◆第八話『王様の力、なのっ』
現れたガイサムの召喚獣を前に、俺は思わず言葉を失ってしまった。
形状は珍しくない人型だが、その大きさがあまりに規格外だったのだ。全長だけなら、シャディア先輩のベヒモスと同じぐらいはあるかもしれない。
そんな巨大な身体を鎧で覆っている。唯一、あらわになっているのは目の部分だけだ。先の見えない暗闇の中に浮かぶ赤くて丸い単眼。飾りではないことを示すように、その単眼はいまもぎょろぎょろと動いて周囲を探っている。
「思ったほど驚いていないようだな」
ガイサムが感心したようにそうこぼした。
「あいにくと、同じぐらい大きな相手と戦ったことがあるからな」
実際は足が竦みそうなぐらいの恐怖は感じている。でも、取り乱すほどじゃない。これも先にベヒモスと戦ったおかげだ。
「アルくん、あ、あたしも……!」
「ユニカはそのまま2人を頼む! あいつらの仲間が目を覚ますかもしれない!」
勝負云々なんて言っていられる状況じゃない。協力を得られるなら得るべきだが、人質をとられることを考えれば、これが最適だ。キスフィとシグナス先生を運んだナノの分身たちもそのまま待機させておいたほうがいいだろう。
ガイサムが俺とナノを交互に見やったのち、ふんと鼻で笑った。
「その矮小な召喚獣でわたしを相手に1人で立ち向かおうというのか」
「……小さいからって弱いわけじゃない」
「なのっ!」
俺に呼応して、狼形態のナノと30の分身たちが声をあげた。相手はザグリオのオークと比べ物にならないほど巨大だ。でも、だからといって怯えて逃げ出すなんてことはできない。後ろにはキスフィたちがいるのだから――。
「やれ、キュクロプス」
ガイサムの指示に応じて、キュクロプスが右腕を横薙ぎに振るってきた。巨体とあって凄まじい圧だが、動きは思った以上に鈍重だ。
俺は全力で後ろに退避。ナノと分身たちはあちこちに飛び散る形で回避した。敵の右手が床を抉りながら、通り過ぎていく。当たれば間違いなく命が潰える一撃だ。ただ、いまの感じなら当たることはなさそうだ。
「大きいだけなら、まだ対処しようはある……!」
「残念だが、キュクロプスはただ大きいだけではない」
ガイサムがそう口にした瞬間、キュクロプスが自身の目の前で右手を払った。
先ほど抉った床の破片をそのまま握っていたのか、大粒の破片が舞いはじめる。と、それらが個々に光を発して俺と同じぐらいの長さを持つ槍に変化。まるで弾かれたように動き出し、瞬く間にナノの分身たちを射抜いていった。
逃れた分身はほとんどいない。
本体のナノは躱すことに成功していたが、辛うじてといった感じだった。
「破片が槍に変化した……!?」
見たこともない攻撃に、俺は思わず目を瞬いてしまう。ユニカも同様に驚いているようで、「しかもでかすぎだよ……っ」と叫んでいる。
そんな俺たちの反応を楽しんでいるのか、ガイサムが少し満足そうに口元を緩める。
「小さくても数さえいればと思ったのだろうが……もとが弱ければ意味のない話だ」
「たしかにナノは小さい。でも、小さいからこそできることだってある……!」
敵の初撃――手から逃れた際に散らしたナノの分身2体が、広間の柱の陰を渡る形でキュクロプスの両脇から迫っていた。完全に意表をついた形だ。
狼形態の素早さを活かして一気に肉迫。両足首に引っかき攻撃を見舞う。が、甲高い接触音が鳴っただけに終わった。
「そんな……傷すらつけられないなんて……っ」
「オークが相手ならば徹ったかもしれんが、その程度の攻撃では、わたしのキュクロプスに傷ひとつつけることはできないぞ」
キュクロプスがまたも床から抉り取った破片で槍を生成。いましがた攻撃を加えて離脱中のナノの分身2体に過剰なほどの槍を放ってきた。逃げ場がないほどの槍の雨とあって、2体の分身はあえなく消滅に追いやられてしまう。
「くそっ……ナノ! 追加で分身30だ! とにかくいまは回避に専念しろ!」
「「なのっ!」」
ナノが即座に分身を生成して広場を駆け回りはじめる。完全に苦し紛れだ。ただ、考えなしというわけじゃない。最悪、時間さえ稼げればほかの教師たちが駆けつけてくれる可能性がある。
本当は勝負に負けるのはいやだが、この戦いには人の命がかかっている。個人的な感情を優先している場合じゃない。
「息子が執心している相手とあって期待してみたが、底が見えたな。ただの珍しい召喚獣と、蛮勇にまみれた召喚士だ」
ガイサムが淡々と声をもらした瞬間のことだった。あちこちの床に突き刺さった槍が、ばちりと音を鳴らした。ただただ、いやな予感がして俺は叫ぶ。
「ナノ、槍から離れろ!」
「――そのゴミを片付けろ、キュクロプス」
ガイサムの出した命に応じて、雄叫びをあげるキュクロプス。
直後、床に刺さった50本以上の槍を繋ぐ形でいかずちが迸った。戦場となっていた広間の中央付近はほぼ逃げ場がない状態だ。強烈な炸裂音が響く中、ナノの分身たちが消滅していく。
「な、なの……」
いかずちが広間を支配したのはほんの一瞬だ。しかし、収まったときにはナノの分身は綺麗にいなくなってしまった。本体だけはなんとか逃げ延びられたが、それも間一髪。少しでも後退が遅れていたら、いまごろ黒こげになって倒されていた。
「運よく逃れたか。だが、次はない。貴様もあの娘と同じようにしてやろう」
あの娘とは、きっとキスフィのことに違いない。
俺はいまだ倒れたままのキスフィを見やったのち、再びガイサムを睨みつける。
「キスフィをあんな風にしたのは、やっぱりお前なのか」
「だと言ったら、どうする?」
「どうせ卑怯な手を使ったんだろ。お前みたいな奴に、あいつが……キスフィが負けるはずがない」
キスフィは俺にとって最強のライバルだ。負けた姿を想像できないし、負けるとも思わない。ましてや、こんな悪の手に染まった相手になんか絶対に負けるわけがない。
「どうやら貴様はわたしが嫌いな人種のようだ」
「気が合うな、俺もあんたが大嫌いだ!」
槍はいかずちが収まった時点で炭化したように消え去っていた。また新しい槍を生成せんとキュクロプスが床を抉る格好で手を振りはじめた。
「ナノ、分身30!」
「どうやらルヴィナスでは学習しないことを学ぶようだな」
ガイサムが嘲るような声を放ってくる。
相手は圧倒的だ。時間稼ぎすら難しいかもしれない。だが、だからといってほかにできることはない。もうナノに残された手は――いや、ある。さっき習得したばかりの王形態だ。ただ、あれはまだ明確な効果がわかっていない。
どのみち、あとがない状態だ。やるしかない。
「ナノ、王形態!」
俺は指示を出すなり、ナノ本体のもとに駆けた。王形態のナノは自分の足で動けないため、俺が足となる必要があった。変身したナノ本体を肩車の格好で担いで走りだす。
「召喚獣とともに行動するとは……血迷ったかっ」
「こうするしかないんだよっ。ナノ、しっかり掴まってろよ!」
「なのっ!」
俺が広間を駆けている間にもキュクロプスは抉り取った瓦礫を放り投げていた。そのうちの幾本かが俺のほうにも飛んでくる。俺は半ば飛び込むようにそばに立っていた支柱の裏に逃げ込んで防いだ。
ただ、安堵はできない。いまも支柱に突き刺さった槍や、ほかの槍たちがばちりと音を鳴らしている。
俺は休む間もなく槍から距離をとる格好で身を投げた。ナノを抱きながら転がって身を起こす。視界の中では再びいかずちが広間の大半を覆っていた。それだけを見ればさっきと同じだが、違うところがあった。
ナノの分身たちが1体としていかずちに呑まれていなかったのだ。そこかしこの支柱をよじ登ったり、安全な場所に駆け込んだりして見事に回避していた。
敵の攻撃の特性を各々で分析し、対策したのか。いや、それにしても敵の攻撃は広範囲に及ぶもの。もともとの敏捷性が上がっていなければ無理な話だ。
「「なのーっ!」」
さらにそれで終わりじゃなかった。一斉に攻勢へと出たナノの分身たちが、敵の鎧を徹して皮膚を刻んだのだ。紫色の血があちこちから飛び散り、キュクロプスがかすかに呻き声をもらしている。
「なんなのだこれは……いったいなにが起こっている……!?」
これまで泰然とした態度を崩さなかったガイサムが動揺しているようだった。俺も同じ気持ちだ。ナノの分身たちの能力がさっきまでとはまるで違う。どうしてこうも変化したのか。槍やいかずちで倒されたときと違う点はひとつしかない。
「そうか、これが王形態の力か!」
「なのー!」
ナノもそうだとばかりに高らかに声をあげていた。
王形態は動けないうえに分身も出せない。代わりにすでに出していた分身たちを大幅に強化する力を持っているのだろう。よく見れば、分身たちの輪郭が黄金の光膜で覆われている。きっとあれが王形態の恩恵を受けている証に違いない。
「いまのうちだ! そのまま攻撃を続けろ!」
俺の指示に応じて、ナノの分身たちがキュクロプスの足下周辺を飛びまわっては駆け抜けるように引っかき攻撃をしかける。
キュクロプスが鬱陶しそうに両手を振って応戦しているが、敏捷性の増した狼形態の分身たちを捉えることができずに虚空を叩いてばかりいる。ただ、そんな一方的な形勢にもかかわらずガイサムはやけに落ちついていた。
「小さいとは不憫なものだな。せいぜいかすり傷がつく程度だ。そんな攻撃で倒れるほど我がキュクロプスはやわではない」
ガイサムの言うとおりだ。キュクロプスも多少の痛みは感じているようだが、倒れる気配はいっさいない。
「目だ……キュクロプスの弱点は目だ……!」
ふいにか細い声が聞こえてきた。出所を辿れば、シグナス先生が苦しげに口を閉じるところだった。あとを引き継ぐようにユニカが叫ぶ。
「アルくん! 目が弱点だって!」
たしかに目の部分だけはむき出しになっている。ただ、キュクロプスがあまりに大きいために、ナノでは届かない。いや、よじ登ればあるいは――。
「ちぃ、余計なことを……遊びは終わりだ。これが本当の殺し合いだということをわからせてやる」
キュクロプスが右手で抉り取った床の破片から、新たに槍を生成。分身たちを無視して俺のほうへと放ってきた。30本近くもある。まともに逃げるだけじゃ躱しきれないが、俺はいつ狙われても逃げられるように柱のそばに陣取っていた。
柱を盾にして飛んできた槍を回避。もっとも槍の少ないほうへと向かって逃げ延びる。
「その程度じゃ俺は捕まえ――」
「言っただろう、これは殺し合いだと」
ガイサムの声が聞こえたかと思うや、逃走経路を断つように幾本もの槍が飛んできた。見れば、キュクロプスがもう片方の手――左手で抉った破片によって槍を生成していたようだった。すでに正面だけでなく、左右の経路も断たれてしまう。
体に槍は刺さらなかったが……もはや残された道はない。ばちりといやな炸裂音が響いたのち、視界を埋め尽くすように閃光が迸る。
脅威が俺を呑み込もうとしてくる。
グランドマスターになる。
そう決意して召喚士学園に入ったのに――。
一人前の召喚士にすらなれずに終わるのか。
こんな奴に殺されて俺は終わるのか。
――そんなのは絶対にいやだ。
そう胸中で叫んだ、瞬間だった。
風が吹いた。そう感じた瞬間、俺は床から大きく離れていた。いったいなにが起こったのか。理解するのに、ほんのわずかに時間が必要だった。
青い翼を持った竜――ニヴルの口につままれる形で浮いていた。
「……アルの言うとおり……わたしはまだ負けてない」
ニヴルの背から聞こえてきた訥々とした声。いつもより力はないし、途切れ気味で聞き取りにくい。だが、そこにはたしかな熱がこもっていた。
「キスフィ……ッ!」
「ニヴル! 敵の頭部まで連れていって!」
キスフィの指示を受け、ニヴルがばさりと風を叩くように翼をはばたかせた。俺の体がぐいと持ち上がり、眼下を覆い尽くすいかずちの海から遠ざかる。
「キュクロプス! あれを落とせ!」
脅威を感じとったのか、焦ったように叫ぶガイサム。キュクロプスが右手を払う形でニヴルに攻撃を繰り出してくる。
ニヴルは先の戦闘で少なくない損傷を受けたようで飛行に力強さがなかった。回避に動こうとするが、キレがない。相反してキュクロプスの巨大な手は、猛烈な勢いで間近にまで迫ってくる。このままでは叩き落とされてしまう。
そう思った瞬間、視界の左端から飛び込んできた火球がキュクロプスの右手に命中。轟音を響かせ、敵をわずかに怯ませた。これはユニカの召喚獣――フェアリーの《ファイアボール》だ。
「さっすがあたしのフェアリー!」
「助かった、ユニカ!」
わずかに生まれた隙を縫ってニヴルが翔け抜ける。が、今度はキュクロプスの左拳が迫っていた。さっきの攻撃からほとんど間が開いていないため、フェアリーの《ファイアボール》による援護も期待できない。
と、俺はまたも浮遊感を味わうことになった。ニヴルが首を振って、俺をキュクロプスの頭部へと勢いよく放ったのだ。
「えっ、ちょっと、えっ!?」
「ニヴル、《アイスブレス》!」
キスフィの指示に応じてニヴルが自由になった口から氷の息を吐き出し、キュクロプスの左手を腕ごと凍結。見事に動きを止めてみせた。最中、俺はキュクロプスの肩に半ばぶつかる形で着地する。
「アルッ!」
聞こえてきたキスフィの叫び声。名前を呼ばれただけだが、込められた想いをひしひしと感じた。次の攻撃は、みんなで繋いだものだ。絶対に決めなくちゃならない。俺はすぐさま体勢を立て直し、声を張り上げる。
「ナノ、すべての分身を一旦解除! 狼形態に戻って分身100ッ!」
「なのっ!」
キュクルプスの肩や頭部に乗る格好で狼形態の分身たちが続々と出現。全員、すでにやる気満々といった様子で、「なの!」、「なのー!」、「なのぉっ!」、「なのなのー!」と咆えながら爪を掲げている。
「な、なんだその数は……ッ!」
これまで50体程度に留めていたからか、2倍近い総数にガイサムも驚愕していた。俺はナノ本体を王形態に戻しつつ、分身たちに向かって叫ぶ。
「いけぇ、ナノッ!」
王形態の恩恵を受けたことで黄金に光るナノの分身たち。それらはまさに太陽を思わせるほど圧倒的な迫力をもってキュクロプスの頭部へと一斉に襲い掛かった。
むき出しになった眼球だけでなく、その頭部を守っていた兜すらも切り刻んだ。すべての分身たちが攻撃を終えたとき、兜は粉砕。キュクロプスの頭部も原型を留めていなかった。
空間すべてを震わすような大きな慟哭をあげ、ついにキュクロプスが後ろ向きに倒れた。その巨体もあって、遺跡が崩れるんじゃないかと思うぐらい足場が揺れる。ただ、それもすぐに収まり――辺りを支配していた脅威は完全になくなった。
俺はナノの分身たちによるクッションに包まれながら起き上がった。遠くのユニカやシグナス先生。そしてキスフィ。周りを囲むナノの分身たちや、ナノ本体と顔を見合わせながら、俺は宣言する。
「俺たちの勝ちだ!」
「なのっ!」




