◆第十話『危険な研究室、なのっ②』
得意気に説明してくれたシグナス先生には悪いが、俺にはさっぱりだった。そもそもシグナス先生が口にした〝金蝋石〟なるものがわからない。
「金蝋石? ってなんですか、それ」
「授業に出てるわけでもないし、知らないのも無理はないか」
言いながら、シグナス先生がそばの机に置かれていた小瓶を手にした。部屋を訪れてから少し気になっていたものだ。中には蜂蜜よりも少し濃い目の金色をした液体が入っている。
「これが金蝋石だ」
「石っていうより液体のような……どろどろしてますし」
「元はそこら辺に転がっている石と同じ形なんだけど、少し特殊な加工を施してね。こうして液体のまま戻らないようにしたんだ」
シグナス先生が小瓶を軽く揺らすと、中身がどろりと動いた。思った以上に粘性が高そうだ。
「これをさっきの布に塗ったって言ってましたけど、それでどうして治癒魔法が効かなくなるんですか?」
「金蝋石は変わった特性を持っていてね。〝強度の低い魔法を遮断する〟というものだ」
「……強度」
突然、普段は使わない言い回しをされて俺は思わず眉根を寄せてしまった。ナノも俺の顔を真似してか、「なの~……」と悩まし気な声を漏らしている。
そんな俺たちの反応を見てか、シグナス先生が仕方ないねとばかりに笑った。
「この辺りもあまり授業では習わないか。そうだね、〝対象に与える物理的な衝撃の有無〟と捉えると簡単かもしれない。衝撃の有るものは強度が高い。無いものは強度が低いといった感じだ」
説明を受けるなり、俺はうーんと唸りながら当てはまる魔法を思い浮かべる。
「対象に与える物理的衝撃……たとえばナノの《ギガントアロー》とかですか?」
「その通り。あとはよく知られているものなら《ファイアボール》や《ウインドカッター》。あとはブレスの類もそうだね」
続けて、シグナス先生が補足する形で話してくれる。
「当たったら少しでも対象を動かせるもの。これら全般が強度の高い魔法に分類される。その中でもまた慣性の有無やらで細部にわかれているが……これはいま関係のないことだから、べつの機会にしよう」
「……そうしてくれると助かります」
頷いたのは説明が長くなりそうだからだ。
決して小難しい話になりそうだからという理由ではない。
「そして強度の低い魔法だが、これはさっきとは違って〝対象に物理的衝撃を与えないもの〟を指すんだ」
「さっきナノが使った治癒魔法ですね」
「じゃあ、ほかにはなにがあるか挙げられるかな?」
教師に質問した自分が悪いが、完全に授業の構図となっていた。俺は授業特有の圧迫感を覚えながらも、またもうーんと唸りながら答えを捻り出す。
「エンチャント、ですか?」
「正解だ。いいね、教えがいがあるよ。ほかには、そうだね……最近、きみが相手にしたという、アカ・マナフ。あれが使う精神干渉系の魔法も強度が低い魔法に分類されるね」
最近経験したばかりのこととあって、より明確にイメージできた。つまり、仮に金蝋石を塗った布で身を守れば、アカ・マナフによる精神操作を受けつけないということ。……これはわかりやすい魅力だ。
「治癒魔法やエンチャントを防いでもいいことないんじゃと思って。そっか……ああいう悪い魔法を防ぐことができるのか。そう考えたらすごいことなんだって思えてきました。というより、すごいですね……」
「なのなのっ」
ナノも一緒になって頷いている。
「わかってもらえて嬉しいよ。……ただ、問題があってね。金蝋石自体がとてつもなく高価で量産が難しいんだ」
「ちなみに、どれぐらいなんですか?」
「ここで働きはじめて約学園5年だけど、そのほとんどを持っていかれたぐらいだ」
「それは……とんでもないですね」
シリル先生の収集物を見ればわかりやすいが……王立召喚士学園の教師は優秀な人しかなれないとあってお給金も高いという。そんな教師の5年分。きっと俺が想像しているよりも、とてつもなく高額に違いない。
「ただ、それだけの価値はある。いや、それ以上の価値だ。これさえあれば……」
言いながら、金蝋石の入った小瓶を見つめはじめるシグナス先生。その目は、つい最近見たばかりのものと酷似していた。
「シグナス先生、俺の思い違いだったらすみません。もしかしてなんですけど、それを作ったことと特務隊を辞めたこと、なにか関係があったりしますか?」
気づいたときには、俺はそう質問してしまっていた。
シグナス先生が一瞬硬直したのち、小瓶を元の場所に戻した。そして俺のほうへゆっくり向き直り、柔らかな笑みを向けてくる。……なぜだろうか。見た目とは裏腹に笑っているようには思えない。
「どうしてそう思ったんだい?」
「その、前のシグナス先生と同じ目をしていたので。なんだか寂しそうというか、少し後悔しているような、そんな目です」
俺の悪い癖だ。
ただ、訊かずにはいられなかった。
シグナス先生の反応を見る限り、踏み込み過ぎたかもしれない。そんな不安を抱えながら、俺は無言の間を耐えつづけた。
「……まったく、きみという子は」
シグナス先生が盛大にため息を吐くと、困ったように笑いかけてきた。そこにはもう、さっき感じた険は完全に失われていた。
「すみません」
「気にしなくていい。きみは師匠のお気に入りで、いわば、わたしの弟弟子のようなものだ。そんなきみには話しておいたほうがいいのかもしれない。いや──」
シグナス先生が俯いたかと思うや、細く長く息を吐いた。それから再び顔を上げたのち、痛まし気な笑みを向けてくる。
「わたしが聴いてもらいたいのかもしれない」
いったいどんな話になるのか。少なくとも笑顔になれるような話でないことは容易に想像できる。だが、自ら足を突っ込んだことだ。
俺は一言も聞き逃すまいと覚悟を持って臨んだ。そんな俺の態度を見てか、シグナス先生がゆっくりと語りはじめた。




