〟であることは少なからず理解できたようだ。
「アルは知ってたの? 燦逅露のこと」
俺だけが驚いていなかったからか、キスフィがいぶかるような目とともに訊いてきた。ああ、と俺は頷く。
「実は王都で燦逅露の服用者にたまたま遭遇して。そのときにティリス先輩に教えてもらったんだ。……服用者の人、売り手っぽい人に必死でしがみついてた。怖いぐらいに目をぎらつかせて……」
正直、あまり思い出したくはない光景だ。
俺は膝上にナノを乗せる格好で抱いているが、その手に少し力がこもってしまった。そのせいか、ナノが心配するように「なの……?」と俺の顔を見上げてくる。
俺が安心させるようにナノの頭を撫でる中、シグナス先生が補足する形で説明を続ける。
「個人差はあるようですが、精神が不安定となることで攻撃的になる場合も少なくないようです。おそらくは強烈な枯渇感、飢餓感を覚えてしまうのでしょう」
本当に聞けば聞くほど不利益なことばかりが目立つ薬だ。どうしてそんなものを服用するのかと思わざるを得ない。ティリス先輩も同じ気持ちなようで悩まし気に唸っている。
「しかし、こんな大事な時期に彼はどうして……」
「こんな時期だから、ですよ」
「どういうことですか?」
その言葉の真意をたしかめんと、ティリス先輩が問いかけた。シグナス先生がほんのわずかな間、悩む素振りを見せたのちに話しはじめる。
「実は、燦逅露が服用者にもたらすのは幻覚症状だけではないのです」
俺たちが総じて驚く中、実験道具を漁りだすシグナス先生。まもなく「これを見てください」と言いながら、執務机の上にガラス製の皿を2枚置いた。
「どちらの皿にもカドリスの枝を溶かした液体を入れているのですが、たとえば魔力のある人間──召喚士の血液を垂らすと……」
シグナス先生が小瓶から、真っ赤な液体──血を1滴だけ垂らした。
ぽとんと落ちた血がガラス皿の液体に滲むように溶け込んでいく。本来は赤に染まりそうなものだが、結果は紫色。しかも中央に濃い色が集まるやいなや、そこから根を張り、芽をぽんっと出した。
「わっ、芽が出た!」
「な、なの~っ!?」
間近で見ていたユニカとナノが驚いたように声をあげた、直後。芽どころか根まで、まるでしぼむように縮むと、ついには元の液体に戻ってしまった。名残は紫色に染まっていることぐらいだ。
「って言ってたら消えちゃった……」
「血に残っていた魔力が尽きたからでしょうね」
そう考察したキスフィの言葉に、シグナス先生が正解とばかりに頷いている。
カドリスを使っての訓練でも同じだ。魔力を流している間は成長し、魔力の流れを止めれば一気に縮む。つまるところ、カドリスは魔力を常に得ていないと生きられない植物ということだろう。
「でもまさか液体から再生しようとするなんて……」
「驚くのはここからですよ」
シグナス先生がべつの小瓶を取り出した。
見たところさっきと同じく血液が入っているようだ。
「べつの召喚士のですか?」
「いや、さっきと同じ召喚士の血だよ。ただし、こちらには燦逅露を混ぜてあるけどね」
さらりと告げられた衝撃の事実に、俺たち生徒陣は揃って言葉を失ってしまった。
燦逅露は王都で取り締まられているほどの危険な薬物だ。なぜそんなものを先生が持っているのか。そんな俺の疑問を察してか、シグナス先生が小瓶をちらりと見たのちに平然と微笑んでくる。
「あ~……ロドミーくんのをちょっと拝借したんだ」
「それ、まずいんじゃないですか?」
「すべては実験のためだよ。ということでティリスさん、見逃してくれるかい?」
いくら実験のためとはいえ禁止薬物。本来なら許されるはずのないことだが……ティリス先輩が盛大にため息をついたのち、肩をすくめる。
「先生に限って悪用することはないでしょうから、今回は見なかったことにします。ただ、できれば今回限りにしてください。ボクにも立場というものがありますので」
「ありがとう。……では、お許しももらえたところで──」
シグナス先生が早速とばかりに小瓶を傾け、 燦逅露混じりの血液を垂らした。直後、俺たちは思わず目を見開いてしまった。さっきとは比べ物にならないほど急激な変化を見せたのだ。
変化の流れ自体は同じだが、その再生具合が尋常ではなかったのだ。みるみるうちに芽を出しただけでは止まらず、幹となって育ちはじめた。さらに皿の中に根がぎっしりとつまり、背を伸ばしはじめる──。
──ところで急激に勢いを失くした。そこからはさっきと同じだ。一気にしぼんでいき、ついには元の液体だけに戻った。
「さっきと段違いじゃないか……」
「ええ、育つ速さも、大きさも」
「……こんなに違うものなんだね」
「なの~……」
揃って唖然とする俺たち1年組とナノ。
シグナス先生が小瓶に蓋をしながら、淡々と告げてくる。
「ともあれ、結果は見てもらった通りです」
「つまり燦逅露には魔力を増幅させる力がある……そういうことですか?」
ティリス先輩の問いかけに、シグナス先生が「はい、その通りです」と頷いた。
「……教師が隠ぺいしたがるわけね」
「う、うん。こんなの知ったら、自分もってなる人が出るかもだし」
キスフィとユニカの言う通りだ。どうして教師陣が隠そうとするのかと思っていたが、こんな事実があったとすれば無理もない。
「でも、よかったんですか? 押しかけておいてなんですけど、俺たちに教えちゃって」
「きみたちはこんなものに頼る召喚士ではないと確信していますから。それにティリスさんがいますからね。このことにはすぐに行きつくでしょう」
たしかにティリス先輩が本気で調べようと思えば、遠からず行きついていたに違いない。それならば、と先に教えてくれることを選んだようだ。
「でも……変ですね。ティリス先輩、ロドミーって人は優秀だって話してましたよね?」
「うん。彼なら代表に選ばれてもおかしくないほどの実力があった」
「そんな人が、どうして燦逅露に頼るようなことを……」
「ロドミーは前回の大会でゴルドに負けているからね。おそらく、いまのままでは勝てないと思ったんだろう」
俺の初戦の相手でもあるゴルド。彼へのリベンジを果たすためだったというわけか。その執念には賛辞を送りたいが、手段は褒められたものではない。
「だからって、薬で強くなって勝つなんて……」
「彼の家はあまり裕福でないうえに、下に兄弟がたくさんいるようですからね。おそらく、すぐにでもお金が必要だったのでしょう」
シグナス先生が複雑な面持ちで、そう擁護するように言った。
「……お金? どういうことですか?」
話の繋がりがわからず、俺は思わず首を傾げてしまった。そんな俺を見てか、ティリス先輩が目を瞬かせながら教えてくれる。
「学園大会の代表者に選ばれると、成績優秀者として学園の活動費が一部免除されるんだよ。知らなかったのかい?」
「え、そうなんですか!?」
初耳だ。その話についてもう少し詳しく知りたいと思いつつ、ほかに気になることがあった。驚いているのが俺だけということだ。
「……え、知らなかったのって俺だけ?」
「わたしは知ってたわ。あんまり気にしてなかったけど」
「あたしも知ってたよ。実はちょっと意識してたり……」
どうやらキスフィもユニカも知っていたらしい。
お金のために学園大会で勝利する。その繋がりを理解できなかったが、ようやく納得できた。俺もお金に余裕があるわけではないので、正直に言って知った途端に少し意識してしまった。もちろん、ズルをしてまでほしいとまでは思わないが。
「それから本戦の上位に入れば召喚士資格の2級も得られる。つまり今後の生活も安泰ってわけだ」
2級以上の召喚士は塵獣の討伐義務も発生するが、その代わり多くの報酬を得られると聞いている。まさしく良いこと尽くめだ。
「ロドミーが暴れた件についてはわかりました。ただ、1番気になることがあります」
「どこから燦逅露が流れたのか、ですね」
ティリス先輩の疑問に、シグナス先生がそう答えると、続けて話しはじめた。
「大元の出所はおそらく塵王教会で間違いありません。中毒性のある薬を餌に罪なき人々を傀儡とする。彼らが数を増やす手口です」
──塵王教会。
彼らは、塵獣が人間界に攻め入ることをよしとする危険な集団だ。以前、クルム遺跡で戦闘をしたばかりとあって、俺は思わず体に力が入ってしまった。襲われた張本人であるキスフィもまた険しい顔をしている。
「そして少し前であればジョストン家しかいないと答えることができたのですが、いまや、生徒であったザグリオくんは行方知らず。かの家からの直接的な関与はありません」
親が塵王教会の一員として学園の生徒を襲ったのだから当然と言えば当然だが……クルム遺跡での事件以降、ザグリオ・ジョストンはいまだ学園に姿を見せていなかった。
「ですが、橋渡しとなる可能性のある家はあります」
ティリス先輩が言った。
俺も話を聞いていたから心当たりはある。
「バシュー家……ですか。実はわたしもその線を考えていましてね。少し前、昔馴染みに協力してもらい探ってみたのですが、バシュー家からは燦逅露の痕跡を見つけられませんでした」
口振りからして、こうなることを予期していたような行動だ。
かつて戦鬼と呼ばれていたというシグナス先生。その伝手や行動力から、いったい何者かという疑問はいまだ尽きない。俺としてもまだうさん臭い印象が抜けないのが正直なところだ。
いずれにせよ、どこから燦逅露が学園にもたらされたのか。その経路はいまだ不明ということだ。
「さて、わたしから話せることはこれだけです。満足していただけましたか?」
シグナス先生がわずかに首を傾げながら問いかけてくる。
犯人が誰なのかという疑問は残っている。だが、いま持っている情報でこれ以上考えても答えは出てこない気がした。ほかのみんなも同じようで、わからないことに納得していた。
ティリス先輩に続いて俺たちも立ち上がる。
「ご協力、感謝します。シグナス先生」
「いえいえ、少しでもお力になれたのであれば幸いです」
代表して礼を述べたティリス先輩に続いて、俺たち1年組も三様に礼をした。シグナス先生が立ち上がって柔らかな笑みを向けてくる。
「わたしもみなさんと話せて楽しかったですよ。よければ、また遊びにきてください。研究のためとはいえ、1人だと寂しいものでね」
「そんなことでいいのなら」
と、俺は軽い気持ちで応じた。
直後、眉を跳ねさせたシグナス先生が俺に向かってにっこりと笑う。
「では楽しみにしていますよ、クレインくん」
たしかに応じたのは俺だけだった。
だが、まさか名指しで言われるとは。
「そ、それじゃ失礼します……行くぞ、ナノっ」
俺はなんだか悪寒のようなものを感じながら、一足先に部屋をあとにした。




