◆第五話『召喚獣ナノ、なのっ』
遠くの空が赤らみはじめていた。
学園の敷地はただでさえ広大だ。暗くなってしまえば、さらに捜索は困難を極めるだろう。……時間がない。
今日中に探し出さなければならない理由なんてない。ただ、再契約の話を聞かれたかもしれないという不安が胸中で靄となって留まっていた。
まさか再契約をいやがって逃げたのか。それとも俺を気遣って自分から姿を消そうと思ったのか。いずれにせよ、このまま放置だけはダメだと本能が言っている。
学生寮を出てから間もなく上級生の女生徒を見つけた。ひとりで学園内の隅から隅を探し回るなんてことはできない。俺は上級生に駆け寄るなり、息も収まる前から口を開く。
「あのっ、こんな小さい奴見ませんでしたか!? 小人みたいな姿をしているんですけど……俺の召喚獣なんです!」
「小人? 見てないけど……きみ、新入生だね。召喚獣ならトリンケットに戻さないとダメだぞー」
「気をつけます! あの、急いでるんで! ありがとうございました!」
トリンケットに戻せない召喚獣だと説明する間も惜しかった。適当に礼を言って捜索を再開する。その後も出会う人に片っ端から小人のことを聞いて回った。だが、誰からも手がかりを得られない。
汗だくで膝に力が入らなくなってきた頃、前方から歩いてくる大柄な生徒を見つけた。同じ教室のドン・シュタールだ。自己紹介の印象通りむしゃむしゃとなにかを食べながら歩いている。
「ドンッ! ちょっといいか!?」
「きみはたしか至上最高の……なんだっけ。食べ物だったら覚えられるんだけどなぁ」
「アル・クレインだ。俺の召喚獣を見なかったか!?」
「あの丸くて美味しそうな子だっけ」
「美味しそうな子って……」
「フワフワモチモチで食べたら新触感を楽しめそうだよね」
なにやら呆けた顔で口元を綻ばせるドン。昼間より膨らんだように見えるドンの腹を見て、いやな予感が湧き上がってくる。
「……まさか食べてないよな?」
「僕だってさすがに召喚獣は食べないよ。知らなかったらわからなかったけど」
一瞬、ドンの眼光が鋭くなった気がした。のんびりとした喋り方で大人しい性格かと思ったが、どうやら違う面でやばい奴みたいだ。
「引きとめて悪かった。それじゃ俺、急いでるから」
「なにかわけありみたいだね。見つけたら教えるよー!」
「ありがとう! 助かる!」
ドンと別れてからも幾人かと出会ったが、やはり目撃情報は得られなかった。すでに空は赤く染まりきっている。それどころか夜が端から顔を出しはじめている。
「ほんと、どこに行ったんだ……」
小人が学生寮を出てからあまり時間は経っていない。そう踏んで裏庭を中心に駆け回っていたが、まるで手がかりがない。
小さくて見つかりにくいことはわかる。だが、これはあまりにおかしい。そもそも裏庭にいるという考えが間違っていたのだろうか。とはいえ、いまから前庭にいると決め込んで捜すには時間がなさすぎる。
「アルッ!」
名前を呼ばれたのは学園に来てから初めてだった。見上げた先、キスフィがドラゴンに乗って空を飛んでいた。前庭のほうを指差しながら叫んでくる。
「今日使った演習場にいたわ!!」
なにがいたのかは必死な顔を見ればすぐに理解できた。どうやら小人捜索を手伝ってくれていたらしい。どこか無愛想でつんつんしているかと思えば、こんな親切心も見せてくる。なんとなくキスフィという人間がわかってきた気がする。
「ありがとう! 助かった!」
とにかく教えてもらった場所へと再び駆けだした。
小人が前庭にいるとわかったのはよかったが、気になることがあった。それは今日使った演習場が召喚場の近くにあるということだ。自ら魔謳界に戻ることを考えているのだろうか。そもそも1人で戻る手段があるのだろうか。
俺はそんなことを考えながら、ひたすら走って目的地に向かった。
演習場に辿りつくと、小人がぽつんと立っていた。なにかを探しているようで首を振っている。ただ、そのうちに俺のことを見つけたようだ。「なのっ」と嬉しそうな顔を見せて駆け寄ってきた。
心配した。苦労して捜した。
そんなことを口にするより訊きたいことがあった。
「お前、どうしてここに来たんだ?」
そう問いかけると、悲しげな顔を見せる小人。かと思うや、頭を押さえて痛そうな顔をして倒れたフリをしはじめた。続いてすぐに立ち上がって決意に満ちた顔を作ると、パンチをして勝利のポーズを決める。
「もしかして……魔導駒に負けたのが悔しいのか?」
「なのっ!」
力強く頷く小人。
再挑戦をして勝ちたいといったようにも見えた。
「そんな可愛い見た目なのに……負けず嫌いなんだな」
1度の敗北で諦めた俺と違って小人はまだ諦めていなかった。俺は下唇を思いきり噛み、ぐっと拳を作った。俺は、俺だけの意見で小人を切り捨てようとした。これじゃ昔、俺と母さんを捨てた親父と同じ……俺が一番嫌いな方法じゃないか。
俺は膝をついて小人の目線に近づけた。
「ごめん」
「なの……?」
「……本当にごめん」
小人はなにがなんだかわからないといった様子で首を傾げていた。ただ、俺が顔を歪めていたからか、心配そうな顔を向けてきた。
本当に俺なんかとは大違いでいい子だ。力は弱いかもしれない。ただ、召喚獣は成長する。大体、俺だって召喚士として未熟な存在だ。そんな俺が自分の――初めての召喚獣を早々に切り捨てるなんてそもそもが間違っていたんだ。
決意が固まった瞬間、小人を愛おしく想う気持ちが強くなった。
思わずぐっと抱き寄せてしまう。魔導駒に気絶させられてから学生寮に連れていくときも抱いていたが、あのときよりもずっと温かく感じた。小人も生きている。そう強く実感できた。
「俺もお前と頑張るよ。だから、俺をお前の相棒だって認めてくれるか?」
「なのっ」
答えは相変わらず簡素だった。
それがおかしくて思わずくすりと笑ってしまう。
「お前、本当に〝なの〟しか言わないんだな。そうだ。お前の名前さ、ナノってのはどうだ?」
小人と呼ぶのはなんだか他人行儀みたいだし、そもそも種族名な気がしてならない。そんな考えから提案してみた。
「……なの? なのっ!」
「気に入ったみたいだな」
小人――ナノは自身を指して「なの」と叫んだあと、今度は俺を指してからも「なのっ」と口にする。
「俺はアル。アル・クレインだ」
「なのっ」
やっぱり返事はいつもどおりだったが、わかったとばかりに元気よく手を挙げていた。ふいに強い風が後ろから吹いてきた。振り向くと、ニヴルに乗ったキスフィが地に下り立つところだった。
「無事に出会えたみたいね」
「ありがとう。キスフィのおかげだ」
俺と小人のことを交互に見やったのち、キスフィが言う。
「その子と頑張るつもりなのね」
「ああ。たしかにいまは魔導駒にも負けるぐらいかもしれないけどさ。召喚獣は成長するだろ。俺もまだまだ未熟だし、一緒に強くなっていければいいって思ってさ。な、ナノ」
「なのっ」
キスフィの返事は「そう」と淡白なものだった。ただ、小人を見る目はどこか優しげで、喜んでいるようにも見えた。
「っていうかナノ? もしかして……」
「こいつの名前だ。なの、ばっか言うからさ」
「……すごい安直ね。でもぴったりかも」
「だろ」
俺が得意気に答える最中、ナノがまるで自己紹介でもするように手を挙げた。キスフィは初めこそ驚いていたが、ふっと笑って「わたしはキスフィ。よろしくね」と応じていた。
「ここにいたんですね~……」
どこからかか細い声が聞こえてきたかと思うや、シリル先生だった。ふらふらとした歩みで俺たちのほうに向かってきている。急いで駆けつけてくれたのはわかるが、いまにも息絶えそうなほどの憔悴具合だ。
「だ、大丈夫ですか?」
「先生ね、あんまり運動が得意じゃないんです……げほっ」
たしかに見るからに運動は苦手そうだが、思った以上だったらしい。近くまで来るなり、ぺたんと座り込んでしまった。汗で額にくっついた髪を整えながら、ふぅと息をついている。
……色々と残念なところはあるが、見た目に関しては歳相応に色気のある人だ。思わずその姿に見惚れてしまったが、ぶんぶんと頭を振って邪念を追い出した。先生には、いますぐにでも伝えるべきことがある。
「あの、先生。あの話なんですけど、なかったことにしてもらえますか? 俺、こいつと……ナノと頑張ってみようと思います」
「そうですか。わかりました」
思いのほかあっさりとした返事だった。
肩透かしを食らったような気分だ。
「反対しないんですか?」
「たしかに勧めはしましたが、最後に決めるのはきみですから。先生はクレインくんの道を応援するだけですよっ」
頑張れとばかりに両手に拳を作りながら、笑顔を向けてくるシリル先生。どうやら本当にいい先生に出会えたようだ。いや、先生だけじゃない。いい友達も、いい召喚獣にも出会えた。
あとは俺自身が強くならないといけない。そう決意を新たにしたとき、「あ、そういえば!」とシリル先生がなにか思い出したような声をあげた。
「さっき寮を出る前に気になるものを見つけたんです」
言いながら、シリル先生が紙の切れ端を出してきた。なにやら黄ばんでいるし独特なニオイもする。見るからに古さを感じるものだ。正直、あまり手に取りたくなかったが、そこに描かれたものを見て考えが変わった。
「これって……ナノ?」
ナノとそっくりの小人が描かれていた。受け取って間近で見ても間違いない。ふいに、ふわりと爽やかな匂いが漂ってきたかと思うや、キスフィも切れ端を覗き込んできていた。
「わたしにもそう見えるわ」
垂れた一房の髪を耳にかきあげながら、そう口にするキスフィ。男慣れしていないわりに距離が近かった。きっといまは切れ端に夢中なんだろう。動揺していることを気づかれないようにと俺は平静を装いながら切れ端に視線を戻した。
「やっぱそうだよな。でも、文字が読めないな」
「少なくとも、この大陸でいま使われているものではなさそうね」
象形文字のように見えなくもないが、元となったものがわからない。絵については描かれた1体の小人から矢印らしきものが2つ延び、それぞれの先にまた同じような小人が描かれているのみだ。
絵のほうは解読できそうな気はするが、可能ならほかにも情報は欲しいところだ。
「先生、これどこで?」
「寮を出る前に崩れた山があったでしょう? そこから召喚獣の歴史について記された古い書物が出てきたんだけど。そこに挟まっていたみたいで、ひらひら~って出てきたの」
「ほかにもあったりってことは?」
「も、もしかしたらあるかもしれませんが~……」
言葉を濁らせて目をそらすシリル先生。きっとあの散乱した中から探し出す自信がないのだろう。どうやら続きの情報に関しては期待せずに待ったほうが良さそうだ。
「未知の召喚獣って話だったけど、実は以前にも出たことがあったのかも」
そう考えを口にするキスフィ。
小人の姿かたちは簡素で同じようなぬいぐるみも売られているぐらいだ。偶然の一致という可能性も考えられるが……。
いつの間にやらナノが俺の体をよじ登って肩に乗っていた。仲間はずれがいやだったのか、キスフィとは反対側から切れ端を覗き込みはじめる。と、わずかに興奮した様子で「なの、なのっ」と俺の肩を揺らしはじめる。
「もしかして、これがわかるのか?」
「なのっ」
それはナノが手を挙げて返事をした直後のことだった。ぽんっと可愛らしい音とともに、ナノの体から燐光が散った。ただ、変化はそこで終わらなかった。ナノが増えて2体になっていたのだ。
俺はキスフィやシリル先生と揃って目を見開いた。
「ぶ、分身した……!?」
「「なのっ」」