◆第十四話『本戦・準決勝、なのっ⑤』
『なんとオルグラント選手、《リジェネレーション》を使ったようです! ベヒモスが元から持つ再生力に加え、《リジェネレーション》による治癒。その相乗効果は想像以上に凄まじい効果を発揮しているようです! すでにベヒモスの傷はどこにも見当たりません!』
徒労に終わったような感覚に見舞われ、俺は思わず呆然としてしまいそうになった。だが、《ネオ・ギガントアロー》の威力は相当なもの。たとえ外傷が癒えたところで完全に回復したとはいえないはずだ。
俺はすぐさま気持ちを切り替え、ナノに向かって声を張り上げる。
「ならもう1度──」
「させるわけないでしょう!? ベヒモス!」
シャディア先輩の声に応じて前足を舞台に叩きつけるベヒモス。放たれたのは直線状の岩群だ。真っすぐにナノ本体へと向かってくる。
「一旦、分身を解除! 狼に変身後、分身10! 散開して逃げるんだ!」
ナノが狼形態の分身たちとともに岩群を回避。指示通りに散らばって逃げ回りはじめる。それらを追うようにベヒモスから直線状の岩群が幾度も放たれはじめた。
最中、シャディア先輩が再びベヒモスに《プロテクション》をかけなおしていた。おそらく《リジェネレーション》による治癒が完全に終わったと判断したのだろう。
完全にジリ貧な状況だった。会場の空気も開始後よりシャディア先輩の勝利を確信したものとなっている。不死身とも言えるベヒモスの再生力を目にしたあとだ。無理もない。
ただ、きついのは相手も同じだ。いまもシャディア先輩は涼しい顔をしているが、実際は違う。よく見れば額に汗も滲んでいるし、口元も歪むのを耐えている。気丈なシャディア先輩らしい。
本当に強い人だ。
召喚士としての実力だけでなく、心も。
だからこそより勝ちたかった。
──この人に。
「ナノ!」
俺の呼びかけに応じてナノが駆け寄ってきた。すぐさま次の──いや、きっと最後となる手を伝えようとする。と、警戒したのか、シャディア先輩が仕掛けてきた。
「届かないのなら届く場所に行けばいいだけよ! ベヒモス!」
それは大地が揺れたのではないかと思うほどの踏み込みだった。ベヒモスが飛び跳ねると、たった1歩で舞台の中央に到達。そのまま着地と同時に《ロックウェイブ》を放ってきた。
『オルグラント選手、ここで《ロックウェイブ》! しかも舞台中央から放たれたものとあって、その範囲は間違いなく全域に及びます。つまり舞台上には逃げ場がありません! どうするのか、クレイン選手!』
ベヒモスから同心円状に生成された岩群が舞台上を襲いはじめる。波のように外側へと押し寄せるさまは何度見ても凄まじい威圧感だ。しかし、いまはそれに臆している暇などいっさいない。
「大鷲形態30!」
俺がナノに指示を出すや、ベヒモスが《ハウル》を放ってくる。が、さっきと同様に大鷲形態たちは後退したのちに低空飛行でなんとか凌ぎきった。そのさまを見て、シャディア先輩が悔し気に口元を歪める。
「まあいいわ。どうせ本体が消えればあれも消えるんだからっ!」
シャディア先輩の言うとおりだ。ナノを倒すには本体を倒すだけでいい。その本体も大鷲と一緒には飛ばず、舞台端に残っている。大鷲とともに飛ばすことも考えたが、あえてその場に残した形だ。
やがて《ロックウェイブ》による岩の波が舞台の端に到達した。最後の仕上げとばかりに高々と隆起する岩群。その切っ先がまるで空を貫くような勢いで屹立した瞬間、観客から歓声が沸き起こった。
『ベヒモスから放たれた《ロックウェイブ》が、ついに舞台上のすべてを蹂躙しつくしました! これはもう勝負が決まったか! 小人の本体が呑まれたことで空に逃れた大鷲の分身たちも消滅──いや、していません!』
観客席に近い箇所から反転して向かってくる30体の大鷲たち。それらは1体も欠けることなく低空飛行でいまも舞台側へと戻ってきている。その光景を前にシャディア先輩だけでなく、多くの観客が驚愕していた。
「なっ、どうして……? 本体は舞台に残っていたはずじゃ……っ」
「さっき岩陰に隠れたときに気づいたんです。もう1箇所、隠れられる場所があったなって。ま、こんなこと出来るのはナノみたいに小さな召喚獣だけですけどね」
俺が説明する中、天使形態のナノ本体がふよふよと浮上。最後に隆起した岩群よりも高い位置に達した。俺や背後の観客には丸見えだったが、対峙するシャディア先輩には、ちょうどいま現れたように見えた形だ。
隠れていたのは舞台の縁。その側面に天使形態で身を隠していたのだ。舞台の高さはちょうど俺の腹辺りとそう高くはないが、小さなナノが隠れるには充分だった。
そして舞台の頑丈な壁の裏にいればハウルの影響を受けることもない。さらに《ロックウェイブ》の岩群に呑まれることもない。完璧な安全地帯だ。
ナノが残った岩群の上にちょこんと下り立つなり、狩人形態の分身を30体生成。最後に王形態となって「なのっ!」と片手をあげた。準備完了の合図を聞いて、俺は力の限り叫ぶ。
「ナノ、いまだッ!」
狩人形態たちが一斉に放った矢が、ちょうど合流した大鷲形態たちの《ウインドフォース》によって強化。勢いを増したそれらは1本の矢に収束し、ベヒモスへと向かっていく。
「ベヒモスッ!」
シャディア先輩があげた決死の声に応じて、ベヒモスが直線上の岩群を放ってきた。壁代わりにするつもりだったようだが、あっさりと呑み込まれていく。勢いすらも止めるには至っていない。
「くっ……何度放っても無駄よ。また耐えてリジェネレーションですぐに元通りに──」
「なりませんよ」
俺の遮った言葉でシャディア先輩も気づいたようだ。いまもベヒモスに向かっている《ネオ・ギガントアロー》の後ろに、さらにもう1つの《ネオ・ギガントアロー》が続いていることに。
ベヒモスを倒しきるには《リジェネレーション》で回復しきる前。そして再び《プロテクション》がかけられるまでに、もう1度、《ネオ・ギガントアロー》を撃ち込まなければならない。
ただ、《リジェネレーション》で時間をかければかけるほどにベヒモスが回復することを考えれば、実際のチャンスは一瞬しかなかった。
そう1撃目を当てた、直後だけだ。
「うそ、どこにそんな魔力が残って……っ」
「それが……取り柄みたいなもの、ですから……っ」
いまも頭がくらくらとしていた。
息は苦しいし、足腰にも力がほとんど入らない。
俺の、いま出せるだけのすべての魔力を使った。あとのことなんていっさい考えていない。バカだと罵られるかもしれない。それでもよかった。なぜなら、そうしなければ勝てないぐらいこの人は……シャディア先輩は強いからだ。
俺は残った力を振り絞りながら、天へと届かんばかりに声を張り上げる。
「いっけぇ~ッ!」
「な~~の~~~っ!」
ナノの声が重なった、瞬間。1発目の《ネオ・ギガントアロー》がベヒモスに激突。ほんの少し遅れて2発目も激突した。
腹の奥底にまで響く衝突音。同時に襲いくる衝撃波に多くの観客が悲鳴をあげる。まるで嵐の中にいるかのような惨状だった。
衝撃波が一瞬にして止み、視界の多くも晴れた。だが、ベヒモスの周辺だけは濃い砂塵に呑まれたままだった。そこにベヒモスがどんな状態でいるのか確認できない状況だ。
観客全員が息を呑みながら結果を待っている。そうわかるほどに静まり返った会場の中、やがて残っていた砂塵が完全に晴れた。
舞台上には俺の視界を遮る大きな存在はない。映っているのは、両手をだらりと下ろしたシャディア先輩の姿だった。
状況をしっかりと認識できていたにもかかわらず、俺は頭の中で状況を上手く呑み込めずにいた。だが、直後に聞こえてきた割れんばかりの大歓声。そして胸元に飛び込んできた笑顔のナノを前にして、ようやく自覚できた。
あのシャディア先輩に俺は勝ったんだ、と。
「そこまで! 勝者、アル・クレイン選手ッ!」




