◆第八話『猫さん、なのっ』
俺の部屋には勉強机とベッド以外、ほとんど家具がない。当然、来客用の椅子なんて用意しているわけもなく……キスフィには俺のベッドに腰掛けてもらった。
遠慮して床に座られてしまった以前を思うと、すっかり気を許してくれているようだ。俺は勉強机用の椅子を引いてきて、向かい合う恰好で腰を下ろす。と、キスフィがずっと大事そうに抱えていた紙袋を両膝の上に置いた。
「これ、新作を持ってきたの」
言いながら、キスフィが紙袋の中からあるものを取り出した。
ナノ用と思われるとても小さな寝衣だ。以前、キスフィからもらったものと同様、基調は空色。ただ、袖や裾に白いもこもこの生地がついている。それに今度は三角耳のつきフードと、細長い尻尾もあしらえられている。
「ナノのだよな?」
「ええ」
いまもナノが着ている寝衣は、キスフィからもらったものだ。それも高品質だが、とくに特徴的な意匠もないものだった。
ただ、今回のはより凝っているのが見て取れる。ナノも自分に贈られたものだとすぐにわかったのだろう。早くも目をきらきらと輝かせている。
「また着させてやってくれるか?」
「もちろん、こちらからお願いするわ」
ということでキスフィの手を借りて、ナノが早速とばかりに寝衣の着替えを開始。肌着がないこともあって、すんなりと着替え終えた。
「やっぱり可愛い……可愛すぎる……」
キスフィも大満足のようだ。
当のナノはというと──。
「な、なのぉ~~~~っ!」
自分の体を見下ろしながら、興奮したような声をあげていた。両手を広げながらくるくると回ったり、フードを目深に被ってぴょんぴょん飛び跳ねたりと大はしゃぎだ。とくに尻尾が気に入ったようで、何度も横回転してはその先を追っている。
「良かったな、ナノ」
「なのっ、なのっ!」
両手をぱたぱたと振りながら、こくこくと頷くナノ。どうやら思った以上に嬉しいようだ。興奮冷めやらぬといった様子でまたベッドの上ではしゃぎはじめる。
「悪いな、またもらっちゃって」
「前にも言ったけど、わたしが好きでしてることだから」
言いながら、キスフィはいまも暴れまわるナノを温かい目で追っていた。当然ながら、その口元は嬉しそうに綻んでいる。
「たまに乾きが悪いこともあったし、2着あると助かるよ。当分は新しいのばかりせがまれそうだけど。前のもまた着ような、ナノ」
「な~のっ」
ナノは当然とばかりに頷くと、ベッドの上に置いていた前の寝衣を両手でがばっと掴んだ。そのまま誰にも渡さないとばかりに抱きしめる。そんな反応を見てか、キスフィがまた嬉しそうに頬を緩めていた。
「前のも大事だってさ」
「幸せ過ぎて泣きそうかも……」
その後も新しい寝衣ではしゃぎ続けるナノを見守るといった時間が流れる。そんな中、無言の間が訪れたときだった。
「みんなは気を遣っていたみたいだけど、やっぱりわたしには無理かも」
キスフィがぼそりと呟くように言った。いきなりどうしたというのか。俺がきょとんとする中、キスフィが俺のほうへと真剣な目を向けてくる。
「ねえ、アル。話を聞かせて」
「……キスフィ?」
「最近、どうしてそんなに根を詰めて訓練してるのか。なにか理由があるんでしょ」
ほかのみんなは俺に気を遣ってなにも訊いてこなかったが、どうやらキスフィだけは違うようだった。まるで壁をぶち壊すような正面突破を目の当たりにした気分だ。困惑もしたが、その清々しさに俺は思わずくすりと笑みをこぼしてしまう。
「強いな、キスフィは」
「ただ自分勝手なだけよ。だって、アルの気持ちなんてまったく気にしてないし」
まるで覚悟を決めたような目だ。
今回、俺の部屋を訪れたのはナノに寝衣を渡す目的もあったのだろう。だが、この様子を見るに俺から話を訊きだすことが本命だったに違いない。
話してくれるまで引く気はない。
そんな強い意志のこもった瞳がなおも向けられる。
「なの……」
気づけばナノも俺のほうを見ていた。心配そうにまなじりを下げながら、キスフィのそばに立っている。どうやらナノはキスフィに話したほうがいいと思っているらしい。
俺としても誰かに話したいという気持ちは少なからずあった。特務隊の人たちではなく、俺と同じような立場──友人に知ってもらいたいという、そんな気持ちだ。
俺は細く長く息を吐いたのち、まっすぐにキスフィの目を見やる。
「……わかった。話すよ、全部」
◆◆◆◆◆
メアと初めて出会ったときや、先日の出会いのことを詳細に語った。いまではキスフィも俺と特務隊の関りを知っている。隠す必要もないと判断し、包み隠さず話した格好だ。
「そう、そんなことがあったのね」
俺の話を聴き終えたキスフィが静かにそう発した。果たしてどう思ったのだろうか。いまのところ、その表情からなにも読み取ることはできない。いつもと同じく無表情だ。
「メアにとって、母親から受け継いだ巫女の使命はすべてなんだ。だから、きっと俺が説得しても上手くいかないと思う。でも、諦めたくない。きっとその道を選んでしまえば、メアの未来がなくなるから」
「……結局、アルはどうしたいの?」
キスフィがそう問いかけてきた。
誰かに賛同してもらいたい。そんな気持ちが先行して、ぺらぺらと喋りだした俺の心情を見透かされていたのかもしれない。俺は深呼吸をしたのち、抱いた〝望み〟をはっきりと口にする。
「俺は……塵王教会からメアを救い出したい」
「そのあとは? 救って終わりなんてこと、ないでしょ?」
「もちろん、面倒を見るつもりだ」
自身の中で決めていたこと。それを改めて誰かに聞いてもらうことで、より明確になった気がした。ただ、キスフィは納得してくれただろうか。
キスフィが反対しようがしまいが、実行には移すつもりだ。しかし、それでもいまやキスフィは誰より身近な存在だ。そのキスフィに受け入れられなかったらと思うと、少し怖かった。
「……やっぱり聞いてよかった」
キスフィが目線をわずかに下向けながら、しみじみとそう口にした。その表情はほっとしているようにも見える。間違いないのは〝反対〟しているわけではないということだ。
俺はいままで感じたことのない緊張から解放され、ほっと息をついた。直後、キスフィが淡々とした口調でとんでもないことを要求してきた。
「今度、その子に会わせてくれる?」
俺は思わず自分の耳を疑ってしまった。
キスフィとメアの関係からして、それだけありえないことだったからだ。
「それはまずいっていうか、特務隊の人たちが許してくれないんじゃ……だってキスフィのニヴルは四神で──」
「だからこそよ。わたしとその子が仲良くなれば奪われることもなくなるでしょ」
本当に名案だと思っているのだろうか。
キスフィからはいっさいの恐れを感じられない。
「だとしても危険すぎる。それにメアは意志が固いからな……」
「だったら、奪われないぐらいわたしが強くなればいいだけの話」
続けて、キスフィが「つまり」と言いながらしたり顔を向けてきた。
「誰かさんと一緒の目標ね」
「キスフィ……」
最初から最後までキスフィに弄ばれていた気分だ。ただ不思議といやな気はしない。それどころか、ずっと胸中を支配していた靄がいつの間にか晴れていた。
「ありがとな」
「この子に服をあげたのと一緒。わたしが好きでしてることだからお礼は必要ないわ」
「それでも、言いたいんだ」
「そう、ならもらってあげる」
相変わらず淡々とした口調だ。
ただ、その表情はとても嬉しそうだった。
「じゃあ訓練あるのみだな。ひとまず明日の早朝訓練に付き合って──」
「それは無理」
早くも断られてしまったが、俺の心は驚くほど軽くなっていた。それこそ寮に戻ってきたときのどんよりとした気持ちが嘘のように晴れやかになっている。
これもすべてキスフィのおかげだ。
話を聴いてくれただけではない。
背中を押すだけでもない。
ただ、隣を歩こうとしてくれる。
……ありがとな、キスフィ。
再びナノに注目を戻し、だらしのない顔で戯れはじめたキスフィ。そんな彼女を見つめながら、俺は人知れず感謝の言葉を口にした。




