◆第十話『神獣、ベヒモスなのっ』
「ね、ねえ……アルくん。想像してたよりもずっと大きいんだけど……」
「俺もここまでとは思ってなかった……っ」
召喚されたベヒモスを前に、俺はユニカと揃ってあんぐりと口を開けていた。仮に踏み潰されても気づかれないんじゃないか。それぐらい俺たちと大きさに差がある。
驚愕する俺たちを見て、シャディア先輩がくすりと笑う。
「降参するならいまのうちよ」
「そんなこと、するつもりはないですから!」
「そうだよ! オルグラントさんのために絶対に勝つって決めたんだからっ」
怯えたのは事実だ。でも、だからといって逃げ出すつもりはなかった。今日のために特訓もしてきた。きっと勝てるはずだ。
「……あなたたち」
即答した俺とユニカにキスフィが驚いていた。気のせいか、少しだけ嬉しそうにしているようにも見える。そんな俺たちの空気感が癪に障ったのか、シャディア先輩が笑顔を保ったまま目を鋭くした。
「いいわ。それじゃ本気で潰してあげる」
「あ、あの~……あくまで本試合ではないので熱くなりすぎにようにね。怪我もダメですよ。先生が怒られちゃうので」
「シリル先生、開始の合図はまだですか? 早くして頂けると嬉しいのですが」
「は、はいっ。いますぐにっ」
シャディア先輩のきつめの口調を前に、シリル先生もたじたじだった。教師の仕事も大変だなと思いつつも、いまは俺も気遣う余裕がなかった。
俺は潜めた声でキスフィとユニカに「最初から仕掛けるぞ」と声をかけた。事前に決めていたこととあって、2人から反対もなく首肯が返ってくる。
シリル先生がこほんと咳払いをして居住まいを正したのち、俺たちとシャディア先輩、双方の顔を交互に見やってくる。
「準備はいいですね? それでは……」
第13学生寮を出たくない。そんなキスフィの願いを叶えるための戦いだ。でも、いまの俺は学園最強の召喚士を相手にできる昂揚感が勝っていた。
「――始めっ!」
ついに開始の合図が放たれた。
俺とキスフィが即座にエンチャント《フレンジー》を詠唱。自身の召喚獣たちを強化する。最中、ナノがニヴルの背に飛び乗った。
「ニヴル!」
キスフィの叫びに応じてニヴルが翼をはばたかせると、瞬く間に空高く舞い上がった。ユニカのフェアリーも追随し、ベヒモスの上空で旋回しはじめる。
「ナノ、まずは挨拶代わりの攻撃だ!」
「なのっ!」
ナノが30体ほどの分身を生成。空から降下させ、ベヒモスの頭部や背中に落下と同時にパンチをお見舞いした。ただ、予想通り損傷は与えられていない。ぺちぺちと可愛らしい音が聞こえてくるだけだ。
ベヒモスも害はないと思っているのか、剥がす素振りも見せなかった。シャディア先輩が少し困惑気味に声をもらす。
「面白い攻撃をするのね。でも、分身したせいで力がなくなっては意味がないでしょう」
「すっごい言いにくいんですけど、あれでも本体と同じ強さです……」
「あ、あらそうなの。なんだかごめんなさい」
気遣われてしまった。
「でも、それがあいつの本領じゃないです!」
分身たちがベヒモスの表皮を這うように移動し、その大きな目を塞いだ。視界を遮られてさすがにベヒモスも鬱陶しそうに頭を振っている。シャディア先輩は動揺するどころか、嘲笑をもらしている。
「目隠しがその本領ってわけじゃないでしょうね?」
「まさかっ! ナノ、狼形態ッ!」
ニヴルに乗ったナノの本体が光を発し、狼形態へと変化する。そのさまを初めてみるからか、シャディア先輩や観戦中のティリス先輩が目を瞬いていた。
「衣装を変えた……だけじゃなさそうね」
「あんな風に変身する召喚獣を見るのは初めてだ……」
すでに分身した個体には形態変化は適用されない。つまり狼形態の分身を出すなら、新たに生成する必要があった。
「分身、30!」
ナノが指示通りに30の狼形態の分身を生成し、降下。ベヒモスの体のあちこちに着地するなり、わずかに隆起した眉間目掛けて攻撃をしかけた。
本体にエンチャントがかかった状態なら、新たに生まれた分身にはその効果が適用されることは検証済みだった。つまり、いま生まれたすべての《狼形態》のナノにフレンジーの効果が適用されている。
先の通常状態とは違い、狼形態には鋭い爪という武器がある。そのおかげもあってか、ベヒモスの表皮に爪が浅く食い込んだ。
そのまますべての狼形態の分身たちがベヒモスの額を駆け抜けざまに裂いては離脱。一瞬にして30体が攻撃を終えた。さすがの数とあってベヒモスの額は血だらけだ。攻撃は徹っている。これなら――。
「キスフィッ!」
「ええっ、ニヴル!」
俺が叫ぶよりも早く、キスフィの指示でニヴルが動いていた。
先ほどナノが削った額目掛けて急降下。その巨大な黒々とした鉤爪を押しつける形で激突。ベヒモスの顎を地面に叩きつけた。その巨体に見合った凄まじい轟音が鳴り響く。感触は充分だが、攻撃はまだ終わっていない。
「フェアリー!」
ニヴルが退避する最中、ユニカの指示に応じてフェアリーが空からファイアボールを放ち、ベヒモスの額に当てた。ごうっと重い衝突音とともに黒煙が舞い上がる。相変わらず小さな体に見合わない凄まじい威力だ。
「やった! 初めて上手くいった!」
「ああ、間隔も短い! これなら……っ」
「連続して仕掛けないと意味がないわ。次も早く!」
キスフィの言う通りだ。俺は慌ててナノに指示を出そうとする。が、シャディア先輩の間の抜けた声によって遮られた。
「はーい、ひとまずここまでね」
途端、ベヒモスがけたたましい咆哮をあげた。舞っていた黒煙が散り、その姿をあらわにする。と、先ほど俺たちが削った傷痕がすでに塞がりはじめ、瞬きを1度したあとには元通りになってしまった。
「治癒能力が高いとは聞いてたけど……」
「あ、あんなの反則だよー……!」
俺は思わず唖然。ユニカは嘆き、キスフィまでも苦々しい顔を見せている。そんな俺たちの反応を見てか、シャディア先輩が微笑んでいた。
「ハンデと思って最初の攻撃は受けてあげたけど……ここからはこっちも攻撃させてもらうわよ。……ベヒモス、いつものをお見舞いしてあげなさい」
優雅に放たれた召喚主の声に相反して、ベヒモスが荒々しい雄叫びをあげた。瞬間、ベヒモスを中心にとてつもない衝撃波が起こった。
周囲にいたナノの分身たちが弾かれる格好で飛ばされて消滅。さらに上空ほど影響が大きいのか、ニヴルやフェアリーたちが飛行困難なほどグラつき、吹き飛ばされてしまった。
「な、なんだあの攻撃……っ」
「この子、飛べないでしょう? だからよく空から攻撃すればって考える子たちが多いのよ。だから、ね。対策をしてあるの」
言いながら、楽しげに笑うシャディア先輩。やはり学園最強の称号は飾りではないようだ。ただ、ナノたちも倒れたわけじゃない。
「だったら地上からっ」
ユニカの声に応じて先頭を翔けはじめるフェアリー。続いてナノとニブルも動きだす。一気に距離を詰めていく3体を前に、シャディア先輩が口の端を吊り上げる。
「あ、そうそう。言い忘れていたけど……この子、地上でも面白い攻撃ができるの」
ベヒモスが前足を持ち上げ、そのままドンッと勢いよく地面に叩きつけた。ナノたちに向かって地面に亀裂が走るやいなや、円錐状の岩が幾つも飛びだしてきた。
回避する間もない一瞬の出来事だった。ナノやフェアリー。そしてニヴルでさえも上空に大きく弾かれ、倒れてしまう。
俺たちは揃って召喚獣たちに駆け寄り、声をかけた。だが、返ってきたのは呻き声のみ。すぐには立ち上がれないようだった。
「こんなところかしら。ま、攻撃を一点に集中させてベヒモスの治癒能力を上回るって考え方自体は悪くなかったけど。ね、シリルせ~んせ?」
「そ、そうですね~……あはは。優秀な生徒たちを持って先生は嬉しい限りです」
どうやらシリル先生の入れ知恵だということもバレバレのようだ。ただ、それでもベヒモスを倒せなかった。悔しいが、実力差は思っていた以上に大きかったらしい。
「ごめんなさい。わたしのせいで、あなたたちの召喚獣まで……」
ニヴルの頬を撫でながら、キスフィがか細い声をもらした。弱気な姿をあまり見せないこともあって、思わず目を疑ってしまった。ユニカにいたってはうろたえている。
「そ、そんな、謝らないでよ。そもそも戦うって決めたのも、あたし自身がいやだって思ったからだし……っ」
「ユニカの言うとおりだ。俺たちは自分の意志でここに立ってるんだ。それにまだ戦いは終わってないだろ。なあ、お前たち」
「な、なの……っ」
召喚獣たちの目はまだ死んでいなかった。ナノに続いてニヴルが体を起こし、フェアリーが燐光を散らしながら飛びあがる。3体ともまだ戦えるとばかりに瞳に強い意志を宿している。
「……ニヴル」
「フェアリー……!」
召喚獣たちの姿が痛々しいこともあって、再起を素直に喜ぶことはできない。だが、そこまでしてでも勝ちたいという気持ちが伝わってきて思わず胸が熱くなった。
「あの攻撃を受けてもまだ立ち上がるなんて大したものじゃない。でも、残念だけどあなたたち程度では、わたしのベヒモスを倒すのは不可能よ。早く諦めて降参なさい」
シャディア先輩から勧告されるが、俺たちにはもうその選択肢はなかった。とはいえ、やる気だけで勝てるほど簡単な相手じゃない。どうすればあのベヒモスを倒せるのか。そう考えはじめたときだった。
「――2人とも、聞いて。あたしに考えがあるの」




