◆第四話『女帝の家、なのっ』
フィルディンスさんも俺を見た瞬間、驚いたようで硬直していた。そんな緊迫した空気の中、おじさんが呑気な声で話しはじめる。
「えーとこの子は……そう言えば名前を聞いてなかったね」
「……アル・クレイン」
俺よりも早くフィルディンスさんが答えた。
そのせいでおじさんが驚いたように目を瞬かせている。
「おや、知り合いだったのか」
「はい。彼はルヴィナス学園の本戦出場者です」
「なんと、そうだったのか」
フィルディンスさんのライバルなんてことは微塵も考えていない。おじさんとおばさんたちは、むしろその偶然を喜んでいるようだった。
そんな中、フィルディンスさんの眼光は鋭さを増していた。いまも俺のことを敵視するようにずっと睨み続けている。
「どうしてきみがここにいる?」
「その、なんというか色々とあって……」
言い淀んだ俺のそばにおじさんが来ると、肩に手をとんと置いてきた。
「彼はわたしの恩人だ。荷車を引いているときに腰を痛めてしまってな。そこをたまたま通りかかった彼が、あの愛らしい小人さんの魔法で治してくれたんだ」
「……そういうことでしたか」
どうやら納得してくれたらしい。
とはいえ、本戦で当たるかもしれない相手が自身の領域──安らげる場所にいるのだ。フィルディンスさんからしてみれば不快に思うのも無理はない。
俺はすっくと立ちあがり、恐る恐る告げる。
「あ、あのっ! 俺、そろそろお暇します……っ」
「あら、もう行ってしまうの?」
残念だとばかりにまなじりを下げるおばさん。厚意はありがたいが、俺にとっては板挟み状態だった。いまも鋭い視線を向けてきている主──フィルディンスさんを俺はちらりと見やる。
「でも……」
「わたしのことなら気にする必要はない」
そう言ってはくれたものの、フィルディンスさんの表情は歓迎しているとは言い難い。だが、おばさんは歓迎しているととったらしい。
「リナもこう言っていることだし、遠慮する必要なんてないのよ」
「わ、わかりました。じゃあ、もう少しだけ……」
結局、流されるがまま俺は再び席についた。もちろん、フィルディンスさんから睨まれたのは言うまでもない。おばさんが満足そうに微笑んでくれているのがせめてもの救いだ。
「さあさあ、リナも座りなさい。見ての通りあなたの大好きなクッキーを用意しましたからね。たくさんお食べなさい」
「ありがとうございます、お母さん。いただきます」
俺の隣に座ったフィルディンスさんが早速1枚のクッキーを口に運ぶ。と、小気味いい咀嚼音が聞こえるたび、その険しい表情が和らいでいった。ついには至福だとばかりにふにゃっと崩れる。
凛とした姿しか見たことがなかったため、俺は思わずぽかんとしてしまった。そんな俺の視線に気づいたか、リナさんがはっとなって再び表情を引き締めてしまう。
もう1度見てみたい。そう思いながら再び注視したが、警戒されてしまったらしい。2枚目のクッキーを食べたときに表情が崩れることはなかった。
「今日は泊まっていけるのよね?」
「はい、そのつもりです」
「嬉しいわ。わたしとしては、ずっといてくれてもいいのだけど」
「その、甘えてしまうので……」
話を聞く限り久々に帰ってきたという印象だったが、やはりリナさんも寮住まいだったらしい。どこかよそよそしい気がするのは、そのせいかもしれない。
「それにしてもまたこの時期がやってきたのね」
おばさんがそう話を切り出した。おそらく学園大会のことだろう。フィルディンスさんの対面に座るおじさんが優しい声音で問いかける。
「どうだい、リナ。調子は?」
「とてもいいです。今年も勝ちます。……だから、期待して待っていてください」
そう答えたフィルディンスさんからは、はかり切れないほどの強い意志を感じた。俺や級友のみんなとは違う。まったくべつの想いで優勝を目指している気がする。
そんなフィルディンスさんの並々ならぬ想いには、おじさんたちも少し戸惑っているようだった。心なしか悲しんでいるようにも見える。だがそれも一瞬のことで、気づけば笑顔に戻っていた。
「ああ、母さんと2人で必ず応援しにいくよ」
フィルディンス家の中身をどこか垣間見てしまったような気がして、俺は少し居心地が悪くなった。我関せずといった様子でクッキーを頬張り続けているナノが羨ましい限りだ。
そんなことを思っていたのだが、どうやら感情が顔に出てしまっていたらしい。おじさんが申し訳なさそうにまなじりを下げる。
「っと、同じ参加者の前でこんな話をしてしまってすまないね」
「あ、いえ。気にしないでください。親が子どもを応援するのはなにもおかしくないですから。それにフィルディンスさんが優勝候補であることは俺も理解しています」
俺としては当然のことを言ったまでだった。
ただ、フィルディンス夫妻が少し不満そうというか、なにか釈然としない表情をしている。
「あの、俺、なにか変なこと言いましたか?」
「そうではないの。ただ、フィルディンスというのが……」
「あ~……たしかにお二人も同じですし、変な感じがしますよね。でもその知り合ったばかりですし、さすがに下の名前で呼ぶとというのは」
「でも、こうして卓を囲んだ仲だもの。ね、リナ」
言って、ウインクをするおばさん。その言葉に一瞬だけ困惑したフィルディンスさんだったが、諦めたようにため息をついていた。
「リナで構わない。べつに下の名前で呼ばれたからといって気にするタチではないから気にするな」
「じゃ、じゃあリナさんで」
俺はおずおずと口にしてみる。フィルディンスさん──リナさんはというと、言葉通り気にした様子はなかった。ただ、その代わりと言うべきか……。
「聞きましたか、あなた」
「ああ、聞いたとも」
なにやらフィルディンス夫妻がこそこそと盛り上がっていた。俺とリナさんの間にそういった色恋はないのだが、どうやら勘違いしているらしい。
その後もおかしな空気の中、フィルディンス家との談笑が続く。楽しくはあったものの、やはり俺はあくまで外部の人間だ。客人である俺への気遣いが垣間見えて、さすがに申し訳なくなってきた。
「すみませんが、そろそろ帰ります。あまり遅くなると先生が心配すると思うので」
さすがに時間も経っているし、先生を引き合いに出したからか。残念そうにしてはいたものの、夫妻も納得してくれたらしい。
「残念だけど、仕方ないわね」
「クレインくん、今日は本当に助かったよ。気が向いたらまた来ておくれ。もちろん、きみも歓迎するよ。小人さん」
「なのっ!」
忘れずに構ってくれたからか、ナノが嬉しそうに両手をあげていた。おばさんからお土産にと袋に包んでもらったクッキーも渡され、ナノは大満足といった様子だ。
最後にもう1度、俺からもご馳走になった礼をしたのち、立ち上がる。と、フィルディンスさんが待っていたとばかりに立ち上がった。
「そこまで送ってきます」
「ありがとうございます。でも、せっかくの親子の時間ですし、俺のことは気にせず──」
「遠慮する必要はない」
言って、フィルディンスさんが俺の肩に手を置いてきた。その後、口を耳元に近づけてきたのち、そっとささやいてくる。
「……さあ、行こうか。クレインくん」




