◆第十一話『霧の影、なのっ』
みんなを地上に下ろしたのち、ナノの分身たちを解除した。これでようやく一息つける。そう思った直後、駆け寄ってきたドリスが飛びついてきた。
「アル!」
「うぉっ」
あまりの勢いに耐え切れず、俺は尻から倒れてしまった。俺に覆いかぶさる形となったドリスがすぐさま両手をついたのち、顔をぐいっと近づけてくる。
「すごい、すごいわ! あんな化け物を倒しちゃうなんて!」
無邪気な子どものように爛々とした目を向けてくるドリス。おかげで怒る気を失ってしまった。俺はくすりと笑いつつ、応じる。
「ドリスが協力してくれたおかげだ。アラクネが動きを止めてくれなかったらきっと倒せなかった」
「そ、そうかしら。でも、やっぱり倒せたのはアルと……この子のおかげよ」
言いながら、ドリスがそばに立つナノを見やった。当のナノは頑張りが認められたからか、「なの~っ」と嬉しそうに笑みを浮かべている。
そんなナノから視線を戻したドリスが、なにやら急にもじもじしはじめた。
「その……ありがと。助けに来てくれて。もうダメかと思ってたわ」
「らしくないな。ドリスのことだから1人でも余裕だったって言うと思ってたのに」
「あ、あたしをなんだと思ってるのよっ」
ドリス相手に素直に礼を受け取るのはなんだか気恥ずかしくて、ついからかってしまった。案の定、ドリスを怒らせてしまったが、頬を思い切り膨らませたその姿は子どものようであまり迫力がなかった。
そんなやり取りをしていると、そばまで歩いてきたティリス先輩が「2人とも頑張ったね」と声をかけてくれた。かと思うや、なにやらにやにやと笑いはじめる。
「それにしても……ドリス。きみがそんなにも大胆だったとは思わなかったな」
ティリス先輩に言われて、ドリスはようやくいまの状態に気づいたらしい。はっとなったのち、慌てて飛びのいた。ただ、羞恥心は消えないらしく、その顔は赤らんだままだ。
「あの、これは……嬉しくて、舞い上がっちゃっただけで……っ」
「そういうことにしておこうか」
ドリスをからかいながら、ティリス先輩が俺に手を差し伸べてくれた。その手を借りて俺は立ち上がる。
「ティリス先輩も俺たちが動けない間、敵の相手をしてくれて助かりました」
「時間稼ぎしかできなかったのは悔しいところだけどね」
「でも、あの時間がなければいまこうして喋ることもできませんでした。これもティリス先輩とシルヴィが頑張ってくれたおかげです」
「そう言ってもらえると助かるよ」
最後には微笑んでくれたティリス先輩だが、その表情はわずかに翳っているように見えた。意外と負けず嫌いな先輩のことだ。きっと俺が思っている以上に悔やんでいるに違いない。
「それにしても……すごい威力だね」
ティリス先輩が敵の残骸が転がった奥側を見ながら言った。そこには《ネオ・ギガントアロー》の直撃を受け、深くえぐれた跡が残っている。巨人が土を削り取ったと言われても信じられるほどの凄まじい規模だ。
「いつもの声が大鷲形態に秘められた力を教えてくれたんです」
「まさしく勝利の女神だね」
「いや、おっさんなんで女神はちょっと」
そもそも、あのおっさんは神とかそういった部類ではない気がする。それどころか俺たちと同じ人間──召喚士といった印象だ。リマルカとも親しいようだったし、もしかしたらかなり昔の人なのかもしれない。
そんなことを考えていたときだった。
ドリスがなにやらフラフラと横に揺れていた。
「ドリス?」
そう俺が声をかけた直後、ドリスはふっと力が抜けたように倒れてしまった。幸い、そばにいたティリス先輩に抱きとめられたが、無事というわけではないらしい。血色が悪く、汗もかいている。
「だ、大丈夫か? やっぱりどこか怪我をして──」
「あれ……アル? ティリス様? 2人ともぼやけて見えるわ……」
「たぶん魔力を使い切った影響だろう。喜んだあとってところがドリスらしいけど」
ティリス先輩が苦笑しながら言った。魔力切れも深刻な状態では命に関わる。ただ、ティリス先輩の話し方から察するに、それほど危険ではないようだ。
まるで眠るように目をつむったドリスから静かな寝息が聞こえてくる。そのさまをティリス先輩が優し気な目で見守ったのち、顔を上げて提案してくる。
「もう夜も遅い。退避させた子たちも連れて早く大聖堂に戻ろう」
「はい」「なの~っ」
そう俺とナノが返事をした、直後──。
辺りにひりついた空気が流れはじめた。その異変に気づいて周囲を見回したところ、すぐさま原因を突き止めることができた。《ネオ・ギガントアロー》がえぐったくぼみの上に、縦に長い楕円形の影が浮かんでいたのだ。
何度も遭遇したので見間違いではない。
あれは──。
「塵界門!?」
「最悪だ。まさかこんなタイミングで現れるなんて……っ」
「まさか塵王教会が──」
「いや、おそらく自然発生だ……!」
これまで俺が遭遇した塵界門は、塵王教会が意図的に発生させたものだった。だが、その塵王教会員はどこにも見当たらない。ティリス先輩の言うとおり自然に発生したものなのだろう。
まさかこんなにも前触れなく現れるとは。
俺たちが塵界門の出現に驚いている間にも、その中から続々と塵獣が飛び出てきていた。ぱっと見ではハウンドが30体、ファットファングが10体といったところか。
数は多いが、低級ばかりだ。いまの俺たちの実力なら難なく倒せる。ただ、それは万全の状態であればの話だ。魔力がほとんど残っていない状態では、とても対抗できるとは思えない。
「アル、魔力は」
「……すみません、もう限界に近いです。でも、先輩たちだけを逃がすぐらいは──」
「それはダメだ」
「でも──」
俺とティリス先輩が押し問答をする間にも、敵は涎を垂らしながら距離を詰めてきていた。その中で1体のハウンドの飛び出しが合図となり、一斉に敵が駆けはじめる。向かう先はもちろん、俺たちだ。
もはやいまから大鷲形態を生成し、先輩たちだけを逃がしても間に合わない。そもそも俺が死んだ時点でナノも人間界からいなくなってしまう。
かくなるうえは俺が囮となるしかない。敵をうまく引き付けられるか、そもそも逃げ切れるかもわからないが……それでも全員が餌食になるよりはマシだ。
そう俺が覚悟を決めて敵のほうへ駆け出そうとした、瞬間。
「──来い、アウドムラッ!」




