◆第六話『分厚い境界、なのっ』
あまりにも突拍子のないな発言だったからか。ナノと発言者であるメアを除いた全員がきょとんとしていた。
そんな中、再び厳めしい表情となったカーディルが思案しはじめる。俺や特務隊の2人を見やったのち、メアに視線を戻してゆっくりと口を開く。
「……いいだろう」
「許してくれると思わなかったわ」
「断ればまた抜け出すだろう」
「よくわかってるわね」
2人は互いのことをよく理解している様子だ。
「なにを勝手に決めている……っ」
「そっちが許してもこっちが許すわけないよね」
アニーさんとラッテさんが威嚇するようにそう言い放った。2人の格闘戦の実力を知っているからか、その迫力がより増して見える。だが、当のカーディルはというといっさい動じていなかった。
「なにか思い違いをしているようだが……貴様たちに選択権はない。なぜなら、いまこの場を制しているのはわたしだからだ」
召喚獣を出してもいない。にもかかわらず、カーディルからは言い得ぬ圧を感じた。まるで体を押しつぶしてくるような、そんなものだ。
アニーさんたちも同様に感じているらしい。2人が額に汗を滲ませながら、警戒をより強くしている。どうやらカーディルの言葉は出まかせというわけではないようだ。
「行こ、お兄ちゃん」
言って、メアが純粋な目を向けてきた。相も変わらずその表情は大きく動いていない。だが、心なしか浮かれているように見えて仕方なかった。
「……クレイン」「アルくん!」
アニーさんとラッテさんが俺の身を案じるように声をかけてきた。
護衛という立場の2人からすれば、この状況で俺を行かせることはあってはならないことだ。ただ、俺としては心配する必要はないと確信していた。なぜなら、メアと2人きりになることは危険な行為ではないからだ。
「大丈夫です。メアが俺に危害を加えることはありませんから。……メアは、いい子なんです」
きっと俺の説明は真に届いていないだろう。でなければ、アニーさんたちはもっと安堵した顔をしてくれるはずだ。ただ、それでも最後には俺を信じてくれたらしい。アニーさんは無言で、ラッテさんは困ったように息を吐きながら送り出してくれた。
「……あとで一緒に怒られてよ?」
「はい、それはもちろんです」
融通の利く人たちで本当によかった。
俺は心の中で感謝しつつ、メアに向かって告げる。
「行こう、メア」
◆◆◆◆◆
対峙したままのアニーさんたちから離れ、俺たちは闘技場から遠ざかるように歩いた。
やがて雑木林の切れ目が見えてきたところで足を止めた。当然ながらひと気はない。時折、闘技場から歓声が聞こえてくるが、それも遠いおかげで気にはならない。とても穏やかな空気の中、メアが早速とばかりにナノを抱き上げた。
「よかったね、小人さん。これで遊べるわ」
「なのっ!」
よっぽどナノと触れ合いたかったらしい。メアはナノをぎゅっと抱き寄せ、頬ずりしていた。ナノと遊んでいるときはやはり特別なのか。普段は固い表情のメアもその口をほんのりと緩めている。
この表情を見られただけでも俺は満足だ。
そんなことを思いながら、俺は思わず顔を綻ばせてしまった。だが、ついさきほど浮かんだある疑問を思い出して早々に眉をひそめてしまう。
「カーディルとはどういう関係なんだ? その、やけに親しそうに見えたけど」
「ただ同じ組織に属しているというだけよ。でも……そうね。お母さんを除けば付き合いは1番長いかも」
メアはナノの頬をつんつんとつつきながら、続きを口にする。
「それと勉強をよく見てもらっていたわ」
「メアにとっての先生みたいなものか」
「そうみたい。たまに、そう口にする人がいたわ」
そのメアの言い回しに、わずかながら俺は困惑してしまった。おそらく小さい頃に学園のような場所で勉強する機会がなかったのだろう。……俺とはまるで違う環境だ。
「なあ、メア。塵王教会の中に友達っていたりするのか?」
「友達?」
「仲の良い相手のことだ。そうだな、いまの俺とメアみたいな関係だ」
「そんな人、いないわ」
メアがはっきりとそう言い切った。
ある程度予想はしていたが、実際に聞いてみるとなかなかにくるものがある。俺はまるで胸を引き裂かれたような、そんな気分に陥ってしまった。
「どうしてそんな顔をするの? 友達がいないのはダメなことなの?」
「それは……」
本人が満足しているのなら、他人がどうこう言うべきではない。ましてや憐れむようなことはするべきではない。だが、だとしても──。
「じゃあ、お兄ちゃんが来て。そしたら友達がいることになるわ」
俺が言い淀む中、メアが名案だとばかりに提案してきた。
声も気のせいというには難しいほどに弾んでいる。これまで見たことがないほどの喜び方だ。そこまで慕ってくれているのは純粋に嬉しい。だが、同時に苦しくもあった。
「それは……できない」
「どうして? お兄ちゃんの悩みも解決できるのに」
一転してまなじりを下げながら首を傾げるメア。
メアは純粋だ。向けられる疑問にも飾り気はいっさいない。おかげで俺は言葉を口にするたび、恐怖心にさいなまれていた。俺の言葉でメアを変えてしまうかもしれない。歪めてしまうかもしれない、と。
俺は人知れず両手に拳を作りながら、押し出すようにして言葉を紡ぐ。
「塵王教会はたくさんの人を傷つけてきた。それは塵獣王復活のために今後も変わらず続けるはずだ。そんな組織に入ることは……俺にはできない」
果たして俺の気持ちは上手く伝わっただろうか。答え合わせをするかのようにメアの目を見てみる。と、その深紅の瞳で真っ直ぐに見返された。
「……そう、お兄ちゃんにとってダメなことをしているのね、メアたちは。でも、メアたちにとっては正しいことなの」
メアにとっての世界は、俺の知っている世界とは違う。話すたびに、そう思い知らされる。それがあまりにももどかしくて、俺は思わず下唇を噛んでしまった。
どうすればこの境界を壊せるのか。いや、そもそも壊していいのだろうか。そう胸中で葛藤しながら、俺は目の前の小さな少女を見つめつづけた。当のメアはというと、俺が悩むさまを見てか、愛らしく小首を傾げている。
「──時間だ」
突如として聞こえてきた、低く厳格な声。気づけばメアの後ろにカーディルが立っていた。
あまりに突然過ぎて俺はびくりとしながら身構えてしまった。ナノも弾かれたようにメアの腕から飛び出したのち、俺を背にする恰好で「なの!」と身構える。
ナノが離れてしまったからか、メアがその小さな口をわずかに尖らせた。
「早すぎるわ、カーディル」
「これでも譲歩したほうだ」
淡々と応じるカーディルのことを、俺はねめつけながら観察していた。その姿からは戦闘した様子が見られない。アニーさんやラッテさんはどうしたのか。あれだけ強い2人だ。まさか戦って倒れてしまったなんてことはないはずだ。
そう自身に言い聞かせていると、カーディルが俺に目線を向けてきた。
「アル・クレイン」
「な、なんだよ……っ」
いったいなにを言ってくるのか。あるいは、仕掛けてくるのか。俺は身体をこわばらせながら、ナノと一緒になって対峙しつづける。が、一向にカーディルから続きの言葉が返ってくることはなかった。
「……行くぞ、メアギス」
「なにか言うつもりだったんじゃないの、カーディル。ねえ、思ったことはちゃんと言ったほうが──」
メアの言葉にカーディルが応じることはなかった。塵王教会の幹部たちが使う、黒い靄に包まれての移動。それをもってして目の前から姿を消してしまった。
もっとメアと話せたらという気持ちはある。ただ、いまはカーディルが去ったことに安堵している自分がいた。果たして本気で戦ったらどうなるのか。……俺は手に滲んだ汗を感じながら、ゆっくりと脱力した。
「無事か、クレイン!」
「あのオジサン、いつでも離れられたんだよ。ずるすぎっ」
聞こえてきた声のほうを見ると、こちらへと駆けてくるアニーさんとラッテさんの姿が見えた。どうやら戦闘自体していなかったようだ。そばまで来た2人に向かって、俺は安心してもらえるようにと笑顔を作る。
「俺は無事です。もちろん、ナノも」
「なのっ!」
俺の足もとではナノも無事だとばかりに両手をあげながら、ぴょんぴょん跳ねている。そんな俺たちの様子を見てか、アニーさんたちも安堵してくれたらしい。ただ、吐かれた息には呆れも混じっているのがありありと伝わってきた。
「まったく……本格的な護衛開始からこれか」
「これは、うちらが思っていた以上に刺激的な日々になりそうだね~」
自分ではそれなりに平凡な日常を歩んでいると思っていた。少なくとも学園に入る前はそう思っていた。ただ、最近を振り返ってみると、否定できない経験ばかりしていることに気づいた。
俺は乾いた笑みを浮かべつつ、軽く目を伏せる。
「……ご迷惑をおかけします」




